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お読みいただきありがとうございます。

「レイハルト様、誠に勝手ですが婚約解消をしてくださいませんか?」



「………………なんでっ」


 長い沈黙の後、目の前にいる婚約者であるレイハルト•べフェロン様が発した言葉は私への問いかけか、それともなんの意味もないものか。私には理解できない。ここはカフェ。テラス席で無作法だとは思いながらも私は婚約者に婚約解消を願い出た。


「……っ、君のご両親はこれを了承しているのか? いつもラナージュは勝手に物事を決めるよな、そういう所を直した方が良いと思うぞ」


 私は嘆息した。両親にまだ告げてないが、婚約解消(する予定の)相手にそう言われると、少しムッとなる。


「そういう、所です」


「何がだ」


 息を長く吐いて、またお腹に力を込めた。……ああ、自分の考えを打つけるというのは、とても力を使う。


「貴方の言葉は正しいのかもしれません。ですが私は、そんな言葉望んだ事はありませんでした」


 彼は理解できてなさそうな顔をしていた。


「――私が私の心を守る為に、婚約解消してください」


 従者が主にするそれのように頭を深く下げ、懇願する。この瞬間が来るまで6年かかった。

 私は溢れる達成感からか、それとも婚約者に対する僅かな情からか、眦に涙を浮かべた。


◇◇◇


 私がレイハルト様と婚約を結んだのは、お互いが12歳の時だった。年頃も近く、私が伯爵家で彼が侯爵家と爵位も近い事からこの婚約は決まった。

 私は『後はお若いお二人で』と婚約を結ぶ日に出会ったレイハルト様と二人きりにされドキドキしていた。人見知りのきらいがあった私にとって、プラチナブロンドの髪と美しい顔をもつレイハルト様はあまりにも眩しかった。その髪の色彩はその頃私が好きだった絵本に載っている騎士様と同じで、勝手にレイハルト様に騎士様を投影していたのだ。

 

 そんな彼が開口一番、


「君はなんでそんなに背を丸めているんだ。俺の婚約者という自覚はあるのか? 見苦しい」


 そう言った。

 途中までは正論のような気がしたが最後の『見苦しい』で私は全ての意識を持ってかれた。


「……え?」


「『え?』じゃない。自覚はあるのかと聞いてるんだ。まったく、嘆かわしい」


 高圧的な態度に萎縮しながら、私は姿勢を正し「あ、ありますっ」と慌てて言った。婚約1日で破談など、とんだ親不孝者だ。


「ではそれに見合った態度でいてくれ。君のその態度では他の貴族にも舐められてしまう」


「すみません……」


 心臓が、体中にあるみたいに全身が脈打っている。頭がグワングワンした。

 私は必死に口角を上げて、笑った。「お気楽そうな顔だな」とレイハルト様は一蹴した。


 お互いの両親が設定した月に1回のお茶会の日が、私にとっての地獄だった。話をすれば何か言われる。だけど無言でいれば彼は自慢話をし、私や私の家族を下げる物言いをする。そのほうが何倍も辛くて、私は後悔するのに、ついつい話をしてしまう。


「今日、足を怪我している猫がいて治療したんですよね。ショコラみたいな色で可愛くて、」


「雑菌を持っているだろうに何故触ったんだ。おい、まさか手を洗ってないとかないだろうな。変な正義感を出すな」


「……大丈夫です。手は洗いましたし、その時丁度手袋をはめていたので」


 どんな話でも、レイハルト様は難癖をつけてきた。


「そういえばこの間の夜会、楽しかったですね」


「あぁ、そうだな。だが楽しむ前に君はダンスをもっと練習した方が良い。俺の婚約者としてあんなダンスでは駄目だ」


「……精進します」


 レイハルト様は正しいのかもしれない。だけど彼が『正しく』する度に、私の心を黒くどんよりしたものが占めた。でも、私は彼と婚約して7ヶ月頃まで、微かな希望を持っていたのかもしれない。


 その頃新しく来た家庭教師は、とても厳しい人だった。勉学で私が質問に答えられなければ手を叩かれ、大量の宿題のせいで睡眠時間を削る事も少なくなかった。家族にはバレない様にしていたが、ある日のお茶会でレイハルト様は私を見て「眠れてないのか?」と聞いてきた。私は、睡眠不足で思考力が低下していたせいもあったのだろうが、レイハルト様の言葉に嬉しくなってしまった。家族ですら見抜けなかった事を、彼は見抜いてくれたのだと。


「えっと、最近来た先生が厳しくて。宿題などが多くて全然眠れてないんです」 


 だから、喋ってしまった。


「――ラナージュの家庭教師さんが厳しい? 君を想ってのことだろう、良い教師ではないか」


 ……? 今の何を聞いてあの家庭教師を『良い先生』と彼は定義したのだろうか? 

