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賽が舞う  作者: 和久井 玻緒
伍の目
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 すると、血が垂れている肩からニョキニョキと腕が生えてきた。


『ならぬッ。ヤツの言葉を聞いてはならぬッ!』


 少しだけ切羽詰まった九尾の狐の声が聞こえたが、匠実のことを悪く言われて黙ってなんかいられない。


「それ以上、匠実のことを悪く言うな」


 凄みを効かせ言った俺の言葉を、絡新婦は歯牙にもかけない。

 絡新婦は舌なめずりするとニタリと笑った。


『あやつめ、魍魎狩りに出おうておじけづきおった』


 魍魎狩り――初めて聞く言葉だが、すぐに誰のことかわかった。


 夢うつつの時に現れた余市さんのことだ。あの時、匠実が集めた魂を余市さんが持ち主に還した。おかげで白川や藤原たちは意識を取り戻すことができた。


 あの時、気づいていれば……。

 もっと早く匠実の異変に気付いていれば……。

 俺も、余市さんたちみたいな力があれば……。

 俺に関わったばっかりに、匠実は……。


 それ以上、言うな。

 匠実は何も悪くない。


 怒りが、憎悪が、むくむくと育っていく。

 真黒な霧に心が覆われていく。


 絡新婦は何が面白いのか、笑いを含んだ声でさらに言葉を重ねる。


『あんな役立たずは、魂すら喰う価値もなっ――』

 

 心の中に渦巻く思いのままに、俺は剣を振るった。

 すると風が巻き起こり剣を覆っていた炎が激しく燃え、その炎は龍のごとく宙を舞い上がると絡新婦へと向かっていった。


 炎の龍は絡新婦の横腹をえぐり取った。

 匠実が絡新婦を見ても驚かなかった理由。


 そんなこと、絡新婦に言われなくても分かった。匠実は俺と同じ景色が見えることを、ずっと前から望んでいた。そうすれば、俺が寂しい思いをしなくてすむと匠実は言ってくれた。


 それをこいつは……絡新婦は利用した。


 それなのに、匠実のことバカにする。愚かだとあざ笑う。

 

 許せない。

 匠実のことを悪くいう奴は、笑う奴は、誰であろうと許さない!


『おのれッ! 調子に乗るでない。ぐおおおおおおおおおお――ッ!』


 絡新婦がひと際大きな声で叫び声を上げると、無数の針の糸が飛んできた。

 円を描くように剣を振るうと、赤い炎が針の糸を薙ぎ払った。


 だが、先ほど切り落とした腕がもぞもぞと動いたかと思うと、俺めがけて飛んできた。


 針の糸を払うのが精いっぱいで、切り落とした腕が飛んでくるのに気付くのが遅れた。


 切り落とした腕は俺の足を切り裂いたが、痛みに悶えている暇はない。


 絡新婦がものすごい勢いで向かってくると、俺の首を掴んだ。


『あやつは役には立たなんだが、我の暇つぶしにはなった。命までは奪わずに放ったが、お前もろとも縊り殺してくれる。遊びはもう終いじゃ』


 絡新婦が憤怒の形相で、俺の首を締め上げる。


 これ以上、指一本匠実には触れさせない。

 匠実を弄んだ罪はその身をもって償ってもらう。


 俺は意識が遠のきそうになりながらも、持っていた剣を握り直し薙ぎ払う。肉を切る嫌な感触が、剣を通して腕に伝わる。


 首を絞めていた力がなくなると、俺はその場に放り出された。


 見れば絡新婦の上半身と下半身が真っ二つに切られていた。

だが、絡新婦は余裕の表情を浮かべている。


 二つに切られた胴体は、それぞれを求めるようにうごめく。

 その胴体がつながりかけた時、心臓部にあたる場所を、俺は赤黒い炎を纏った剣で突き刺した。


『お前ごときに我はやられ――グホッ』


 絡新婦は口から血を噴き出した。


「うるさい。黙れ」


 自分でも驚くほどに冷たい声が出た。これまでなら数を増やすか黒い霧となって消失したが、俺が怒りのままに突き刺した蜘蛛は赤黒い血を垂れ流す。


 突き刺した剣を引き抜き、俺は絡新婦を切ろうと剣を振り上げた。


 その時。


『お前が鬼になってはならぬ!』


 これまで黙っていた九尾の狐が、威厳のある落ち着いた声を俺に向けて放った。


 振り向き、九尾の狐の顔を見た。すると、九尾の狐はしっかりと俺の目を見据えゆっくりと口を開く。


『鬼に捕らわれてはならぬ』


 九尾の狐が何を言おうとしているのか、分からず首を捻った。


『怒りのままに切ってはならぬ。恨みを込めて切ってはならぬ。蜘蛛に取り込まれるぞ』


「切るなと? 絡新婦を? 庇うのか?」


 この言葉に怒りを覚えたのか、九尾の狐の表情が一変した。

 九尾の狐がカッと目を見開いたとたん、俺の頬に傷が走った。


『この、戯け者めがッ! わらわがこの虫けらを庇うわけがなかろう!』


「じゃあ、何でこいつを切るなと言う?」


 九尾の狐に傷つけられた頬から流れた血を、無表情に拭った。


『わらわは止めてはおらん』


 静かな、けれど怒りを奥深くに隠した声で否定する九尾の狐に、かみつく。


「止めたじゃないかっ! 切ってはならぬって」


 絡新婦は、もはやピクリとも動かない。


 仕留めるには絶好のチャンスじゃないのか?


