マースの心、タカさんと勇者一行
マースはそこにいる。確実にそこに居る。その筈なのに勝てるイメージが全くわかない。
まるで空気を相手にしているようであった。瞬間瞬間に質量を持つ空気、絶妙な場所、位置で、エルドラの動きを阻害し、体を崩し、気が付くと殺されている。
確実に殺せる所で、マースは一切エルドラを傷つけるような事をしない。エルドラが間抜けに何もない所に剣を振り、振り切った態勢になったらその首にマースの剣が触っている。
それが何十回もあった。
リリアは外から見ていた分マースのやっている事が何となく解った。マースは……エルドラが嘘きだす前に動いているのだ。
エルドラは勇者の加護を持ち、常人とは隔絶した速さ、力、魔力を持っている。まともにマースがぶつかったらマースはなすすべもなく切り捨てられただろう。……でも……
マースはエルドラの攻撃が全てわかっているかのようにエルドラの狙った場所を半歩移動、首をほんの少し傾ける、瞬間的に懐に潜り込み、エルドラのバランスを崩し、その度にエルドラの首、同じ位置に剣を置いていた。
速さ、強さ、魔力、スキル、そんな物をあざ笑うように勇者という最高戦力が加護を何も持たない人間に全く相手をされなった。大人と幼児、そんな程度では埋まらない程の差が明確にそこに存在していた。
エルドラは途中から対人戦の稽古など行っていなかった。どんな敵でも加護の力で無敵だったし、本物の生死をかけた戦闘などやってこなかったのだ。バルカスと闘った時、もしエルドラが舐めないで最初から覚悟を決めて当たればあるいは倒せたかもしれなかったのに。
のぼせた頭はそれを認められなかった。魔王軍四天王に敗北、魔王軍四天王だからこそまだエルドラのプライドは保てた。強かったがきちんと準備をして最初から本気を出せば勝てると言う位に、それほどエルドラは自分の力を信じていた。バルカスに負けたのは準備が整っていなかったからだ。そう思っていた。
だが、今目の前にいる人間は間違いなくただの人間だ。加護などない人間の中でも落ちこぼれ、神に見捨てられた存在、その人間に、掠ることもできない。攻撃すればするほどエルドラは死んでいく。一方的に首に、心臓に、急所に剣が当てられれていく。しかもほぼ寸止めで解るように。
エルドラのプライドは跡形もなく壊れ、信じていた加護の力は一切通じない。何も持っていないはずのマースに触ることもできなかった。
そして、エルドラは半ば壊れた。勇者の誇りをかなぐり捨てた。
「アミー!!!!ナセルウ!!リリア!!!何をしている!!こいつを殲滅しろおおおおお!!!!」
傷の一つもないまま。エルドラはボロボロになっていた。そして、アミーとナセルは条件反射のように魔法の詠唱に入った。リリアは大楯を構えて、その防御に入った。
マースは予想していたようにエルドラの横に位置をとった。
これでアミーは魔法が打てなくなった。射線上にエルドラがいる。どんな魔法をうとうとも必ずエルドラを巻き添えにする。絶妙な位置にマースはいた。
多対一においてもっとも重要なことは位置取りである。どうやったら二の矢を防げ、
こちらから攻撃できるか。マースはそれを熟知していた。
そして、アミーが戸惑った瞬間に、エルドラの脇から風のようにマースが躍り出てきた。特殊な歩行により、地面を滑るように飛び出してきた。
リリアはマースの突進を止めようと盾を構えて迎え撃った。
マースは激突する寸前体を返してそのまま身体をまわし、リリアの横に立った。リリアに見えたのはマースの残像だけであった。頭に残像が残るとコンマ脳が混乱する、そしてそのコンマがあれば人は死ぬ。リリアのこめかみに、マースの剣の先が当たっていた。
その事実が解り、リリアは崩れ落ちた。何をされたのか全く解らなかった。気が付いたら死んでいた。
