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真理の誓い 〜ハンミルの伝説〜   作者: カーディナル
第一巻 その名は。
1/16

プロローグ

 




暑すぎず寒すぎず、心地よい気温。

照り付ける太陽は暑いくらいなのに、吹き抜ける風が冷たくてバランスが取れた日だった。

大きな木の傍にある敷物。

そこに、三人の子供が座っていた。


「私たちの住んでいるハンミールは、ゴーレム様によって作られ、守られ、育まれた大陸なのよ」


 三人の中で一番大きな子供、ランがそう言うと、彼女の弟妹であるリンとリナは不思議そうな表情を浮かべた。

白い着物に赤い袴。

オーソドックスな巫女服を身にまとったランは、ここ、サオリの巫女だ。

年は十三。

巫覡の血筋に生まれたために幼い頃から修行を積んではいたけれど、正式に巫女になったのは十三歳の誕生日。

つい四日前のことだ。


「ゴーレム様?」

まるで聞き慣れない言葉を反駁するように呟いたのはランの妹のリナ。

年はまだ四つの、甘えたい盛りの女の子である。

今も、巫女としての講義の内容よりも、講師役の姉、ランの膝に乗るタイミングを窺っている。

リナが虎視眈々とランの膝を狙っている横で、ごそり、と影が動いた。


「こらっ、リン!」


影の正体は、講義から逃げ出そうとした弟のリンだ。

ランは、リンの首根っこをすかさず捕まえる。

ランの弟でリナの兄であるリンは、六歳。

大人しく座って講義を受けるよりも、野山を駆け回りたい年頃であることは確かだ。


「ちゃんと真面目に聞く!」


普段は年の離れた弟妹に甘いランだが、さすがにこの講義ではそういうわけにはいかない。


「リン、わかってるの? 十三歳になったらあなた、禰宜になるのよ?」


まったく、とランが嘆息したけれど、リンはランに首元を掴まれたまま、逃げ出そうとバタバタと暴れた。


「もー、わかった、わかったから。今日はもう、ゴーレム様のお話をしたらおしまいにするから。だからそれまで、ちゃんと聞いてなさい!」

「ちぇっ。わかったよ。はやく喋って」

「お話聞くなら、リナはお姉ちゃんのお膝がいいっ!」

トテトテと駆け寄ってきたリナが膝の上に乗ると、ランは困ったように溜息を吐いた。

「私がお母さんに講義を受けてた頃は、こんな風に困らせたりしなかったわよ」


そんな風に小言を言いながらも、ぷにぷにと柔らかなふたりの頬をつついてしまうランにも問題はあるだろう。


「じゃあふたりとも、ちゃんと真剣に聞くのよ。明日、試験をするからね」


リンが「ゲッ」と呻くのと、リナが「やったー!」と歓声をあげるのは同時だった。

試験の成績がよかったら夕食に好きなものが出てきて、悪かったら嫌いなものが出てくる。

ランが面白半分ではじめたそのルールは、なかなかに効果があるようだ。


「はいはい。ちゃんとお姉ちゃんの話を聞いていれば、難しい内容じゃないわ」


ランは膝に抱いたリナの髪を撫でながら、同じ言葉を繰り返した。


「私たちの住んでいるハンミールは、ゴーレム様によって作られ、守られ、育まれた大陸なのよ」

「お姉ちゃんは、バウ様の巫女なんだよね」

「えぇ、そうよ」

「バッカみたい。ゴーレム様なんて、いないじゃん」


ちぇっ、と舌を打ったリンの頬を、ランは両手でむにゅりと潰した。


「いないはずがないでしょう? ゴーレム様は、眠っていらっしゃるのよ」

ランは敷物に座ったまま、上半身だけで背後を振り返った。

その視線の先には、ぽっかりと口を開けた洞窟がある。

この洞窟の奥に、バウ……岩を司るゴーレムの眠る社がある。


「ハンミールの資材はすべて、ゴーレム様たちが与えてくださったものよ。岩のゴーレム様は岩を、木のゴーレム様は木を、水のゴーレム様は水を。それぞれ司っておられて、私たちが生きていくために資源を生み出してくださっているの。ゴーレム様たちは私たち人間やこの世界を守ってくださる存在でもあるから、世界の守護者、とも呼ばれているわ」


