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弐ノ章 黒衣

 二日目は、源氏物語ゆかりの地を巡るコース。

 予算の都合で、着物で巡らずに済むとわかり、人知れずホッと胸をなでおろす。


 最初に向かったのは源氏物語ミュージアム。

 紫式部が書いた源氏物語の世界観を人形や映像、音楽などで美しく表現した博物館なのだが、俺はさほど興味を抱いていない。


 というより、どうしても光源氏という男が好きになれない。

 身分が高くてお金持ちでイケメン。

 なのに、次々にいろんな女性と情を深め不義理を重ねていく、俺にはただの自慢話としか思えなかった。

 そう思っていたのは、俺だけじゃなかったようだ。


「俺、この光源氏ってやつ、気に入らねぇ~」

 隣で匠実が吐き捨てるように言った。

「やっかみにしか聞こえないぞ」

 甘楽が鼻で笑う。

 匠実がひるまず続ける。

「顔がよくて金持ってるやつが女遊びしてるだけじゃねえか」

 誰が聞いても皮肉にしか聞こえない言い方をする匠実に、甘楽は淡々と答える。

「けど、一度愛し合った者はどんな欠点がある女性でも生涯面倒を見たんだから、それなりに誠実だったんじゃない?」


 源氏物語に詳しい甘楽にも驚いたが、応戦できるほどの知識が匠実にあったのは意外だった。

「そうとも言い切れないぞ。光源氏が冷たくあしらうから生霊になって呪い殺すやつがいただろ」

 納得するように甘楽が頷く。

「若い頃は遊びまくった光源氏も、晩年は因果応報で報いを受けたし、金持ちの超絶イケメンでも、本当に好きだった人とは添い遂げられなかったんだから、モテるからって必ずしも幸せになれるとはかぎらないってことだね」


