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ごちそう様で、また明日  作者: みお(miobott)
昼下がりは青い傘の下で
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1

 日食が終わったあと、空は青一色に染まった。


「……で、あのカゲツってやつは、結局なんだったんです?」

「ただのルポライターよ」

 尋ねる蒼の隣で菊川が煙草を深く吸い込み、そして吐く。

「カゲツ、正確には下月伸也、49歳。過去には強盗、名誉毀損、いろいろやらかしてるし、今も追われてる身だった。もう、しばらく出てこられないと思うわ」

「こんな時代でも警察はちゃんとしてるんですね」

「意外にもね」

 白い煙が作り物のような空に吸い込まれていくのを、蒼はぼんやりと見送った。

 頭を動かすと額の奥がズキリと痛み、蒼は眉を寄せる。緊張がとけたせいだろうか。今になって痛みが激しくなってきた。

 よくよく考えたらあの男に2度も殴られたな、と蒼は思う。

 痛みに耐える蒼を横目で見て、菊川が薄く笑った。

「今回は傷害罪分もプラスされたから、担当の警察は大喜びよ」

「瑠璃さんに近づいてこないなら、もうどうだって良いです……ああでも、刑期が伸びるなら、もっと痛がっておけばよかったかな」

 男たちに掴まれ、暴れ、引きずられて警察車両に押し込まれていく。そんなカゲツの姿を蒼は思い出した。

 最後まで罵倒と保身の叫び声ばかりだった。蒼も何かを怒鳴り返したが、記憶にない。

 そもそもあの男に殴られてからの記憶が、あまり無い。瑠璃に何か恥ずかしいことを言ってしまった、そんな気もする。

(夢の中の出来事みたいだ……たった数時間前のことなのに)

 しかし蒼の頭に残る痛みだとか菊川の膝についた擦り傷は本物だ。

 やはりこれは現実だ、と蒼は初めて恐怖を覚えた。

「あの男、7年前に書いた記事で……シアンの例の記事ね、あれで売り上げが伸びたのよ。今回の事件も過去の栄光に引きずられた。まあよくある話だけど」

「7年経って、何で今更?」

「裁判がはじまったでしょう。あれで間違いなくシアンが事件に無関係であることは判明する」

 菊川は秘密主義だ。細かいところまでは語って聞かせてはくれない。

 ただ聞いた話を総合すれば、何とも簡単な話である。

 ……今日、東京では一つの裁判が行われる。それは多分新聞の片隅くらいにしか掲載されない小さなものである。

 7年前に起きたあの宇宙船事故。

 勝手にシアンの名前を騙って船を出した旅行会社の社長が、見つかった。名前を騙ったこと、シアンおよび出版社が事件に関わりがないこと。それを証明するために出版社が訴えを起こした。

