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ごちそう様で、また明日  作者: みお(miobott)
豚の角煮&潰しトマトのレッドアイ
22/45

2

「……っ」

 店から飛び出した瞬間、蒼はなにか大きなものにぶつかり、弾かれるように後ろに転がる。


「お、久々だな……すまん、怪我はないか?」


 派手に尻餅をついた蒼に差し出されたのは、大きな手のひらだ。

 力いっぱい引き起こされて、蒼は目を丸くした。

「し……白川さん!?」

 目の前に立っていたのは、身長190センチを超える巨躯の男である。髪は短く刈り上げられ、目つきは鋭い。薄い服に包まれた筋肉は分厚く、雪の中でも動じない。

 彼は目を丸める蒼の前に、一冊の本を差し出した。

「お探しは、この本か?」

 著者、シアン。『青の世界』

 その文字を見て、蒼の力が抜けた。まだ雪の中に膝を落としたまま本を抱きしめ、蒼は長いため息をつく。

「……これ、です」

 雪の冷たさにさえ気づかないように、蒼はただ本を強く抱きしめた。



「久しぶりだなあ。半年見ないうちに背も伸びたか。いや、若いもんはいいな、未来があって」

 蒼は店に戻るなり、大急ぎで焼酎を熱い湯で割る。

 それをそっと差し出せば、白川は一気に煽る。2杯目も、3杯目もだ。

 やがて彼がカップに手で蓋をしたのは5杯目を飲み干したときのこと。

「やめとけ。店から酒が消えるぞ。出してくれたらどれだけでも俺は飲むんだから」

 白川が苦笑したので、蒼はようやく酒を作る手を止める。まだ指先は、小さく震えていた。

 その指の震えをごまかすように、蒼は熱いコーヒーを作った。それをテーブルに置くと、白川は子供のような顔で笑う。

 彼は上等なコーヒーが好きだ……そんな話を、随分前に聞いた。

 彼は解体屋の仲間であり、この店を蒼に譲ってくれた張本人である。

「店が繁盛してっからさ、しばらく外で見てたんだよ。そしたら客がこそこそしながら出てくるわけだ。こりゃ食い逃げだって追いかけて、ちょっと注意してやった」

 白川はコーヒーを楽しむように、嘗める。

「そしたら配給チケットはもう渡してるって言い張るんだが、どうもコートの下に何か隠してるっぽくてな。ちょっとお願いしてみたら、素直にコートの中を見せてくれたよ」

「……ありがとうございます」

 蒼はほっと息を吐く。

 白川の巨体で迫られれば、さぞ恐ろしかったことだろう。

 あの男はもう二度と、この店に顔を見せないはずだ。

 白川は巨体を揺らして笑う。そして存外丁寧な所作で珈琲をすする。

「こんな時代でもさ、泥棒ってのはいるんだし。気をつけろよ……えっと……ああ、お前今、蒼って名乗ってるんだったけ」

「はい。白川さんからお店を譲ってもらったときに、そのタイミングで」

「群青、だもんな。で、髪も青くして、名前も蒼か。いいじゃねえか、雰囲気あって」

 白川は店をぐるりと見渡して嬉しそうに微笑む。

「梁だとか天井のあたり、あとカウンターもそのまま使ってくれてるんだな。ありがたい」

「できるだけ残してます……青一色にしちゃったけど」

 客商売が向いていないと愚痴る彼から、この店を譲り受けたのはもう10ヶ月前のこと。

