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ごちそう様で、また明日  作者: みお(miobott)
豚の角煮&潰しトマトのレッドアイ
21/45

1

 天候は一瞬だけ春になり、また冬になった。

 みぞれは雪に、そして雪は豪雪に。

 雪が降れば人々も暇を持て余すのか、人が来る。

 バー群青は最近、満員御礼の大賑わいである。



「店長、こっちにもおかわりね」

「はいはーい」

 客の声に、蒼はフライパンを振りながら応える。仕込んでおいた米も心許なくなり、刻んでおいたキャベツも底が見え始めつつある。

 賑わうのはよいのだが、問題は客の質だ。


「ねえ、店長。このあたりにさ、大昔の小説家大先生が住んでるってほんと?」


 カウンターの真ん中を陣取った男が少し酔った顔をして蒼に絡む。

 またか。という言葉を飲み込んで、蒼は淡々とフライパンの肉を皿に移した。

「さあ……俺、最近ここで店を始めたばっかりなんで、そういうのわかんないですね」

「ほら、店長。レジの横に置いてる小説の」

 酔っ払いの手が、レジの隣に置かれた本を指さす。

「シアン」

 男の声は、好奇心に満ちていた。

 その言葉が聞こえたのか、数人の客がこちらを横目で見る。

 蒼は舌打ちを押さえて、無理やり笑顔を浮かべて見せた。

「さあ。本は前の店長の置き土産なので、なんとも」

 カウンター越しなので客に取られることはないが、蒼はその本をさらに奥へと押し込んだ。

(……面倒だな)

 最近はこんな客が増えている。かつていい意味でも悪い意味でも、一世を風靡した小説家、シアン。

 その彼女がこのキンコツのどこかに住んでいる……その噂は、暇を持て余す人々の格好の餌だ。

 歪んだ正義感はいつだって、手軽な生贄を求めている。

「でもその小説家が話題になったのは、もう何年も前の話でしょ。ここには居ないんじゃないですかね」

「店長もさ、もっといろいろ情報仕入れておく方がいいよ。この作者、東京とか、都会じゃ人の目があって住めないから郊外を転々と逃げてるって噂があるんだ」

「もし住んでたら、どうするんです」

「どんなやつなのか正体を暴いて……謝らせる。俺じゃなく、世界に」

 男はどろりと揺れる目を蒼に向ける。

 そして彼は鞄から一冊の週刊誌を取り出した。シアン号とは。そんな文字が表紙に大きく刻まれている。

「これって6……7年前? の事件ですよね。なんで今になってそんな大騒ぎに?」

 蒼はテーブルを拭きながら何気なく週刊誌に視線を送った。

 カゲツというライター名が見えた。

「最近出た雑誌だよ。再燃してんの」

 投げられた週刊誌を受け取り、蒼は目を細めた。発刊日は一ヶ月前になっている。ちょうど、スーツ男と眼鏡男がこの町に現れたくらいの頃合い。

 内容といえば、事件を掘り返したもので新情報は書かれていない。

 特にキンコツの名前もないが、匂わせるような表現で、分かる人間には分かる。そんな書き方だ。

 代わり映えのしない疑問形と不確かな情報だけが羅列され、締めは「続報が出ればお知らせする次第である」というありきたりなもの。

 文字の一つひとつに、まるで黒いタールが塗り込められているようだ。

「……この人、この書いた人、名前を聞いたことあります」

「最初にシアンを告発した記者だよ。今年はまた日食があるだろ、あの事故の時と同じ」

「だからまた掘り返してるんですか?」

 週刊誌を見つめたまま、蒼は目を細める。が、男は気づきもせずにグラスを空にした。

「それくらいのことをしたんだよ、あのシアンは……店長、おかわりね」

 男がグラスを差し出してくるので、蒼はアルコールを極限まで減らした水割りを差し出す。彼はすでに酩酊しており、酒の量なんてわかりやしない。

 ただの水を嬉しそうに飲む男を横目に、食べ終わった客の皿を片付けようと、した。

「……瑠璃さん」

 顔を上げた先に、瑠璃の顔が見えて蒼は動揺する。

 彼女は店に入ろうかどうか迷うように、薄く開いた扉の前に立っていた。

 駆けつけると、雪が足に触れる。

 瑠璃の手の先も耳も赤くなっているのだ。いつからここにいたのかと、蒼は唇を噛みしめた。

「蒼くん」

 蒼を見て、瑠璃の目が安堵の色に染まる。それを見て、蒼の胸のどこかが暖かくなった。

「猫の、もらい手を探そうと思って……色々探してて……ここのお客さんに、聞いてみようと思うんだ。あいてる?」

 背を伸ばし、瑠璃が店内を覗こうとする。

 猫を拾ってから妙に彼女は強くなった。

 今日も里親探しであちこち出歩いていたのだろう。コートの上にも髪の毛にもうっすら雪が積もっている。

 一日でも早く里親を探してここを出ていこうとしているのか……そう思うと、蒼の心の奥に不快なものが広がる。

「ね、瑠璃さん」

 先ほどの男がこっちを見ている気がして、蒼は急いで彼女の前に立って視線を塞いだ。

「店よりも、津島さんにお願いする方がいいかも。ここじゃ酔っ払いしかいないし。しかも遠方の人ばっかり」

 蒼は客を適当にあしらいながら、メモ帳に、津島の住所を書いた。

「一人で行くのが難しいなら僕も一緒に行きますし。そうだ。あと1時間で店を閉めるので、一緒に作戦会議しませんか。昨日から煮込んでる秘蔵の料理を出します。特別な一品で、特別な人だけに出す秘蔵中の秘蔵」

 瑠璃の眉がきゅっと寄って、いつもの調子で口を尖らせる。

「ちゃんと仕事をしろよ、蒼くん」

「もう十分儲かってるんですよ、今日は」

 渋々。と言った顔で瑠璃が去った。

 気づけば客も一人一人と減っていき、やがて店内は静まっていく。

 最後の皿を片付けて、蒼はほっと息を吐く。こわばった顔の筋肉は、笑顔の形で固まっているようだ。

 疲れた顔を撫で、息を吐いて椅子に座る。いつもの癖でレジの横に視線を送り……蒼は、次の瞬間、立ち上がってた。

 いつもそこにある、クリーム色の背表紙が、消えていた。

(……盗られた!)

 蒼の全身から血が抜けたように、冷たくなる。指先が震え、膝に力が入らない。それでも蒼は立ち上がり、外へと駆け出す。

(さっきの、客だ)

 コートもマフラーも忘れ、エプロン姿のまま。

 斜めに吹き付ける雪の中、蒼はがむしゃらに駆けだそうとした。

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