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家に帰ってきた私は、丁度夕食の時間だったからそこで話を切り出す事にした。デザートが運ばれた所で、話し始める。
「お父様、お母様、私今日レイハルト様に婚約解消をお願いしました」
お母様が驚いたようにフォークを落とし、お父様はタラリと一筋額に汗をかいた。
フォークが床に当たる音だけが響く。
「……上手くいっていると思っていたが、何かあったのか?」
お父様が暫く逡巡した後に問いかけてきた言葉には、私への慮った心があった。お母様も心配そうに私を見つめてる。
グッ、と私は喉が詰まった。私は何処かで二人もレイハルト様と同じだと蔑んでいたのかもしれない。だけど、今二人はこうして私の話に耳を傾けようとしてくれている。
自分は何をしていたのだろう、と私は自分を恥じた。お父様もお母様もいつも私の話を聞いてくれていたのに。あの家庭教師の時もとても怒ってくれていたのに。
私はいつの間にか、自分の本音を話すことを恐れていたのかもしれない。
じわりと涙が浮かんだが、泣いたら話が出来ないからと鼻をすすって私は二人に向き合った。
「私は、5年と少し前からレイハルト様と婚約を解消したいと思っていました。それは彼の言葉遣いによるものだったので、私にはこれが婚約解消に足り得るものかと判別が出来ず、100回彼が言ったら勇気を出そうと思いました」
私は、今までのレイハルト様に言われた事を記した日記を二人に渡した。
お父様がそれを受け取ってまじまじと読み始める。いつもの晩餐とは違い静まり返った中、「自分は空気……」と小声で唱えながらメイドが来てお母様が落としてそのままだったフォークを回収し、さりげなくお母様の所に新しいフォークを置いていた。拍手喝采に値する働きだった。
私の好物のホットココアにホイップクリームが乗せられた物を、フゥフゥと息を吹きかけ冷ましながら飲んでいるとお父様達はどんよりとした空気で日記を読んでいた。かなり恨み節が綴られているのでなかなか読むのが辛いのだろう。自分でも読み返してなんだこの悪魔の書みたいなのは、とビビリ散らかした。
半分ほどページがめくられた所で、お父様はお腹いっぱいと言いたげにお母様に渡していた。お母様はその続きから読み込んでいる。
グラスに入った水を飲んでから、お父様が切り出した。
「ラナージュがこんな想いをしていたのに、気付けなかったとは情けないな」
「その、婚約解消は……」
「あぁ、僕からも提案してみよう。だが納得してくれるかな……」
不安そうな声を出すお父様に、私は石をだした。これは声を録音出来る、とても優秀なお高い魔道具なのだ。そこには「あの女はあの場限りだ!」と叫んでいるレイハルト様がしっかりバッチリ録音されている。何かレイハルト様が言った時の為に……と最初から付けていた物が功を奏した。
「突然現れた騎士様に教えてもらったんです。レイハルト様が女性とキスをしていたと」
お父様は唸り、お母様は眦を吊り上げた。
「ラナージュちゃんという存在がいながらあの青二才めが……!」
昔は野山を駆けずり回っていたお母様からギリギリ夫人としてはアウトな言葉が出てきたが、娘としては嬉しくなったので「お母様、ありがとうございます」と返すだけに留めておいた。いつもならお母様をたしなめるお父様は今日は同調するように拳を高く掲げた。
「そうだ、僕たちの大切なラナージュを傷つけただけに留まらず、浮気までするなんて! 執事長、今すぐべフェロン侯爵家に使いを送ってくれ」
「はい、ただいま」
そして次の日にべフェロン侯爵夫妻がやって来た。レイハルト様は居らず、二人はレイハルト様が浮気まがいの事をしてひたすら申し訳ないと頭を下げた。そして、私には多額の慰謝料が渡された。
最後に「貴女が娘になってくれたらとても嬉しいと、そう思っていたのにうちの息子のせいで本当にごめんなさい」と謝られた。レイハルト様の幸せは祈れないけど、べフェロン夫妻には幸せになってほしいと、私は素直に願えた。
婚約破棄について書かれた契約書をべフェロン夫妻が帰った後眺めてると、隣にお母様が座る。
「ねえラナージュちゃん。何かしたい事はある?」
「したい事、ですか?」
暫く考えた末に思い浮かんだのは、あの柔らかな笑顔。
「――私に似合う黄色いドレスを探したいです」
「? レイハルト様のあのクソダサドレスの思い出を払拭したいの?」
私も少し思っていたがやっぱりあれは微妙なのか。それもそうであろう、あれは似合う人の幅が異様に狭く勿論私には似合う筈のないドレスだった。全体的にボヤボヤした色の割に金の刺繍というなんともギンギラしたものが刺してあるのだ。しかも私は子供っぽい顔立ちだから、ドレープのあのドレスでは浮いてしまう。周りからはさぞクソダサに映った事であろう。
「違います。その、私を助けてくれた騎士様が、『黄色が似合う』と言ってくれて、彼にまた会えた時に見せて、あげたいんです……」
