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【BL】終の先の住処(全年齢)  作者: しあわせ千歳


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2/9

【第2章】森の中でポツンと暮らすおじいちゃん半妖受けが若い青年に絆されていく、約束の恋愛小説。

 



 男が目を覚ましたのは、森で拾ったあの日の夜遅くになった頃だ。


そろそろかと風呂釜へ薪をくべて火を焚き、紡久が外から土間へ戻ると眠っていたはずの男が縁側に立ち、開け放たれた戸の向こうの暗い庭をただ見つめている。


美しい立ち姿だ。

しかしもう起き上がれたのかと紡久は驚いた。


「昼間は意識なく倒れて寝たきりだったのに、もう歩いたのか」


 紡久の落ち着いた声音に男が振り返る。


 部屋の中は天井の裸電球ひとつのみで薄暗い。しかしこの明かりに慣れた紡久の目はどうという事も無く、男の顔を見返した。


「あ……、あなたが助けてくれたんですか? 俺、途中から記憶が曖昧で」


 早口に喋る男の声がうまく聞き取れない。このような山奥に独りで暮らす紡久の話し相手はもっぱら妖怪たちだけだ、若い人と話すのは久々で紡久の耳が早口に慣れていなかった。


 紡久は少し怯えた様子の体格のいい男へ、ゆっくりとした動作で土間から畳へ上がり近寄る。

庭に湧き出る聖水を飲ませ傷が癒えたとはいえ、身体はまだ本調子ではないはずだ。急に近づき驚かせては可哀想だろう。


 縁側に立っていた男は布団の方へ戻り、紡久が側まで来て膝を折るのを見てからそこへ同じように正座した。


「山の中で倒れていたところを私が助けた。八十八紡久(やそはちつむぐ)だ。お前、名は?」


「あ、はい。俺は榊信大(さかきしんだい)です、二十一歳です。あの、助けて頂いてありがとうございました」


 言って男、信大はその場で大きく頭を下げる。

自分の名前を名乗れる、頭を下げられる、そんな風を見て取って紡久は内心でほっと安堵した。


 顔を上げた信大の顔をまた見返す。表情は硬いが悪い奴ではなさそうだ。それもまだたったの二十一歳、少し前まで子どもだった者に優しくしてやろうという思いがこみ上げる。


「では信大、腹ごしらえをしよう。握り飯と漬物と、若い桃の砂糖漬けくらいしか無いが、食べられそうか?」


 言いながら立ち上がり、紡久は食事の準備にと土間へ行き予め用意していたそれらを乗せた皿を一人分の膳へ乗せて持っていく。紡久の分は先に済ませたので、これは信大の物だ。


「ありがとうございます、何から何まですみません」


 その言葉遣いから信大が食事を欲しがっているのを感じ取り、紡久は布団の横に膳を下ろす。


「良いさ、どうせ暇だからな。少しの間、お前と話をしながら過ごすのも悪くない」


 笹の葉に乗せた塩の握り飯の皿を目の前へ差し出してやると、信大は少し躊躇う素振りを見せた。中々、手を出さない信大はただ黙って握り飯と紡久の顔を交互に見ている。


「毒など入っていない。私が食べてみせようか」


「あっ、いえ、いただきます」


 躊躇っていたわりに、握り飯を持った信大は遠慮なくそれを口に頬張った。紡久の手で握った大きめのそれをたったの三口で食べ終え、驚いたのは紡久だ。


「お前、もっとゆっくりと食べろ、病み上がりだぞ」


 くすっと笑えば、信大は頷いたもののもう一つの握り飯へ手を伸ばし、それも大きな口であっという間に平らげる。空になった皿を膳に戻すと、今度は信大が自ら漬物の皿を取り上げ一口で食べ終え、更に桃の皿も同じくすぐに食べてしまった。


