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ごちそう様で、また明日  作者: みお(miobott)
シャンディ・ガフ、夕日のハンバーグピカタ
3/45

3

「……一つ訂正しておくけど、私の名前はお姉さん。じゃないよ」

 思わず中に足を踏み入れたのは少しの好奇心と、雨のせいである。

 真っ白になるほど雨が降り出したせいで、目の前の建物に逃げ込むほか無かったのだ。

 念の為、いつでも逃げられるように、瑠璃はスニーカーの紐をしっかり結ぶ。

 ……が、気持ちは店内に半分以上魅入られていた。

 レストランや喫茶店など、ここ数年ほとんど見かけない。

 都会には少しは残っているが、地方ではほぼ壊滅だ。

 そもそも利用する人間がいない。運営しても、閑古鳥は必至。こんなご時世に店……それも飲食店の経営をするなんて、それこそ酔狂の世界だ。

 ご無沙汰ぶりに嗅いだ『店』の香り。そして店内に並ぶ酒瓶が瑠璃の心を揺さぶったのである。

(ここの酒、本物だ)

 棚の上、所狭しと並ぶ酒瓶は、まるで眩しい宝石のよう。

 美しい輝きに、瑠璃は目を丸くする。

 瑠璃は半年前に初めて酒を飲んだ。しかし飲んだのはビールと、少しの日本酒と、酸っぱいワインを少々。

 酔い潰れていく送別会メンバーの中、瑠璃だけは最後まで酒に溺れなかった。

 それを見て上司の菊川は言った。

 この子は大酒飲みになるわ。

 ……それは母が言った言葉と重なる。

 酔いにくい体質は母の血のおかげだろう。どんなに強い酒を飲み干しても、母は顔色一つ変えなかった。

 あなたは私の娘だから、きっと大酒飲みになるわ。そう言った母の言葉を、瑠璃は今でも覚えている。

 そんな母が記念日ごと、大切に飲んでいたウイスキー……黒の瓶も、棚に並んでいる。それを見て、瑠璃は泣きそうになる。

(焼酎、ウイスキー……ああ、あの赤い瓶、本で見たことがある)

 この時代、酒を手に入れるのも一苦労。だから酒の種類は本で覚えた。瓶の色も酒の歴史もうんちくも、全部本が教えてくれた。

(全部、本物だ)

 一本くらいなら、廃墟に落ちていることもある。しかし飲める状態でここまでずらりと並んでいるのは、壮観だ。

 瑠璃は呆然とコレクションを見つめて、目を丸くする。

「じゃあ、お姉さん……じゃなくて、なんて呼べばいいです?」

 突然声をかけられて、瑠璃は慌てて身構えた。

(忘れてた……ここは変な男の店の中だ)

 気がつけば青い男が真横にいる。彼は腰にエプロンを巻き付けており、そんな恰好をすれば、なるほど店主といった面構えに見えた。

「……み……深山」

 瑠璃はできるだけ余裕のあるそぶりをしつつ、慎重に周囲を探る。

 店はカウンターだけ。椅子の後ろはすぐに壁。細長い店だ。うなぎの寝床というやつだろう。

 しかしそのカウンターテーブルは年季の入ったもので、表面は人の温度に馴染んで琥珀色に輝いている。

 天井からは牛乳瓶をひっくり返したようなライトが吊されていて、柔らかい光を放っていた。

 隙間風がふいてライトが揺れるたび、酒瓶の色に反射して店中が様々な色彩の光に包まれる。

 外から見ればとんだ廃墟だが、中はきれいだ。床は磨かれ、清潔な香りがする。

 壁には店を広く見せるためなのか、鏡が数枚、しゃれた風に立てかけられていた。

 そんな鏡に映るのは、ぼさぼさの黒髪を後ろで縛った瑠璃の姿だ。

 体のサイズに合っていないだぶだぶのシャツ、裾のすり切れたズボンに大きなシューズ。そして顔の三分の一を覆い隠すようなメガネだけがぎらぎら輝いている。

 もう未成年じゃないのだから、そろそろ大人の恰好をしなさい。と、パンツスーツの似合う菊川にはよく叱られるが、瑠璃の恰好はいつも雑だ。

 この雑さが心地良い。

 しかしこの油断しきった恰好を、赤の他人にじっくり見られるのは……正直、いい気分ではない。

「みやま……で、下の名前は?」

 男は遠慮を知らないのか、じっと瑠璃を見つめて目を細める。

「ね。下の名前」

「……瑠璃」

「瑠璃、さん。きれいな名前ですね」

 渋々と瑠璃が返すと、男はとろけるような顔で微笑んだ。

「こういう時は聞き返すのがマナーですよ? 瑠璃さん」

 背は高いが、目は艶やかで頬は丸い。やっぱり未成年かもしれない、と瑠璃は息を吐いた。

「……君の名前は?」

「僕は蒼」

「あお?」

「そう、蒼」

 名字を言わないのは、何かやましい過去があるせいか、どうか。

 しかし瑠璃は探るような言葉を飲み込んだ。人を探っていいのは、探られる覚悟のある人間だけである。

「瑠璃さんが最初のお客さん。っていうか、全然人通りなくって。とにかくだれかお客さんを見つけなきゃって必死になっちゃって。それでちょっと強引にしちゃったかも。普段、そんな強引な性格じゃないんですよ。ほんとです」

