船渡しさんの経済事情
地獄の沙汰も金次第
地獄の裁判でも金で自由にできるという、金力万能をいう諺。
[岩波書店 広辞苑第五版より引用]
ざあぁぁ、と永続的に水を掻き分ける音が耳に入る。覚醒してからずっと波音を聞いていたからか認識から排除されていたのに、急に意識したのは何故だろうか。
彼はへたり込み、甲板に直接座っていた。
ここは航行中の客船だった。
普通なら一身に太陽の光を受け、グラス片手にバカンス気分を味わってもバチは当たらないようなものだが、この様子はなんだろうか。
海は死んだように黒く、空も堕ちたように冥い。されども照明や太陽などの光源もないのに、何故か視界は開けている。
彼は見回すが陸地の類は存在せず、三六〇度の水平線はここが唯一人間の生存条件の整った空間であることを示している。
「つーか、ここはどこ?」
私は誰?
いやいや、自分の名前ぐらいは覚えてる。俺の名前は青井友孝――普通の男子高校生だ。
だのにこの状況とは何ぞや。
目覚めたら、ここにいた。
以上、特に説明必要なし。俺には十六年の歴史とか、性格とかが、ここで語らないのは決して作者の手抜きではない。ホントダヨ?
……とりあえずこの状況を夢の所為にさせるために、古今東西行われる画期的夢診断法を試してみよう。
即ち、頬をつねる。
右手で右頬の肉を一センチそっと摘み、離さずそのまま思い切り力を入れ――
捻じ切る!
「くぁwせdrftgyふじこっ!」
言葉にならない悲鳴を俺の耳は知覚した。悶絶しつつ床を転がると、服が落ちている埃を取る。
もうやんねぇ。
もう絶対やんねぇ。
例え夢だと分かっていても、この判定方法を禁止する啓蒙活動をすることを心に誓った。
……餅搗け――いや、落ち着け、俺。
すーはーすーはー。
深呼吸は俺の心を水面の如くしてくれたようだ。
不自然な世界に来ていきなり心を乱した俺だが、今や数々の試練を乗り越え、明鏡止水の境地に達っしているんじゃないかというほどに心が穏やかになった。
で、安定と安寧を求める俺の心は一休さんのようにとんちを利かせた。
ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。
ああ、あれだ。これって異世界に召喚されつつあるんだ。現実の世界から剣と魔法の世界に行って神様から要らない使命を背負わされて、嫌々ながらも中二病みたいなチート能力を授かって色々な女の子をはべらせながら世界を救うってやつ。
それじゃここは世界と世界の狭間、インターバルな空間だ。
かなり身勝手でメタで恣意的な解釈だが、間違ってないはず。信じろ、俺。信じさえすれば現実を捻じ曲げられるのだ。
……さて、あとは案内役を待つだけだ。
「どうしたものよのう、越後屋?」
どすん、とその場で胡坐をかいて偉ぶってみる。
暇だし周りには人がいないので、待ってる間に剛胆なことをやってみる。
「ふははははっ! 人がまるでゴミのようだっ!」
「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ……」
「エターナルフォースブリザァァァァァドッ!」
「あんたバカですかぁ?」
なに、最後は俺の台詞じゃないぞ。
突然後ろからアニメみたいな声を浴びせられ、俺はすかさず振り向いた。
「誰だ……」
貴様は! と言いかけたが、彼女を見たことで俺は絶句した。その格好があまりにも奇抜過ぎ、そんな気は一瞬にして殺がれたからだ。
彼女は黒を基調としたワンピース――三段フリルが付いた短いスカートにピンク色の線が入り、腕には蝶々のようなリボンをアクセントにしている。胸元のレースには過剰にビーズが装飾されて、首のチョーカーには銀製の髑髏が光っていた。
これが夜に言う後巣路理か――くそ、まじでパソコンが誤変換しやがった。このような衣服を大人の女性が着ているのだ。
いい歳こいてなんという格好をしているんだか、色が目に痛いだけでなくその存在自体がイタい――いやいや、彼女がこそが水先案内役だろう。大抵非現実的な格好をしているんだ、異世界は。
「あは、申し遅れましたぁ。私ぃ、三途の川の船渡しをさせて頂いてますミキと申しますぅ。本日はご乗船ありがとうゴザイマスぅ」
アイシャドウたっぷりつけたおめめをパチクリさせて、胸を強調させながら間延びした喋りをするミキと自称するこの女。
「は?」
あんたはさっき何とのたまい申したか?