サオリは岩のゴーレムであるバウが眠る地だ。

宝石や鉱石など、石にまつわる資源が豊富にある場所である。

「ある日のことよ。理由はなにもわかっていないけれど、ゴーレム様たちは一斉に深い眠りにつかれたの」


「眠かったんじゃねぇの?」




からかう口調のリンに、ランは穏やかな声で「そうねぇ」と相槌を打った。




「ハンミールの生まれたその時からずっと、私たちのために頑張ってくださっていたのだもの。疲れて眠たくなってしまっても、仕方がないわよね。……一斉に、と言ったけど、ゴーレム様たちは一緒に眠ったわけではなくて、ハンミール中の色んな場所で散らばって眠ったのよ」




「それが国になったって話だろ? もう聞き飽きたよ」


「あら。じゃあ明日はきっと満点ね」




つん、と唇を尖らせたリンに自信がないことを見抜いて、ランはクスクスと笑う。




「ゴーレム様が眠られてから三十年程は、平和な日常が続いていたわ。資源を多く残してくださったこともあって、生活に不安もなかったそうだし。……でも。ある人が、声をあげたの。すべてのゴーレ


ム様が同時に、それもこんなに長時間眠っているだなんておかしい、と。そしてその人は、こうも言ったわ。ーーこのままゴーレム様が目覚めなければ、いつか資源は尽きて人間は生きていけなくなってしまう」




サッ、とリナの顔色が悪くなるのに目敏く気付いたランは、リナを安心させるように優しくその背を撫でた。




「お姉ちゃん。人間は本当に、生きていけなくなっちゃうの……?」




不安そうな瞳で見上げられて、ランはそんな場合ではないとわかっていながら、少し笑ってしまった。


リナと同じくらいの年の頃、ランもリナと同じことを母に聞いたのだ。


あの時、母がクスクスと笑った理由が、ようやくわかった気がした。




「いいえ、大丈夫よ。ゴーレム様は眠っていても、こうして私たちに生きていくために必要な資源を与えてくださっているわ。でも、ずっとずっと昔のお話だもの。今のリナのように不安を感じた人たちは、思ってしまったの。ーー少しでもたくさんの資源を自分のものにしないと、とね」


「独り占めはダメっ!」




「えぇ、そうよね。でもその頃はみんな、岩を、木を、水を、色々なものを独り占めすることに一生懸命だったの。たくさん血が流れたわ。たくさんの命が失われてしまった。百年が経つ頃には、ハンミールの人口はゴーレム様が眠る前と比べると半分にまで減っていたという話よ。そしてようやく少しだけ冷静になれた人たちは、殺し合って奪い合うのをやめることにしたの」




「なんでもっと早く気付かなかったんだろうね」




リンの問いかけに、ランは「うーん」と唸った。


かつてランがそう聞いた時、母は笑顔で「人間が愚かだからよ」と答えたけれど、それを聞いた時にショックを受けた身としては弟に同じことを言いたくはない。




「じゃあ、どうしてだったのか考えるのが明日までの宿題ね」


「ゲッ」




質問をしたせいでーーリンとしては感想を言っただけで質問のつもりもなかったかもしれないーー宿題が増えたと悟ったリンが眉を顰める。




「そのあとは、リンが言った通りね。ゴーレム様の眠る地を中心として国を興して、お互いの国の資源の強奪を禁じたのよ。それを大前提とする不戦協定……つまりは、他の国の資源を勝手に奪わないことを約束する代わりに戦わない、っていう約束をしたの。だから今、ハンミールでは争いがないのよ」




それがあくまで表面上のことで、実際は水面下で虎視眈々と資源を狙っている国々が、裏切り者になりたくないがゆえに牽制しあって駆け引きをしている冷戦状態であることはさすがに六歳児と四歳児相手には告げないでおく。




「そして、小さな国々が同盟を組み合って、ゴーレム様たちが眠られてから千年かけて今のハンミールになったの」


「お姉ちゃん、同盟ってなぁに?」


「あなたが困ったら助けに行くから、私が困ったら助けてください、っていうお約束をした国同士のことよ。例えばサオリで困ったことが起きたら、ミリネやバンディソールが手を貸してくれていることになっているわ」