 力のない自分がこのチャンスを逃せば、いつまた襲われるかわからない。絡新婦が力を回復する前に、倒す必要があるのに、それを止めたのは紛れもなく九尾の狐だ。


 そんな思いも込めて叫んだ俺に、九尾の狐はあきれたようにため息を漏らした。


『お主の友、匠実と申したな』


 なぜ今そんなことを聞いてくるのか疑問がわく。


 俺は一刻も早く絡新婦にとどめを刺したいのに、九尾の狐は、ゾッとするほど恐ろしい視線で俺を見つめている。


 答えなければ今にでも殺されそうな殺気を感じ、うなずいた。


「匠実がどうした。お前も匠実を馬鹿にする気か?」


『違うッ! よく聞け。匠実は絡新婦に乗っ取られようとしていた。絡新婦は言葉巧みに騙し、匠実を取り込む寸前だった。ああなってしまえば人は簡単に鬼となる。じゃが、匠実が鬼にならず人に戻れたのはなぜだと思う?』


 聞かれても俺にわかるはずもなく、首を横に振った。


『匠実は人ならざるモノに苦しむお主を救いたいと思うておった。匠実の想いを絡新婦が利用したのじゃ。絡新婦は千人の魂を集め差し出せば、お主が妖を見れないようにしてやるとささやいた。匠実はお前を救いたい一心で絡新婦の言葉にのってしもうたが、お主を救いたいという純粋な心は失わなかった。だから、人に戻ることができたのじゃ』


「そんな……なんで……なんで……」


『そんなこと、今はどうでもいいことじゃ。今のお前は怒りにだけ捕らわれ、怒りのままに奴を切ろうとしている。剣をよく見てみぃ』


 握っていた剣をしげしげと見つめたが、炎に覆われた剣は現れた時と同じように……。


 同じように?


 違う。剣を纏う炎の色が違う。

 剣は白い炎から、毒々しい赤黒い炎と色を変えていた。


『怒りのままに奴を切るな。負の連鎖を生んではならぬ。じゃが……』


 九尾の狐はいったん言葉を切ると、俺を見つめた。


『奴と同じような虫けらに成り下がりたいというのであれば、わらわはもう止めぬ。好きにするがいい』


 そう言うと、九尾の狐は人の姿から、元の狐の姿に戻ってしまった。九つの房に分かれた尻尾をフサリと揺らすと、尻尾を枕に丸くなって眠ってしまった。


 いきなり放置され、俺はどうしていいのか分からなくなってしまった。


 怒りのままに奴を切るな?

 負の連鎖を生んではならぬ?

 じゃあ、どうしろっていうんだッ!


 心の中を棒でグチャグチャに掻きまわされている感覚に捕らわれる。

 その時、初めておじいちゃんのノートを開いた時のことを思い出した。


『決して思いのままに祓うことなかれ、不浄を祓うことにのみ意識を集中させよ』


 言葉ではうまく説明はできないが、今ならこの意味が分かるような気がする。九尾の狐が言いたいことも、すべてではないかもしれないが理解できる。


 おじいちゃんもこの言葉を何度も心に刻み、心が鬼に支配されないようにしていたのだろう。だから、あんなにも黒ずみ紙がかすれていた。


 乱れに乱れまくった心が、少しずつ落ち着きを取り戻していくのが分かった。

 色が変色した剣がパリンと音を立てて、消えてしまった。


 でも、恐れることはない。たとえ剣があったとしても、もうその剣で絡新婦を切ることはない。


 絡新婦は切り裂かれた体を融合させることには成功したようだが、すでに力を使い果たしたのか、人の姿に化けることができないようだった。


 大きな蜘蛛の姿をした絡新婦は、視線を投げると一歩後ずさった。


『ワレハ、ヒトゴトキニ ヤラレハ セヌ』


 そう言いながらも、絡新婦は俺から距離をとる。隙を見てここから逃げ出そうといているのがわかった。


 今は力を失っている絡新婦だが、いずれ力を取り戻し人を誑かす。そんなことはさせない。そんなモノを放っておくことはできない。


 俺がまだ鬼と化してなければ現れるはず。

 深呼吸して、手を高く上げた。


『我は禍なるものを祓う者なり、汚れなき弓よ、ちはやぶる神の矢よ。今此処に形を成せ』


 静寂が支配したその数秒後に、白く輝く弓が左手に、矢が右手に現れた。


『ギギッ』


 という絡新婦が歯ぎしりをした音が聞こえた。


『無垢なるものをたぶらかすその罪は許すまじ、その腐った性根を打ち砕く』


 弓に矢をつがえ、ゆっくりと弓を引く。

 絡新婦に照準を合わせる。

 キリキリキリと弓がしなる。

 今度は弓矢が砕け散ることはない。絡新婦めがけて矢を放つ。


 絡新婦はこの場から立ち去ろうと、背を見せて逃げ出した。けれどすでに遅く、俺が放った矢は銀の尾をなびかせて、絡新婦を背後から射抜いた。


『ギエエエエエエエ――――ッ!』


 絡新婦は凄まじい叫び声を上げると、黒い霧となって消えうせた。

 シンとあたりが静まり返り、あたりが闇に包まれる。


 終わった。


 ホッと吐き出しすのと同時に、崩れ落ちるようにその場にしゃがみこんだ。


 その時だった。

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