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ごちそう様で、また明日  作者: みお(miobott)
日食の朝、真実の朝
43/45

4

「悪いが、時間だ」

 

 とん、とカゲツが瑠璃の脇腹をナイフでつつく。

 瑠璃は蒼の手を離し、カゲツと向かい合った。

 真っ直ぐ見上げれば、それほど大きな男ではない。上背は蒼より小さく、体だって細い。

 何を怯えていたのだろうと、瑠璃は素直にそう思った。

「約束の時間だぞ、小説家の大先生。さあ、町の人達に、真実とやらを伝えてくれ」

「……私は、そんなつもりで書いたんじゃない」

 瑠璃はじっと、カゲツの瞳を見つめる。


「私は、そんなつもりで書いたわけじゃない」


 瑠璃の言葉にカゲツがひるみ、ナイフの切っ先が揺れる。

 瑠璃は突きつけられたナイフを無意識のうちに右手で掴んでいた。

「私が」

 瑠璃の手がじわりと、熱くなった。蒼が瑠璃の名を叫んだが、その声ももう遠かった。

(……ずっと、ずっと悪いって、私のせいだって、そう思ってた)

 指の間から流れる赤い血をみても瑠璃の心は揺れない。

 瑠璃はカゲツをまっすぐに見上げた。

 疲れ切った男の顔がそこにある。

「何を、言って……俺が言えといってるのは、そうじゃなく」

「事故は、私の書いたものがきっかけかもしれない。それに、私が逃げたことは良くない事で、それは全部、私のせいだ」

 多くの人間が罵倒をまとって瑠璃を責め立てる……そんな悪夢を瑠璃はこの7年、何度も見た。

 逃げたのは悪手だった。と今でも瑠璃は思う。しかし逃げている最中は、立ち上がって声を上げることなどできなかった。恐怖で動けなかった。

 それは瑠璃の意気地のなさのせいである。

「……でも、私は、自分の小説のことで嘘はつけない」

「瑠璃さん!」

 蒼が叫んだが瑠璃の手はナイフを掴んだまま。刃は瑠璃の手の皮膚を裂き、指の隙間から赤い血が流れ落ちる。

 しかし不思議と、痛みはない。

 指よりも痛いのは心の奥底だ。もう何年も血を流し、痛み続けている。

 自分の小説がけなされ、踏みつけられ、捨てられ、プロパガンダだと叫ばれた。

 あの時に否定せず耳をふさいで逃げた。そんな自分自身への怒りがずっと、瑠璃の心を痛めつけていた。

「私は、お母さんのために、あの小説を書いたんだ」

「そんな事を今」

「幸せになるために、あの話は最高に幸せになるはずだったんだ。不幸なんて、一ミリもない、私は、お母さんに、幸せな世界を」

 ぱたぱたと、血が地面に落ちる。

 それは母の体に流されていた点滴に似た音だ。

「幸せな世界を見せるために、私はあの小説を書いたんだ!」

 

 ……青のつくタイトルが良いんじゃない?


 点滴を打たれながら、病室の片隅で母が放った言葉を、瑠璃は忘れない。

 瑠璃の小説を母が読み、最初に呟いた言葉である。

『宇宙から見た地球の色を知ってる? 瑠璃色、そうあなたの色……だから青色の付くタイトルにしましょうよ。あなたの小説だって分かるように。私のために作った小説だって分かるように』

 母は瑠璃を生んだ後に宇宙に出た時、地球を見て娘のようだ。と呟いた……それは、宇宙機構の人から何度も聞いた話である。

 青色を愛し青色に人生を捧げた人が瑠璃の小説に青を与えた。その言葉を聞いた時、瑠璃は震えるほど嬉しかった。

 その時決めたのだ。

(……そうだ) 

 なぜ、今更思い出したのだろう。

 この小説は、幸せになるための物語だ。

 