「きゅ――ん!」
頬を赤らめながら告げる私を見たお母様が胸を押さえながらそう叫んだ。
「精一杯、可愛くしましょう!」
それからキラキラのうら若い乙女のような顔をして私の手を掴んだ。
「はい、お母様!」
だから私もとびきりの笑顔で応えた。
◇◇◇
婚約破棄の後ベフェレン夫妻から贈られてきた手紙には『レイハルト様は半年間の謹慎』と『レイハルト様の浮気相手』の記述があった。なんとレイハルト様のキスの相手はあの夜会の日レイハルト様が褒めていた黒髪の令嬢らしい。
俄然、自分に似合う黄色いドレスを仕立てる気が湧いてきた。
「本日は、お願いします!」
「ふふっ、そんなに畏まらなくて大丈夫ですよ」
今王都で一番人気と言っても過言ではないデザイナーの方にころころと笑われて少し恥ずかしくなりながらも、私は再度お腹に力を込めた。ちなみに、このデザイナーの方――マユさんは繁忙期で疲れすぎて一旦依頼を受け付けるのを止めていた所を、私がそれを知らず多額の慰謝料握りしめ依頼をしてしまった。休息中、というのを知って慌てて依頼を取り消そうとしたが「貴女に似合うドレスを仕立てるのはとても楽しそう。是非、我が店で仕立ててください」と言われ、お言葉に甘えて仕立ててもらう事になった。
そういえば本日、お母様はお茶会に呼ばれて欠席している。行く直前まで渋っていて、メイドに「めっ」と怒られていた。
「それで、黄色のドレスですが……」
「私には似合いませんか?」
マユさんはキョトン、という顔をした。
「いいえ? むしろとてもお似合いになると思います」
彼女がサラサラと紙に描き、色を乗せたデザイン画を見ると、ドレープが多かったレイハルト様が贈ってくれたドレスとは違いそのドレスはフリルが多く、色も明るい黄色だった。そう、丁度ひよこのような。
そこまで考えてボンッと顔が熱くなる。マユさんはニコニコしながら私の百面相を眺めている。私の考えている事などお見通しに違いないのだろう。
「……すごく、着てみたいです」
ニヤける頬を押さえながら唸るように言うと、マユさんは苦笑しながら「ではこれをベースに作っていきましょう」と言った。それからは、色んな素材を見せてもらった。私はマユさんが提示してくれる案を選び、その素材、飾りに合うようにドレスが美しく変化していく。
自分に合うドレスを作るというのはこんなにも楽しいのだと、私はいつの間にか令嬢らしくなく熱くマユさんと討論してしまった。
そして夕方頃アイデアが固まり、出来次第連絡をするのでお越しください、と言われ解散となった。
それから3ヶ月後、ドレスが完成したという手紙が来たので私はマユさんの店に訪れた。トルソーに着せてある完成したドレスは、さすが大人気デザイナーというべきか、輝きを放っているようなドレスは今まで見たことがない程繊細な意匠が施されている。
マユさんがドレスに見惚れている私に苦笑した。
「なにか着ていく予定はありますか?」
「あともう少しで隣国の王太子殿下が参加する夜会があるので、そこで着ていこうと思っています」
最近視察のために来た王太子殿下をねぎらう、と言えば聞こえは良いが、これは我が国の王女であるリリーティア殿下とのお見合いが暗黙ではあるが一番の目的だ。
この夜会は王城で大々的にやるため、エリック様が警護とかでいないかな、と密かに思っている。
マユさんはニコニコ笑顔で私を見つめている。
「うん、やっぱりいいですね」
「何が、ですか?」
「貴女の依頼を受けてよかった、って話です」
マユさんはそっとドレスを撫でた。
「私、あの日アトリエでドレス作りを辞めようか考えていたんです」
「えっ……」
「あんまりにもお店が忙しいのと、その分増えるクレームとか、高飛車なご令嬢が私にはちょっと合わなかったんですよねぇ」
照れた様に頭をマユさんは掻く。
「ではなんで、私のドレスを仕立ててくれたんですか?」
私の問いに、マユさんは宙を見た。それは分からない、ではなく言葉が見つからないようだった。暫くの無音の後、何処かスッキリしたような顔でマユさんは私を見つめた。
「私が『王都で有名なデザイナーになってやる!』って思った時と同じ瞳を、あの時の貴女がしていたからだと思います。だから私も、また頑張りたいなって思えたんです」
とびきり素敵な笑顔を、マユさんは浮かべた。それは蝶が羽休めの場所を見つけたような柔らかいものだった。
「私に依頼してくれて、とても素敵な瞳を宿してくれていてありがとうございます。私ももうちょっと、頑張ってみる事にしました」
「――また、依頼させてください」
「是非」
マユさんに別れを告げ、私はドレスを箱に丁寧に詰めてもらい帰路についた。黄色の綺麗なドレスには、綺麗というだけではない煌めきが放たれていて、私は優しく撫で、もう一度笑みが溢れた。
家に着くと綺麗なドレスにお母様は大喜びし、お父様は「もう次の婚約者が決まってしまうのか……」と気が早すぎる事を言っていた。