サオリ、ミリネ、バンディソールなどの同盟国から成るのが、大地連邦国だ。


比較的温和な人間の多い大地連邦国の中でも、とりわけ静かで平和だと言われているのが、ランたちの生まれ育った国、サオリである。




「はい、じゃあお約束通り、これで今日の講義はおしまい! っていっても、今日はお祭りの準備があるから邪魔にならないように外で走り回って遊んじゃ」

駄目よ、と言うつもりだったランの言葉は尻すぼみに消えてしまった。

目の前にいたはずの、リンがいないのだ。


「り、リナ……? リンは、どこに行ったのかしら?」

恐る恐る、ランは自分の膝の上のリナに問いかけた。


「お姉ちゃんが講義はおしまいって言ったから、走って行っちゃったよ」

「まったく、あの子は!」


ランが額に手を当てると、ペチン、と間の抜けた音がした。


「リナ。邪魔にならないように、この洞窟で待っていて。お祭りがはじまる頃に迎えに来るわ」

「わかった! リナ、いい子に待てるよ!」

ニコニコと太陽のように笑うリナの頭を撫でてから、ランは膝に乗っていたリナを敷物の上に降ろして、立ち上がった。

「さぁて。おじさんたちに怒られる前に連れ戻さないと!」

サオリで一番の悪戯坊主、なんて呼ばれているリンは、なんだかんだと周りに可愛がられている。

けれど、祭りの準備に追われる中でいつものように悪戯をしかければ、大目玉を食らうこと間違いなしだ。


「行ってらっしゃい、お姉ちゃん!」


ランは手を振るリナに見送られながら、獣道を下った。

講義をした社のある洞窟は、山の中腹にある。

ほとんど整備はされていないが、ランにとっては幼少期から通い慣れた道。

いまさら足が迷うことはない。

あっ、という間に、ランは麓の里に辿りついた。

リンやリナでもひとりで来られる程度の距離しかないのだ。

慣れたランであれば、簡単に辿り着く。

山の麓は、珍しいほどの活気に満ち溢れていた。

サオリあげての年に一度のお祭り。

山の中腹にある洞窟の奥にある社で眠るバウに感謝を捧げる祭りだ。

名前はそのまま「バウ祭り」である。

サオリはバウのおかげで上質な鉱石が採れる地。

祭りでは、サオリの山で取れた鉱石を使って打った剣の大会や、宝石の美しさを競う大会が開かれる。

優勝した作品は、感謝をこめてバウの社に献上されることになっている。

優勝以外の作品は、大会後に購入者を募るのが恒例だ。

優勝すると、名誉はあれど金はない。

優勝せねば、名誉はなけれど金はある。

誰かがふざけ半分で言い出したそれは、不適切だなんだと言われてはいたけれど、真理でもある。

今日はまだ前夜祭だというのに、道の脇には屋台が所狭しと並んでいる。

ふわり、と香る美味しそうな匂いに、ランの腹の虫が思わず反応を示す。


「ダメダメ、我慢我慢。先に私がひとりでなにか食べようものなら、うちの食いしん坊ふたりが黙ってないわ」


ランが、今にも鳴りだしそうなお腹に言い聞かせるようにわざと声に出してそう呟いてみると、まるで「わかった」とでも言うように腹の虫が落ち着いてくれた。

とにかく、なにもかもが、リンを見つけてからの話だ。

幼い男の子特有の時期なのか、里中にいくつも隠れ家を作っているリンの行動範囲は計り知れない。


「おや。ランちゃんじゃないか。リンを迎えに来てくれたのかい?」


ランにそう声をかけたのは、鍛冶屋のおじさんだ。

上質な鉱石がよく採れるサオリには鍛冶屋が多いが、誰に聞いても間違いなくサオリ一の鍛冶屋は彼だと答えるだろう。

バウ様のお恵みくださる鉱石のおかげさ、なんて謙遜しているけれど、打った剣はランの知る限りは毎年優勝を飾り、バウに献上されている。


「えぇ、そうなの。なにか迷惑をかけた?」

「なぁに。ものすごい勢いで走っていくリンを見た観光客が驚いて転んだぐらいだ」

「それは結構な大問題よ? まったく、あの子は。走るなら山の中にしなさいっていつも言っているのに!」

わざと怒ってみせたランに、おじさんはケラケラと笑った。

「まぁまぁ。でも、そうだね。リンは早く捕まえた方がいい。屋台をひっくり返した、なんてことになる前に」