 死んだ両親の店だ、と彼は言っていた。

 解体屋をしていた蒼の先輩だったのがこの男である。

 店の名前も内装も好きに変えていいと言われ、蒼は群青という店をはじめたのだ。

 髪も青く染めて、自分の世界を青色に染め上げた。

「青の世界、か」

 白川が唸るように、呟く。目線はカウンターに置かれた本に注がれている。

 背表紙には、青の世界とタイトルが刻まれている。

「これって小説? 本なんて読んでたっけか、お前」

「ええ。すごく大事な本なので、安心しました」

「大事な人ってやつの、持ち物か?」

 白川は、にやりと笑う。動揺し、蒼はグラスを取り落とす。空中でそれをキャッチし、蒼は思わず座り込んでしまった。

「し、白川さん、俺、その」

「前の仕事んとき、ずっと言ってたもんな。キンコツに、大事な人ってのがいるから、ここで働いてるんだって。その顔じゃ、出会えたみたいだな」

 白川は蒼の様子を見て、微笑ましそうに笑った。

「お前もそろそろ腹くくれよ。愛の告白でもしてさ」

「それは……違います」

「違うってなんだ」

「俺はその人とどうにかなりたいとか思ってるわけじゃなくって」

 白川の言葉に蒼の顔が熱くなる……きっと、真っ赤だ。言われなくても分かる。

 できるだけ冷静を装いながら蒼は皿を洗う。

 そして息を整え、コンロにかかった鍋をのぞき込む。

 朝からずっと煮込まれているそこには、角煮がコトコトと煮込まれていた。

「……俺は、その人を見守っていたいだけっていうか」

「おい、年寄りかよ。もっと恋してさ、繁殖しろよ、地球の未来のためにさ」

「おっさんくさいですよ」

「俺はもうおっさんだよ」

 白川は、明るく笑う。

 解体屋をしているとき、同僚の皆が彼を兄さんと呼んだ。まさに理想の兄だ。

 本当にこんな兄がいたらよかった……と、蒼は思う。しかし、そうすれば自分はここにいなかっただろう。とも思うのだ。

「まあ俺としては、死んだ親の店を潰さずにすんでハッピーだよ。俺は力仕事しかできねえし、ちまちま飯を作るのは向いてない。でも飲食店用の店だから潰して住宅にはできないって言われてさ。よくお前、料理なんてできたな」

「子供の時、ちょっと……それに、俺こそ感謝です。ここにいる理由が欲しかったので。それで料理も必死に覚えました」

「その人のために、ねえ」

 彼はカウンターに肘を置いてにやにや笑う。

「どんな女だ。その好きな女は」

「す、好きって、俺は別に」

「好きな女を語る時には、目が輝くんだ。花でも咲いたみたいにさ。空気がぱあっと明るくなるんだよなあ」

 白川は腕を広げた。店内の青いライトが、彼の陰を大きく広げる。

「……そう言うんじゃないんです」

 扉には閉店の看板をかけたので、もう邪魔は入らないだろう。蒼は自分用に温かいお茶を入れ、ふっと息を吐く。

 外の雪はますます強い。音もうるさく、ここで少し語ったところで、誰にも聞こえないはずだ。

 蒼はしばらく迷い、つぶやいた。

「さっき言ったように、俺が料理できるようになったのは、小さい時の影響なんです。施設で育って……そこで料理番だったんです。悪い連中も多くて、酒なんかねだられることも……まあおかげで酒に詳しくなったので、人生何があるかわかんないですね」