「なんだ、気に入ったならもっと持ってくるが」


 空っぽの膳を持って立ち上がろうとしたその時、紡久の細い腕を信大の大きな手が掴んだ。


「いえ、ごちそうさまです。しばらく食べてなくて、あの、美味しかったです」


 掴まれた手首に紡久はそこへ座り直す。信大の手は強く握られていた。顔を覗き込むと、どこか目が怯えている気がした。


「どうした?」

「……あ、何でもありません」


 はっとしたように信大が手を離し俯く。正座していた脚を崩し背中を丸める姿が、何だか急に大きな子どもに見えた。


 それから予定通り彼に風呂を進め、五右衛門風呂が初めてだという信大に使い方を説明し、紡久は外で薪の番をする。


小さな窓から信大の使うお湯の音が響いてきた。見たところ、一番大きく負った背中の傷はしっかり塞がっていたので、一応湯が沁みないかと心配していたが、どうやら問題なさそうだ。


 ただの気まぐれ、それが紡久が信大を助け構う理由だった。独り山奥で暮らしていても、人は独りでは生きていけない。


最寄りの小さな集落まで山を徒歩で下りそこで作った米を売って生計を立てているが、その集落の人たちとは会話もする。いくら山の中の独り暮らしでも紡久を知る人々がまだいくらか居た。


だが、信大のような若者と話す機会はそうそうない。過疎化が進み最寄りの集落には年寄りばかりだ。


「まあ、私も十分、年寄りだが」


 自分の考えに小さく笑う。紡久はもう長い事ここで生きてきた。


「紡久、薬つくって」


 ふと座敷童が側まで来て小さな声で言う。紡久の甚平の袖を小さな手で引き、こっちに来てと促す。


「わかった、ちょっと待ってな」


 薪の火をそのままには出来ない。紡久は少し考え、火の始末をする。信大もそろそろ湯から上がる頃だろう。


 畳の部屋へ戻ると、そこには初めましての妖怪が来ていた。見ためは五歳児ほどの人の姿で、顔があるはずのそこに目と鼻と口がない。のっぺらぼうの妖怪だ。


「どうした、何があった?」


 紡久の元へ、たまにこうして妖怪が訪ねて来ることがある。それはこの土地と紡久の血が大きく関係していた。


 この土地では、他ではとても珍しくまだ聖水が湧き出ている、妖怪にとって好ましい環境だ。


聖水が湧くという事はこの土地がまだ生きているということで、妖怪のみでなく獣や樹木、草花、虫など土地に根差す者にとって好ましい養分が土の中に絶えることなくたくさん含まれている。


人の世では令和になったこの時代に、遥か古の時代からずっとここで聖水が湧き出続けていた。


 その庭で採れる聖水を利用して、紡久は妖怪相手に薬を作っている。聖水そのものはすごい力のあるもので、下手をすれば妖怪にも毒になる。その力を和らげ小物妖怪にも毒にならない薬とするのに、紡久の血を利用していた。


 紡久の血には湧き出る聖水と似た効力が生まれつきある。だからか、紡久自身が怪我をしても傷はみるみると治る。


だが紡久の血を他の者に塗っても同じ効力はなかった。それなのに妖怪には違ったようで、それは彼らの傷を癒してくれた。聖水と紡久の血で作る薬は彼らの為だけに作っている物だ。


 口がなく喋らないのっぺらぼうの様子をよく見れば、膝の裏に何か細いもの、木の枝のような物が刺さっている。

古びた服の上から突き刺さるそれは痛々しく、すぐにでも抜いてやりたいが紡久は咄嗟に手を出すのを躊躇った。


その枝に酷く禍々しい妖気を感じたからだ。


「これは良くないなあ、ひとまずやるだけやってみよう」


「はやく」

「紡久、急いで」


「分かってるさ」


 暗い庭の隅、聖水の湧き出るそこへ明かりを持たずに急いで行き、いつもの通り湯飲み一杯のそれを持ってくる。

何でもいいが小さな器、茶碗を用意してそこへ少しの聖水を入れ、更に包丁で自分の腕を少しだけ切る。簡単だ、聖水と血を同量混ぜるだけ。


「出来た。これを傷口にかけるよ、痛いかもしれないけど我慢しろ」


 話しかければ、のっぺらぼうは言葉を理解しているらしく、頷いた。


 いくよ、と声をかけてそっと傷口へと茶碗を傾ける。

薬が傷口へ触れた途端、じゅうっと音がして黒い煙が湧いた。

紡久は痛がる妖怪の膝を片手で押さえつけ、尚も薬をかける。すると細い枝が自ら抜け、畳の上へ落ちた。少しの間、それを見つめる。だが枝はもう、禍々しい気を発してはいないようだ。