ナセルは渾身の防御魔法を使った、自分とアミーを守る為に強力な結界を張った。生半可なことでは破れない結界だ。たとえ勇者の全力でも耐えられるほどの。
そう、エルドラはマースが離れたと同時に、自分の最強の技でマースを仕留めにかかった。少し時間がかかるがその分はリリアが稼いでくれた。ナセルもそのつもりだったのだろう。リリアを捨て駒にすることで、最強の攻撃を当てられるタイミングを作ったのだ。
どうやっているのか解らないが、こいつの動きは恐ろしく早い。ならばどれだけ早くても、避けられない程の範囲の攻撃を打てばいい!!木剣は捨て、聖剣に持ち替え、正真正銘の本気だった。
エルドラは屈辱と共に、自信最強の技を打ち放った。
「神聖!!光翼天武刃!!」
莫大な神気を込め、女神の力を借り、目の前の半径50mを薙ぎ払う必殺の一撃であった。
リリアは、この時自分が捨て駒にされた事を悟った。そうなるだろうなと、思っていたが本当にするとは思ってなかった。
リリアは笑った。捨て駒で死ぬ事になっても、隣にマースがいる……これはこれで、本当に幸せなのかもしれない。リリアは最後に、マースの手を握ろうとした。
マースはいなかった。全く動きもみえず、いつの間にかリリアの前に立っていた。まるでリリアを守ろうかとするように。
「マース!!!無理よ!!」
マースはほんの少しだけリリアを見て微笑んだ。
「はははははははははは!!!終わりだ糞が!!所詮僕たちに勝てるわけがないんだ!!」
エルドラは勝利を確信して笑った。この技でいつも勝ってきた。バルカスは倒せなかったが、ダメージは与えた。そんな技を食らって跡形など残るはずがない!!どんな加護を持っていてもだ!!女神が与えた加護の最強の業だ。それこそ賢者、聖女クラスの勇者と同列の加護を持つ人間にしか防げない。
「やれやれ、まる子のブレスの100分の一もないな。まあ、木剣でも行けるだろ」
リリアは言っている意味が解らなかった。押し寄せる光の波に対してマースは緊張もしなければ構えもしなかった。逃げるつもりなど毛頭ない様子だった。
……そして、何でもない事のように剣を振った。
キイン……
リリアが気が付いたら剣の位置が変わった。左から右に薙ぎ払った筈、その動きが一切見えなかった。そして、目の前の見えないはずの空気が裂ける音がした。
光の本流は、その空気の断面に吸い込まれるように消滅した。全てを吸い込むブラックホールのように光を飲み込み断面は閉じた。
後には何でもない事をした顔のマースと、何が起ったのか解らない勇者一行がいた。
「……あ……あれ……え……」
エルドラは何が起ったのか全く理解できなかった。
「マース……これは……」
リリアはやっとそれだけ言えた。
「ああ、空気を切った。タカさんから教えてもらったんだけどね。どんな攻撃も魔法も、空気を伝達しながら伝わってくるんだって、だから自分に伝わる前にその場の空気を切っておけば、真空ってのが生まれて全部そこでシャットアウト出来るんだ。まあ、すんごい難しいんだけど、出来るようになるのに400年位かかったよ」
「……は?空気を切る?……そんな事……出来る訳が」
「出来るよ?きちんと自分の身体を理解してそのために長い事それだけやってれば出来る。どこを動かせば身体のどこが動くのか、ここを動かす為にはどこを意識すればいいか、骨の一本一本、筋肉の筋、流れる血、臓器、皮膚、そして何より大事なことは世界とつながる。それが出来ればいつかできるようになる」
「……ふざけるなよ……そんな事で、勇者の俺の力を……」
その時、空に大きな影が差した。その影は太陽を遮り、マース達のいる場所を全て覆うように降りてきた。
「あ、タカさんだ。まる子、お疲れさん♡」
エルドラたち一行は降りてくるものが理解できなかった。
