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Ⅴ. Dear folklore



 カレーヌと私は川沿いを下っていったわ。

 そこは人が通れるような、整備された道ではなかったけれど。白木蓮の大樹に宿された魔女の力が、やがて大気に融け、川の水を撫でる場所でもあった。

 それが旧友の身には、好ましい環境だったのよ。足場の悪さなんて気にならないほどに。


 白木蓮の林は、川沿いから入ると景観が変わったわ。

 指向性を持つ植物の特徴でね。この樹種は北を向いて花弁を開かせた。

 その大ぶりで堂々とした姿と、清廉な色。柔らかく甘い香りは気高く、荘厳で、慈愛さえ感じられる。


 私はカレーヌと一緒の時でしか見に来られない、わずかにそっぽを向いたような花たちが好きだった。どこか照れたように傾いだ様が、あまりにいじらしくて。



「カレーヌ、青い流れ星を見たことはあるかしら?」



 私はチラリと隣を見て、ふと思い立ち、訊いてみたの。

 彼女は白磁の艶を帯びた顔を傾けて、こう答えた。



「幼子の頃に一度だけ……でも幼かったから、あまり覚えていないわ」

「そうなのね。私は、くっきり覚えているわ。本当に美しいのよ」

「ぜひ見てみたいわ。きっと、美しいのでしょうね」

「ええ。地上に接ぐ絶景なんて比較にならないくらいよ」

「力の弱いあたしでも、いつか見られるかしら」

「もちろんよ。いつか、きっとね」



 ──きっと、

 ……いつか、

 カレーヌも、それから私もこの言葉をこっそり反芻していた。


 あれは、彼女と会う30年前だったかしら。

 まだ魔女にとって不吉な狼煙が絶えず焚かれていた頃。

 幾度目かの空を賑わせる報せを耳にして、私は麓の町を越えた小国の貧しい村で、それを見たことがあるの。


 今から思えば、とても危険な状況での外出だったわ。

 気分転換をするつもりで、半分は自棄を起こしていたのね。


 そして、私はある人と出会った。



 真昼でも月と一等星と、それらを取り巻く星々が、肉眼でハッキリと見えるほどに煌煌とし、空と山の丘陵の境がくっきりと浮かび上がるほどに空気は澄み渡り、天候の天晴れにすべての海が機嫌を良くして凪いでしまうという────。



 見慣れぬ来訪者に快く食事を提供してくれた宿の亭主に、料金より多めのお金を渡すと、余分は情報料にしとくよと言って、その話をしてくれたの。


 そう。人里に伝わるとおりだったわ。

 条件さえ揃えば、各地で見られる現象だった。

 数百年に一度の彗星とは違う。


 早くても2年経てば見られるだろうし、その後も10年程度で再来する可能性は充分にある。毎度観測される場所が異なるだけで、極めて珍しいわけでもない。


 誰しもが、一生のうちに必ず一度は体験する、美しい夜空からのギフト。

 でもカレーヌに、それが与えられることは無かった。


 力が弱いために、旅ができなかったの。

 各地に散った魔女の集落に行けば、多少は援助を受けられるかもしれない。きっと、力の施しも惜しまないでしょう。

 けれど魔女狩りの話を聞かなくなってから20年が経ち、魔女たちは既に自らの住処を守ろうと力を合わせて強力な結界を張っていたわ。


 せめて人里に紛れることが出来たなら……でも彼女は、私ともう一人の旧友とで力を編み込んで作ったローブを脱ぐことはできなかったの。

 脱いでその身を曝してしまったが最後、カレーヌは自身の身体を保つことが出来なくなり、やがて闇色の靄と成り果ててしまう。


 そうなった魔女に待つのは、風にさらわれ消滅していく、寂しくも虚しい最期なのよ。

 手のひらに乗せた砂粒のように、刹那の別れしか許されない。


 彼女自身が持つほんの僅かな力で、身体を保つことができるのは、魔女の村だった白木蓮の林の付近だけなの。

 だから私の愛しい旧友は、遠くへ行くことはできない。

 魔女カレーヌにとって、その場所から離れるというだけで危険な冒険になってしまうのよ。



「昔噺をしてもいいかしら?」



 1本の白木蓮の樹を見上げる後ろ姿に話しかけると、カレーヌは弾かれたように私を見たわ。

 その肩に垂らしていた宵闇色の艶髪が、振り返った拍子に背中へと流れていった。



「ええ、もちろんよ」



 旧友は、幾つもの伝承を気の昂ぶるままに語る私の噺に、いつも目を輝かせてくれたわ。



「今日はどんな御噺をしてくれるの? ジェシカ」

「そうね。それなら……青い流れ星の伝説、なんてどうかしら?」



 私も彼女も大好きな、生まれる前から魔女の村にだけ伝わる噺を。



「ぜひ聞きたいわ。あたしにも、青い流れ星をちょうだいな」

「まあ可愛らしい。あなたって、ほんとうに素敵な友人ね」



 少女のようにおねだりをする彼女に、その柔らかい頬を指先でつつきながら、私も大袈裟に目玉をぐるりと回してみせた。


 ふたりして戯けて、クスクスと笑って。

 まるで拙いイタズラの計画を立てていた、幼い頃のよう。



「これは、……この伝説はね」



 ──互いに好き合って生き別れた、あるいは死に別れてしまった愛しい誰かと、もう一度だけでも逢いたいと希うことを伝えるための噺なのよ。


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