「はあ、はあ……、これでもう大丈夫だ」


「やったあ!」

「紡久すごい」

「傷、治った」


 周りの妖怪の言う通り、のっぺらぼうの膝の裏の傷は綺麗に治り、肌色が見える。傷が治ればもう用はないとばかりに、のっぺらぼうはすっくと立ち上がると一目散に庭を通って山の中へとすごい速さで逃げて行った。


「ふふ、凄い慌てっぷりだな」


 助けた妖怪に見返りなど求めていない。ただ妖怪を助けるのは、紡久が半分人、半分妖怪の半妖だからだ。紡久の出生はかなり特殊だった。


 時は明治十八年、上野国(こうずけのくに)が群馬県と呼ばれるようになった頃。

周りに比べひと際標高の高い皇海山(すかいさん)の麓、とはいえ十分に木々の深い山奥にほんの小さな集落があった。


その中でも一番大きな茅葺屋根の日本家屋で紡久は生を得る。その日は真夏にも関わらず蝉も鳴かないような涼しさで、陽の昇る前の薄明るい早朝から夜中まで絶えずしとしとと雨が降っていたらしい。


 紡久は第二子、八十八家の次男で下には妹がひとり。こんな辺鄙な山奥で暮らす家族は明治になっても昔ながらの囲炉裏を囲む生活を続けていた。


田畑を耕し、米を作り、牛を育て、木を切り、近隣の村にそれらを売りにいく、土地に根差した暮らしだ。


 今でこそ半妖の紡久も、初めはただの人だった。だから両親も集落の者も、他の子どもと同じように接し育ててくれた。


違和感に気が付いたのは年老いた父親だ。数えで二十七歳だというのに見た目が十代のように若いままだった。それからは、紡久を見る周りの目が変わってしまった。紡久を妖怪だと言ったのは実の兄だ。老いていかない身体など、普通の者にしてみればただ気持ちの悪い事だっただろう。


 紡久が自分の身体に異変を覚えたのはそれよりもずっと前、十七歳になった頃からだった。


ある日を境に自分の生まれる前の記憶を夢枕に見るようになり、繰り返し見せられるその内容は次第に鮮明になっていった。


その夢が事実ならば、紡久は生まれながらにしてこの土地と約束を交わしていた事となる。

それは、今は土地自身が守り続ける聖水の湧くこの土地を紡久が引き継ぎその先を守り続けてくれ、というものだった。


 紡久がまだ母親の腹の中に居た頃、あと百五十年もすれば土地が枯れ聖水が枯渇する、と土地に相談を受けた。聖水は有限で、無くなれば土地が死ぬのだと聞いた。だが、そうなる前に土地は紡久を見つけた。ただの人ではなく、普通は見えない妖怪が見え、更に力の強い土地の者が現れるのを待っていたらしい。


その者ならばこの先、土地を守っていける、土地を託すことができる、と。そして生まれる前の紡久は土地の願いを受け入れてしまった。


 それから百四十年という月日を紡久は生きてきた。土地との約束に縛られこの皇海山を出る事ができず、百四十年もの時を生きた。

土地は力を失いつつあり、あと十年もてば良い方だ。


山では頻繁に地震が起こり地すべりが増えた、湧き出る聖水も以前よりもずっと少ない。毎日見舞っている立派な御神木のケヤキが土地の本体だが、見た目は百四十年前と何も変わらないのに精気は年々薄くなっていた。


 土地の力のお陰で紡久の寿命は長い。もう長いこと鏡を見ていないが、見た目はまだ二十代ではないだろうか。百四十歳を迎えた年寄りだというのに、土地の加護を受けた半妖だからというだけで老いが遅い。それでも百二十年余りで人の十歳程度は老けていた。


 老いなど何も気にならない。そのうち、あと数年もすれば紡久はこの土地に成る。


御神木のケヤキのように、この脚から根を出し樹木の様にこの土地とただ数千年を生きるのだ。


 そこに紡久の望みはない。生まれながらに決められた運命には逆らえない。土地に成れば感情は無くなるのだろうか、虚無が襲ってくるのだろうか。独りで永遠を生かされるならばいっそのことその方がしあわせかもしれない。









 


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