「この船の行き先はあの世ですぅ。到着までどうぞぉ、ゆっくりしていってね!」
目の前に現れたのはなんと、あの世への案内役でしたっ!
まさか、俺は既にチート能力を授かり、E.F.B.をマホカンタ(またはリフレク)で跳ね返されたのか?
しかし、うざっ。
子供達(と大きなお友達)に夢を与えられる声にその口調だから更にうざっ。
「ゆっくりしていられるかぁ!」
「早速、予定を確認させて頂きますぅ。あなたは死亡しましたがぁ、三途の川渡し賃及び裁判費用が未払いとなっておりますぅので、零泊一万二千日地獄巡りツアーのご予約となっておりますぅ。二十四時間汗水働いてぇ、しっかり返済してください~。説明以上ですぅ」
俺は怒りのあまり跳ねるように立ち上がったが、意に介さず実に事務的かつ個性的な声で喋るミキ。
「って、無視すんなよ!」
俺が死んだ?
衝撃に現を抜かしていると、ミキは悟ったようだ。
「覚えていないんですかぁ。たまに記憶がトンじゃう人ぉ、いるんですよねぇ」
と言ってミキが細腕で取り出したるは『衝撃型記憶再生用装置 1t』と白文字で書かれた、少なくとも彼女より大きなハンマーだ。
これを使用すれば全て上手く収まるという突っ込み専用の正にリーサルウェポン。時折、キャラクターが物理的にあり得ない物体を取り出す空間を人、それをハンマースペースと言う!
最初は幻覚、ハンマーの全体像を見てからは張りぼてだろうと俺は思ったが、
「おとと」
ミキはよろけて誤ってハンマーを地面に打ちつけた。
甲板が凹み、大きな穴を開けやがった。
こいつは――本物だ。
「えへへ。間違えましたぁ」
おいおいおいおい。
記憶なくしたからってショック療法か? 幾らなんでも安易過ぎやしないか? 痛覚があるのは確認したから証明済みなんだぜ?
「それでは逝きますぅ」
「や、やめてくれ! 俺はまだ死にたくないっ!」
「駄目ですぅ。もう死んでますぅ」
俺は手を振って拒否の姿勢を示すが、ミキは軽々と持っていた鉄槌を振り下ろす。
えいっ! との掛け声に俺は重量に押しつぶされた。
「大丈夫ですかぁ」
「あ、ああ」
流石はギャグ仕様の世界。多少痛みはあったが、怪我はしなかった。
それより重大なことが判明してしまった。
俺は死んだ。確かに思い出したよ。
トラックに轢かれて死んだんだ。あの信号はたしか青だったはずなのに。
でも納得いかねえ。
「何で、俺が地獄行きなんだよ」
「ですからぁ、渡し賃とぉ、閻魔様の裁判費用がぁ、払われてないんですぉ」
「死んだ後にも金が必要なのかよ、世の中金なのか!?」
「そうですぅ。それが世の理ってやつですぅ」
善悪を知らぬ子供に理を説くように喋っているつもりだろうがその言葉使いでは、ただうざいだけである。
「分かったよ、払えばいいんだろ?」
万引きした後の責任逃れに聞こえなくもない。
ポケットをまさぐるが、財布を忘れていたことに気付く――しかし、金目のものはあったようだ。
「ほら」
俺はSuicaを取り出した。この前チャージしたばかりだから五千円ばかり残っているはずだ。
「この船はSuica非対応ですぅ。PASMOも使えないですよぉ。というかぁ、現世の貨幣はここでは通用しないんですよぉ」
「じゃあ普通の人は何で払っているんだよ」
「ここの通貨は現世の人たちにとって『善行』と置き換えられますぅ。生きている内にやった良いことですねぇ」
善行を積めば諸費用は払える。なのに俺は何故地獄行きなんだ?