 その裁判が行われる。

 結審は少し先になるが、負けることのない戦いだ。

 そうなればカゲツの記事は正当性が失われる。7年前に大衆を煽った記事は、全て嘘だと白日のもとにさらされる。

「だから、あいつはその前に」

「そう。あの子に、すべての罪をなすりつけて、自分の記事を正当化しようとした」

 二人は古ぼけた車に身を預け、目前に建つ建物を見上げた。

「でも残念ね。あいつの思惑通りにはいかない。あの子は、無事に逃げ切ったわ」

 二人の目の前には行政らしい恰好の真四角の建物が一つ。

 玄関に立てかけられた看板には『地方推進作品大賞授賞式』の文字が刻まれていた。



 ……瑠璃がこの建物に吸い込まれたのは1時間も前のこと。

 先に帰っていいから。と何度も言う彼女の言葉を無視して二人はぼんやりと車の横に立ち尽くしている。 

 あの事件のあと、今ならまだ間に合う。と、菊川がハンドルを握ったのだ。軽いスピード違反といくつかの違反を犯して、車は授賞式スタートの3分前に開場前へと到着した。

「関係者だけしか入れないって、なんとも古くさい考えですよね」

 蒼は車に顔を押しつけ、眉を寄せる。

「まあ、古いせいで声は漏れてるんですけど」

 目を閉じれば、建物からさざ波のような音が漏れてくる。それは静かで柔らかい声……誰かが瑠璃の小説を朗読している。

 瑠璃がどんな顔でその声を、言葉を聞いているのだろう。

「あれ、菊川さん。頭痛ですか?」

 ふと横を見れば、菊川が額を押さえて目を閉じている。冗談ぽく肩をすくめてみせれば、菊川が憎々しそうに蒼を睨んだ。

「ねえ、蒼くん……いいえ、正宗くん。知ってた? 睡眠導入剤って、使い方を間違うと危ないのよ」

「瑠璃さんに言ってください。教えたの、あなたでしょ。危ないやつに連れさらわれた時に使えとか、そういうので」

 差し入れの弁当に睡眠薬を仕込んだのは蒼の仕業である。

 瑠璃は形成肉は食べない……だから肉の方に薬を仕込んだ。

 処方箋がないので、量を多めに。そのせいで、効き過ぎたようではあるが。

 頭を押さえる菊川を見ながら、蒼は胸を張る。

「もうそんな小細工は不要です。俺が守りますよ」

「あの子の前で猫かぶってるような子に任せられるかしら」

「そのままお言葉をお返しします。会社まで作って、ずいぶん頑張ってたようですが」

「あなたもね。一歩間違えれば犯罪者スレスレね」

 お互い様。そんな言葉を同時に飲み込む。

 二人の視線が宙で絡んだその時、建物からハウリング音が響き渡った。

「……瑠璃さん」

 音が静まった直後、瑠璃の震える声が響いた。音は聞こえるが、言葉ははっきりとは聞こえない。ただシアン、の言葉だけは堂々と響く。

『全部、授賞式で喋るから。シアンであることも、逃げていたことも』

 建物に入る直前、瑠璃は蒼と菊川にそう宣言したのだ。

 もう逃げない。その真っ直ぐな目を見て、瑠璃も菊川も何一つ言い返せなかった。

「これを乗り越えても、それでもあの子はまた書くっていうかしら」

 菊川が車に体を預けて呟く。いつもよりだらしなく見えるのは、蒼に気を許したというよりも、瑠璃のことが心配で取り繕うことを忘れているのだろう。

 蒼もいつもより、落ち着かない。

 できれば会場に駆け込んで、瑠璃を守りたい。待っている時間がただただ、じれったい。

「裁判が終わったら蒸し返されて、大騒ぎになる。あの子が表に立ってコメントを出せばさらに騒ぎになる。その中で、あの子はまた書ける? 二度と小説なんて書かないって言うかもしれない」

「俺は書いてほしいけど……どうかな。でも、どんな結果でも俺は瑠璃さんの意見を尊重したい」

 目を閉じるだけで蒼は瑠璃の小説をそらんじることができた。それくらい夢中で読んだのだ。流れもセリフも風景も全部頭の中にある。

 続きを読めたらどれほど嬉しいだろう、しかし苦しんでまで書かせるのは、嫌だった。

「……そうなるかもしれないから、今この場所で全部話さなくていいいって、言ったんだけどね」

「瑠璃さんの性格知ってるでしょ」

 蒼と菊川は目を見合わせ、同時に言う。


「変なところで思い切りがいいのよね」

「変なところで思い切りがいいんです」


 と、その瞬間。瑠璃の言葉が止まる。

 一瞬の静寂、マイクの音。

 蒼と菊川も同時に息を止めた。心音が周囲に聞こえそうなほどの静けさが、10分以上続いたように思えた。しかし時間にすればきっと、数秒のことだ。

 ……続いて聞こえたのは、周囲が揺れるほどの大きな拍手。

 やがて玄関の扉が開き、ガラスの向こうから一つの影が駆けだしてくる。

「蒼くん、菊川さん」

 蒼はその影に向かって、手を大きく振った。

 彼女の髪はほどけて、風に遊んでいる。出会った時より、髪もずいぶん長くなった。色こそ黒だが、かつてのシアンと同じ長さだ。

 いつも長い前髪で顔を隠していたのに、今は風のせいで顔がはっきりと分かる。眼鏡はあの騒動で落としてきたのか、今はない。

 あの頃の……シアンの顔で、瑠璃は二人の前に走り込んできた。肩で息をしたまま、右手で蒼を、左手で菊川をつかむ。

「瑠璃さ……」

「……私、小説を、書きたい」

 瑠璃はまっすぐに顔を上げた。決意の顔だ。諦めの決意ではない。覚悟を決めた、そんな顔だ。

 蒼と菊川は顔を見合わせた。

 何の心配もない……瑠璃は自分で、一番最適な道に歩もうとしている。

「書きたいんだ、あの続きを」

 そこいるのは、胸を張ってすがすがしい笑顔を浮かべる深山瑠璃……シアンの姿だった。



 車で移動するうちに、空は陰り雨が降る。最近は気温も気候も不安定だ。

 しかしそんなことは慣れっこの三人は、特に反応も示さない。

 車に当たる雨粒の音は規則正しく、心地いい。

 帰りの菊川は、恐ろしいほどの安全運転だった。窓の外の風景は、幹線道路から細道へゆっくり変わっていく。

 くねくねと折り曲がる道は、どんどんと見覚えのあるものへ。

 菊川はまっすぐ前を見たまま、呟くように言った。

「……深山ちゃん。裁判が終わればまた蒸し返されるし、掘り返されてつらい思いをすることになるわ」

「分かってます。でも、私はもう逃げないって決めたから」

「いやだわ。子供って、本当すぐ大きくなる」

 派手なブレーキ音とともに車が止まる。気がつけば目の前にバー群青が見えた。

 建物の中からは賑やかな声が聞こえる。

 津島親子をはじめ、町の人達は瑠璃を授賞式に見送ってお祝いパーティの支度をする。と、言ってくれたのだ。

 きっと今頃、中では温かい料理や美味しい酒が並んでいることだろう。そして、瑠璃と蒼を今か今かと待っている。

 目を閉じるだけで、その声が聞こえ、その笑顔が見えるようだった。

「深山ちゃん、あなたの荷物はあのアパートに戻したわ」

 菊川は瑠璃の顔にメガネを掛けながら、微笑む。

「でも今後は机と椅子は買いなさい。腰を壊すわよ。それにもう少しまともな家具もね。今後は逃げ隠れしなくていいんだから、ちゃんと生活の基盤になるものを揃えていきなさい」

「菊川さん」

「でも、危なそうならすぐ、移動だからね」

「わ……私、キンコツ新聞も……続けたいんです、が」

 意を決するような瑠璃の言葉に菊川は肩をすくめ、内ポケットから小さな名刺を出した。

 シンプルなその名刺にかかれているのは、キンコツ駅前、ビルの3階、キンコツ新聞社。 

「そうね。履歴書持参で、ここまで面接に来なさい。でも今じゃない。少しして、落ち着いたらね」

 大粒の雨が名刺や、地面を濡らす。雨は車のフロントガラスを濡らし、バー群青の扉の表面を滝のように流れていく。

 しかし、瑠璃は濡れることがない。

 なぜなら、蒼が瑠璃の上に傘を差しだしているからである。

 車に戻りながら、菊川がにやりと笑う。

「……ね、傘を差し出されたでしょう?」

 傘の上で、雨粒がダンスをするような音をたてた。

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