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そして夜会の日がやって来た。朝早くから準備に駆り出された私は、夜会の時間にはピッカピカに磨かれまぁまぁな美人へと変化していた。
「とっても素敵です、お嬢様!」
メイドに急かされ鏡を見ると、美しいレースが重なり合ったエンパイアドレスに、腕にはレースに繊細な刺繍が施された袖がついている。私が動くたびにドレスは揺れ、レースは私の腕を薄く透かしていた。私が茶髪なのも相まって、上からみたら大輪のひまわりのようだと自負してしまう。
マユさんの言葉と笑顔、それにこのひまわりのようなドレスに見合わない人にはなりたくないと、自然と背筋が伸びた。
お父様にエスコートされながら、私は夜会へと赴いた。
普段は伯爵家の我が家に注目する人はいないが、今日はなんとなく視線を感じる。耳をそばだてると「あれってマユ•アトリエの服? 最近は休業中だったのに」「でもそう言えば、1件だけ依頼を受け付けたというのを聞いたわ」「今まであまり目立たない方だったけど、よく見ると綺麗ね」
なかなかに好感触な声に思わず笑みがこぼれた。そのままいくつかの家に挨拶したあと、渡されたシャンパンを飲みながら王太子殿下の登場を待つことにした。
私はシャンパンを飲みながらも、視線はエリック様をついつい探してしまう。他にもかっこいい男性ならいるのに、ちっとも胸はときめかずエリック様ばかりを探している。私が黄色いドレスを着ている所を見てほしいと。
そうしている内に、隣国の王太子殿下が現れた。そしてその隣には――
「エリック様!?」
私は思わず叫んでから慌てて口を押さえた。皆程よく騒がしいので私の声は聞こえていなかったようでホッと息をつく。
もう一度王太子殿下の隣、いや少し後ろを見るとやはりエリック様がいる。そう言えば、隣国の王太子殿下は自分の側にいつも側近騎士を仕えさせていると聞いたことがある。
服はこの間のラフなものとは違い騎士団の白い服に、金の留め具、そして髪の毛がよく映えている。私は自分の頬が赤くなるのをシャンパンのせいだと誤魔化した。
この間の朗らかな顔とは違い真剣な表情でエリック様は王太子殿下を見ている。王太子殿下は我が国の王女であるリリーティア殿下にダンスを申し込んでいた。
王太子殿下の髪の色である深い青色のドレスに身を包んだリリーティア殿下も王太子殿下もとても麗しくて、ついため息が溢れてしまった。
二人がホールの真ん中に来たのを合図に、曲が始まる。私もエリック様と踊りたいな……、直ぐにその考えは振り払ったものの、油断すればそんなよこしまな考えに頭が支配される。今エリック様は警護中だし、そもそもの問題、王太子の側近騎士になれる程の地位、武力を持っているエリック様はさぞモテるだろうからわざわざ私なんて選ばないだろう。後ろ向きな事を考えて、最初の気概はどこへやら落ち込んでいると、にわかに周りが騒がしくなる。
『ん?』と思い声のする方を振り向くとこちらにエリック様が歩いてくるのが見えた。
「私かしら!」
「きゃー、どうしましょう!?」
令嬢たちが浮足立っている。そしてそれは私も。下を向き黄色のドレスを見ながら赤い頬を隠していると、男性ものの靴が目に入った。顔を上げると、エリック様がいる。
「黄色いドレスが素敵な人。どうか僕と踊ってくれませんか?」
「えっ、ぁ……ご、護衛はよろしいのですか!」
「今は大丈夫だよ」
せっかく誘ってもらったのにこんな可愛げのない事しか言えない自分を恨みたくなる。
唇を噛み締めた私は、マユさんを思い出し慌てて顔を上に向けた。
「わ、私もっ、貴方と踊りたいです」
「それなら良かった」
ふんわりとエリック様は笑って、私に手を差し出した。その上に自らのを乗せ、私達はホールの真ん中へと出る。
踊っている最中、エリック様が耳元で話しかけてきた。その近さにクラクラとめまいがする。
「もしかして僕の為に黄色いドレスを着てきてくれたの? 嬉しいなぁ」
「うぅ」
