壊れるまで、人間ってなんだ?……死ねばいいのに……
それから5年後
リリアは父と同じ聖騎士の加護を得た。
そして、今日マースも加護を受ける。教会で随時行われる儀式によりその人その人に加護が授けられる。女神ホルス象の前で神託があり、身体の一部分にその紋章が現れるのだ。
リリアが聖騎士の加護を受けた時には右腕の上腕に紋章が現れた。一般的にうでのどこかに現れる。紋章が浮き出た時、その人の人生が決定されると言っても過言ではない。
たとえ望むような加護が浮かばなくても、それが神の与えたものであるならばその加護がその人の生きる道である。ホルスの教えが広がっていたこの世界ではそれが正しいとされていた。
そして、マースは……何も浮かばなかった。
初めての事態であり、教会は慌てた。生年月日の間違い、その他理由と考えられる事は何度も考えた。何度もやり直した。やはり浮き出なかった。
騎士団に入り、訓練に明け暮れていたマースは努力を重ねて同年代の中では群を抜く成績を納めていた。誰もがマースは騎士、もしくはそれに類する加護を受けるだろうと思っていた。それなのに……
加護を持った人間には持っていない人間は絶対に勝てない。それがこの世界の決まりだった。ホルスという単一神が支配するこの国では、唯一魔獣。外敵から守るための神の慈悲だったのだ。
マースは歴史上、唯一の加護なしとなった。
神に嫌われた存在。そう、存在だ。人間ではなくなった。人間はホルスの分身であり、子供だ。それが人間を人間たらしめていた。
手のひらが裏返った。それまで尊敬の目で見ていた同期の少年少女はマースを居ない者として扱うようになった。教官もマースに時間を割くのがもったいないと相手をしなくなった。
食事も用意されなくなった。部屋は物置となった。気が付けば訓練などできなくなり、雑用をやらされるようになった。神に見放された者。それがマースの代名詞となった。
リリアはそんなマースを庇っていた。リリアはめきめきと頭角を現し、騎士団の中で副長として地位を築いていた。加護のおかげで出陣するだけで周りの力が上がる。そんな力を放って置くはずがなかった。アランは騎士団の総隊長として君臨していた。親子二代で聖騎士。ビブリオ家の力は騎士団の力でもあった。
マースが加護を受けられなかったと同時に、この世界に魔王が生まれる。魔族とも言われる一族を率いて人間の支配する地を侵略し始めた。油断していた人間はなすすべなく飲み込まれていった。
魔王はじわじわと確かに平穏に過ごしていた人間の世界を食い荒らしていった。
そして、勇者が現れる。ホルスの導きにより、その国の貴族、公爵の息子、エルドラが勇者となる事、加護が下ったと発表された。マースと同じ15歳。見目麗しい金髪碧眼の少年だった。武の経験などない。しかし、勇者という加護は強力だった。
圧倒的な力、魔力、カリスマを備えていた。世界がエルドラの為だけにあるような、全てを持って祝福されるような力を持たせていた。
エルドラは何をやっても良かった。魔王という人類共通の敵に対して全ての事が優先された。その為ならどれだけでも、どこまででも、それにふさわしいカリスマがエルドラにはあった。
訓練機関として、エルドラは騎士団に来るようになった。初日で教官を叩きのめし、魔法の訓練でも的を破壊した。
騎士団での世話役はリリアが任された。年も近く、お互いに特別な加護を持っている二人は気が合うだろうと思った王の采配であった。アランがそれを知ったのはずっと後になる。
人間は弱い。ある日、15歳の子供が好きにできる力を手に入れたらどうなるだろうか。それをたしなめる大人がいなかったらどうなるだろうか、どんなに良識を持った子供でも、その力、地位に溺れ無い事が出来るだろうか。
10代という不安定な時期にそんな力を持ってしまったら、おかしくなるなという方が不可能だろう。
そして、そんな年頃は自己顕示欲が人生で一番激しい。
リリアは自分の心が解らなくなっていた。マースの事は家族だと思っている。しかし、エルドラは特別なのだ。誰の目から見ても英雄だ。初めてだった。こんなにすごいと思える人は。
ガシャン……
エルドラを案内していると、マースが後ろから蹴飛ばされ、食器をおとしている姿が見えた。日常になっているのだろう。唾を吐かれ、罵声を浴びせられても何も言い返さないマースに腹が立った。
顔は青あざだらけで、足も引きずり、服はぼろぼろになり、こぼれた汚いパンを拾っている。違いすぎた。エルドラとは違いすぎた。