「幸せになるために、書いたんだ。難しい目的なんて何もない」


「お前が……」

「そう、私が書いた。どこにだって連れていけば良い。証言する。私が、シアンが書いた、母の為にって!」

 ナイフを掴んだまま瑠璃は叫ぶ。カゲツの顔が歪むのを見て、瑠璃は笑いそうになってしまう。

 ……一体、何におびえて逃げ続けてきたのだろう。

「私が」


「瑠璃ちゃん」


 ナイフをさらに掴もうとした瞬間。瑠璃は暖かな何かに包まれた。

 はっと振り返れば、窓のすぐそばに花子の顔がある。少し開いた隙間から腕を差し込み、扉をこじ開けようとしているのだ。

「は……花子さん」

「可哀想にねえ」

 花子だけではない。杜氏も、パン屋も……皆が一斉に車を囲んで扉をこじ開けようとしていた。車体がグラグラ揺れてカゲツが何かを叫ぶ。それでも皆の動きは止まらない。

「開くぞ!」

 誰かが叫ぶと同時に、ドアが外れた。体がふわりと揺れて瑠璃の体が後ろに転がりそうになる。その体を、花子の腕が抱きとめた。

 カゲツはおびえるようにナイフを落とした。思ったより大きな音が車内に響き、瑠璃の手からぬるりと血が溢れる。

 しかし、やはり痛みはない。

「あんたのせいじゃないんよ」

 花子の声が、瑠璃の耳を包み込んだからだ。

「こんな子が、シアンだっただなんて」

 花子の手も声も驚くほどに暖かである。

「事故で生き残った人たちは誰もあんたのことを悪くなんて言ってない」

 大きくて丸い手が瑠璃の頭を撫でる。

「あんな小さな子がどうしてるかとみんな心配してねえ」

 花子の手から、隠し持っていた布が落ちる。

「誰もあんたのことを悪くなんて言ってなかった……今だって、誰も」

 丸まっていた布が転がって、キンコツの曲がりくねった道に広がる。

 祝 深山瑠璃 小説賞受賞

 そんな文字が、ゆっくりと広がっていく。

(……お母さん)

 その文字を目で追って、瑠璃は母のことを思い出していた。

 初めて瑠璃が小説を書き上げたときに、彼女は「祝」の文字をいれた下手くそなケーキを焼いてくれた。

 お菓子作りは得意なはずなのに。と、崩れたケーキを前に照れて笑う母を見て、瑠璃はひどく照れた。

(……ねえ、お母さん)

 瑠璃は震える手で、花子の腕をそっと撫でる。

(お母さん……私)

 純粋な祝福の声を、瑠璃は数年ぶりに受け取ったのだ。


「……よくもやってくれたわね」

 突如、車体が揺れ、瑠璃ははっと目を丸くする。

 気がつけば、運転席がこじ開けられ、その向こうに菊川が見える。菊川だけでなく、トラックを運転していた男性もだ。

 その男は、呆然と座り込むカゲツを運転席から引きずり落とし、菊川が代わりに乗り込む。

 路上に引きずり落とされたカゲツが何かを叫ぶが、菊川がそちらを冷たく睨んだ。

「勘違いしないで。さっきの台詞はあなたに向けたものじゃないわよ」

 そして、菊川は後部座席で起き上がろうともがく蒼を刺すような視線で射抜く。

「蒼くん……正宗くんかしら。あなたに言ったの。他にも言いたいことはいっぱいあるけど、それは後でね」

 菊川の顔色は悪い

 彼女は瑠璃の右手を掴むと、それを額に押しつけた。

 血が付くのも気づいていないように、彼女は深いため息をつく。

「菊川……さん、ごめんなさい、私……」

「深山ちゃん」

 菊川はまっすぐ、瑠璃を見つめた。

「前、言ったでしょう。手は商売道具だから大事にしなさいって」

 何があってもけして揺れない菊川の目から大粒の涙がこぼれる。

「……良かった……生きてた」

 瑠璃の右手を握りめたまま、菊川は子供のように静かに泣いていた。 

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