Ⅶ.Hope compelling
「もう10年になるわ」
「あら。私にも隠していたなんて、おませが過ぎるわよ」
──人里の子、……そういうことなのね、カレーヌ。
招き入れた旧友のために、キッチンで紅茶を用意しながら、私はつい笑みをこぼしていたわ。
ウッドチェアを揺らすカレーヌからは、照れたような細い声が返ってきた。
「ごめんなさい。あたし……自分でも意外だったの」
「謝らないで。……そういう時期だったのよ。それは自然な感情だわ。そこに魔女か、ただの人間かなんて違いは存在しないのよ」
「ありがとう。ジェシカは大切な人よ、ほんとうに」
「同じ思いよ、カレーヌ。それで? あなたの唯一の人と国の戦争がどう関わるの?」
「もう茶化さないで。──……彼があたしの元にいることは、麓の町の住人もみんな知っているわ。魔女であることは秘めたままだけれど」
「なら、その彼も」
「ええ、きっと町の人が彼のことを伝えてしまうわ」
私の国では、頂で政を統べる者は、仕える騎士達にとって至上の存在だったの。それは国の民にも同じ。
どの世代においても目に余る暴君や愚人というわけではなかったから、皆、王や騎士達には崇敬を抱いていたわ。
だから彼女の言うとおり、きっと人里の者たちは問われたら答えてしまう。
城で仕える騎士の命令は、王の命令でもある。民衆には、彼らに逆らってまで知っている事実を隠す理由はないもの。
どれだけカレーヌの優しさに触れていても、穏やかさに心を通わせていても、身を挺して彼女を護ろうという意識が生まれるとは限らない。
まして、魔女であることを隠して生きているのなら。
「私の力で、町の人を惑わすこともできるけれど」
「それはいけないわ。してはいけない事だわ、ジェシカ。あたしは町の人を困らせたいわけではないの」
「悪かったわ、カレーヌ。ほんの冗談よ。それでローブを作り直して、どうするつもりなの?」
「騎士達は必ず来るわ。だから、あたしが代わりに召喚に応じるつもりよ」
「……なっ、カレーヌ──っ! なんてことを──」
「ジェシカ、どうか分かって……。彼を連れていってほしくないの」
今まで乱れたことのない彼女の麗しい眉が、懇願するように顰められていた。
「あの子には戦争の何たるかも、人と人が争うという事象すらも知ってほしくないの。悲しみも恨みも、失う痛みも奪う痛みも。今の平穏な生活を退屈だと思う年頃かもしれないけれど、それでも知ってほしくないの」
カレーヌは、愛を忘れたことがない魔女だった。
どんな理不尽に見舞われても、決して誰かを貶めたことはなかった。
そんな愛しい旧友の、必死な頼みだもの。精一杯の力で応えるつもりだったわ。
尽くすつもりだったけれど。
「カレーヌ。……そんなこと、できないわ」
「ジェシカ」
「いいえ。それだけは嫌よ」
「お願いよ、あたしの友人」
「カレーヌ」
「ねえ、お願いよ……」
「ずるいわ。そんなふうに……」
お願いを聞いたら、ほんとうに最期の再会になってしまう。
憎悪と辛苦が蔓延る戦地に、彼女が向かう手助けをするなんて。
あまりにつらすぎる。
私はカレーヌを説得しようと、知らず俯いていた顔をあげた。
どこかへ移り住みましょう、と。あなたとその人の子も共にと、言うつもりだったわ。
だけど彼女は、私を見て微笑んだ。
「……あたし、青い流れ星はついぞ見られなかったけれど、……でも、あるのよ。青い流れ星は、ここにある」
胸に手をあてて幸せそうに笑う姿は、旅先で見た聖母像のようで。
ほんとうに、この旧友は人間を愛して止まないのだろうと、私は折れるしかなかった。
どんなに唯一無二の人の子を傍に置いていても、人里の者たちを放って逃げるなんてことを、カレーヌが選ぶはずもなかった。
彼女の内に募る想いは、とても堅固で情熱的だったわ。
私もそれを知りすぎた魔女の一人として。
もう二度とないだろう、旧友のお願いに応えられるなら……。
「はあ、……分かったわ」
「ジェシカ……! ありがとう!」
「いいのよ。あなたの青い流れ星を、私にも護らせてくれるんだものね」