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ごちそう様で、また明日  作者: みお(miobott)
ミルク珈琲酒&餡バタートースト
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4

 瑠璃の住むアパートは蒼の店からほんの数分……最近は廃墟の庭を抜けることで、近道できることに気がついた。

 ポストを見ることもせず、瑠璃はまっすぐ1階一番奥の部屋に進む。鍵を開け、鍵を締め、チェーンをかけるとため息をついた。

「せっかくいい店見つけて、自炊せずに済みそうだったのにな」

 瑠璃は玄関に立ち、殺風景な部屋を眺める。

「相変わらず、なーんにもない部屋」

 瑠璃の部屋にあるものはベッド代わりの寝袋、部屋備え付けの全身鏡。

 床には大きな段ボール……その上に置かれた、机代わりの一枚板。板の上には、出しっぱなしの鉛筆と消しゴムが転がっている。

 ここには机もない、椅子もない、飾りもない。

「蒼くんの店は、いいな……物がいっぱいあって」

 蒼の店には、所狭しと物が詰まっていた。が、その雑然さが逆に美しかった。

 人が生きるというのは、そういうことだ。人は物に包まれて生きていく。

「お母さん」

 瑠璃は力なく床に座ると、ポケットから一枚の写真を取り出す。

 瑠璃によく似た女性が分厚い本を手にして微笑んでいた。宇宙計画機構。そんな看板の前で、彼女はカメラを見つめて幸せそうに笑っている。

 写真を抱きしめたまま、瑠璃は台所の床を一枚、外した。何度も外されたそこは、すでにゆるゆるになっていて、力をこめるとすぐ開く。

 床下には青いノートが数冊、ビニール袋にくるまれていた。

 瑠璃は淡い蛍光灯の光が入る窓際にたどり着き、ノートをゆっくりと開く。

 ……そこにあるのは、文字だ。角張った、瑠璃の文字。

 みっちりと文字が詰まったそのノートには、いくつかの赤い印と赤い文字が刻まれていた

 

 ここ、素敵ね。

 ここのセリフで泣いたわ。

 ねえ、ここからどうなるの?

 

 瑠璃の字によく似た、しかし瑠璃よりも大人っぽい文字だ。

 瑠璃はその赤字を見つめ、何回も読み返す。

 最後のページには少し長めの感想が書かれていた。

 

(……早く続きを読みたいわ。楽しみにしてる。私の作家先生……瑠璃……私の娘……母より)


「私は、お母さんの読みたい話を」

 蛍光灯が点滅し、瑠璃の持つノートの表面を薄暗く染めた。

「書く……書かなきゃ……いや」

 急に現実に引き戻されたように、瑠璃は頭を振る。痛む頭を押さえて額に浮かぶ汗を拭った。

 立ち上がると、黄ばんだ紙がばらばらと床に落ちる。

 それは新聞の切れ端だ。週刊誌の切り抜きだ。

 書かれているのも『シアン号』の文字である。

 悲劇、怒号、移住計画発足以来、最大の事故。

 様々なフォントで刻まれたそれの切れ端をかき集めて、瑠璃は無理やり床板の下に投げ込む。

「もう、書かなくて、いいんだ……違う。書いちゃ、だめなんだ」

 足先から震えて、瑠璃は体が冷え切っていることにようやく気づいた。

「……次はどこに逃げればいいのかな」

 壁にかけられた鏡に映るのは、いつもどおりの化粧っ気のない自分の顔だ。

 縛った髪、だぶだぶのシャツ、裾の破れただらしないズボン。

 瑠璃は鏡に映る自分の姿を睨む。

(いや、まだ、大丈夫……大丈夫、大丈夫。今逃げたら怪しまれる。もっと、落ち着いて、周囲をよくみて……怪しまれないタイミングで、逃げなきゃ)

 鏡の中瑠璃は真っ青な顔で、震えている。額には薄く、汗が浮かんでいた。

(バレてない。誰にも、まだ)

 ここにいるのは深山瑠璃、21歳。キンコツ新聞の契約記者。

 好き嫌いが多く、人見知りで、言葉遣いが悪く、態度も悪い。そんな深山瑠璃だ。

 今の瑠璃は、社会に埋没した、社会に置いていかれた一人の女。世間はそう見る。見てくれるはずだ。

(あと、どれだけ大丈夫? 角煮、食べたいな。プリンも……まだ、食べてないし)

 震える手で、瑠璃はダンボールの中を漁る。中には茶色く汚れた封筒が一枚置かれていた。

 差出人は氷室正宗とある。中に入った手紙には角張った文字が揺れている。出だしはこうだ。

 

「僕はあなたに救われました」


 手紙は真摯だ。文字を見ればわかる。これは真摯に書かれた文字である。

「お礼をどうしても言いたくて手紙を出すことにしたのです」

 幼くも真剣な文字を読むと、瑠璃の額から汗が引き、ようやく息ができた。同時に頭の芯が冷静になっていく。

 これは瑠璃のお守りであり特効薬。

(……そうだ。しばらく外に出るのはやめよう。間を空けて、逃げる。平気。いつものこと。6年、ずっと、ずっと、そうだったじゃないか。今更、何をこんな震えて……)

 蒼がバー群青でシアンの小説を……『青の世界』のページをめくる音が、瑠璃の中に蘇る。

「小説なんか嫌い」

 その音を振り払うように瑠璃は床に座り込み、膝を抱え自分を抱きしめるように小さく、小さくなる。

 このまま消えてしまえばいい。もう何百回も思ったことだ。しかし、人はそんなに簡単に、消えることはできない。生命は思った以上に頑丈だ。

「……僕はあなたに、救われました」

 手紙をまた読み直し、声に出す。

 

「……シアン先生」

 

 それは瑠璃にとって最も呪われた言葉である。

 しかし、瑠璃はこの手紙を捨てることができない。この手紙だけは、捨てることができないのだ。

「シアンなんか、消えてしまえばいいのに」

 一世を風靡し、消えた小説家、シアン。

 宇宙推進を煽り、多くの人を惑わせ、あげく彼女の名前のついた宇宙船が大事故を起こし……大勢の犠牲を出した。

 宇宙移住推進のプロパガンダに手を貸した、政府の犬、史上最悪の小説家。

 そう噂される、作家シアン。

 その名前は鮮やかな青色を意味する。しかし、はるか古代その色は、薄暗い青色のことを指した。

 名前と同じく、常に薄暗い影を持つ小説家。

「私なんて……消えちゃえばいいのに」

 シアンとは深山瑠璃、6年前までの姿だった。

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