 蒼の声音が真剣だったせいだろう。白川は眉を寄せ、腕を組む。

 余計なことは言わない。その態度がありがたい。蒼は息を吸い込み、天井を見上げた。

「……俺小さい時、結構不幸で……っていうか、まあ珍しくもなんともないんですけど、家族の中で俺だけ宇宙アレルギーで宇宙行けなかったんですよね」

 蒼は熱い茶の中に麦焼酎を注ぎ、少し嘗める。

 麦の甘い香りが広がり、舌がしびれる。あまり酒に強くない蒼にとって、飲酒はこれくらいでちょうどいい。

 思い返せば、母も父も酒に弱く、しかもいやな酒飲みだった。 

 飲むと暴れて、泣いて、叫ぶ。

 そんな酒の飲み方だった。

「両親と妹はあっさり俺を捨てて宇宙行っちゃって。施設を……わかります? 今の施設って結構最悪なんですよ」

 蒼の記憶の片隅にあるのは、14年も昔。6歳の誕生日、当日。

 両親と妹は、蒼を見向きもせずに専用車に乗って地球から消えた。残されたのは誕生日を迎えたばかりの蒼だけだ。

 学校の先生が作ってくれたBirthdayBOYと書かれた紙帽子を被って浮かれて、家に飛び込んだ時の記憶は今でも忘れられない。

 がらんどうの家の中に、蒼の荷物が一つだけ、置かれていたのだ。

 鞄の上には施設への委任状が、放り出されるように置かれてあった。

 宇宙移住に伴う家族の別れなど、ありふれている。しかしそれが自分の身に降りかかると、これ以上の不幸はない。

 おいて行かれた身寄りのない子供は、国の施設に押し込められる。

「救護院っていう名前ですけどね、嘘っぱちです。誰も救わない、守らない」

 捨てられた子は、不幸だ。その不幸は性格を歪ませて、自分よりも弱いものをいたぶることで一瞬の幸福を得ようとする。

 ちびだった蒼が狙われたのは自明の理で、あの施設で過ごした数年は、ただただ地獄だった。

「で、耐えきれなくて逃げ出しちゃったんです」

 15になれば、施設は子供を手放す。

 そして子供たちは自由に生きることになる。

 しかし蒼は15まで待てなかった。体も心も悲鳴を上げていた。14歳の誕生日の夜、蒼は施設を抜け出し、自由を得た。

 開放感を得たのは一瞬だけだ。

 その自由は、蒼の心を壊すことになる。

 世界は広く、無限で、混沌だ。

 縛るもののない世界を前に、蒼は本当にたった一人ぼっちになってしまった。

 どうやって生きていけば良いのか、蒼はただ呆然とした。

「本当は福祉局なんかを頼ればよかったんでしょうけど、知恵も気力もなくって、ずっとうずくまってました。もう、どうにでもなれって、そう思って……ほとんど野宿で、ボロボロの生活で」

 白川は何も言わない。ただ、コーヒーカップを握りしめたまま、蒼を見つめている。

「……その時に、出会ったんです」

「女に?」

「小説に」

 ゴミのような生活を続けながら、蒼の中から気力も体力も全てが失われた。

 それでも腹は減る、眠る場所も必要だ。

「気力がなくても生きていかなくちゃいけないでしょ。たまたま出会った人にゴミ漁りの仕事を教えてもらって……」

 仕事をしていると、同じ本が捨てられていることに気がついた。

 本が捨てられるのは不思議なことではない。しかし同じ本が大量に廃棄されるのは異常である。

 それは青の世界。と書かれたクリーム色の本。作者の名前は聞き覚えがあった。蒼が逃亡した日、街角のテレビでは事故の速報が流れていた。

「読もうと思ったのは、気まぐれなんです」

 この時の蒼は、配給車に並ぶ元気もなくなっていた。ただ屋根のある廃墟に忍び込み、眠るだけの毎日だ。

 眠れず伸ばした手に、ゴミの袋があたり、例の本が転がり落ちて来た。

「どうせ自分はこのまま、ここで飢えて死ぬに違いない……ってそう感じてました」

 それならば、自分と同じくらい不幸になったこの小説はいい道連れになる。そう、思った。

 

「……読んで、俺は生きようって、そう思ったんです」


 1ページ目は、なんとなく目を通した。

 5ページ目になると目を離せなくなり、20ページ目になると身を起こした。最後のページまで読み切って、蒼は急に空腹を覚えた。

 落ちていた配給チケットを掴み、外に飛び出し、とにかく飯を食った。水を飲み、深く眠り、そして起き上がってまた本を読んだ。

 なんてことはない、ただの冒険物語だ。宇宙を旅する、母と娘。

 ただ、それだけの話だ。

 それがなぜか蒼の胸を打った。食事を睡眠を取り戻した蒼は、食べて眠って、そしてひたすら読んだ。

 青の世界は3巻目。

 だから必死に駆け回って1巻と2巻を手に入れた。

 時期はちょうど、宇宙船の事故の直後。批判と擁護が飛び交っていた。

 その中で、蒼はシアンの小説だけを貪るように読んだ。世の中の雑音など、蒼は何も聞こえなかった。

 3巻は現実とリンクするように、宇宙船の事故で終わっている。しかし彼女たちは生きているだろう。そんな希望の持てる物語だ。続きを読みたい。続きを読むまでは死ねない。

 蒼はそう思った。

 そして、生きた。

「シアンが俺を、生かしたんです」

「ああ、思い出した。この小説家って、あれか。この作家の名前がついた宇宙船が事故を起こしたやつ。叩かれて世間から消えたっていう……」

 白川は首をかしげて、目を細めた。

「でもこのシアンってのが、事件当時から姿消しちまったままなんだよな。まだ若いのにそりゃあひどい叩かれ方して。もう生きてるのか死んでるのか……って噂の。そんなにいいのか、この本。どんな内容だ」