「そういうことだ。なぁ、宗介、お前くらいモテなきゃ平和に暮らせるってことだな」

 唐突に話を振られ、面食らう。

「は? 俺は関係ないだろ」

 確かに多少の僻みはあるが、俺のことは放っておけ。


 すると、前を歩いていた白川が振り返り、ニヤリと笑った。

「おーい、そこのモテない男子。喋っていないで足を動かしなさい!」

 周囲の見学者がクスクス笑う。

 昨日の『馬子にも衣裳』の仕返しか。


 なんで俺まで巻き添えなんだよ。

 匠実は果敢にも言い返そうとしたが、言い返す言葉が見つからなかったのか、肩を怒らせてドスドスと歩くだけに留まった。


 次に向かったのは、源氏物語の庭と呼ばれる城南宮。

 ところが、バス停から二十分で着くはずが、三十分以上歩いても、一向に目的地が見えてこない。

 完全に迷子だ。


「おい、本当にこっちであってんのか?」

 先頭を歩く白川に、匠実が声をかけた。

「じゃあ、あんたがナビしなさいよ」

 白川は苛立ったように、手にしていた地図を匠実に押し付けた。

「なんで俺が? 行きたいって言ったのお前らだろ。責任もって案内しろよ。なあ、甘楽、お前もそう思うだろ?」

 後ろを歩いていた甘楽に同意を求めると、イヤそうに顔をしかめた。

「オレを巻き込むな」


 匠実としては、ひとりでも多く味方にしたいところだが、相手もそれは同じらしい。

「甘楽くんも協力してよ」

「城南宮はもう諦めたら?」

 甘楽があっさり切り捨てた。


「ひどぉ~い。甘楽くんも行きたいって言ってたじゃん」

 白川がむくれると、甘楽は肩をすくめて答える。

「だって疲れたし、喉も乾いたし、腹も減ったぁ~。いつ着くかわかんないとこまで歩きたくなーい」

 すると、スマホを操作していた橋本が声を上げた。

「もう少し先に安楽寿院があるから、そこで道を聞いたらいいんじゃないかな」

「ナイス、郁!」

 白川が飛びつくように同意し、ジロリと甘楽を睨んだ。


 けれど、甘楽は興味なさそうにそっぽを向いている。

「だったら城南宮はやめて、もう安楽寿院でいいじゃん」

 匠実がぼやくと、甘楽がふいに首を振った。

「あ、オレそっちの方向には行きたくない」

「はぁ~? 究極のわがままじゃん。そう思わねぇ~? 宗介」

 ひとり遅れて歩いていた俺に、匠実が助けを求めてきたが、まともに返せなかった。


 先ほどから左の手のひらがチリチリと痛む。

 昔、おじいちゃんが『守りの印』を刻んでくれた箇所だ。

 危険が近づくと、こうして痛みで知らせてくれる。

 肩の古傷がじんわり熱を帯びてくる。

 体が重い。

「あ?」

 気の抜けた声しか出なかった。


 匠実がぎょっと目を丸くして、俺を見た。

「おい宗介……顔色悪すぎだろ」

 その言葉に白川も慌てて顔を覗き込んでくる。

「ホントだ。真っ青だよ。ちょっと休憩したほうがいいんじゃない? 安楽寿院すぐそこだから、もうちょっと頑張れる?」

 せっかく白川が優しい提案をしてくれたけど、俺は首を横に振った。


 胸がざわついて仕方がない。

「ごめん……俺も、そっちの方向には行きたくない」

「もう~何よそれ」

 白川が不満げに眉をひそめる。


 けれど、どうしても足が向かなかった。

 安楽寿院の方角から、重苦しい圧のような気配が漂っている。

 これまで何度かイヤな気配というものに遭遇したことがあった。


 でも、今回は桁が違う。

 暗雲のような影が立ち込めているようで、妙な胸騒ぎがする。

「救急車呼んだ方がいいんじゃない?」

 橋本がスマホを取り出すから、慌てて手を伸ばして制する。

「いや、そこまでじゃない。……少し休めば、大丈夫だから。みんなは先に行ってよ」

「ひとり置いていけないよ」

 白川が腕を組んで、強い口調で言う。


 けど、俺としては誰も巻き込みたくない。

「俺が付き添うよ」

 匠実がすぐに名乗り出てくれたけど、甘楽が首を振った。

「いや、オレが付き添う。藤原は白川たちと一緒にいたほうがいい。女子だけじゃ心配だろ?」

 匠実が不満げに口をとがらせる。

「だったら甘楽が一緒に行ってもいいじゃん」

「ほら、オレ男からも声かけられるからさ」

 甘楽はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「ハイハイ。じゃあ、宗介頼んだぞ」

 匠実はひらひらと手を振り、白川と橋本と目的地へと足を向けた。




 匠実たちと別れたのはいいけど、このままだと甘楽を巻き込んでしまう。

 禍々しい気配は少しずつ近づいてきている。

 早く甘楽を遠ざけないと……

「……あの」


 甘楽は真剣なまなざしで、禍々しい気配がする方を見つめていた。

 甘楽も何か感じているのだろうか……。

 そう思った時。


「来る」

 甘楽がボソリと声を漏らした、その直後。

 黒い霧が、濃く重く、音もなく押し寄せてきて、甘楽の姿も見えなくなってしまった。

 視界が真っ暗闇に塗り替えられた。


 息が詰まる。

 胸の奥が締め上げられるように痛み、肩の傷が燃えるように疼く。


「うああああああああああ――――ッ!」


 耐えられず、膝をついた。

 禍々しい気配が、黒い霧の奥から漂ってくる。

『抗うから苦となるのじゃ。早う諦めてしまえばよいものを……』

 怪しい声が聞こえてきた。


 これまで幾度となく襲われたけど、ここまで圧倒的な力を感じたのは初めてだ。

 なんで……こんな目に合わなきゃいけないんだ?

 俺が何をした?

