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肆ノ章 決意

 修学旅行から帰ってきて一週間か経った。

 あれから襲われた時のことが頭から離れない。

 それなのに、甘楽とは全く話ができなかった。


 甘楽にそっくりなあの男。

 その男と同じように、甘楽も不思議な術を使っていた。

 気にはなるものの、どう話を切り出していいのか分からず、話しかけられずにいた。

 モヤモヤとした何かが胸の中でくすぶっている。

 それを吐き出すことも消化することもできず、ひとり悶々としていた。


 ただ、あの男が言った言葉がずっと胸に刺さっている。

『どんなにみじめな思いをしようと生にしがみつけッ! 簡単に命を捨てるなッ!』

 俺もあんな風に強くありたい。


 でも、何をしたらいいかなんてわからない。

 だからと言って誰かに相談できるわけもなくて。

 甘楽と少しだけでも話ができればいいのに、どういうわけだか同じクラスだというのになかなか話す機会がない。


 というより、これまで人と関わろうとしてこなかったから、どう話しかけていいのかすらわからない。

 仕方なく図書館に行って調べてたら、思いのほか遅くなってしまった。

 図書館を出た時はまだ西の空は明るかったのに、オレンジ色の空は急速に幕を下ろすように黒く染まっていく。


 自然と歩く速度が速くなる。

 やっぱり夜は苦手だ。

 今夜は月が雲に隠れているから余計に暗い。

 頼りない街灯の明かりが、道路に影をうっすらと映し出す。


 すると、不安を見透かしたように、足元の影がゆらりと揺れた。

 怯えた心が自分の影すら怪しいものに見せているのかと、気丈にそのまま歩き続けていた。


 けど、突然、歩いていた足を掴まれた。

 その場につんのめりそうになるのを堪え、足元を見た。

 すると、細く骨ばった黒い手が、自分の足を掴んでいて、思わず叫びそうになった。

 かろうじてそれを飲み込んだが、ゾワッと背筋が寒くなった。


 いつもなら弱気になる所だが、今日は違う。

 甘楽のように消滅させることはできないけれど、逃げ切る事はできるはずだ……いや、逃げ切って見せる。

 どんなにみっともない姿であろうと、生にしがみつくと決めたから。

 足をバタつかせ、その手から逃れようと必死にもがく。

 でも意に反して、もがけばもがくほど足を掴む力は強くなる。

「クソッ!」

 ソレは地面の中へと引きずり込もうとしているようだった。


「離せ、この野郎ッ!」

 渾身の力でその手を蹴り飛ばした。


 すると、一瞬だけ足を掴んでいた手が解けた。

 その拍子に拘束していた力がなくなり、バランスを崩しその場に倒れこんだ。

 やっと離れた、と思ったのもつかの間。

 再び影から手が伸びてきた。


 だが、今度は手だけではなく、口が耳まで裂けたバケモノが影の中から這い上がってきて、足に喰らいつこうと迫ってきた。

 必死に逃れようと、迫ってきたバケモノを右手で力任せに殴った。

 グニャリと気色悪い感覚がしただけで、バケモノには全く効いていない。

 左手が次第に熱を帯びていく。

 まるで、何かを警告するかのように。


 バケモノは大きく口を開いて薄気味悪い笑みを浮かべた。

『オマエノ チカラ……ヨコセ』

 ゾッとするような声が響いてきた。

「力ってなんだよ」

 俺に力があれば、今こんなところで這いつくばってなんかいないのに……。

『ツヨイ レイリョク……ワレノ カテト ナレ』

 不吉な声音が空気を濁らせる。

 這いつくばって、その場から逃げようとした。


 けれど、再び足を掴まれ影の中へと引きずり込まれる。

 さっきよりも強い力で引っ張られ、ちょっとやそっとじゃビクともしない。

 どうすれば……どうすればこいつをやっつけられる?

 考えてもこれまで対抗しようなんて思ったこともないから、いい案が浮かぶはずもない。

 そうこうしている間に、どんどん引きずり込まれていく。


 それでも何とか逃れようと、足を引っ張るバケモノの腕に手を伸ばした。

 引きはがそうとして左手がバケモノに触れた瞬間、ジュッという音と肉が焦げるような臭いが鼻を突く。

「ギェ……」

 バケモノが悲鳴のような声を上げ、一瞬だが引き込む力が弱まった。

 これって……おじいちゃんの印の力?


