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ごちそう様で、また明日  作者: みお(miobott)
フライパンホットサンド&ドライフルーツサングリア
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4

「……ただいま」

 軽く酒の入った体は温かく、柔らかく、軽やかだ。

 地に足のついていない感覚を味わいたくて酒を飲んでいるのかもしれない。と、瑠璃は最近気がついた。

(本当は書きあげたい。最後まで)

 菊川の言った、最後まで書き上げなきゃ。という言葉が瑠璃の心の奥深くに刺さる。

 それは抜けない棘のように瑠璃の心を傷つける。

 菊川が言っているのは仕事の原稿だ。急がないリライトは途中になって山積みになっている。

 ……しかし瑠璃が本当に書き上げたいのは、別の原稿である。

(ハッピーエンドなんだ。この話は。絶対にプロパガンダなんかじゃない)

 足先が凍りそうなほど冷たい台所の床に座り、瑠璃は地面をなでた。

 一箇所、浮いている場所がある。それを外すと、ビニール袋にくるまれたノートが数冊顔を見せた。

(ハッピーエンドにしなくちゃいけない)

 扉も窓も閉まっているのを三回確認し、瑠璃はそっとそのノートを開く。

 そこには瑠璃の文字がみっちりと詰まっていた。

 それは、瑠璃の書いた、瑠璃のためだけの小説だ。

 

 

 ……それはまだ瑠璃がシアンと名乗るよりはるか昔、瑠璃が瑠璃であったころ。

 瑠璃は人生で初めて物語を書いた……病弱な母のために書いたのである。

 病魔に襲われ入退院を繰り返していた母は、世の中の小説を読み尽くすほど読んで、もう読むものがないと嘆いていた。だから瑠璃は、昔から母に語っていた物語を文字にして、母に届けた。

 それは全4つの物語である。

 3つ目を書きあげ、4つ目を書き始めた頃、母は死んだ。瑠璃の下書きノートにありったけの感想を書き込んで。

 母の同僚だという宇宙関連施設の人たちが、拙い瑠璃の小説を読んで出版社を紹介してくれたのは母の死後のこと。

 もとより本にするつもりなどなかった。これは母の死とともに葬り去るつもりだった。

 しかし世間は、瑠璃を放ってはおかなかった。

 母は病弱な宇宙科学者。

 父は瑠璃が生まれた日に宇宙に散った、宇宙飛行士。

 立派な両親から生まれた一粒種。

 世界に一人残された13歳の少女を、周囲は哀れんだのだろう。

 瑠璃の小説はあっという間に、本になった。

 一冊目『青の少女』はそれほど売れなかったようだ。

 二冊目『青の季節』は少し売れた。

 そして三冊目、『青の世界』……この一冊がなぜか、話題をさらった。

 この青のシリーズは宇宙に行く母と娘の冒険の物語。宇宙に消えた父を探す物語。3巻は宇宙船の事故のシーンで終わっている。

 こんな衝撃的なシーンで終わらせたのは、母の命を引き止めるためだった。続きを読むために生きなければならないと、母の意識をつなげるためだ。

 しかし世の中はシアンの気持ちを誰も理解しなかった。

 衝撃の3巻。若き文才、ストーリーテラー。

 そう呼ばれたシアンはあらゆる雑誌や広報誌、ラジオで取り上げられた。その時、出版社がシアンに提案したのだ。広告には力がある。目立つ格好をしよう、と。

 おかげでシアンは能面のようなメイクを施された金髪ロングの無口な少女。そんなイメージで世間に売り出された。

 

 

(まあ、おかげでいま、助かってるんだけど)

 瑠璃は薄暗い部屋の中央にある鏡を見て、苦笑する。真っ黒の髪、地味な顔立ち。この姿からシアンを想像するのは難しい……特に今のこの深山瑠璃からは。

 こうして作り出されたシアンは人気を博し、小説もとんでもなく売れた。

 やがて4巻の話も出る。4つ目の物語は母の死とともに途中放置となったまま。

 だから瑠璃は母が感想を書いてくれたノートを引っ張り出し、必死に続きを書いた。

 タイトルは『青の旅路』。

 この巻ですべてが救われ、母と娘は最高に幸せのエンディングを迎える。

 ……そのはずだった。

 

「ああ、眠いのか」


 にい、にい。小さな声と冷たい鼻先が瑠璃の足先をつつき、瑠璃はふと視線を下げる。

「おいで」

 ダンボールからいつの間に抜け出したのか、子猫たちが瑠璃の体で暖をとっている。三匹とも抱き上げて瑠璃は膝の上で彼らを温める。

「お前たちは私のことを差別しないもんな」

 瑠璃は自嘲して笑う。

「事故のことも知らないから、当然か」

 確かあの日、瑠璃は4巻の執筆に勤しんでいたはずだ。

 徹夜をした朝だった。それもただの朝ではない。日食の朝だった。

 数百年に一回という、皆既日食が起きる日である。

 そのせいで、朝なのに肌寒く、外は夜のように暗かったことを覚えている。

 いつものよう学校へ行く前に、に母と父の遺影の前で手を合わせた。そのタイミングだった。

 出版社の人間と宇宙機構の人間がアパートの扉をたたき、瑠璃の手を引っ張ったのだ。

(……大事故が、起きた日)

 瑠璃は冷たくなった手を握りしめる。

 あの朝、大人たちが語ったのは、とんでもない話だった。

 シアンの名を使い、どこかの企業が宇宙遊覧船を打ち上げたという。

 小説にも出てくるシアン号、その内装もデザインも似せた宇宙船を。

 瑠璃はもちろん、出版社の人間も誰もそのことを知らなかった。

 無事に戻ってくればなんの問題もなかったのだろう。しかし、その船は事故を起こす。死傷者が恐ろしい数で増えていく。

 シアンも出版社も、何の罪もないはずだ。

 ……しかし、世間はそうは見なかった。

 まずは飛行船会社へのバッシング、出版社へのバッシング。

 そのバッシングがシアンに向かうまで、そう長くはかからない。

(だから隠さなければ)

