魔王と、竜
勇者フィンは、深夜に突然僕の部屋を訪れ、魔王討伐隊に加わって欲しいと言ってきた。
「そのようなことを突然に言われても、返答に困るであろうとは思う。しかし、私には他に頼れる者がいないのだ。ヨミトよ、私を助けてくれないか」
握られた手に、力が込められる。
腕の太さは、僕の倍近くある。
「話は聞きますので、手を離して下さい。痛いです」
「すまない。焦っていたようだな。落ち着いて話せればいいんだが。二日前に、ここに来たんだ。エストの町長が王国でしか更新出来ない書類があるというので訪れた。国民の居住登録の書類の訂正か、税金の過不足かと思っていたんだが、違ったんだ」
声が掠れていたので、枕元の小机にあった水差から、容器に水を汲んで手渡す。
「役所で名乗ると広場へと案内された。他にも何人か居たな。並ばされて、台の上に立たされたのだ。そして、そこに刺さった剣の柄を手にしろと言うのだ。役人は、剣の試練と言っていたな。その時になってようやく、王国が勇者を見つけ出そうとしていたことを思い出したんだ」
フィンは、一口水を飲む。
「書類とは、その試練を受けていない者達の名前の一覧が記されたものだったのだ。確かに、王国に行かなければ更新の手続き出来ないはずだ。 以前に炭鉱の者達も王国に呼ばれて出掛けたことがあったが、それは試練のためであったのだろう。休業手当も出て、王国の観光も出来たという。私は試練を避けていたわけでは無く、勇者は王宮の兵士のなかから現れるだろうと思っていたから、自分の仕事に打ち込んでいただけだ。私が選ばれるなんて思いもしなかったんだ」
「剣に選ばれた時は、どのように感じたんですか?」
「手応えも無く、剣も微動だにしなかったので勇者に選ばれなかったと安堵していたんだ。だから、そう伝えた。しかし、それこそが勇者の証であるという。選ばれなかった者は、剣に拒絶されるというのだ。その場に座り込んだり倒れてしまったり、すぐに気分が悪くなり嘔吐することもあるという。剣に込められた力に、負けてしまうと言うのだな」
「その時に、剣を引き抜いんたんじゃないんですか?」
「ヨミトも、あの広場に居たんだろう。あの時が初めてだ。剣を引き抜いた際には、祝福の鐘が必要だと言っていたからな。そのための準備と多くの人を集める時間が必要だったようだ。だが、その前から剣からの囁きが聴こえるようになっていた。あの群衆のなかで剣を引き抜いた時には、それが、はっきりと聴こえるようになったんだ」
「どんな声、なんですか?」
「誰か一人の声では無い。おそらく、以前の剣の使い手の思いや、魔力を込めた魔法使い達の意思が残留しているのだろう。それらが合わさったような声だ。同じ言葉を同時に複数の声が発しているような不思議な声だ」
フィンは水を飲み干したが、不安を抑え込むように容器を掌で包み込んでいた。
「何故、僕を魔王討伐隊に加えようと思ったんですか?」
「私は今までに剣を扱ったことが無い。毎日の炭鉱の仕事で肉体には自信があるのだが、魔物など見たこともない。それに、今まで王宮兵士とも魔法使いとも関わって来なかった。あの食事の際にも話は合わなかったな。勇者として頼られているようで、その者たちに弱音が吐けない」
「僕こそ、力も弱く、魔法も使えませんので役には立ちませんよ」
「しかし、そなたは旅人であろう。違う世界から、やって来たのだろう。そちらの世界は、この世界よりも多くの知識があり、技術も進んでいると、大臣は言っていた。ヨミトは学生であろう。学生とは、知識を学ぶ者たちのことであろう。大いに私の助けになってくれるはずだ」
「この世界には、学校は無いんですか?」
「ある。私は通ったことは無いが、王国民は通うという。しかし、ヨミトの世界とは違い、読み書きを習うぐらいだ。魔力を見出されたものには王宮に魔法学院があるのだが、それは一部の素質のあるものだけだな。討伐隊の一員のマッホは、まだそこの学生のようだ」
「でも、討伐隊は王宮に選抜されて結成されたんですよね。急に僕が加わるなんて無理ですよ」
「旅人の大抵の願いは、王国は叶えてくれるという。おそらく、魔王討伐隊に加わることも出来ると思う。そちらの世界には、物語と呼ばれものがあるそうだな。そのなかには、魔王や竜を退治するといものもあるというが、どちらもそちらの世界には存在しない作り話だというではないか。しかし、この世界には、魔王や竜も存在するのだ。そして、魔王討伐隊に加われば、その冒険をすることが出来るのだ。せっかく、この世界を訪れたならば、そちらの世界では出来ない経験をしてみたいとは思わないか?」
「一晩、検討させて下さい。今日は色々なことがあったので、直ぐには判断が出来ません」
「勿論、考える時間は必要であろう。しかし、明日には旅立ちが迫っているのだ。それまでには返答を聞かせてくれ」
フィンは、部屋を出てゆく。椅子の上には空の容器が残されていた。
僕は部屋のランプの灯を消し、布団へと潜る。
これは夢で、この世界を再び訪れることは無いかもしれない。
しかし、もし、再び戻って来られるのならば、冒険の旅に出るのも、この世界で過ごすことの選択のひとつなのかもしれない。