 人に見えないモノが見えるだけで、得られるものなんか、ひとつもない。

 もう嫌だ……。


 ふと、脳裏におじいちゃんの姿が浮かんだ。

 『払い屋』、とっくの昔に廃業したらしいけど、子どもの頃、俺が『見える』ことに怯えていると、祖父が身を守る術を教えてくれた。


 鬼に襲われた時の言葉が蘇る。

『お前がみんなを鬼たちから守るんだ』

 ……そうだ、甘楽を守らなければ。

 おじいちゃんが教えてくれたことを、必死で思い出す。


 震える手で印を結ぶ。

 右手の人差し指と中指を立て、左手で握りしめる。

「臨兵闘者皆陣列在前!」

 情けないほど、声が震えていたけど、黒い霧に小さな穴ができた。


 けれどそれはすぐにふさがってしまう。

 何度やっても結果は同じ。

 体力だけが消耗していく。

『無駄な足掻きじゃ、諦めてワレの糧となれ』

 黒い霧がねっとりと体にまきつき、次第に動きが制御されていく。


 力の差は歴然。

 成すすべがなかった。

 幼いころに教わっただけのほんの些細な術しか身につけてない俺では、太刀打ちできる相手ではなかった。


 甘楽は無事だろうか。

 もし俺のせいで……考えただけでも背筋が冷たくなる。

 逃げ場もなく、絶望だけが押し寄せる。


 抗う力なんて、俺には最初からなかった。

 もう戦う気力すら残っていない。

 抗う事を止めれば、楽になるのだろうか。

 このまま諦めてしまえば、この苦痛から解放されるだろうか。

 そんな誘惑が心をよぎったその時――。


 ひと筋の光が深淵を切り裂いた。

 暗闇の中に閃光が走る。


 次の瞬間、闇に紛れるような黒装束に身を包んだ男が現れた。

 静かに立っているそれだけで、その男の周りの空気がガラリと変わった。

 男はゆっくりとこちらに近づいてきた。

 暗闇の中でも目を引くその存在に、息を呑む。


 甘楽……?

 これは幻影なのか、それとも……。


 男の瞳が鋭く光った。

 男は懐から手裏剣を出し、俺に巻き付いている黒い霧めがけて放った。

「此れは瘴炎の剣、禍なるモノ、今ここで討ち祓う」

 手裏剣は、淡い月の光のような光を帯びると、黒い霧を切り裂くように舞った。


 身体にまとわりついていた霧が霧散する。

「ゴホッ……ゴホゴホッ」

 霧から解放され、空気が一気に肺に流れ込んできた。

「大丈夫か?」

 覗き込んできた男の顔に息を呑む。


 甘楽!

 いや、いくらなんでも違うだろ。

 でも、身のこなし、声の響き、すべてが甘楽そのものだ。


 ただ茫然と見つめている俺にイラッとしたのか、男はチッと舌打ちをした。

「すぐに瘴気で埋め尽くされる。さっさとここを出るぞ」

 けれど、それを阻止するかのように、どこからか声が聞こえてきた。

『邪魔だてする者は、ただでは済まさぬぞ』

 獲物を取られまいと、意志を持ったかのように黒い霧が男を襲う。


 黒い霧の中から糸のようなものが無数に飛んできた。

 獲物を絡めとるかのように蠢く。

 男が手裏剣を放つと、飛びかかる糸の束を弧を描きなら切り裂いていく。


 そして両手を胸の前で組み、指先を複雑に絡める。

 指先が微かに光を帯び、霧を封じる結界のような印が浮かぶ。

「邪悪な気配を闇に忍ばすその罪は、目障りだ、今すぐオレの前から消え失せろ」

 凛とした声が響いた。


 すると、先ほどまで蠢いていた霧が消し飛んだ。

 男が祓ったのかと思ったけど、男は悔しそうに顔を歪ませた。

「クソッ! 逃げられたか」

 目の前で何が起こったのか全く分からず、ただ茫然とその光景を見ていた。


 そんな俺に腹を立てたのか、男は刀を俺に突き付けながら怒鳴るように言った。

「いいか! もう二度と、嘘でも喰われていいと思うな。それが付け入るスキを与える」

 男は俺の襟首をつかみ、ギュッと引き寄せる。

「どんなにみじめな思いをしようと生にしがみつけッ! 簡単に命を捨てるなッ! これは願いでも要望でも願望でもない。命令だ!」

 そう言うと、乱暴に俺を突き放した。

 その迫力に、俺はウンウンと何度もうなずいた。

「とっとと立て!」

 苛立たし気に言われて、すぐに立ち上がろうとしたが、足に一向に力が入らない。

 情けないことに腰を抜かしてしまったようだ。


 その様子に男がもう一度舌打ちをした。

「ったく、面倒くせぇヤツだな」

 どうみても男の方が俺よりも華奢な身体付きだったが、男は軽々と俺を担ぎ上げると、刀を天高く突き上げた。

「澄み渡る明光よ。我らを在るべき処に導き給え」

 呪文のような言葉を発すると、剣先から眩い光が天に向かって伸びていく。

 俺は刀から放たれる眩い光に目をつむった。


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