嘆きの竜に祝福の花を
「なるほど、これが運命か」
誰にともなく独りごちたエスペランサの視線が向かう先には、見ず知らずの男が一人、意識もなく転がっている。
酷く痛めつけられ、弱り切った虜囚。
牢に入れられ、鎖に繋がれた男を、短くはない時間、エスペランサはじっと見つめていた。
「…………はぁ……」
連れて行けば面倒なことになるとわかっていても、一度見つけてしまったものを、なかったことにはできない。
ここで選択を誤れば、後々苦しむことになるのは他ならぬ自分だとわかっている。エスペランサは難儀なものだと自嘲して、まじない言葉を刻まれた牢の格子を蹴りつけた。
「砕け、バシレウス」
太い鉄の柱に靴底を押しつけながら、囁くほどの声音で忠実な下僕に命じて。
間を置かず、細切れにされた格子の残骸を跨ぎ越す。
「…………」
お世辞にも身綺麗とは言い難い身形の男へ触れることを躊躇ったエスペランサ。
潔癖とまではいかないが、それなりに綺麗好きではある主人の意を酌んで、どこからともなく現れた獣が男の下へと鼻先を潜り込ませ、ぐったりと力の抜けた体を器用に背負う。
「いい子」
男の手足を繋いだ鎖は、エスペランサが踏みつけるとそこでぶつりと切れた。
◇ ◇ ◇
牢獄から連れ出した男をまっすぐ塒へ連れて帰るほど、不用心ではない。
エスペランサは滅多なことでは人の寄りつかない山中まで足を伸ばし、何年も前に偶然見つけて以来それなりに足繁く通っている天然の温泉へ、傷だらけの上に薄汚れてもいる男を沈めた。
「バシレウス、癒やしを」
エスペランサが使う度、入浴剤代わりに光属性の魔術を溶かし込んでいた温泉は、そんなことをするまでもなく周辺環境ごと聖別されていて、多少の怪我なら半刻も浸かっていれば綺麗に治る。
そんなものへ、更に治癒の力を(スキンケア目的の入浴剤代わりではなく、癒やしに特化した光属性の魔術本来の使い方で)注いだのだから。ぎりぎり死なない程度に痛めつけられた男の傷など、削がれた肉の盛り上がる勢いが目に見えるほどの速さで、あっという間に完治した。
魔術師封じの牢(魔術師を捕らえておくため、魔力を吸い上げ魔術を解く仕組み)に絞り取られていた魔力も補填され、程なく目覚めた男が、沈んでいた温泉の底からざばりと――さっきまでの弱りようが嘘のような勢いで――身を起こす。
「――げほっ」
げほげほと吐き出される湯に溶けた治癒の力は、喉を通るついでに男の病さえ治してしまえるのほどのものだった。
濡らせば汚れが出るだろう、男よりも上流でとろみのある湯に足を浸けていたエスペランサは、肺に入った湯で酷く咳き込んだ男の呼吸が落ち着く頃合いを見計らって、ばしゃりと水面を蹴る。
その音に振り返った男は、エスペランサを一目見て、信じ難いものでも見つけたよう目を瞠る。
「おれの、つがい……?」
性質の悪い魔術師に捕まっていた素材と盗人。
それが、エスペランサとその番の出会いだった。