勇者、そして自分は聖騎士、なのに……マースは……
リリアはそれ以上マースを見ていられなかった。
リリアはそれ以降、マースに会いに行かなくなった。その分エルドラと一緒に過ごす時間が増えた。
年若い男女が一緒に居れば、自然とそういう雰囲気ににもなってくる。そして二人とも特別な加護を持っている。お互いにしか話せない事もある。
ある時、リリアはエルドラにマースの事を言った。小さいころから一緒に過ごしてきた兄弟みたいな男の子、結婚もしようと思っていたけれど、最近本当に結婚していいのか解らない。何よりも加護を持っていない。それなのに、必死に騎士団にしがみついていて歯がゆい。
もはやリリアの中で、マースの存在は小さくなっていた。そして、エルドラは一番リリアが欲しがっているであろう言葉を言った。
「それは、君とマース君は世界が違う問う事だろう。君は特別な人だ。君にはもっとふさわしい人がいる。マース君のことは忘れた方がいい。これ以上一緒にいるとお互いに不幸になるよ?」
リリアの価値観が揺らいだ。
価値観、そして住む世界が違うのならば将来一緒になることなどできない。この国でも特別な位置にいる自分とマースは釣り合わない。いくら幼いころから一緒にいたとしても、それだけで幸せになることなどありえないのだ。
「もし、このままマース君が騎士団にいたら戦火に巻き込まれ、早々に命を落とすだろう。やめるなら早い方がいい。加護も持っていなければ自分の事を守ることもできなくなる。力のなさを知り、引くことも立派な勇気だ」
リリアは何も言え無かった。
次の日、マースは訓練場に呼び出された。まともに食事もできないマースは痩せて、顔色も悪かった。その場にはエルドラがいた。
同期の訓練生もニヤニヤした目でマースを見ていた。
「剣をとれ、君は加護もないらしいな。そんな人間が騎士団にいると言う事だけでも腹立たしい。この場で引導を渡してやる。僕に触れることができれば君がここにいる事を認めよう」
理不尽な要求であった。まともに剣も触れない程マースは衰弱していた。頭がぼうっとしていまいち意味が理解できなかった。
「マース」
懐かしい声が聞えた……いくら頭が働いていなくても忘れられるはずのない声……リリアだ……
マースは久しぶりに見るリリアに忘れかけていた笑顔を思い出した。
「もう騎士団をやめて。あなたにはもう無理よ」
大事な人はそんな事を言った。リリアのために騎士団に入り、傍に居たかった人はそう言った。見た事もない冷たい顔で。
「加護ももらえなかったんでしょう?加護もなくて出来る程騎士は甘くないわ。舐めないでちょうだい。あなたの姿をここで見るたびに腹が立つのよ」
言われている事が解らなかった。
「君はリリアの家にすんでいたそうだね。それで勘違いしたんだ。君も出来ると、騎士になれると、できる訳がないだろう?そんな汚い顔で、やせ細って、まともに歩くこともできないで、君が騎士団にいること自体が間違いなんだ。だから、君に強制的にやめて貰う事にした。解っているんだろう?君に居場所なんかないって事を。せめて圧倒的なちがいを解らせて、あと腐れなく諦められるようにしてやる。勇者であるこの僕が」
世界が崩れる……ああ、フラッシュバックする……小さいころ、目の前で見た母さんの泣いている姿、信じていた者が崩れ落ちていく、お母さん……間違い……僕は、間違いで、生まれてきたの?
「マース、お父さんには私から伝えておくわ。あなたはもう騎士になれない。働き口は私が探してあげる。でも、私の家からは出て行って」
足が、震えて、
「弱いあなたではもう無理よ、私とは釣り合わない」
渡された木剣……何万回も振ってきた木剣、あれほど軽かった木剣、なんでこんなに重いんだろう……ああ、手に力が入らないんだ。
「リリアはもっとふさわしい男と結ばれるべきだ。君はリリアの人生にふさわしくない」
・・・
・・・・
・・・・・
「うわあああああああああああああ!!!!!!」
僕はそのまま勇者と呼ばれる男に突貫した。
加護が、力が、そんなに大切なのか!!そんなにあっさりと人間は手の平を返せるのか!!何もなかった!!僕の人生でいい事なんて何もなかった!!
本当に大切にしようと思った人にはいらないって言われた!!大好きな母さんは同じ人間に破壊された!!何が加護だ!!何が神だ!!神なんていない!!少なくとも僕にはいなかった!!