 蒼はわざとらしく泣き真似をして、瑠璃をカウンター席に案内する。

「……ちゃんとした店だ」

「もちろん。料理も酒も出しますよ。軽食も、おつまみも……とはいえ、カウンターのみ6席しかないですし、横長で奥行き全然ない店ですけどね」

 彼が言う通り、お世辞にも広いとはいえない。しかし工夫して鍋や調理道具を重ねているのが、不思議とおしゃれに見えた。

「いい店でしょ。隠れ家のバーって感じで」

 蒼はカウンターの内側に駆け込んで、大きなグラスを手に取った。

「お酒飲んで良い年齢か、君。捕まるぞ」

「自分じゃ貫禄あるつもりなんですけど、僕、先日20歳になりました」

 一つ下か。と瑠璃は唇を噛みしめる。

 世の中には自分より若くても、世界を知っている人がいる。

 バーを運営したり、貴重な酒を並べたり、初めての人間に人見知り無く声をかけたり。

 全部、瑠璃のできないことだ。それを彼は、平気でやってのける。

 それが瑠璃の胸をざわつかせた。

「18歳から飲酒は問題なくって、20歳を越えたらアルコール提供の店を出せる。ちゃんと法令読んでますよ。お姉さんこそ、もう飲んでもいい年齢?」

「……女に年齢を聞くな」

 これ以上の個人情報は、危険だ。瑠璃はできるだけ口を固く閉じて、店の中を探る。

 カウンターの内側には酒瓶の他に食器棚、冷蔵庫、レジスターにコーヒーメーカーなどが所狭しと並んでいた。

 それを目にして、瑠璃は思わず声をあげる。

「レジスター、それビンテージだろ。なにここ、骨董品屋を兼ねてんの? そんなの文化博物館でしか見たことない……それに電話もある。使えるの、それ」

「さすがにレジは飾り。電話は一応繋がるみたいですけど、緊急事態以外は使わないでくれって役所から厳命がきてます。でもこの地区唯一の電話です。ほら地区に一個は置かなきゃいけないでしょ。それがここ……って言っても、めちゃくちゃアナログだし、動くのかどうか……」

 時代の流れを溜め込んだ黒い電話機に、レジスター。教科書でしか見たことのない古い型は穴蔵のようなバーによく似合っている。

「あ、でもこの20年もののコーヒーメーカーは動くんです。すごいですよね。修理さえすれば、機械は動くんです」

「案外……」

 熱心に店をやってるんだな。と瑠璃は思わず呟く。その声に、蒼は照れるように微笑んだ。

「でもこの熱心さだけじゃ、お客さんは来てくれなくって」

 瑠璃は警戒しつつ椅子に腰を落ち着ける。警戒心はまだ溶けないが、逃げる気持ちはすっかりなくなっていた。

「そりゃそうだ。このあたり、取り潰し予定のBの区画のはずれだし。こんなところで店やっても、誰も来ないだろ」

「あれ、瑠璃さん知りません? B地区の取り潰し、中止になったんですよ。ここの地盤ゆるゆるらしくて、変に崩すと、すっぽ抜けるんですって……でも、ここから南の地域は誰も住んでないから、瑠璃さんの言う通りお客さんは皆無ですけど」

 ほら。と、蒼は壁を指す。壁に貼られているのは「キンコツ」と書かれた茶色い地図だ。

 両手一杯広げたくらいの巨大な地図には、めまいを起こしそうなほど細かい線が描かれている。

 その乾いた表面に指を這わせ、瑠璃は目を細めた。

 瑠璃たちが今いる地区……キンコツ地区はAからCまでざっくりと分けられており、店のある場所はB地区の最北に位置している。店より南のB地区は薄いグリーンに塗られ、『取り壊し保留』の判が押されていた。

(……キンコツ、細い道、小さな家……山に囲まれた……)


 キンコツは山と山の隙間に埋もれる、箱庭のように小さな町だ。

 直線距離なら数キロもない程度の広さだというのに、初見の人間はまず目的地にたどり着けない。なぜなら道がアリの巣のように入り組んでいるからだ。

 地図を見てもそれはよくわかった。細い道がくねくねと複雑に曲がり、絡まり、川が唐突に現れる。そしてその川の流れのせいで、道が遮断される。

 半分地下に潜ったような道もある。小さな用水路をまたいで家が建っているものだから、土台の下をくぐって向かいに行くことだってある。

 区画整理など夢のまた夢。袋小路に行き止まり、曲がりくねった四差路、五差路、何でもあり。一本道を間違うだけで、また何百メートルも戻り直しになる。

 ……それがここ、キンコツである。

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