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ごちそう様で、また明日  作者: みお(miobott)
シャンディ・ガフ、夕日のハンバーグピカタ
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2

「雨の中でビールなんて、美味しくないでしょ」


 青い風に包まれた……と、瑠璃が勘違いしたのも仕方がない。

 一瞬で手も足も青い光に包まれたのだから。

 ぽかんと顔を上げ、瑠璃は納得した。

 気がつくと自分の真上に、真っ青な傘が差し出されている。

「な……」

 瑠璃の背後には、いつの間にそこにいたのか、青い傘を手にした見知らぬ男。

「何……なに……え……?」

 気がつけば知らない男に、傘を差し向けられている。

 瑠璃は立ち上がり、腰を下ろし、また立ち上がる。驚いたせいで膝が震え、後ろ向きに転びそうになる。

「ね。お姉さん」

 青年はまるで子犬のような顔で、瑠璃の顔を覗き込んだ。

 怯える瑠璃に何一つ、気づいてない顔をして。

 傘の上を雨粒が跳ねるたびに青い色が揺れ、彼の顔に波のような影が広がる。きっと瑠璃の顔も青く染まっているのだろう。

 空よりも華やかで、緑がかった青。

 肌に刺さる雨粒が消え、代わりにぬるい湿度が瑠璃の背を暖めた。

 彼は青い光に包まれたまま、瑠璃に向かって微笑んでいるのだ。

「ここでビールなんて飲むくらいなら、屋根のあるところで、あったかい食事でもしませんか」

 大きな目。

 丸い眉。

 若々しい頬。

 ……そして何よりも目立つのは、鮮やかに青に染まった髪。

 さらさらとした、まるで作り物みたいにキレイな髪。

「た……食べない」

 瑠璃は思わず飛び上がり、数歩下がる。

 目の前の青年はひょろひょろと細く、少年と言ってもいい風貌だ。

 20代前半か、もしかすると10代かもしれない。

 こんな可愛い顔をしていても、奇妙なことを考えている人間だって多いのだ。

 お化けや怪物なんかより、この世で一番人間が恐ろしい。

 瑠璃はそのことを、誰よりも知っている。

「お腹空いてません?」

「もう、帰るし、お……おなかすいてないし」

「じゃあ送っていきます」

 駆け出そうとした瑠璃の前に、男が滑り込んだ。

「お姉さん、危ない」

 彼は転びかけた瑠璃の腕を掴み、引っ張る。見た目に反して大きな手のひらに、瑠璃は悲鳴をかみ殺した。

「何!?」

「このあたり、最近変な事件とか多いし、危ない人がいたら大変だから」

「家! ち……近いから大丈夫」

 その危険人物がお前だ……その言葉を瑠璃は飲みこんだ。

 同時に、居住地情報をこの変な人物に与えてしまったことに気づき、慌てて首を振る。

「いや、ちがう。全然違う。近くじゃない。遠く……そう、わ、わたし、すっごく遠いとこから来てるから」

「あ。待って、もしかして僕、怪しまれてる? ねえ、ごめんなさい。不審者じゃないです。全然違うんです」

 青年は顔を赤くして首を振った。その目があまりに真剣だったので、瑠璃は思わず力を緩める。彼は瑠璃を逃すまいとするように、瑠璃の腕をぎゅっと握りしめた。

 瑠璃を掴んだ彼の手のひらは、驚くほどに熱い。

(……あつい)

 瑠璃は左手首を掴む男の手を見つめた。まるで女の子のように細くて白い。そのくせ、大きくて熱い。

 人の体温は本当に熱いのだ……それは脳の勘違いでもなんでもなく。

(人の体温なんて……何年ぶり)

 ……一瞬だけ、心地いいと思ってしまった。

 その自分の気持ちに気づき、瑠璃は慌てて唇を噛みしめる。

(何ほだされてるんだ、しっかりしろ)