太陽に輝く白銀の巨大な竜、一目見ただけで圧倒的な、それこそ神と言っていい程の力を持っていることが解る。そして何より美しかった。
本物の神など見た事もないが、見た事もない神より、よほど神々しいオーラをまとっていた。
身動きできない勇者一行を放って置いてマースはとてとてとその竜に近づいて行った。
「まる子、お疲れ。今回は結構かかったね?」
キュウウウンン♡
竜は親に甘えるひなのようにマースに顔を擦り付けた。本当に心から信頼している事が解った。マースも竜の頭を抱えてじゃれ合っていた。
「おんやあ?今回はお迎えが多いじゃねえの?おい、マース、どなたさん?」
そう、太い優しい、どこかとぼけた声が上から聞こえてきた。
「ああ、タカさんお帰りなさい。この人たちタカさんに用があってきたんだって」
「ほへ?俺に?」
その男は、竜の上からひらりと飛び降りた。
降りた瞬間に、気配が消えた。そのまま自然に融けてしまった様に存在が希薄になった。
「お前さんら?俺になんか用なの?……えーと、はいはい、勇者君とその一行ね。初めまして、噂はきいてるよ」
「わ、私たちは女神ホルスの神託に従って、この森に住む仙人様のお力を借りに参りました。あなたが仙人様ですか?」
ナルスは目の前の不可思議な人物にやっとそう言えた。
「ん?おお、俺が仙人様ですよ?まあ周りが勝手に言ってるだけだけど。のんびり暮らしているただのおっさんですwwお嫁さん募集中です♡」
「タカさん、聞いてないですよ」
「うるせえ、物凄く久しぶりに女の人に会ったんだ。セクハラくらいさせろ」
「アウトです。夕飯抜きにしますよ」
「失礼な事を申しました。私がこの森の仙人タカフミと申します。このようなむさくるしい場所までお越しいただき私、感謝の念に堪えません」
「タカさん、なんか気持ち悪いです」
「じゃあ、どうしろっての!!おっさんもうお前以外1000年位人間と会ってないんだから解らんて!!お夕飯はハンバーグがいいです!!」
「まためんどくさい物を、お肉用意するの大変なんですからね、仕込みもありますし」
「まあまあ、それも修行と思いなさいよ。何でも強くなるためだと思えば修行になるわけよ。家事だと思うから家事なの、修行と思えば修行ですよ?」
「タカさんの部屋の掃除も?」
「修行だな!!」
「……はあ、で、今回はどこに行ってきたんですか?」
「ああ、今回はなあ、最近なんか偉そうにしている奴が居たからちょっとボコってきた。なんか最後には泣いて謝ってきた。でっかいたんこぶいっぱい作ってやった」
「前みたいにまる子と一緒に島沈めたとか言うんじゃないでしょうね?」
「ばっか、おまえそんな時とはくらべものげふん、さあ、久しぶりの我が森だぞ!!ゆっくりさせてください!!」
間延びした空気が流れる中、エルドラは場の空気を換えようと叫んだ。
「ちょっと待った!!あんたが仙人だと言うなら僕らのパーティーについてきてもらおう。女神ホルスの神託だ!!いやだとは言わないよな!!」
「え?嫌だ」
何とも言えない空気が流れたが、エルドラはさらに叫んだ。
「そんな勝手な事が許されると思っているのか!!魔王を倒すためにお前の力が必要だと言っているんだ!!勇者である僕がここまで言っているんだぞ!!」
「そ、そうです!!これはこの世界を救うために必要なんです。今この世界は人間の存亡の危機が迫ってるんです!!」
「ふーん(鼻をほじってます)」
「ちょっとあんた!!私たちは女神ホルスの使いとして来ているのよ!!もう少し敬ったらどうなのよ!!仙人だかなんだかしらないけど、勇者と聖女と賢者が来てるのよ!!」
「すんごいねえ、加護の中でも激レアですねえ(鼻くそを丸めて飛ばしました)」
「……貴様、僕たちを舐めているのか……」