 こうなるまで気づかずに申し訳なかった、と出版社の人間は頭を下げて可愛そうなくらいに泣いていた。宇宙機構の人間は、瑠璃に「逃げなさい」と早口でそういった。

 瑠璃は嫌だと首を振った。ちゃんと皆の前で釈明して、説明すれば良い。そう言いはったが、大人たちは無言で瑠璃を車に押し込んだ。

 彼らには未来が見えていたのである。

 その未来予想のとおり「シアンの小説は宇宙移住を煽るものであり、その結果、不幸な事故が起きた」とどこかの雑誌社が書き上げた。

 出版社が弁明しても、その言葉に耳を傾ける人間は少ない。

 事故の原因を探るために研究船が打ち上げられたが、その船に乗る宇宙飛行士が宇宙嵐に巻き込まれて記憶障害を起こすという事故まで続いて起きた。

 この2つの事故によって、出版社の危惧したとおりシアンバッシングが世間に湧き上がる。

 宇宙移住反対の声が高らかに響き、多くのデモが起きた。

 その中で、シアンは分かりやすいスケープゴートとなる。

 大犯罪者のように叩かれ、瑠璃の小説は捨てられた。

(……本当はそのときに……その、瞬間に、声を上げるべきだったんだ)

 瑠璃も最初は声を上げようとしたのだ。

 しかし自分の小説がびりびりにやぶられて踏みつけられているのを見た時、瑠璃の心のどこかが壊れた。

 それはただの小説ではない。

 母のために描いた小説だ。

 これからハッピーエンドに向かうために描かれた小説だ。

 だからシアンは、深山瑠璃は、ただ逃げることを選んだ。

 

(……深山瑠璃、さま)

 

 ビニール袋の中に詰められたいくつもの封筒を、瑠璃は見る。

 古いものは6年前。新しいものはつい最近。

 それには配給チケットが山のように詰まっている。

 瑠璃が越せば必ず、そこに届く……当然だ。それは瑠璃を支援する団体から送られてくる。

 過剰なほどの配給チケット。保存の効く食べ物。

 さらに、誰かに見つかりそうになれば、新しいアパート。

 そして一度もかけたことなどないが……緊急時の電話番号も、いつも瑠璃の元に届けられる。

 瑠璃は、こうして逃げて逃げ続けて7年という期間を生き延びた。

(この支援者もお母さんの関係……多分、宇宙機構の誰かだとおもうけど)

 猫を潰さないように気をつけて、瑠璃は台所に寝転がる。

 ワインで温まった体が冷えていくのが心地いい。

(お母さんの影響、だろうな)

 ここまで守られているのは瑠璃が特別優れているから……そんなわけはない。

 それは瑠璃自身分かっている。皆が瑠璃をかばってくれるのは、両親の七光りだ。

 パイロットの父、宇宙学者の母。死んでなお、二人が瑠璃を守ってくれる。

 そして瑠璃は、赤ん坊のように、それを享受している……それでいい、と瑠璃は思っていた。

 それでも反骨精神が芽生えたのは7ヶ月前。

 働いてみたいと、支援者に手紙を書いた。

 少しの時間を開けて、了承の手紙が届いた。しかし以下のうち3つから選ぶようにと。

 その中の一つが、キンコツ新聞社だ。

(……だから働いたんだ……そろそろ外に出られると、思ったから)

 働けば、外に出れば世界は変わるとそう思った。

 バーを知って蒼と出会って酒を覚えた。世界は広がった。このまま、この安住の地が手に入る。そんな希望を、久々に抱いた。

(でも、結局また逃げないといけない。ってそう思ったけど)

 最近届いた封筒を開き、瑠璃はじっと眺める。そこに書かれているのは相変わらずの文面と、配給チケット。それと緊急連絡先だけだ。

 危なくなればいつも書かれる次の移住先については、一行も書かれていない。

(じゃあまだ……逃げなくていいってことなのかな)

 どこかホッとして、瑠璃は胸の上で眠る子猫をなでた。

 そしてずるずると台所から移動して、アパートの窓を開ける。

 垂れ下がった重い雲と雲の間、宇宙船の黒い影が煙を放ちながら飛んでいく。

 このアパートの周囲は人がほとんど住んでいない。だから静かだ。空もよく見える。

 そのせいで、もう耳にタコができるほど聞き飽きた「奇跡の歌」の単調なリズムが聞こえた気がした。

 歌のリズムに重なるのは、子猫たちが鳴らす喉の音。

 気がつけば、瑠璃の膝で子猫たちがトレッキングを楽しんでいる。

「君の目は、青いね」

 猫の目は、宝石みたいなダークブルー。この目から見える世界は青いのだろうか、と瑠璃は思う。

「蒼くんみたいだ」

 蒼の店の風景と、あの味が胸いっぱいに広がって不思議と温かい気持ちになる。

 最初は、無邪気に近づいてくる蒼のことが恐ろしかった。

 そもそも、人間が恐ろしかった。

 しかし今では、彼の出す料理が好きだ。彼の笑顔も、彼の声も、心地よく染み込む。

 久々によく眠れそうだ。と、瑠璃は床にゆっくりと寝転がる。

「お酒も食事も、美味しかったから」

 ……もう少しこの町にいたい。

 瑠璃は7年目にしてはじめて、そんなことを考えている。


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