聞きながらSuicaを仕舞う。
「正確にはですとぉ、『善行』引く『悪行』の数値が私共で規定している渡し賃と裁判費用未満だとぉ、地獄で返済することになりますぅ。普通に生活していれば地獄には行かない数値ですぅ。だからぁ、あなたは現世で人殺しでもやったんじゃないですかぁ? 一万と二千年はそのぐらいしないといかない数字ですぅ」
「すんげえ増えてるっ!?」
「そうですねぇ、あなたみたいなのを外に出すのは危険ですからぁ、そのようにしておきましょう~」
「しかもそれが採用っ!?」
「冗談ですぅ」
人の終わった人生を弄ぶ冗談はいい加減にして欲しかった。
「しかし、俺は人殺しなんてやったことないぞ」
「じゃあ、思い出させてあげましょう~」
悪夢再来す。
彼女は『衝撃型記憶再生用装置』を取り出す。その下には『100t』と銘打たれていた。
「これ以上叩いても何も出でこねえよ!」
「駄目ですぅ。お前の罪を数えろですぅ」
「ちょっ、おまっ!」
あいやぁ~! との掛け声に俺は重量に押しつぶされた。
「いや、やってないんだから思い出すも何もねえよ」
押しつぶされてもすぐさま復活する俺。流石ギャグ世界。
「そうですかぁ。書類の方には確かに一万二千日とあったんですけれどねぇ、本部の方に確かめてみますぅ」
と言って、携帯電話を取り出してアニメ声のまま口調も変えずに通話――会話の中に俺の名前と何かの番号があり、思っていたより早く切った。
「確認できたら折り返し電話が来ると思いますぅ。それまで暇ですから雑談でもして時間を潰していましょう~」
その提案に乗り、俺は甲板に大の字に寝た。死んだ身なので、最早背中が汚れようが構わない。
ミキは膝を抱えて座る。ショーツが見えた。チラリズム黒色。高校生には毒だ。
「見たですねぇ。煩悩剥き出しですぅ。罰金、刑期延長ですぅ」
「しまった、巧妙な罠だったか!」
くすくす笑うミキ。これも冗談だったようだ。
それにしても……
「死んじまったんだなぁ」
「死んじまったんですぅ」
今までの人生を振り返ってみる。
確かに面白い人生だったが、家族にもさよなら言えなかったのは悔やむところだ。
やべ、エロ本見つかりやすい場所に仮置きしたままだった。
「なあ、生き返るってこと、できないのか?」
勿論、エロ本を隠し直すためではなく。
「ほぼ無理ですぅ。賄賂贈れば何とかなるかもしれませんけどぉ」
「賄賂?」
「閻魔様を黙らせるぐらいのお金ですぅ。現世ではマザー=テレサ並のことやってのけないと無理ですぅ。当の本人はこの提案を断ったらしいですけどぉ。先輩から聞きましたぁ」
こんな場所でマザー=テレサの名前を聞くとは思わなかった。
「ま、無理か」
死んだことには納得はいかない。だが、今更じたばたするのは止めようと思った。
「この船には他の人はいないのか?」
だったら俺が清廉潔白なことが確認されるまで暇潰しだ。
「いるですぅ。でもプライバシーの関係で見えないので気にしないで下さい~。私の他にも船渡しは頑張っているのですぅ。船渡しはですねぇ、さっきあなたのように死んだ人に状況を説明する仕事なんですよぉ。給料安いんですよぉ。聞いてください~。船渡し業界も不景気でまたボーナス減ったんですよぉ。おかげで服が買えないんですぅ。私達の前に上の奴らの金を削れと言うんですぅ」
船渡しも金を貰う立派な仕事……色々と不満がおありのようで。でも――
「それって手作り……?」
よくできている。既製品に勝るとも劣らないぐらいの出来栄えだ。