死なせてくれればよかったんだ!!あのまま!!あの場所で!!放って置いてくれればよかったんだ!!そうすればリリアと会う事も!!幸せを感じる事も!!そしてそれを無くす苦しみもなかった!!
一緒に笑っていた、頑張っていた同期のみんなから罵倒される事もなかった!!昨日まで一緒に飯を食っていた奴に後ろから蹴飛ばされる事もなかった!!毎日アドバイスをくれて褒めてくれた教官にゴミを見るような眼をされる事もなかった!!パンを一個恵んでもらうために土下座をすることもなかった!!
毎日毎日、みんなの排泄物を捨てに行って匂いが取れなくなって誰も近寄らなくなった!!食事をもらおうと炊事場に行ったら生ごみを投げられた!!それを漁って食べられる所を探した!!腹が減って仕方が無くなって雑草を食べていた!!
犬以下の生活をしていた!!それも、いつか!!いつか強くなって!!リリアの傍に行くために!!約束したから!!そのために!!
泣くこともできなくなった寂しさが解るか!!自分の力のなさに絶望した事があるか!!世界から拒絶されてどこにも居場所がなくなっていく気持ちが解るか!!
それでも縋ってきたんだ!!それしかなかったんだ!!たったひとつの糸だったんだ!!
切れた!!切れたんだ!!最後の想いを切ったんだ!!!強くなりたい!!加護がなくても強くなりたい!!どうして僕だけ!!世界で僕だけないんだ!!
料理人でも、農民でも、なんでもよかったんだ!!どうして僕には何もないんだ!!僕には道がないんだ!!小さいころに見たリリアの顔だけ!!それだけで生きていたんだ!!
殺してくれ!!殺して見せろ!!勇者!!勇者!!お前はこの世界で一番尊いんだろ!!だったら僕を殺せ!!この世界で一番価値のない僕を殺せ!!僕のなかのリリアごと!!!
殺して見せろおおおおおおお!!!!!
がつん……
うん!!大好き!!あのね、マースの事を考えるとなんか顔が赤くなって胸がぽかぽかするの……パパ、私何か変なのかなあ?
あの時、人生で一番嬉しかったあの時の言葉を思い出して
世界は真っ暗になった。
「終わったよ……リリア……」
「……うん、ごめんね、マース……」
「……泣くな、リリア。彼にはこの方がよかったんだ。このまま行ったら間違いなく彼は死ぬ。その前に、戦いの前に抜けてくれた方がいい」
「死んでないよね……」
「手加減はした……しばらくしたら目を覚ますだろう」
「……お父さんに、報告しなきゃ……」
「少し休んだ方がいい。この後、もう一つある……」
マースはそのままベッドに運ばれた。
エルドラはリリアに付き添い、その場を離れた。先ほどの沈痛な顔とは別の欲望をさらけ出した顔で。
目が覚めると……リリアがいた。
先ほどと同じ……冷たいゴミを見るような目で僕を見ていた。
……ああ、夢じゃなかったんだな……
「気が付いた?正直あそこまで弱いと思わなかったわ。失望したわよ」
……何も言えなかった・
「あれで良く解ったでしょ?自分がいかに情けないか。私と釣り合ってないか。全く、あなたなんかと仲良くしていたかと思うとぞっとするわ」
……何も、言い返せない。
「あなたは加護なし、私は聖騎士、あなたは平民、私は貴族、最初から釣り合ってなかったのよ。身の程わきまえなさい」
……何も……言えなかった……
「これからは顔を合わせる事もないでしょう。あなたはすぐに騎士団をやめて市井に戻ったら?農民だったんでしょう?最後のお情けでお金と土地を用意するわ。そこでのんびり畑でも耕す事ね。私の事は忘れてちょうだい」
……目がにじんで何も見えなくなった。
「……ふう……私は……エルドラと結婚……するわ……あなたなんかと違って、最高の男よ……勇者と聖騎士……ふふふ、お似合いでしょ?だから、私の事は忘れなさい……もう、私の人生に、あなたはいらないわ……」
……心も……死んでいく……
気が付いたら、リリアが消えていた。
代わりに……勇者と呼ばれる男がいた。
「良く解っただろ?君はもうリリアと会う事はない。君みたいに弱い男になんか用はないんだ。どれだけ自分が情けないか良く解っただろ?」
反応できなかった。
「正直リリアが手つかずでよかったよ?君はどれだけ好きだったんだい?まあ、貴族だから絶対に手は出されないとは思ったけど。それでも少し心配だったんだ。小さいころから一緒だったんだもの。僕ならとっくに手をだしていたもの?」