「えぇ、まったく……リンっ!」

ランはようやく視線の先に捉えたリンの姿に、挨拶もそこそこに再び駆け出した。



 祭り特有の高揚したサオリを駆けながら、リンは浮かぶ笑顔を隠し切れなかった。

 見慣れない人がいる。

 見慣れない屋台がある。

 見慣れているはずの人も、リンにとっては見慣れない、少し上質な服を着ている。

 なにもかもがいつもとは違って、それがリンをますますワクワクさせていた。


「こりゃ、リン! ランの講義はちゃんと終わったのかい?」


 恰幅のいいおばさんが、駆けていくリンへと叫ぶ。


「ちゃんと終わったよ! ゴーレム様の話を聞いたんだっ!」

 リンは足を止めないままに、そう叫び返した。

「まぁた、あの子は落ち着きがないねぇ」


 大人たちの足の間を縫うように駆けるリンの背中に、そんな小言が投げかけられる。

 呆れたような口調の割にその口許が弧を描いていることを、リンは知っていた。

 リンはこの国が好きだった。

 サオリは国と呼ぶのも烏滸がましいほど、小さな領地だ。

 人によっては自虐のように「サオリ村」なんて呼ぶ者もいる。

 バウが眠ると言われている岩山を中心とした、全員が顔見知りの小さな集落。

 それが、ハンミールで一番平和で穏やかだと言われている、サオリ国だ。

 リンは、この国が好きだった。

 旅人に強請って話してもらった、国中が湖に囲まれているという美しい大国の話も面白かったけれど、リンの大好きなサオリには敵わない。

 バウの岩山に太陽がかぶさって国を照らす朝焼けの時間は、息をするのを忘れるほどに美しいのだ。


「ちょいと、リン! あんた、いったいどこに行くつもりだい? 前夜祭に悪戯は勘弁しとくれよっ?」

「大丈夫、俺、いい子だからッ!」

「誰の話をしてるんだいっ!」


 道行く人々が、リンに気付き、声をかけてくれる。

 リンは冗談めかして答えながら、笑いに包まれた人の道をさらに駆けた。

 不意に、リンの視界の隅を白いものが過った。

 チロチロと動くそれが気になってそちらに視線を向けると、リンの両手で包みこめそうなくらいの小さな白い生き物がいた。

 右へ、左へ、少し前へ出て、すぐに飛び退く。

 小さな小さな、リンよりもずっと小さなその生き物は、周囲の大人たちに踏まれないように必死に頑張っているようだった。

 大きさは随分と小さいが、耳や尻尾の形はキツネのものだった。

 ふと、その足に黒々とした棘が刺さっていることに気付いたリンは、待って! と声をあげてそのキツネを追うように駆け出した。

 追われていることに気付いたのだろうか。

 大人の足を避けることに尽力していたはずのキツネは、慌てたように逃げ足を早めた。

 いつも山を駆け回っているリンは、同じ年頃の子供より足が速い。

 それでも、チョロチョロと逃げるキツネとの距離は縮まらなかった。

 幸か不幸か、キツネはサオリのはずれの方へと駆けていき、だんだんと周囲に人の影は減っていく。


「リンー! あんまり遠くへ行くんじゃないよ! じきに暗くなるからね!」


 背後から背を追うように聞こえるおばさんの声に「はぁい!」と返事をして、リンは人通りの少なくなった田舎道を、キツネを追ってひた走る。

 太陽はまだ明るいけれど、まだ夏のように日は長くない。

 走っても走っても一向に縮まらない差に、リンは癇癪を起こしたように「もー!」と叫んだ。

 もちろん、叫んだところで距離は縮まらない。


「仕方ないなぁ……!」


 リンは足を止めて、地面へ両手両膝を付いた。

 まるで項垂れているかのような体勢だ。

 リンの足音が止まったからか、キツネは様子を窺うように足を止めてリンを見ていた。

 地面にぺったりと付けた両掌に、意識を集中する。

 ジンワリと、掌に温かさが巡っていく。

 そして。

 カタカタと、リンの手の周りに落ちている小石が震えた。

 コロコロと転がるように集まって来たその小石たちは、あっと言う間もなく、小さな犬の形に形成される。

