第2話
和希が神居古潭の山を登り始めて5時間ほど時間が経っていた。
休憩を入れながら黙々と歩いたが、気が付けば相当な距離を歩いていた。
そろそろ大休止がしたいと思っていると、偶然にも比較的広い川へと辿り着いた。
これ幸いにと適度な座りやすい岩を見つけ腰を下ろす。
休みながらお気に入りの懐中時計を取り出し時間を確認する。
ちょうど夕方5時だった。
まだ空は明るいけど、間もなく日が落ち暗くなる時間帯だ。
山間は思ったよりも暗くなるのが早い。
今日だけでも大分歩いて来たとは思うが、まだまだ奥は深く先は長そうである。
「……しばらく怠けてたが意外と歩けるもんだ。今日はここで野宿だな……夜は熊が怖いけど、まぁ、その時はその時だ」
水場もあることから、今日はここで移動を辞めて野営をすることにした。
和希は華奢でひ弱そうな見た目に反して野営が得意である。
元々の職に加え、子供の頃はよく家族でキャンプをしていた経験から、割と野外活動が得意だったりする。
まずは、なるべく平たい地面を見つけ草を軽く除去。
一人用テントをすばやく建て、そこから少しだけ距離を開け、手ごろの石を運んできて暖炉を作る。
日に当たって乾燥した枯れ枝や、北海道で多く存在する白樺の樹の皮等の燃えやすい物を拾い集め、それらを薪として火をおこす。
それから小さい鍋を出し、近場にあった川から水を運んで火にかけ、晩御飯の準備を始めた。
水は口に含み、飲んでも大丈夫かどうか確認してから使用している。
なんの保証もないが、山の上流からくる綺麗な水で、美味しく感じたのだから大丈夫だろう。
何か問題があったとしても、最悪、お腹が痛くなる程度だ。……のはずだ、何も問題ない。
お湯が沸くまでの間に熊対策で、野営地周辺に、小さく円状にビニールテープを適度な間隔で木に巻き付け、揺れたら音が鳴るように鈴を何個か付けた。
熊は基本臆病な動物だ。
体がビニールテープに触れて音が鳴れば恐らく、恐らく離れてくれるだろう。
それを是非とも期待したい、俺は熊以上に臆病なのだから。
お湯が沸いたので、カップにインスタントのパックみそ汁を作り、フリーズドライの野菜と冷凍していた鶏肉を少し出してシチューを作った。
あと、家から炊いて持ってきた米。外で食べる飯は何故かとても美味しく感じる。
普段とは違う自然の味わいを楽しみつつ、出した食料は素早くたいらげ、辺りはすでに薄暗かったがささっと川で食器を洗ってしまう。
残飯があると匂いで動物が寄ってきて危険なのだ。埋めてもダメ。動物は人間より嗅覚が鋭いので埋めた程度では隠したことにもならない。野生の動物に人間の食の味を覚えさせてはいけないことなのだ。何故かは……物語と関係が無くなってくるので今言う必要は無い事だろう。
片づけが終わってから少し焚火で火遊びをした。白樺の樹皮が意外にもよく燃える。シュワーという水分の蒸発する音と、パチパチと木の燃える音がたまらない、子供心が刺激されて結構楽しい。
自分がおっさんであることをつい忘れてしまいそうになる。燃え上がる炎を見ると、なんとなく心癒される気がする。
それからすっかり暗くなった夜空をしばらく眺めていた。
満面の星空がとても美しかった。
星一つ一つがはっきりと少し大きく見える。
街中では見られない、山キャンプの醍醐味の一つだ。
「冬越えの手段と食料さえあれば山暮らしも悪くないんだけどな」
それは希望的観測で思わず呟いたことだが、まったくもって甘い考えだというのは理解している。
水源はあるが、野営が出来る程度では大自然の中で生きてなどいけるわけがない。
在るのが当たり前の社会で育ってきた自分には、無いのが当たり前の世界で生きていくなど、とても耐えられることではないだろう。
それはわかっているのだが、ずっと家に引き篭っていたためか、この時間は思わず山暮らしを考えてしまうほど、とても心癒される魅力的な時間であった。
まだまだ夜空を眺めていたかったが、この時期の夜間はまだ結構寒い、山登り初日の疲労もあるので火の後始末をした後早めに就寝した。
♦
翌朝、鳥の鳴き声で目を覚ます。
とても気着心地の良い音だ。これが聞けるのも山キャンプの魅力の一つだろう。
周辺を手探りに、お気に入りの懐中時計を探し時間を確認すると、まだ4時過ぎだった。