「あれだけいい身体してるもんな?そりゃあ好きになるよな?よかったよ勇者って言う加護をもらって。好きに出来るもんな?君には解らないだろうけど?安心して消えていいよ?リリアは僕がもらうから」
殴りたかった……殴る手が動かせなかった
「後はパパさんだけかあ、でも大丈夫でしょう、僕いい子ちゃん演じるのは得意だし。勇者だしね?聖騎士なんかよりよっぽど上だし。強ければ問題ないし。ははは。君という存在がいたおかげで可愛いお嫁さん手に入っちゃった。それだけは感謝しているよ?」
……口を動かそうとして、唇が切れた……水分は無くなっている筈なのに、血は流れた……入った血の味だけがリアルだった。
「君は一人寂しく、畑でも耕してたら?その間に僕が魔王を倒しあげるから?ふふふ、弱い弱い君を守ってあげるから。リリアは僕が責任もってもらってあげるから、さっさといなくなってね、リリアの態度で解ったでしょう?君はとっくに捨てられているんだよ♡」
ここもだ……ここも苦しみしかなかった……信用するから裏切られる……アラン……父さん……父さん?……あの娘の親……
……そうか、あの人も……僕を……
頭がぐるぐる回ったまま、僕は意識をもう一度失った。
僕はどうやら抜け殻になったらしい。
リリアとエルドラはその後まもなく正式に婚約した……僕は相変わらず、騎士団の雑用をやっていた。
ガリガリに痩せて、ぼさぼさの髪で、異臭を放ちながら、それでも僕は生きることがそこでしかできなかった……
リリアは僕を見つけると罵倒し、目障りだと言って騎士団をやめるように仕向けてきた。もう心も身体も何も感じない。本当に好きだったから、頭が壊れてしまったのかもしれない。
最後の味方もいなくなった僕は、何も考えずに泥のように生きていた。
そのうち、賢者、聖女、神獣使、と言った加護を持つ少女も見つかったらしいがそんな事僕には関係なかった。泥のように……泥の中でもがく蛾のように……
そして、その日が訪れた。
エルドラは順調に旅をしていた。だけど、所詮5人では限界かある、いつの間にか騎士団はエルドラの小間使いのような役割になっていた。主な活動は情報収集、エルドラがくるっまでの時間稼ぎ、探索、エルドラのために出来る事を探し、報告する事が主な仕事になって行った。
この世界には人類未踏の場所がいくつもある。そのうちの一つ。
無界神殿……それは森だった。しかし、人間が入ると二度と出てこられない森として禁忌とされている場所だった。
曰く、遥か昔に絶滅したはずの古代竜が住んでいる。曰く森から出る瘴気により、その森の生き物は異常な発達を遂げ別な場所では考えられないような凶暴さと強さを持っている。曰くその森に破一人だけ、仙人と呼ばれる人が住んでおり、到達したものに大いなる力を与えてくれる。
どれも眉唾な話だった。だけど、確かに森は存在し、過去、どれだけ屈強な人物も一度踏み入れたら二度と帰ることはできず、10000の軍隊も一夜も持たず全滅した。その遺品を捜索しに行った冒険者も帰ってこなかった。
森の生物は外に出てこず、他の場所に破被害がなかったため、この場所は人間が踏み込んではいけない場所、呪われた聖地としてこの世界からなかったものとして扱われた。
今も、命知らずな冒険者が未知の素材を求めて挑む事もあるが、成果があったとはなにも報告は上がってこなかった。
……だから、マースは選ばれた。騎士団に引き立てられるように馬に乗せられ、本隊が到着するまでのつなぎとして、無界へと連れてこられた。
もちろん、エルドラの采配であった。そもそも他の仲間はマースの事など知らないし、リリアにはマースはきちんと騎士団をやめて、どこかで平和に暮らしていると伝えていた。
リリアはそれを聞いて泣き崩れた。エルドラはマースはリリアの事を恨んで、憎んで、そして去って行ったと伝えた。そうすればリリアの支えは自分しかいなくなる。そうすればとことん依存してくれるだろう……
エルドラは笑いつづけた。
ここまで、全力で導入です。もし、この時点でマース君に感情移入できない方でしたらこれ以上ご覧いただくのはおやめください。でも、書き手はBANが怖いのでとことんまで追いやる事はしないです。それをやる時は本当にR15が出来た時になるでしょう。小学生に見られると思ったら何にもできません。