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「……ところで、君はさっきから何してんの?」
「ご飯作ってます。飯作るって言ったでしょ」
蒼は瑠璃と話をしながらも、一向に手を止める気配がない。
テーブルに手を付いて覗き込めば、彼の手には大きなフライパンが握られていた。
その中には、ぽってりとした肉の塊が見える。
じゅうじゅうと煙を上げる中に見える、茶色の焦げ色、柔らかそうなその塊は、もう何年も食べていない……。
「ハンバーグ……もしかして形成肉?」
思わず顔を歪ませると蒼が吹き出す。
「形成肉嫌いですか? あれも油しっかり抜けば美味しいんですけど」
「嫌い。多分世界で二番目くらいに嫌い」
「じゃあ安心してください。これは本物の肉ですよ。今は都会だと肉の輸送がそう頻繁じゃないので、冷凍の形成肉が多いみたいですけど。逆に地方は地球に残るって決めた人が多いんです。そういう人は、ほそぼそと仕事を続けて……おかげで肉とか魚が手に入ります」
蒼が壁を指差した。
瑠璃の背面にあたる壁には、黄色に染まった紙焼き写真が何枚も貼られている。
「酪農をする人、農業をする人、お酒を造る人……」
蒼の知り合いなのか、かつてのこの店の常連なのか。
黄ばんだ写真に映るのは、牧場、農場、市場、果実園に漁港。寂れた建物を背景に、力強く立つ人々だ。
「……バーを開く人も」
「正解」
蒼がにっこりと微笑んだ。
「その人達のおかげで、田舎のほうが食事は豪華なんですよ。僕、ずっと解体屋してたけど、この人たちからいろいろ食材を分けて貰うようになって。やっぱり潰すより造るほうがいいなって思い直したんです。特にこんな時代だと」
蒼がつぶやく「こんな時代」という言葉は、何百万人もの人が何万回も呟いた言葉だろう、と瑠璃は思う。
瑠璃自身、何度呟いたか分からない。
……人間が宇宙へ活路を見いだしたのは、もう100年近く昔のことだ……と、瑠璃はそう習ったし、今では世界の常識として知られている。
100年前の記念すべき日、いくつかの惑星で人の移住が可能になったのだ。
当初は懐疑的だった人々も、時と共にその疑いを打ち捨てた。
一人が他の惑星に移住を決意し、成功。
次は数十人、数百人。数千人。
当初は「恵まれた層」だけだった移住計画が、やがて中間層、低所得者にまで広がると、世界中の人々は我先にと宇宙船に乗り込んだ。
当然、ここに至ってなお、様々な争いが起きた。
宇宙に適合できない人間が何人も亡くなり、社会問題となった。
適合手術だ、宇宙へのチケットだなど、考えつく限りあらゆる詐欺が横行し、多くの健康被害や金銭被害がでた。そのせいで亡くなった人間は数えきれない。
移住を嫌う人間を「後進的」とせせら笑う移住者。
移住者を「裏切り者」と罵る定住者。
大なり小なりの戦いや争いは長く長く続いた。
……が、瑠璃はその時代を知らない。蒼もそうだろう。
教科書に書かれた乱痴気騒ぎはたった数行でカタが付く。
実際に荒れた期間はほんの10年ほどだったという。今でも間欠泉のように争いが起きるが、表面上は落ち着いた。
現在といえば、まだ移住の順番を待つ人、移住が決まって支度に追われる人、そして移住しないと決意した人。そんな人間が、この地球の上でもぞもぞと生きている。
それぞれの人間がいう「こんな時代」という言葉には、温度差がある……と瑠璃は思う。
宇宙へ移住する人々を見送るのが「奇跡の歌」だ。
宇宙に向かう彼らは「こんな時代だから仕方ないよね」と、残された人に呟き、残された人々は「こんな時代だ、仕方がない」と空を見上げる。
「蒼くん、若いのにいかないんだ、宇宙」
「瑠璃さんだって若いじゃないですか……まあ僕は、閉所恐怖症と暗闇恐怖症を併発してて……暗い宇宙船とか絶対ムリなんですよ」
へらっと笑う表情は軽い。真実を言っているのか嘘を言ってるのかどうにも図り難い。
地球に残る言い訳として、閉所恐怖症と暗闇恐怖症はよく使われる方便のツートップである。
「私も同じだ。閉所恐怖症と暗闇恐怖症。それに高所恐怖症」
瑠璃はメガネのレンズを拭くふりをして、顔をそらした。
蒼は瑠璃の回答を聞いても、深くは突っ込まない。ただ肩をすくめただけだ。
「瑠璃さんもそうだと思いますけど、俺、地球がおかしくなってから生まれた世代なので、それほど危機感がないんですよね」
窓の外、ぴゅうと冷たい風が吹く。その音を聞いて瑠璃は首を縮めた。
「今、冬になったね」
先ほどまで雨冷えしていた空気は、今この瞬間に冬に切り替わった。その音を聞いて、蒼は真剣な顔をする。
「……年上の人達はこの程度で大騒ぎしますけどね。でも仕方ないですよ。家でも人がいなくなったら朽ちるのは早いんです。地球だって、そうでしょう?」
人が宇宙に移住するようになって100年……気候は日々、少しずつ狂っていく。
花も季節を忘れて咲き、夏と冬が光の速さで入れ替わる。
捨てられた家は崩壊し、道は壊れた。行政が整えなおしているが、いつも少し間に合っていない。
つまり、世界は少しずつ崩壊に向かっている。
そのことが皮肉なことに移住計画の後押しとなり、人は少しずつ、少しずつ、この地球から去っていく。
それは夕暮れに似た寂しさだ、と瑠璃は冷たい空気を吸い込んだ。