 ほんの十秒で、四足で立ってリンの膝ほどの大きさの石造りの犬がそこに現れた。


 石造りの子犬と小さなキツネの追いかけっこは熾烈を極めた。

 極めすぎて、巻きこまれた観光客が何人か転んでしまっている。

 ランに捕まったら長いお説教が待っていそうだ……と思ってもやめられない。

 すばしっこさはキツネに軍配が上がるけれど、頭の良さは子犬の方が上らしい。

 追い詰めるその先に袋小路があることに気付いて、リンは子犬の冷静な判断に舌を巻いた。

 幾度目かの子犬の飛びつき攻撃を、キツネはひらりと躱したけれど、それこそが子犬の狙いだったのだろう。

 キツネはまんまと袋小路に追い詰められてしまった。

 足を怪我しているから助けないと。

 そう思って追いはじめたはずなのに、いつの間にか追いかけっこに夢中になっていたことを少しだけ申し訳なく思いながら、リンはついにキツネを捕まえようと一歩を踏み出した。

 キツネは子犬を見ていた。

 濡れそぼった真っ黒な瞳に、ゆらゆらと青い炎のような光が浮かんでいる。

 唸り声こそ出ないものの、姿勢を低くして子犬を見つめるその姿に隙はない。

 さて、追い詰めたはいいけれど、ここからどうやって捕まえようか。

 脳内で算段を立てていたリンは、突如として襲ってきた痛みに「ぎゃっ!」と悲鳴をあげた。

 突き抜けるような痛みに、どこが痛いのかもわからない。

 少しだけ左に傾いた頭をまっすぐに戻そうとしたタイミングで、リンは自分の右耳がなにかに引っかかっていることに気付いた。

 痛みを感じていたのは、どうやら右耳のようだ。

「りーんー? あなた、いったいどういうつもりなの?」

 耳に馴染んだ声が少し上から聞こえて、リンは「ゲッ」と呻いた。

 読みたくないのに読めてしまった状況に、リンはそっと右手で右耳に触れてみた。

 ……予想通り、リンの耳は何者かの指に寄って摘まみ上げられている。

「その力は、キツネさんに意地悪するためのものじゃないのよ、リン」

 いつもよりも少し厳しいランの声に、リンは耳を引っ張られたまま、反省が態度で伝わるように両手をあげた。

 耳を引っ張られたままだと、頭を下げることだってできない。


「わかってるよ。でも、なかなか追いつけなくて、つい……」


「まったく」


 やっとのことで、リンの耳が解放された。

 ランの指が離れてもなお、ジンジンとした熱いような違和感が残っている。


「そもそも、なんでキツネさんをいじめたりしたのよ」


「いじめたりしてないよ! ただ……キツネさん、足に怪我をしてたから、手当をしてあげたくって」


「んー……?」


 ランが身を乗り出すようにしながら、石造りの子犬と睨み合っているキツネをマジマジと見つめた。


「確かに、足に棘が刺さってるみたいね。でも、だからといって、国中をひとりと一匹で駆けまわるだなんて、いくらなんでも非常識よ。今日は他国からの来賓の方も多くいらっしゃっているのに、怪我でもさせたらどうするの」


 サオリは、大地連邦国の中でも領土が小さい国だ。

 ここまで上質な鉱石や宝石の採れる場所は他にはないため優遇されているが、それでも領土の小ささからサオリを軽んじる国も存在する。

 もし、そんな国の使者に怪我をさせたりしたら問題になるだろう。


「そもそも、怪我してる子を追いかけてさらに走らせるなんて。少し、頭を使いなさい」

 ランが地面に手をつくと、リンの時と同じように小石が震えだし、あっと言う間もなく石造りの牢がキツネを捉えた。

 よくよく見れば、それがキツネの上に覆いかぶさる大きな犬のような姿であることに気付くだろう。

「姉ちゃん、すげぇ!」

 目をキラキラと輝かせて絶賛する鈴に、ランは苦笑を浮かべながら静かにキツネへと歩み寄った。

「足の棘を抜くだけよ。少し、触らせてちょうだいね」

 宥めるようにそう囁いて、ランはキツネの足に刺さる黒い棘をそっと抜き去った。

「このまま放っておいたら、化膿してしまうわ。リン、先に帰ってお湯を沸かしておいてくれる?」

「わかった!」

 