「そうですぅ。手作りですぅ。あんな時代遅れの能登声市松人形に負けちゃいらんないのですよぉ」
どうやら対抗心を燃やしているようだ。俺はどっちもどっちだと思うが。
「ああもう〔ピー〕ですよぉ。あんな奴〔ピー〕して〔ピー〕にして〔ピー~~~~~~~~~~~~〕」
あー、はい。不審者が出た時に紐引っ張って警戒音出す機械があるじゃないか。それが今鳴り続いるんで、しばらく待っててくれ。
「落ち着いた?」
「落ち着いたですぅ」
現世だけでなくあの世まで不景気なんだな。
「……何時到着するのさ? つーか、これは川か? 海じゃん」
全方位、真黒な空と水との境は明確だ。
「三途の川ですよぉ。焦熱地獄の熱気が氷結地獄の氷を溶かしちゃって増水しちゃったんですよぉ。お花畑も沈んじゃって私悲しいですぅ。でもぉ、その熱気で温泉保養施設作るみたいですよぉ。氷結地獄って見ても楽しむところがなくて赤字続きだったらしいですけどぉ、一発逆転を狙っているみたいですよぉ」
「というか、地獄って見るところなのか?」
「そうですぅ。人々が苦しんでいるところを見るアミューズメント施設ですぅ。あれってぇ、高い金を払わないと見れない金持ちだけの場所ですぅ。氷結地獄ってただ寒くて動きのない場所なのでぇ、人気がなかったんですけどぉ」
やっぱり地獄は趣味の悪い場所だ。何としてでも行きたくない。
「もしあなたが地獄行きになったらぁ、温泉保養施設に送ってあげますぅ。女の人の裸が覗けてぇ、天国と地獄が一緒に味わえるですよぉ」
「趣味が悪いな! でも最高だっ!」
ちょっと揺らいでしまった俺。下腹部にも考える場所があるのは恨めしい。
~~~♪
その時、着メロが響いた。アーティストはALI PROJECTだ。徹底しているな、この人。
「はいですぅ」
ミキは携帯電話に出て、幾らか応答する……なんか、だんだん暗い顔になってくるぞ?
電話を切り、ミキは俺に立ち直る。ショーツが見ちゃったりするが、それを茶化す雰囲気ではない。慌てて俺もそのようにした。
「本部から連絡がきましたぁ」
ミキはハンマーを取り出した。これを使用すれば全て上手く収まるという突っ込み専用の正にリーサルウェポン。黒く分厚い表面には『衝撃型意識昏倒用装置 100万t』と白く穿たれている。
くそ、俺は本当に地獄行きだったのか? そしたらちょっと嬉しい。
「結果は私達の間違いでしたぁ。あなたの『善行』は規定値を満たしておりぃ、少なくとも地獄には行かないですぅ」
俺を驚かせたかったミキはわざとあんな暗い表情をしていたらしいが、凶悪な凶器を持ちつつ笑っているの姿には恐怖を覚える。
「じゃあなんなのさ、それは!」
「再び気絶して貰うためのツールですぅ。閻魔様の裁判まで寝かせるためのですぅ。私の愛用の武器なんですよぉ」
「今さっき、ぶ、武器つったよなっ! いくらギャグ仕様だといっても痛いものは痛いんだぞ! 物理的ダメージはなくとも、精神的ダメージが重大なんだぞ!」
「駄目ですぅ。規定ですぅ」
ミキは振りかぶり――
ちぇすとぉ! との掛け声に俺は重量に押しつぶされた。
俺の意識は――戻らなかった。
今度のテーマ投降者は嘉納秋先生です。
テーマは「地獄の沙汰も金次第」。
暗い話になりそうだったので、テコ入れして強制的にコメディーに方向転換させました。
コメディーは専門じゃないんですが、楽しく書けました。
まだまだ、テーマを募集するという暴挙を犯します。
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