 そして、数秒後に漸く理解した。

 ――彼はただ、私が嫌いなだけなのだと。

 その後は、ひたすらに笑顔を作っていた気がする。彼の話にニコニコと頷いて。もうどんな感情にも振り回されたくなかったから聞いている振りだけして。そして私はその日から、レイハルト様に何か聞かれても『大丈夫です』と返すのが口癖になっていた。

 

 そうしているうちに日が沈み、中身が入ってないティーカップは茜色に染め上げられる。


「では、失礼する」


 形式的な言葉を口にして彼が帰った後溢れたのは、止め処無い涙だった。


「ふっ、ぅ……私、が悪いんですか? どうして、あんなふうに言われなきゃいけないんですかっ」


 泣いている私を見つけたメイドによって家庭教師の件は両親の知ることとなり、家庭教師は解雇された。

 その時にレイハルト様の事も言ってやろうとした。だが、彼が話す言葉はいつだって『正しい』ものであった。その彼を糾弾できる言葉を、私は持っていなかった。両親はひどく心配してくれたけど、私は言葉を詰まらせる事しか出来なかった。

 だから、決めた。彼にとって『正しく』て、私にとっては違う事をこれから彼が100回言ったら、この婚約は解消しようと。


 この決意から、5年とちょっともかかってしまった。最後レイハルト様が言った正しい言葉は、夜会でだった。

 彼のプラチナブロンドになぞらえて白に近い黄色の(と言えば聞こえはいいが、実際は黄ばんだ白のような)ドレスにゴテゴテの金色の刺繍が施された、彼が贈ってくれたドレスを着る私に言ったのだ。


「君にそのドレスは似合わないな。あのような女性が着る色合いだろう」


 彼の視線の先には、たおやかな笑みを浮かべた黒髪の美人な女性がいた。野暮ったい茶髪を持つ私とは正反対の容貌をもつ女性だった。


「……貴方の髪の色なんですけど」


「そんな事は百も承知だ。だが似合ってないのが事実だろう」


 似合ってない事はわかっていた。だけど、それでも『似合ってるね』と言って欲しかった。私を肯定してほしかった。そもそもそちらが贈ってきたドレスなのだ。私に似合うようにすべきだろう。童顔気味の私には、このドレスの形は大人すぎるし、前提としてこんなにセンスのないドレスでは、似合う人は片手で数えきれるくらいしかいないに違いない。


「……レイハルト様は正しいですね」


 私の皮肉に、レイハルト様は嬉しそうな顔をしていた。本当に何も分かっていないのだと、私は心の中で嘲笑った。


 そして次の日、婚約解消を申し出た。顔を真っ赤にして怒るレイハルト様に、心はどんどん温度を失くしていく。カフェでする話じゃなかったな……と考え事をしながら彼の顔をぼんやりと見つめる。