 バケモノが怖気ずく。

 その隙に這い上がろうとしたが、すぐさま捕まり、地下へとどんどん引きずり込まれていく。

 ズブズブと顔まで引きずり込まれ、視界の半分が闇に覆われた時、何者かの力で襟首をつかまれ上に引き上げられた。


「またお前か」

 呆れるような声が降ってきた。

 声がした方を仰ぎ見ると、うんざりしたような顔をした甘楽がそこにいた。

「甘楽!」

 思わず安堵の息が漏れた。

『ギギギギギギ……』

 耳障りな声を発しながら、バケモノが甘楽の背後から襲い掛かってきた。


 ――あぶない、と声をかけるより早く、甘楽は素早く振り向き手裏剣を放った。

 手裏剣が刺さった腕は、シュウシュウと音を立て黒い霧と化す。

 バケモノが恐れをなしたのか後ずさる。


 甘楽がさらに追い打ちをかける。

 ポケットから護符のようなものを取り出すと、息を吹きかけバケモノへと投げつけた。

「散れ」

 短いひと言なのに、空気が爆ぜたように揺れ、バケモノは悲鳴を上げる隙もなく霧散した。

 何事もなかったように辺りは静寂に包まれた。


 地面に座り込んで呆然とその光景を見ていた俺に、甘楽が手を差し伸べてきた。

「ったく、どんだけ絡まれたら気が済むんだよ」

 そう言いながらも、助け起こしてくれた手は温かった。

「あ、ありがとう……」

 助け起こしてくれたあとも、甘楽が手を放さなかった。

「ケガ……してる」

「え?」

 襲われたことに動揺していて、自分がケガをしていることさえ気がつかなかった。


 でも、ケガといっても腕を擦りむいただけで、たいしたケガじゃない。

「あ……ホントだ」

「血の臭いプンプンさせて歩いてれば、また襲われるかもな。それでなくてもお前って妖が好む気配宿してるし。んじゃ、気ぃつけて」

「はぁ~?」

 甘楽は気になるワード満載の言葉を言うだけ言って、踵を返す。

「また襲われるかもって……」

「だから、気ぃつろって、忠告したじゃん」

 甘楽は振り向きもせず答える。


 俺は必死に喰らいつく。

「ちょ、ちょっと待てよ! 妖が好む気って何?」

「その言葉のまんまだよ」

「そんなこと言われてひとりにされたら、怖すぎる」

 甘楽は露骨に嫌な顔をする。

「知るかよ。そんな事より、オレ今からバイトなんだけど」

 甘楽がふり返って、心底うんざりした顔をする。

「せめて、人通りの多いところまで一緒に……」

「あ~もう、うざい! ついて来るなら勝手にしろ」

 そう言って歩き出した甘楽の後に続いた。


 甘楽の後ろを歩きながら、どうやって話を切り出そうか迷っていた。

 しかも疑問は次から次へと浮かんでくる。

「あの……えっと……」

 とりあえず声をかけてみたものの、見切り発車のせいか何ひとつ言葉が出てこなかった。

 甘楽にジロリと睨みつけられ、余計に言葉が出なくなった。

 考えれば考える程、頭の中が混乱した。


 聞きたいことは山ほどあったのに、色々考えているうちに甘楽がバイトしているという店に到着してしまった。

 路地裏にあるレトロな建物で、『アーレア』と書かれた小さな看板が掲げてあった。

 甘楽はドアノブに手をかけて、いったん立ち止まった。

「邪魔だからこれ以上ついてくんな」


 やっと甘楽と話ができるチャンスなのに、ここで別れてしまったらまたしばらく話ができなくなってしまう。

 そう思って甘楽に食い下がる。

「でも……」

 甘楽は時計を見て、舌打ちした。

「何? オレこれからバイトなんだけど」

「さっきの妖が好む気ってどういうこと?」

「……5分だけ」

「え?」


 甘楽は周りを見回すと、店のわきの狭い路地に引っ張ってこられた。

 そこは人通りのない薄暗い場所。

「何が聞きたい?」

 そう呟くと、甘楽は建物に背中をあずけた。

「バケモノが俺のこと、力になるからって……、修学旅行で襲われた時も『糧になれ』って、これってどういう意味?」

「修学旅行で襲われた時、どうしてお前が狙われたと思う?」

 甘楽が逆に質問を返してきた。


「俺が弱いから」

「違う」

 きっぱりと否定された。

「お前には力があるからだ」

「力?」

 甘楽の言っている意味が分からなかった。

 俺に力なんてない。

 むしろいつも逃げ回っているだけだ。


「抗う力がなかったから、襲われたんじゃないのか?」

「それは使い方を知らないだけ」

 甘楽が俺の額に人差し指を突き立てる。

「お前が『見える』っていうことは、霊力があるって事。はっきり見えれば見えるほどその力は強い」

「霊力?」

