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ごちそう様で、また明日  作者: みお(miobott)
日食の朝、真実の朝
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1

 まず、声が聞こえた。


「こっちに来い」


 続いて、感じたのは腕の痛みだ。

 大きな手が瑠璃の腕を乱雑に掴み、引きずるように路上に投げだしたのである。

 尻もちをついた瑠璃の背に当たったのは、古ぼけた配達専用社だった。



「あ……蒼くんには、何もするな」

 そう叫んだつもりだが、瑠璃の声は情けないくらいに震えていた。

 ぱくぱくと溺れるように唇が震えるばかりで、漏れる声は蚊の鳴くように小さい。

 それでも瑠璃は震える足で立ち上がった。

「蒼くんに……」

 が、大きな手のひらが再び瑠璃を突き飛ばす。

「勝手に立ち上がるな。俺が指示する」

 舌打ちでもしそうな声である。瑠璃は地面に座り込んだまま、恐る恐るその顔を見上げた。

 瑠璃を投げ飛ばしたのは、深く帽子を被った男である。

(知らない、知らない……こんな人、知らない)

 歯の根があわず、肩まで震える。そんな瑠璃を見て、男が苦笑した。

「別にどうこうするわけじゃないんだ。そこまで怯えられてもな……あんたが大人しくしていれば何もしないさ。俺だって荒っぽいことはしたくない」

 男は地面に横たわる蒼を、乱雑に車の後部座席に放り込む。瑠璃が追いかけようとすると、男がそれを止めた。

「お前はこっちだ」

 助手席側の扉が開かれ、瑠璃は無理やり押し込まれる。騒ぐ間もない。すぐさま男が運転席に滑り込み、ロック音が絶望のように響き渡った。

(なにが……どうなって……)

 瑠璃は薄暗い車の中、もがくように後部座席に身を乗り出す。

 薄汚れた後部座席に寝転がるのは、蒼なのだ。青白い顔で固く目を閉じている。頭のどこかに傷があるのか頬に赤い血が一筋、垂れているのが恐ろしい。

 手を伸ばすと、息がかすかに指に届いた。

 瑠璃が触れたことに気づいたのか、蒼の目がうっすらと開く。しかしまだ意識が混濁しているようで、瑠璃を見つめる瞳が困惑するように揺れていた。

 瑠璃の中に安堵と心配が、同時に湧き上がるのが分かった。背に冷たい汗が流れる。それでも瑠璃は声を励まし、蒼の頬にそっと手を当てた。

「蒼くん……頭打ってるから、起きちゃだめだ。まだ目を閉じて……すぐに」

 すぐに助けが来るから。といいかけて、瑠璃は言いよどむ。助けなんて、来る予定は一つもない。そもそも、この男の目的もわからない。

(なんでこんなことに……なんで)

 瑠璃がシアンだと名乗った瞬間、薄暗い影が瑠璃の視界を防いだことは覚えている。

 それは瑠璃の前、蒼の後ろ。

 突然現れた男は躊躇なく蒼の頭を殴り、そして瑠璃を見つめたのだ。

 ……何の感情も無い瞳で。

「騒がれちゃ困るんで、少し眠ってもらっただけだ。別に死んじゃいないさ」

 男は淡々と呟き、瑠璃の頭を無理やり前に向けさせた。

 瑠璃が動くと蒼が小さく呻く。それを聞いて、男が意地悪く笑った。

「そいつも慣れてるだろう。頭を殴られるのは二度目だ」

「……もしかして前、蒼くんを殴ったのは」

 瑠璃の震える声に、男は応えない。ただ、小さなミラー越しに瑠璃を見つめる。

「町に戻るんだろう。お望み通り、連れていってやる」

 帽子を取ったその顔を見て、瑠璃は息をのんだ。

「あの配達の……」

 その瞬間、瑠璃は全てを理解する。

 運転席、ミラーの前。座る男に見覚えがある。

 それは瑠璃の家に手紙を運び、ビールを運んだ、あの配達員にほかならない。

 いつも無愛想で無気力な男だった。逢って5分もすれば顔を忘れてしまう。そんな地味な顔。

 しかし今は目つきが鋭い。髪をかき乱し、男はいらだつように、乱れた襟を直す。

「お前の、小説だ。よく見ろ」

 そして彼は瑠璃の膝に数冊の本を投げ込む。そのクリーム色の表紙を見て、瑠璃は唇を固く結ぶ。

 青の少女。

 青の季節。

 ……そして青の世界。

 悪意をもって突きつけられた三冊は、かつても路上に投げ捨てられ踏みにじられた。

 腹の底がぞっと震え、瑠璃は視線を逸らそうとする。しかし、恐怖を抱けば抱くほど、目が本に釘着けになった。

 男は本を乱雑にめくり、最終ページを殴りつける。

「三巻は事故で終わってる。皮肉だな。同じような事故で終わるなんて」

「……あ……あの宇宙船は、私が知らないところで起きたんだ。私の名前を勝手に使って、勝手に」

「でも、お前があの小説を書かなければ、あの船はなかった」

 男が乱雑に、ハンドルを殴る。悲鳴のようなクラクションが廃墟に響き、瑠璃は肩をふるわせた。

「お前が書かなければ、人も死ななかった!」

「わ……たしは」

「そうだろう。お前の作品で何が起きたのか、お前だって見ただろう、聞いただろう。知らないとは言わさない。お前の事件だ」

 男の言葉の一言一言が、瑠璃の心のささくれだったところに深く食い込む。

 それは事故以降、取り去ろうとしてもとれなかった後悔と苦しみのとげである。

 文章は人を殺す……瑠璃は事故の後でそんな手紙を受け取った。

 お前は人殺しだ。と罵る手紙もあった。

 実際その言葉は、シアンを糾弾する言葉として使われ続けた。

 この言葉が瑠璃を7年間、責め続けたのだ。

 

「お前の文章が人を殺したんだ」


 その声が、言葉が、吐息が、怒りが、瑠璃の耳の奥深くに突き刺さる。

 鏡に映る男の横顔を見つめると、瑠璃の中に冷たい物が流れた。

 瑠璃がおびえ続けてきた影が、質量をもって現れた。そんな気がする。

「……もしかして、あなたは……」

 震える瑠璃を見て男が微笑んだ。

「やっと、分かったか」

 血の気が引く、とはこういうことをいうのだろう。全身が氷のように冷たくなって、呼吸の仕方も忘れてしまう。

 瑠璃は拳を握りしめ、ようやく声を絞り出す。

 

「……カゲツ」


 それは事故の直後からシアンを糾弾し、蛇のように追いかけ続けてきたルポライターの名前である。

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