トンネル
この話は、厳密にいうと「駅」が舞台の話ではないので、企画にそぐうのか分からない。
しかし、駅もかかわる内容のため、ご紹介しようと思う。
ある友人が、知り合いから聞いたというお話。
昔…といっても、昭和の時代。
とある地方の山間を走る路線があった。
そこは駅もまばらで、電車の数も少なかったという。
代わりに、険峻な山を貫くトンネルが所々ある路線で、車外に目を向ければ自然と風光明媚な風景が楽しめた。
が、他に観光地として見どころはなかったためか、乗客はまばらだったという。
そこに、友人の知り合い(仮にIとしよう)が、ある仕事でやって来た。
最初は見たこともない簡素な駅と、乏しい電車の数に辟易したものの、車窓に映る優美な滝や緑豊かな深山の風景は心休まるものであり、他に乗客もまばらだったせいもあって、ゆったりとした旅行気分を楽しむことが出来たという。
そんなこんなで目的地に到着。
仕事先での業務も順調に終わり、さあ帰ろうという時間になった。
その日、Iは例の路線を逆に帰ることになっていた。
というのも、日帰りは難しい遠隔地の仕事だったので、途中の栄えた町にあらかじめ宿をとっており、そこに宿泊してから帰る予定だったからである。
世間話でそれを仕事先の人に話すと、その人は少し表情を険しくし、何やら考え込むような素振りになった。
そして、不思議な顔のIに「宿まで車でお送りしましょう」と告げた。
思わぬ申し出にびっくりしたI。
仕事先からIの予約した町場の宿までは、車でも一時間以上かかる。
仕事の案件でならともかく、顧客にそんな手間を掛けたと知られれば、上司にも大目玉を食ってしまう。
なので、その申し出は丁寧に断り、一人帰路についたという。
最初、不思議としつこく申し出ていた仕事先の人も、最後は諦め「それじゃあ、せめて最寄り駅まででも」と言うので、Iもそれだけは甘えることにした。
そうして駅に辿り着いたI。
その頃にはもう日も傾きつつあり、最後の電車が出発する時間だった。
そして、見送りに来た仕事先の人は、別れ際に懐から小さな白い紙に包まった何かを取り出し、Iへ手渡した。
またしても不思議がるIに、仕事先の人は「お守り代わりに持って行ってください」と告げたという。
仕事先の人が車で去ると、Iはホームに立った。
最終電車にもかかわらず、他に乗客はいなかった。
そうして、やって来た電車の乗り込むI。
しかし、車内も人っ子一人いない状態だった。
時間はもう夕暮れ時だ。
乗客が少ない路線とはいえ、時間帯としては、通学・通勤の人がいてもおかしくないはずである。
少し奇妙に思ったIだったが、誰にも気兼ねなく納車乗車できるので、普段は出来ない「シートの一人占め」を行い、横になって伸びをしたりしていたそうだ。
そうして隣の駅に停車する電車。
が、ここでも誰も乗り込んでこない。
少し寂しくなってきたが、Iは相変わらずゆったりとシートに座っていた。
そうこうしていると、夕暮れ時の風景が、不意に漆黒に変わった。
トンネルに入ったのだ。
行きにもいくつかトンネルがあったのを思い出したIは、何の気もなしにその暗闇を見ていた。
そうしていると、あることに気付いた。
外が真っ暗なため、窓には車内の風景が反射して映っている。
その車内の風景に、ありえない異変があった。
Iは一人で乗車していた。
故に、窓に映るのはI一人のはずだ。
しかし…車窓に映る風景の中に、複数の人が映りこんでいたのだ。
最初、見間違いかと思ったI。
慌てて車内を見回してみる。
しかし、やはり車内にはI一人である。
人々は普通の服装の人もいれば、戦時中によく見られたモンペ姿の女性や軍服姿の男性もいた。
そして、不気味なのは、全員が一様に俯いたまま座席に座っており、会話したり、顔を上げたりもしていない。
お通夜のようなその不気味さに悲鳴を上げそうになったI。
しかし、そこで不意に車外が明るくなった。
トンネルを抜けたのだ。
外には、行きで見たごく普通の自然の風景が広がっている。
一気に現実へと引き戻されたようになり、安堵するI。
少し激務が続いていたし、その時は「疲れていたんだな」と思ったらしい。
実際、車内も車窓の風景にもIしか映らなかった。
しかし。
再度、車外が漆黒になる。
二つ目のトンネルに入ったのだ。
そこで、Iは今度こそ絶叫した。
車窓に映った車内の風景には、あのいないはずの複数の乗客が、再びはっきりと映っていたのだ。
しかも、今度は先程とは様子が違う。
俯いていた彼ら・彼女達が全員顔を上げていたのだ。
しかも、全員がIの方を向いていたのである。
顔を上げた乗客達のその表情は、全員が無表情のままだった。
それだけなら、まだいい。
何と、全員の眼球が無く、虚無のように真っ黒な穴になっていたのである。
Iいわく「明らかにこの世のものには見えなかった」とのことである。
肝を潰したIの前で、再び車外が明るくなる。
二つ目のトンネルを抜けたのだ。
しかし、恐怖のあまり身動きが出来ないまま固まっていたIに、更なる追い打ちが起こった。
三度、車外が真っ暗になる。
三つ目のトンネルだった。
同時に、三度映りこむ複数の乗客達。
しかも。
今度は全員がIの方を見詰めつつ、座席から立ち上がっていたのだ。
結局、目的地ではなかったが、Iはちょうど停車した次の駅で一目散に下車したという。
無理もない。
目的の駅までは、まだ無数のトンネルがあったからだ。
Iも「このまま乗っていたら、何をされるか分からない」と思ったようだ。
いずれにしろ、時間はかかったものの、何とか宿に辿り着き、ようやく落ち着いたI。
しかし、そんな泡を食ったようなIの様子を怪訝な顔で出迎えた宿の主人が、Iからその奇妙な乗客の話を聞くと、明らかに暗い表情になった。
それを変に思ったIが問いただすと、宿の主人は辺りをはばかるように小声で話し始めた。
宿の主人の話では、かつてその路線では、戦時中に物資運搬用の路線として爆撃されたり、山崩れなどの災害で亡くなった人々がいたという。
以来、最終電車が走る夕方に電車に乗ると、時折、その亡くなった人達の姿が窓に映ったり、途中の駅に立っていたりするということだった。
なので、地元の人達も、昼間にしかその路線に乗らないらしい。
最後に。
後日、Iが仕事先の人からもらった「お守り代わりの紙包み」を開けてみると、中には塩が入っていたという。
しかも、その半分が真っ黒に焦げていたらしい。
その路線は、今はもうない。
廃線になった理由は…言うまでもない。