「すみません、大丈夫ですか?」


 そこで声をかけられた。後ろを振り向くと人好きする笑みを浮かべた色の濃い金髪に緑眼を持つ端正な顔の青年が立っている。

 ラフな格好だが立ち姿が綺麗だと思った。


「え? えっと……」 


 困惑する私に、青年は顔をパッと明るくしながら自分の腰を指さす。そこには帯剣されていて、騎士という事だろう。


「一方的に詰められている女性を見過せなくて、余計な手間でしたら謝罪を」


「……っ、これは俺とラナージュの話し合いだ。部外者は口を挟まないでくれ」


 突如現れた彼は険悪な空気に似合わずのほほんとしている。


「あっ、『ラナージュ』って名前なんだ。可愛らしいなぁ」


「ふぁっ」


 顔を真っ赤に染め上げ小さく悲鳴を上げる私に、優しい笑みを崩さないその人は礼をした。

 レイハルト様と同じ金髪だが、彼の金髪は陽に照らされているように柔らかくて濃い黄色でヒヨコみたい。なんだか安心する色合いだった。


「僕の名前はエリック。ただの騎士だよ」


「エリック、様」


「エリックで良いよ」


 長い間を置いて「………………エリック様」とまた言うと不満そうな顔を彼は一瞬した。だが初対面の人を呼び捨てに出来るほどのコミュ力は私にはなかったから勘弁してほしい。

 けど気を取り直したのかニコッと笑って私の手を取るエリック様を、レイハルト様が払った。


「おい、ラナージュは俺の婚約者だ。気安く触れるんじゃない」


「今さっき婚約解消を申し出られていたけど?」


「俺はっ、了承していない!」


 レイハルト様を暫しの間見つめたエリック様は「ふむ」と声を漏らした。


「……ラナージュは本当に、君の婚約者なの?」


「そうだと言っているだろう!」


 さり気なく『ラナージュ』呼びなのが気になりつつも私はオロオロとしながら二人を見ることしか出来なかった。はたから見れば三角関係のような絵面に『早く逃げたい』と心が叫ぶ。

 そんな私の心中など露知らぬエリック様はコテリと首をかしげた。


「そっか。一昨日の夜会で、ラナージュではない女性と逢引している姿を見たから、てっきりあの女性が婚約者なのかと思ってたよ」


「え……?」


「な、何のことだ!」


 私はレイハルト様を見た。彼は顔を青くしながら口をハクハクとさせていて、エリック様の言葉が真実なのだと裏付けているも同然だった。

 レイハルト様はエリック様に怒鳴る様にして叫ぶ。


「別に、偶然会っただけかもしれないだろう!」


「その割には、結構楽しそうだったよね。キスまでしちゃってさ」


 エリック様が人差し指と人差し指をくっつける仕草をした。


「……本当、なんですか?」


 私の問いかけにレイハルト様は顔を真っ青にしたり真っ赤にしたり、忙しそうにしてからようやく叫んだ。


「あの女はあの場限りだ!」


 それは堂々とした浮気宣言。私は、ふはっと変な笑みが溢れた。

 なんだ、結局レイハルト様も正しくなかったのだ。という安寧の気持ちだった。


「なら尚更、婚約解消しましょう」


「……っ、俺は!」


「さようなら」


 カフェで私が頼んだ分のお金だけ置いて私は席を立った。


「私、ずっと貴方に願っていた事があったんです」


 最後にレイハルト様にそう言うと、彼は不可解そうな顔をした。その直後、下卑た笑みを浮かべた。それを叶えれば、元の関係に戻れるとでも思っているのだろうか?


「そ、それはなんだ! 早く言え!」


 ……やっぱり。


「私は、何度も伝えてきましたよ」


 言葉ではなくとも、何度も貴方に『共感』して私を分かってほしいと伝えてきた。けど貴方は私を理解しようとはしなかった。

 レイハルト様は唇を噛み締め私に何か言おうとしてきた。だからそれを制すように声をあげる。


「私が伝えなかったのではなく、レイハルト様は私を一度も解ろうとしなかった、という事です」


 そう言い切るとなんだか心が晴れやかになった私はエリック様にお辞儀をした。


「ありがとうございます、貴方のお陰で助かりました」


「……」


 さっきまでの朗らかな感じとは打って変わって無言を返されて不思議に思って顔を上げると、エリック様は真剣な顔をしていた。

 何を言われるのだ、とゴクリと息をのむと、エリック様は真剣な顔から一転、ふにゃりと頬を緩める。


「ラナージュは黄色いドレスが似合いそう」


 目をパチクリとした私は、レイハルト様とは正反対の事を言うエリック様に顔が綻んだ。


「それなら、とても嬉しいです」


「うん、絶対似合うよ」


 心がぽかぽかしながら、未だ何か叫んでいるレイハルト様には目もくれず私は家に向かって歩き出した。いつかまたエリック様に会えたら、黄色いドレスを見せてあげたいと考えながら。


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