「いんや?うーんとね、まあ、はっきり言うとね。おれ、女神とかこの世界とか人間とか興味ないの。俺にとって世界ってのはこの森の事だし、それ以外どうなっても関係ないし。まる子とかこの森の家族がいればそれでいいし、まあ、手を出す奴いたら潰すし、君たちの事より今晩のマースがつくるハンバーグの方が大事だし。あっマース!!グリーンピース俺抜いてくれよ?」
「だめです、きちんと好き嫌いしないで食べてください」
「ち……おかんめ。結婚したら口うるさくなりそうだ。たいへんだなあ♡まる子♡」
きゅるるるるるるん♡
巨大な竜が顔を赤くして身をもじらせた。
「もう、我慢の限界だ。お前の手の一本でも切り落として無理やり連れて行ってやる。そして何でも言う事を聞くように躾けてやるよ……」
エルドラは聖剣を構えて、アミーは詠唱に入り、ナセルは全員に支援魔法を使った。
リリアは脱力して、何もできなかった。エルドラたちはリリアを見て吐き捨てた。
「この、役立たずめ……」
その言葉を聞いて、タカフミは表情が変わった。
「……おい、てめえら、今なんて言いやがった?」
「あ?役立たずだよ、最初はレアな加護持っているから入れてやったけど、今じゃ盾になるしか役に立たないお荷物だ。お情けで今回連れてきてやったのに肝心な所で役に立たない。これが役立たずじゃなくて何だってんだ」
「本当に、私たちの肉盾になるしか能がないのに、それもできないんじゃ生きている意味もないでしょ。せめて時間稼ぎくらいは出来ると思ったらそれもできない。大体最近はエルドラのストレス解消くらいにしか役に立ってなかったんだからもういらないでしょ」
「何故、あんな人に聖騎士の加護が付いたのか。もっとふさわしい人に着けばよかったのに、女だと言うだけで勇者一行に入っただけ、エルドラの子供も作ってお情けをもらうだけの無能に成り下がって……本当に汚らわしいですわ……」
リリアはそのまま、泣きだした。いつから、いつからだろう、いつからこんな事になったんだろう。
決まっている、マースを切り離した時だ。マースはいつもリリアが傷ついたら傍に居てくれた。ずっと頭を撫でてくれていた。優しい言葉を掛けてくれた。それでリリアはいつも救われていたのだ。
離してしまった時から、リリアは上手くいかなくなった。心にどんどん重い物が溜まっていく。何がよくて何が悪いのか解らなくなっていく。いつも胃の痛みと頭痛が襲っていた。
ただ、マースを突き放してしまった責任感で、ここまでやってきた。エルドラを愛そうと思い、一時期マースの事を忘れた。そして、エルドラはすぐにリリアに飽きた。
最後に残ったのは、やはりマースだった。そのマースは、遥か遠い存在になっていた。
自分と別れた事で、信じられない位強くなっていた。加護がない事など信じられない位に。
そして、変わらず優しくて、暖かくて、でも……目の中に、リリアは映ってなかった。そして、勇者一行の言葉でリリアの中の物がぽっきり折れた。
役に立ちたい、何かがしたい、自分が何者か知りたい、認めてほしい、誰か傍に居てほしい、私を見てほしい、それだけで……
……ああ、そうか、マースはこんな気持ちだったんだ……
ずっと、ずっとこんな気持ちだったんだ……世界から嫌われても、加護ももらえなくても、それでもそんな気持ちで、私の傍に居ようと頑張ってくれてたんだ……
それを、私は自分勝手な思いでマースを傷つけて、酷い事をして追い出した。そして、この森に追いやった。エルドラがこの森に送った……違う、そうさせたのは私だ……
情けなくて涙が止まらない。一番マースの事を知っていると思っていた。それなのに、マースの気持ちもわかってなかった。マースはどんな目に合っても私の傍に居ようとしてくれていた。加護なんてなくても、みんなに蔑まれても、心が壊れてしまっても、私の傍に居ようと懸命に頑張っていた。それを解ってなかった。
……もう、ダメだ……
リリアは動けなくなった。