ランがキツネの手当てをしてくれるのだと気付いたリンは、一足先に準備をするために家へ向かって駆け出した。


 ランがキツネを抱き寄せるために両手を伸ばすと、大きな犬はランの動きを補助するように体を動かし、ランがキツネを抱え出せる隙間を作った。

「家で手当てをするわ。もう少しだけ、大人しくしていてちょうだいね」

 柔らかな毛並みをそっと撫でると、キツネは大人しくその身をランに委ねた。

 言葉を解するほどに頭がいいのか、それともリンとの追いかけっこで疲れ果ててしまったせいで逃げる気力もないのか。

 どちらかはわからないけれど、大人しくしてくれるのならば構わない。

 リンがキツネを胸に抱いて立ち上がると、音もなく大きな犬はバラバラの小石に戻る。

 ランは右手の甲で汗の滲む額を拭った。

 この力こそが、ランたちが巫覡の血筋である証明だった。

 石で意思のある傀儡……つまりはゴーレムを作り、操ることができる。

 それが、バウの巫覡としての素質。

「リンは、気付いてないんでしょうね……」

 歩き出しながら、ランは呟いた。

 胸の中のキツネは、なにを? と問いかけるように首を傾げて見せている。


「この力はね、私たちの血筋の者は大なり小なり誰でも使えるものなの。……でも。本当に素質のある者以外は、体に酷く負担がかかってしまうのよ」


 キツネはもう一度、首を傾げた。

 人語を解するわけもない。

 きっと、小首を傾げるような仕草がこのキツネの癖なのだろう。

 そうと知りながらも、つい、説明口調で語りかけてしまったのは、キツネのランを見上げる潤んだ瞳が、リナのものに酷似していたからかもしれない。


「お母様もそうだったけれど……今生き残っている一族で、本当に素質があるのはあの子だけ。……っと、ごめんなさいね。早く家に戻って手当をしましょうね」


 ランはキツネを撫でてやりながら、足を速めた。

 幸運にも、家はそう遠くはない。

 家の前には、ブンブンと大きく腕を振っているリンの姿が見える。

 どうやらお湯を沸かし終えて、ランとキツネの帰宅を待っていたらしい。


「遅いよ、姉ちゃん!」

「ごめんごめん」


 ランはリンが開いてくれた扉を潜って家に入った。

 桶の中には白い布があり、湯気のたつ熱湯に沈められているようだ。

 一番のヤンチャ坊主であるために手当を受けた経験の多いリンは、ランの指示がなくとも手当の準備くらいはできるらしい。

 ふふん、と誇らしげに胸を張るリンにお礼を述べながら、ランはキツネを床に寝かせ、熱湯で消毒した治療道具を使って丁寧に足の傷を手当していく。

 ただ棘が刺さっただけにしては傷が大きいのは、恐らくリンが追いかけ回したせいだろう。

 ……リンは純粋に心配して追いかけたのだろうことはわかっているので、指摘はしないことにする。

 仕上げに包帯を巻いてやって、ランは「よし」と頷いた。


「これで大丈夫よ。元気になるまで、うちにいなさい」

 ランの言葉に、キツネは微かに頷いたように見えた。

 不意に、破裂音が耳に届いた。


「花火だっ!」

 リンが弾かれたように窓へと駆け寄って空を見上げた。

 ついさっきまで昼の空だったというのに、いつの間にか空の色は薄暗くなっている。


「あら、もうこんな時間? この時期は夕暮れが短いわね」

 薄暗い空を彩る、大輪の花。

 バウ祭りの前夜祭でだけ見られる、年に一度の花火だ。

 窓に噛り付くようにして空を見上げるリンにランは微苦笑を浮かべた。


「じゃあ、リン。少しお留守番していてね」

「えっ? 姉ちゃん、どっか行くの?」

「誰かさんが勝手にいなくなったせいで山の中に置いてけぼりにされた可愛い妹を迎えに行かなくちゃ」

 ランの言葉に、リンはバツが悪そうに視線を逸らした。


「じゃあ、行ってくるわ。もう花火の時間なんだから、ひとりで外に出ちゃ駄目よ」

 バウに感謝を捧げる祭りとはいえ、大人たちにとっては酒を呑む恰好のチャンスだ。

 前夜祭では、花火を眺めながら酒を呑みだすおじさん連中が多い。

 そして酔いが回って、花火がなくとも楽しく呑めて……翌日に酒が残って奥さんに叱られるまでが一連の流れである。