「旅をする本ですよ。宇宙を目指して、宇宙に飛んで、真っ暗な中で……成長する」

「へー別に、思想的にどうとか、そういうんじゃないんだ」

 白川は本をじっと見つめる。その顔には嫌悪も好奇心もなく、蒼は安堵した。

 シアンは被害者だ。蒼と同じく。

 立派な宇宙科学者の両親を持っただけの、ただの少女である。ただその生まれ持った文才と想像力が彼女の人生を大きく変えた。

 小説は母のために書いたのだ。と、インタビュー記事を読んで知った。

 金髪で、まるで人形のようなメイクをした派手な少女だ。

 派手な見た目のわりに、朴訥な喋り方をする少女だった。

 最初は話題性から売れたようだが、やがて皆がその物語に夢中になって、それは一大ブームを巻き起こす。

 不幸は、それに多くの企業が乗ったことである。

 宇宙船事故は、そんなブームの最盛期に起きた。

 シアンの名を勝手に冠した宇宙船の事故。シアンやその出版社はこの事故に関わりがない、とニュースがまず流れた。

 しかし続いて、シアンが宇宙移住を推進するために宇宙船事業に手を出し、そして事故を起こして逃げたのだ……という、根拠のない記事が現れた。

(……確か、あの記事を書いたのは……カゲツ)

 蒼は台拭きを握りしめたまま思い出す。

 シアンの小説を読んだ後、蒼はシアン号に関する記事も読み漁ったのだ。

 事故当時、シアンを擁護する声は少なからずあった。その声が潰され、ひっくり返ったのはカゲツという記者の書いた記事からだ。

 人気があった分、落ちるときは一瞬だ。それ以上にひどい。彼女は逃げ、それもまた世論の感情を逆なでする。

 しかし彼女の小説は、確実に一人を救った。

 ……蒼を。

「この本を読んでなければここにはいなかったと思います。施設もクズでしたけど、読み書きを教えてくれたのは有り難かったですね。おかげで本が読めたので」

 蒼は本をそっと撫でる。 

 あそこでこの本に出会わなければ、蒼はもうここにはいない。

 もう数百回読んだその本を、蒼は愛おしく見つめる。

「救われたんです。俺、この本に」

「そうか……で、見つけたのか。その子を」

 ……だから、救いたいんです。 

 蒼の小さなつぶやきに、白川は優しくうなずいた。

「いくらでも、手を貸してやるよ。ボディガードでもなんでもな。だから安心して、この店もその子と一緒にやればいい。こんなご時世、助け合っていかなきゃな」

 白川は机の上に、配給チケットを一枚置いた。もらえない、といっても彼は頑なだ。

「でも俺、何もお礼を」

「店を使ってくれてる。それだけで十分すぎる。俺にも人の心ってのがあってな。散々苦労をかけて泣かせた親だ。その親の残した店を潰すのはさすがに心苦しい。今度の墓参りで、店を守ったって報告できるだけでもありがたい……ああそうだ!」

 扉を開けようとした白川が突如大声を出し、振り返る。

「思い出した。そうだ、墓参りだ!」

「何か?」

「確かその事故を起こした遊覧船の社長が見つかったんだよ。俺の知り合いが、そいつを送迎して、そこから足がついた。親の墓参りに顔を見せたんだとよ……もう7年も逃げ回ってたやつだ」

 白川の鋭い目が、蒼を見つめる。蒼の心臓が大きく跳ねた。 

「めでたく出版社に見つかって、そのまま裁判になってる……そのはずだ」

 白川が何か言いたげに目を伏せるが、それに気づかず蒼の口から思わず明るい声が漏れる。

「じゃあ、もし、裁判で出版社とシアンが関係ないとはっきりすれば、シアンへのバッシングが」

「……晴れるとは限らない。特に批判してたやつらはな。手のひらを簡単にひっくり返せるような、できた人間ばかりじゃないってことだ。頑なになる人間だって多い」

 扉の向こうは風が強い。雨と雪混じりの風が、地面に波打っている。

 不吉な予感に、蒼の背中に冷たい汗が流れた。

「それがあるから余計に過去の事件を引っ張り出そうとする奴らが増えてるんじゃないのか? 毒を出す時には、傷が増えることもある……なあ、蒼」

 雨はまるでシアンの流した涙のようだ。彼女はこの7年、どれほど傷ついてどれだけ泣いてきたのだろう。

 瑠璃さん、と蒼は呟く。

 これ以上、彼女が泣いて良いはずがない。

「何かあれば、守ってやれ。お前の大事なものを」

 白川は手を上げ、雨の中に消えていく。

 雨はますます強さを増したが、蒼の手も体も、まるで駆け抜けたように熱かった。

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