 瑠璃は熱い指を振りほどき、目を吊り上げる。

「……悲鳴をあげるぞ、こんな町にだって、ま……まだ、住人だって……」

 自分では声を張り上げたつもりなのに、まるで蚊が鳴くような小さな声だ。

 もっとも、最近の異常成長した蚊は蝉みたいに鳴くやつもいるようだが。

「まだ住人だって、いるんだし……声を出せば……」

 瑠璃は男と距離をとり、そっと周囲を見渡した。

 壊れたアスファルト、雑草が生えて荒涼とした道、割れたトタン屋根。そしてそんな興廃した風景の中で、降りしきる雨。

 人の気配が一つもない道の真ん中で、瑠璃は拳を握りしめる。震える膝を立て直し、大地を踏みしめた。

「大きな……こ……声をあげれば、誰か……たぶん……来てくれるんだからな!」

「ああ、ビールこぼれてる。貴重品なのに」

 地面にこぼれたビールを見つめ、彼は心底残念そうに呟く。

「……本当、怪しいものじゃないんです。って、怪しい奴こそ、そう言いますよね。いきなり声かけて、驚かせてごめんなさい」

 彼は胸に手を当て、深呼吸を一回。

 数歩下がって、神妙に肩を落とす。最初の勢いはどこへやら、しゅんと落ち込んだ顔で彼は瑠璃に頭を下げた。

 眩しいほどの青い髪が、さらさらと揺れ地面に青い影を落とすのが、こんな時だというのに不思議と美しかった。

「実はお店の勧誘なんですよ。お姉さん。ご飯、食べていきませんか?」 

「……は?」

「こっち、来てください」

 彼はまるで踊るように傘を瑠璃に差し出して、自分は雨の中へ。

 そして数歩、進む。角を曲がったあと、ひょこんと顔だけ出した彼は、子犬のような顔で瑠璃を手招いた。

 渋々彼の後をついて角からそっと顔を出してみると、青年は道の真ん中で両手を上げて微笑んでいた。

「俺の店」

 彼の指す方向には、青い色の看板が見える。刻まれた言葉はバー・群青。

 偶然に雲が割れ、青い空が屋根の辺りにぱっくりと広がった。

 空の青に群青の看板、そして真っ青な髪の青い男。

 青の大洪水に、瑠璃は思わずめまいを覚える。

「……店……?」

 ずれたメガネに気づきもせずに、瑠璃は呆然と青年を見上げた。 

「これが?」

 瑠璃が指さすのは、店の扉……と思われる場所。

 扉には蔦がくるくると絡まり、地面にはみっちりと雑草が生え揃っている。煉瓦壁にも、隙間なく蔦と、あとキノコも少々。

「……店?」

 どう生えればそうなるのか、建物の隣の木は斜め45度に曲がって伸びて、屋根にどっかり腰を据えていた。

 それは見事なまでの楓の巨木だ。真っ赤な炎をまき散らすように、屋根の上で紅葉している。

「まあちょっと……開店準備に手一杯で外の整備まで間に合わなくて……あ、でも中はきれいですよ」

 男は顔を赤くしたまま、蔦を手で払う。

 地面に落ちた紅葉を足で蹴散らし、困ったように眉を寄せた。

「おっかしいなあ。昨日、蔦を取ったはずなんだけど……異常成長する植物が多発って、最近ニュースになってたからそれかも」

 呑気に笑う顔に悪意は無いが、瑠璃は身を固くする。

「わ……私がそんな怪しい店に入るわけないだろ、中に入ったら閉じ込めて、それで、それで……」

「まあ、そうおっしゃらず。すぐ蔦とっちゃいますね」

 彼は見た目よりしっかりした手で蔦をむしり取った。緑色の水滴が、指の間から溢れて彼の白い腕に伝わって落ちる。

 それに思わず見惚れていると、やがて彼の手はドアのノブにたどり着く。

 

「バー・群青。何を隠そう、今日がオープンなんです」

 

 きい。と、扉のきしむ高い音とともに、乾いた空気が瑠璃の顔をなでる。

「で、お姉さんが、お客様第一号」

 そして彼は、太陽よりもまぶしい笑顔で瑠璃にそうほほえむのだ。

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