改めて言われると羞恥心が込み上げてくる。これではエリック様が好きだと公言しているようなものではないか。
周りも私のドレスの色とエリック様の髪の毛、エリック様のさっきの迷いのない足取りから私達が恋人同士だと思ったのか「あらあら〜」と生温かい視線を寄越してくる。恥ずかしくて死にたい。
――でも、それ以上に、
「エリック様に黄色いドレスを見せられて、とても嬉しいです」
私が笑うと、今度はエリック様の頬が赤くなる番だった。
「……本当に、とても綺麗だよ。ドレスだけじゃなくて、ラナージュが僕にとっては一等まばゆく映る」
その言葉を皮切りに、音楽が止んだ。慌てて周りを見渡すと、今日の主役である王太子殿下は私とエリック様に苦笑をこぼし、リリーティア殿下は何を考えているのか分からない瞳で私達を見つめていた。
周りの視線も、あの二人ではなく私達を見つめている気がする。そこで私はあっ、となった。私はレイハルト様と婚約解消したばかりの身。それなのに他の男性と楽しそうにしているから皆興味津々なのだろう。
私は弁明しようとして、直ぐに立ち止まった。『私とエリック様の関係はなんだろう?』という純粋な疑問が私を阻んだからだ。
「あら、婚約解消して直ぐに他の男性と親しくしているなんて、可笑しくありません? 婚約解消前から仲がよろしかったのでは?」
そこで私を代弁するような声が響いた。声の発せられた方向に目を向けるとあの日、レイハルト様とキスをしたという黒髪の令嬢がいた。何処からか二人がキスをしたという噂は広まって、令嬢が肩身の狭い想いをし、婚約者も決まってないらしい。その腹いせか私が悪感情を持たれる言葉を言ったのだろう。
皆レイハルト様との婚約解消理由は知っているだろうけど、この状況はどう説明しよう、とエリック様を無意識の内に見上げると、彼はニッコリ笑顔を返した。そして――私の手を取ったまま跪く。そのまま皆に聞こえるような声量で話し始めた。
「僕は、恥ずかしながら8年前からラナージュ嬢に想いを寄せておりました。しかしラナージュ嬢が婚約した事を知り一度は恋心を諦めました。ですが彼女が自由の身となった今馳せ参じた次第です。まだ僕の横恋慕のようなものですけどね」
エリックの言葉に周囲から歓声が上がる。黒髪の令嬢は反対に周りから白けた目を向けられ、悔しそうに去っていった。
「ラナージュ」
「エ、エリック様……」
「僕の事はエリックと呼んでよ」
彼の甘やかな視線と周りからの歓声に緊張は最高潮に達しながら、私は小さな声でゆっくりつぶやいた。
「……エリック」
ともすれば歓声にかき消されてしまいそうな声であったがエリックにはしっかりと聞こえたらしい。少し目を見開いてから、じわじわと頬を緩ませた。
熱い。頭のてっぺんからつま先まで、火が宿されているかのように熱い。でもそれは不快、というわけではなくて、ただ柔らかに私の心を溶かすもの。
その熱に、気付かされた。私は、エリックが好き。
私をあの日助けてくれた貴方が好き。
私に「黄色のドレスが似合う」とてらいのない笑顔で言ってくれた貴方が好き。
優しく笑い私の手を取ってくれる貴方が好き。
もうどうしてこんなに好きになったのか分からないくらい、エリックが大好き。この言葉を口にしたい。でも、それでもちらつくのはレイハルト様の言葉。頭ではエリックとレイハルト様は違うと分かっていても、喉が詰まってしまう。
だからこそ私は、姿勢を正した。大丈夫、と言い聞かせる。そうだ、言葉は私を傷つける為にあるのではない。マユさん、お母様にお父様、そしてエリックがそれを教えてくれた。
エリックは、私を不必要に傷つける人ではない。
「私も、好きです」
「え……?」
みっともなく声が震える。
「貴方にまたいつ会えるか分からないのに、黄色いドレスを仕立ててしまうくらいには、あの日私を助けてくれたエリックに惹かれていました」
『ラナージュは黄色いドレスが似合いそう』優しい笑顔で私を肯定してくれたあの時、私は自分が息苦しかったのだと気づいた。息をつく暇をくれたエリックに私は生命を救ってもらった。
「私と、結婚してください」
「……それ僕の台詞っ……」