 ランがキツネを抱き寄せるために両手を伸ばすと、大きな犬はランの動きを補助するように体を動かし、ランがキツネを抱え出せる隙間を作った。


「家で手当てをするわ。もう少しだけ、大人しくしていてちょうだいね」

 柔らかな毛並みをそっと撫でると、キツネは大人しくその身をランに委ねた。

 言葉を解するほどに頭がいいのか、それともリンとの追いかけっこで疲れ果ててしまったせいで逃げる気力もないのか。

 どちらかはわからないけれど、大人しくしてくれるのならば構わない。

 リンがキツネを胸に抱いて立ち上がると、音もなく大きな犬はバラバラの小石に戻る。

 ランは右手の甲で汗の滲む額を拭った。

 この力こそが、ランたちが巫覡の血筋である証明だった。

 石で意思のある傀儡……つまりはゴーレムを作り、操ることができる。

 それが、バウの巫覡としての素質。


「リンは、気付いてないんでしょうね……」


 歩き出しながら、ランは呟いた。

 胸の中のキツネは、なにを? と問いかけるように首を傾げて見せている。


「この力はね、私たちの血筋の者は大なり小なり誰でも使えるものなの。……でも。本当に素質のある者以外は、体に酷く負担がかかってしまうのよ」


 キツネはもう一度、首を傾げた。

 人語を解するわけもない。

 きっと、小首を傾げるような仕草がこのキツネの癖なのだろう。

 そうと知りながらも、つい、説明口調で語りかけてしまったのは、キツネのランを見上げる潤んだ瞳が、リナのものに酷似していたからかもしれない。


「お母様もそうだったけれど……今生き残っている一族で、本当に素質があるのはあの子だけ。……っと、ごめんなさいね。早く家に戻って手当をしましょうね」


 ランはキツネを撫でてやりながら、足を速めた。

 幸運にも、家はそう遠くはない。

 家の前には、ブンブンと大きく腕を振っているリンの姿が見える。

 どうやらお湯を沸かし終えて、ランとキツネの帰宅を待っていたらしい。


「遅いよ、姉ちゃん!」

「ごめんごめん」


 ランはリンが開いてくれた扉を潜って家に入った。

 桶の中には白い布があり、湯気のたつ熱湯に沈められているようだ。

 一番のヤンチャ坊主であるために手当を受けた経験の多いリンは、ランの指示がなくとも手当の準備くらいはできるらしい。

 ふふん、と誇らしげに胸を張るリンにお礼を述べながら、ランはキツネを床に寝かせ、熱湯で消毒した治療道具を使って丁寧に足の傷を手当していく。

 ただ棘が刺さっただけにしては傷が大きいのは、恐らくリンが追いかけ回したせいだろう。

 ……リンは純粋に心配して追いかけたのだろうことはわかっているので、指摘はしないことにする。

 仕上げに包帯を巻いてやって、ランは「よし」と頷いた。


「これで大丈夫よ。元気になるまで、うちにいなさい」


 ランの言葉に、キツネは微かに頷いたように見えた。

 不意に、破裂音が耳に届いた。


「花火だっ!」


 リンが弾かれたように窓へと駆け寄って空を見上げた。

 ついさっきまで昼の空だったというのに、いつの間にか空の色は薄暗くなっている。


「あら、もうこんな時間? この時期は夕暮れが短いわね」


 薄暗い空を彩る、大輪の花。

 バウ祭りの前夜祭でだけ見られる、年に一度の花火だ。

 窓に噛り付くようにして空を見上げるリンにランは微苦笑を浮かべた。


「じゃあ、リン。少しお留守番していてね」


「えっ? 姉ちゃん、どっか行くの?」


「誰かさんが勝手にいなくなったせいで山の中に置いてけぼりにされた可愛い妹を迎えに行かなくちゃ」


 ランの言葉に、リンはバツが悪そうに視線を逸らした。


「じゃあ、行ってくるわ。もう花火の時間なんだから、ひとりで外に出ちゃ駄目よ」


 バウに感謝を捧げる祭りとはいえ、大人たちにとっては酒を呑む恰好のチャンスだ。

 前夜祭では、花火を眺めながら酒を呑みだすおじさん連中が多い。

 そして酔いが回って、花火がなくとも楽しく呑めて……翌日に酒が残って奥さんに叱られるまでが一連の流れである。