起きるのはまだ早いけど、二度寝したら恐らく長寝になるので、やむなく体を起こし寝袋から出て体を捻る。
バキバキバキと腰やら手足の関節部から音がした。
流石に久しぶりの山歩きは運動不足もあって体に堪えてる様だ。
(年、とったな……)
そんなことを思いつつ、重い腰を起こして寝袋から出ると、外はまだ冷えていて、軽く身震いがした。そのままテントを出て体を温めるため軽く柔軟をした。
それからテントを出て周りを見てみると、ビニールテープに異常は見られない、どうやら熊などの危険動物は来なかったようだ。
川で顔を洗い、火を起こ……枝が湿ってて火が付かなかったので、仕方なく携帯用ガスボンベでお湯を作り、朝ご飯を食べ、インスタントコーヒーを飲んで軽く息をつく。
(今日はあの光の下まで行けるかな……)
そう、ぼんやりと考えてから、コーヒーを飲み干し出発の準備を始める。
テントをたたみ、ビニールテープと鈴を回収し、火の後始末をして周囲の地面と同じ草や葉で焚火の痕跡を消す。
ぱっと見、周囲は野営をした後には見えない。
俺は意味ありげに眼鏡をクイッっと上げる動作をする。
「フフフ、俺の追跡など、誰にも出来やしない」
言ってみたかっただけ。
ちょっと年甲斐もない若い頃の病気が入っているが、一人なのでどうか許してあげてほしい。
これから進む方向を少し考えたが、ちょうど川が真っ直ぐ奥に向かっているので川沿いを歩いていくことにした。
川の水は飲み水になる。昨日から飲み続けてもお腹が痛くならなかった。
これだけ綺麗な水が流れてるんだから生活水が引きやすいのではないかと思う。
もしかして、奥の川の源流辺りに民族の隠れ里なんかがあって、未だに隠れて生活している人がいたりなんかして……
今の時代それはあり得ないのだが、ちょっとだけ病的妄想を膨らませてしまった。
出発してから2時間おきに休憩を入れ、12時頃には昼ご飯を食べてさらに奥に進み始める。
少しづつ川が広くなってきている。
川に沿ってずっと奥を目で追ってみると、まだ結構距離があるが滝らしきものが見えた。ここから見えるということは、それなりにでかい滝だと思われる。
なんとなく、そこが終着点のような気がした。
まだ結構な距離があり、今日中にはたどり着けないと思われる。
ただ、とりあえず終着点らしきものが見えたことで元気が出てくる。
川の水で顔を洗い、少し休憩を取ってから再び歩き出す。
♦
夕方5時になった。
滝を確認してから概ね半分ほどは進んだだろうか。
ちょうど平らな地面もあるし、川も近いので今日はここで野営をしよう。明日の朝早くにここを出発すれば昼には目的地に着けるだろう。
そう決めると、手際よく野営の準備をして食事をとる。
素早く食事を済ませて後片づけをし、焚火を木の枝で突きながら空をぼーっと眺めていた。
今日も昨日に続いて快晴だった。
それ故に、夜空は吸い込まれるんじゃないかと思うほど真っ暗で、沢山の星々が輝いて見えた。
「……今日も綺麗だなぁ……」
綺麗な星に向かって今日も安全にここまで来れたことを感謝し、明日も何事もなく過ごせますようお祈りをする。
すると、普段祈りもしない自分が祈ったからか、それとも安全祈願がスイッチだったのか、突然、リリン、リリンと鈴の音が鳴り響く。
俺は慌てて準備していた松明用の木の枝を焚火から手に取り立ち上がる。
緊張からか、体から冷や汗のようなものを感じる。
熊のような脅威が接近することに備えて付けた鈴が鳴らされた。
こういう事態もあるかもしれないと、覚悟は決めてたつもりでも、怖いものは怖い。
鹿や他の小動物かもしれないけど、熊である可能性は十分にある。
もし熊であったならどうする?
下手に動いて刺激しない?
急に後ろを向いて逃げたりしない?
死んだ振りはダメだったはず。
もし襲い掛かられたら……死を覚悟して戦う?
鼻っ面を殴れば逃げてくれるだろうか。
和希は焦りを隠すように冷静を装おい、勇気を振り絞って色々思考しながら周囲を警戒し、鈴を鳴らしたものの正体を探るのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
異世界に行く20話までは、毎日2話投稿できるように頑張ります。