真っ赤な顔でそう呻いたエリックは、赤いほっぺのまま嬉しそうに笑った。
そこでもう一度皆が沸いた。拍手、祝いの言葉がホール中に木霊する。
王太子殿下は「おーい、一応主役は俺だぞー」と野次を飛ばし、リリーティア殿下は唇を少しだけ上げ、柔らかく目を細めていた。
お父様は複雑そうな顔をしながらも拍手をしていた。
私は、黄色いドレス、ひいてはドレスを作ってくれたマユさんに心の中で感謝し、エリックと一緒にお辞儀をした。
殊更大きな拍手の音が、私達を祝福した。
◇◇◇
「シャンパンとグレープフルーツジュース、どっちが良い?」
そう問われ、私は「ジュースの方でお願いします」と言うと、エリックは会場に向かった。
あの熱狂に私がのぼせてしまって、今ベランダのベンチに座っている。エリックは飲み物を取りに行ってくれた。会場に入ると、私との事について根掘り葉掘り聞くために皆に絡まれているみたいで、ちょっと困っている姿が遠目で見え可愛いと思わず笑みが溢れた。
ベンチに身を預けると、涼しい風が火照った体を冷ましてくれる。風がざわめく音。会場の喧騒。それらの音に身を委ねれば心地よさに心が落ち着いた。
「少し、よろしいかしら。ラナージュ・カテリア」
驚いて目を開けて視線の先にはリリーティア殿下がいた。慌てて立ち上がり姿勢を正す私に、リリーティア殿下が苦笑する。
「何も取って喰おうとしている訳じゃないから安心なさいな。私は貴女に、感謝を伝えに来ただけなのだから」
「感謝、ですか?」
リリーティア殿下の白い手が私の手に重ねられた。
「……私ね、王女として生まれたからには、いいえ女として生まれたからには誰かの求める『リリーティア』として人形のように生きていくのだと思っていたの」
彼女の手は、微かに震えていた。
「だから、婚約者のせいでクソダサい黄色いドレスを着ていた貴女を心の何処かで私と同じだと思っていたの」
王女様にも『クソダサい』と言われるなんて……、とこっそり震えた。レイハルト様のセンスにむしろ尊敬の念を送ってしまう。
「でも今日の貴女を見てすごく綺麗になってたから驚いたわ。黄色のドレスなのに、形とかが違うだけでこんなにも貴女を引き立てるものになるのだと」
リリーティア殿下は、『王女』らしくなくニィッと笑ってみせた。
「私は、決められた掟からは逃れられない。だけどラナージュのように、美しいドレスを見つけてみようって思えたわ。今いる場所で輝いて、私という存在を皆に刻みつけてやるって」
「リリーティア殿下……」
「あの騎士様と貴女が結婚したら、私はグレイン殿下と結婚するだろうから顔を合わせる機会もあると思うわ。その時は仲良くしてね」
私の頬も、自然と緩んだ。
「はい、是非お願いします」
「ありがとう。――本当に、ありがとう。貴女に私は、生き抜いてみせようという『勇気』を貰ったわ」
リリーティア殿下は、私に手を振って会場に戻っていった。私はそれを、どこか熱に浮かされたようにぼんやりと見つめる。
その時、リリーティア殿下と入れ替わるようにエリックがグラスを持ちながらこっちに来ているのが見えた。ようやく皆から解放されたのだろう。
「はいどうぞ、ラナージュ」
「ありがとうございます」
渡されたグラスを傾ければグレープフルーツの爽やかな味が口の中に広がる。私が一息ついたのを確認して、エリックが話しかけてきた。
「そう言えば、王女殿下と何を話していたの?」
「えーと、私に勇気をもらった、と言われました」
私の言葉に、エリックは「なるほど」と頷いた。私は少し恥ずかしくなる。
「私が勇気をあげられたなんて、今でも信じられませんけど」
えへへ、とおどけながらエリックを見れば、存外真剣な眼差しに見つめ返された。
「ラナージュは、君が思っているよりも凄い子だよ。僕も、ラナージュに色々な物を貰ったから」
「へ……」
「君がいたから、僕は父上の葬式で泣くことが出来た」
彼はゆっくりと、言葉を探りながら話し始める。
「さっき僕がラナージュに8年前に恋に落ちたと言ったのは、嘘でも方便でもない。本当に恋に落ちたんだよ」