 聞きなじみのない言葉に、理解が追い付かない。


 けれど、甘楽の話は続く。

「妖は力に惹かれておびき寄せられる。強い霊力を取り込めば、自分の力になるからな」

 甘楽の説明で、ようやく『糧になれ』とい言葉の意味を理解することができた。

 けれど、不安な種はつきない。

「じゃあ、俺はこれからもずっと襲われ続けるってことか?」

「そうだな」

 あっさりと言い放たれたが、納得できる言葉じゃない。


 これからも襲われる――考えただけでも背筋が寒くなる。

「お前にも、妖を祓う力は多少なりともその力があるんじゃないのか?」

 すると、今度は俺の左手を指さした。

「これは、おじいちゃんが……祖父が俺を守るためにつけてくれた護符みたいなやつだ。うちの家系は昔、払い屋だったらしい。でも、見える者がいなくなって廃業したって……」

「払い屋か……なら、なおさらだな」

「何が?」


 甘楽は時計を見るなり、手を挙げた。

「時間切れだ」

 そう言うと、甘楽は足早に立ち去ろうとする。

 そんな!

「まだ聞きたいことが――お前は何者なんだ?」

 甘楽の足が止まった。

 振り返った甘楽の目が鋭く光った。

 口元がわずかに歪み、短い息が吐き捨てられた。

「じ・か・ん・ぎ・れ! 邪魔するなら、お前も狩るぞ」

 すごい迫力で、胸ぐらを掴まれた。

 さすがにそれ以上話をすることは無理そうだった。

「……ごめん。でも、ありがとう」

 そう言うと、甘楽は乱暴に手を解き、店の中に入っていった。


 俺はひとりその場に取り残された。

 甘楽の言葉が頭の中で繰り返される。

 霊力があるから狙われる。

 これからもずっと狙われ続ける。

 それは払い屋の血筋も関係している。

 どれも重い現実だった。



 甘楽の言葉が頭の中で何度も繰り返し流れていた。

『力があるから狙われた』――そんなはずない。

 幼い時、修学旅行で、今さっき襲われた時だって、俺は何もできなかった。

 そんな理屈、納得できるわけなかった。

 考えれば考えるほど胸がざわつき、歩みが遅くなった。


 ようやく家が見えてきた。

 家の前までくると、門の前でウロウロしている人影を見つけた。

 見知った人のシルエットに、首を傾げた。

「匠実?」

 こんな時間に匠実が何の用だろう。

 慌てて駆け寄ろうとして、思わず足が止まった。


 匠実のはずなのに、どこか様子がおかしい。

 体の動きがぎこちなく、ただそこに立っているだけなのに匠実の周りの空気が歪んで見えた。

 戸惑っているうちに、匠実が行ってしまった。

 けれど、どういうわけか匠実を呼び止める気にはなれなかった。


 明日何しに家に来たのか聞いてみればいいか、と思った時、慌てた様子で母親が家の中から飛び出してきた。

 周りをキョロキョロしていた母さんは、俺の姿を見つけるなりすぐさま駆け寄ってきた。

「母さん? どうしたの?」

「なんだか変な胸騒ぎがして……」

 母さんは俺の肩や腕を触ったり、あちこち身体を見回す。

「ちょっ、ちょっと母さん、何だよ」

 母さんの腕を振り払ったが、俺の腕の傷をみつけると、驚いたように目を見張った。

「このケガはどうしたの?」

 慌てて腕を隠す。

「転んだんだよ。それよりどうしたの?」

 不機嫌に言い返した俺に、母さんは少し戸惑ったけど、すぐさま怒りをあらわにした。

「どうしたの? じゃないわよ。こんな時間までどこ行ってたのよ」

 こんな時間といってもまだ七時半を少し過ぎたくらいだ。

 高二の男が怒られる時間でもないだろ。

 けれど、母さんは幼少の時に襲われて以来、帰りが少しでも遅くなると不安になるらしい。


 慌ててスマホを見てみれば、母さんからの着信とメッセージがたくさん入っていた。

「図書館で調べものしてた」

「連絡くらいしなさい」

 怒っているが、俺の無事な姿に安堵しているのが伝わってくる。

「ごめん」

 心配かけてしまった後ろめたさに素直に謝ると、母さんが神妙な顔つきで言う。

「大事な話があるから、着替えたらリビングに来なさい」

「大事な話って?」

「お父さんからちゃんと話をするから」

 それだけ言うと、母さんは家に入っていった。


 大事な話ってなんだ? 

 考えてみたが、何も思い当たることがない。

 まさか離婚じゃないよな……。

 不穏な考えが浮かび慌てて打ち消すも、いつになくシリアスな雰囲気に戸惑う。

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