 リンはキラキラとした目で花火に見入っていた。

 生まれてからずっと毎年見ているけれど、未だに飽きない。

 リンの目から見るランは、リンやリナほどははしゃいでいないから、リンもランの年になる頃にははしゃがずに見られるようになるかもしれない。


「……あれ?」


 リンは窓から身を乗り出すようにして空を見上げた。

 なにかが、おかしい。

 リンの知っている花火は、夜空に向かって一直線に高く上がっていき、そして大きく弾けて花を咲かせる。

 ヒュー、バーン、という音は、花火のそんな動きをよく表している。

 だが、おかしい。

 たくさんの花火の中、ほんの二、三発が、一直線には上がらず、フラフラと蛇行しているように見えたのだ。

 そんな動きをする花火、リンは今まで一度も見たことがない。

 ランならば知っているかもしれないが、今はリナを迎えに行っているために、この家にいるのはリンだけだ。

 失敗作なのか、それとも今年の新作なのだろうか。

 ますます身を乗り出したリンは、もうひとつ、おかしなことに気付いた。

 火の玉が、だんだんと大きくなっていくのだ。

 普通の花火は空高くへと打ち上げられるので、火の玉はだんだんと小さくなっていくように見える。

 それなのに、挙動のおかしな花火は、だんだんと大きくなっていく。

 ……つまり、近付いてきているのだ。

 リンがそれに気付いたのとほとんど同時だった。

 突然、リンの目の前が赤く明るくなって、そして右の頬に真夏の太陽のような熱を感じた。

「えっ……?」

 リンが右に顔を向けると、そこには大きな火柱があった。

 三軒隣の家が焼けているのだ。

 状況はわかったが、理解まではできていない。

 リンは窓から身を乗り出して顔を右側に向けたまま、硬直した。

 燃え盛る家を見ていることしかできなかったリンの時間を再び動かしたのは、後頭部に感じた熱さだ。

 振り向いた先で、五軒隣の家が燃えているのが見えた。

 ようやく、状況に頭が追い付いてきたのだろうか。

 洪水のように、大量の音が耳に流れこんできた。

 悲鳴、怒号。

 逃げ惑う人々が、リンの目に映る。

 花火職人たちも、この状況で職務をまっとうすることができなかったのだろう。

 新たな花火は打ち上がらず、代わりに、再び飛んできたおかしな挙動の火の玉が、家を燃やしていく。

 近所の家々からは、大勢の人々が飛び出してくる。

 家の中にいると、家が燃えてしまったら逃げられない。

 リンも、周りの大人たちに倣うように家を出ることにした。

 丸くなって眠っていたはずのキツネの姿はなくなっている。

 大きな音に驚いて逃げてしまったのかもしれない。

 一際大きな爆発音がして、窓の外がカッと明るくなったのがわかる。

 リンは焦りながらも、しっかりと靴を履いた。

 そして、ようやく玄関を開けてーー絶句した。

 地獄のような光景が、目の前に広がっていた。

 黒焦げで折り重なっているあれは、人間、なのだろうか。

 あちらも、こちらも、燃えている家がいくつも見える。

 平和な国だった。

 大地連邦国の中でも、とりわけ穏やかな国だった。

 そんな、サオリが。

 リンが呆然と立っている間にも、家は燃えて、人々は苦しんでいる。

「なんだ、あれ……」

 リンの視界に映ったのは、手だった。

 大きさは普通ではない。

 その掌には、大人五人くらいは悠々と乗ってしまえそうだ。

 それでも、その形は確かに「手」としか形容できなかった。

 赤く燃え滾る、大きな手。

 その手から舞う火の粉が、火事をさらに激しいものにしていた。


「……ねえ、ちゃん」


 リンの口から出た、縋るような声。

 そして自分の声に、リンはハッとした。

 ランはこの国の巫女だ。

 なにかあった時に国民を守るため、巫覡の血筋は特殊な力を持っている。


「姉ちゃんっ!」



 リンは駆け出した。

 目指す先は、山の中腹にある洞窟。

 きっとそこに、ランとリナはいる。







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