アルフレッドの思惑
「び……『BWP』濃度が0パーセントを切りました。そしてナンバー00が降伏を宣言……」
主任研究員の絞り出したような声音。
目下の実験は藤ノ宮麗、胡桃沢幸奈の殺害に失敗。
データ収集に当たっていた全ての研究員の口が閉ざされる。
緊急自立回避システム。
遠隔魔力供給。
実験の失敗を恐れた対応策が、ことごとく打ち破られたのだ。
「ナンバー00の制御権消失、ここから彼女を遠隔操作することはできません」
現実と直面しながらも、1人の研究員が口を開いた。
『BWP』は完全に消失。
彼女にかけた洗脳が取り払われた今、もう1度実験を再開することなど不可能である。
「――あちらの手に堕ちた以上、狗神もえかは駄々をこねて私たちの言うことは聞かないわね」
アルフレッドが疲れた顔で嘆息する。
背もたれに背中を寄せ、ソファーを軋ませる。
「まさか負けてしまうとは思わなかったわ。吉野蒼汰は敵に回すと本当に面倒ね」
机の上のティーカップに手を伸ばし、すっかり冷めた紅茶を喉に流し込むアルフレッド。
スクリーンに移された監視カメラの向こうの彼ら。
手を握る蒼汰と、顔を赤くしそっぽを向き続けるもえかの姿が映し出されている。
「あ……アルフレッド様……」
パソコン画面に噛り付いていた研究員の1人が、アルフレッドに声をかける。
「どうしたのかしら?」
「彼らが今いる通路なのですが、あの先には――」
研究員の顔色に雲がかかる。
彼の焦りの表情に訝しさを覚えるが、すぐにその意味にたどり着く。
「――そうね。準備していたハンターを投入しなさい、それと、彼女の機密保持のための機能は?」
「はい、すぐにでも悪あがきが作動します」
「分かったわ、仕事に戻りなさい」
「承りました」
研究員はすぐに自身のデスクに戻り、周囲の研究員に声をかけ、制御盤の操作を開始する。
「それと、あれを起動させなさい。こうなった以上、吉野蒼汰もまとめて殺すしかない」
婉曲的なアルフレッドの指示。
研究員たちはその意味を完全に理解し、驚嘆を表情に浮かべる。
「ですが、大天使は体制派にとって――」
「残念だけど、今は大天使の力が脅威なのよ。組織を守るためには、殺すのが最適なの」
「それでは体制派上層部の反感を買うどころではありません! そもそも体制派は、大天使強化計画を主軸に動く組織なのですよ!?」
「大天使が体制派の足を引っ張ろうとしているのよ。ファルネスホルンを潰すために足枷となるのなら、排除するのが合理的判断でしょう?」
「そ、それでも!!」
「――私はスポンサーであり、そして上層部の椅子に座れる立場なのよ。私の意向を一方的に無視なんてできないわ」
アルフレッドの切り返し。
それ以上、研究員は口を開けなかった。
「――現状を再確認しましょう」
不安げな表情を浮かべる研究員たち。
アルフレッドの隣で無言を貫いていた体制派幹部。
彼は、ただ黙って彼女の言葉に耳を傾けていた。
「今回は残念だけれど狗神もえかは諦めるわ。でも勘違いしないで、彼女は我々の計画の内の1つに過ぎないのよ」
彼女1人を失おうとも、データを抽出できている時点でそれほどの損害ではない。
だが、研究員たちが真に納得できないのが次項である。
「そして大天使の強化計画は、本来体制派の存在意義と言ってもよかったわね――」
――でも、それが返って私たちの脅威になるのであれば、彼女の存在に意味はないわ。
アルフレッドの発言が、場の白衣の男たちの背筋を凍らせる。
「そもそも、狗神もえかには対大天使戦を想定して洗脳遮断装置が搭載されているのよ。開発した立場なら自明のことでしょう?」
そうである。
狗神もえかに洗脳遮断装置を実装した張本人は、彼ら研究員なのだ。
そしてそれが意味するものは、保険として大天使殺害が初めから想定されているのだ。
「大天使を強化することによって得られる利点は、一体いつ現れるの? 戦争が長期化すれば戦争継続能力も低下していく――」
苦虫を噛み潰したような表情が、観測席を埋め尽くしている。
それでも言うべきことは言わなくてはならない。
「どんなに魅力的な計画も、来たる徹底攻勢に間に合わなければ意味がないの」
明かされたアルフレッドの思惑。
体制派の根幹を揺るがす発言を前に、研究員たちは憂苦に苛まれた。
アルフレッド自身、自分の発言が彼らを困らせてしまっていることは理解している。
そして、彼らが最も憂慮している点も把握済みだ。
「私の派閥に忠誠を誓う限り、あなたたちの身の安全は保証するわ」
研究員たちは、大天使殺害を主張するアルフレッドの傘下にいる者たちだ。
本来アルフレッド財団は体制派とは別組織だが、財団と合併しつつある今は、もはや別組織などと言えない。
彼らは体制派上層部に処分されるのではないかと危惧しているわけだ。
「――それに、あなたたちの心配が完全に無くなる時はいずれ来るわ」
研究員たちに向けられた強い瞳。
それは確信めいたものを想像させる、揺らぎのない瞳であった。
大天使に拘って、体制派が潰されてしまっては意味がない。
研究員たちの不安を取り払うアルフレッドの宣言。
それに感化された1人がデスクに向き合い、それにつられて他の者も各々の職務に戻る。
一応のやる気を取り戻した彼らを満足そうに眺め、アルフレッドはソファーに深く座り直した。
「――研究技師らへの意志貫徹、お見事なものでした」
ソファーの後ろに立つクリスティアーネが声をかける。
「ありがとうシュヴァインシュタイガー。近いうちに審議会にさっき言ったことを上申するわ」
「……吉野蒼汰、もとい大天使の殺害のことですか?」
それしかないだろう、とでも思われそうな当たり前の質問をぶつける。
「そうよ。あなたはこの件に関して、何か含むところはあるのかしら?」
「――いいえ。目下の情勢を鑑みますに、大天使強化完了を待っている余裕はないものと判断します」
それが実際のところの、体制派の状況である。
戦争の長期化がもたらす問題は、戦勝後の統治政策に多大な影響を与える。
大量の戦死者に加えて、莫大な戦費投入による経済力低下。
負債はできる限り最小限に留めることが肝要である。
「展望の見えない大天使強化に固執する上層部、それに反対の意を述べるアルフレッド様」
――どちらが体制派に貢献を成し、どちらが弊害を成すかなど明白です。
「なお、私は大天使に代わる計画があることを承知しています。それがアルフレッド様がファルネスホルンへの徹底攻勢の繰り上げ上申をした理由ですよね?」
大天使の完成を待たないファルネスホルンへの総攻撃。
アルフレッド派が強硬に主張する、戦争終結のための反撃である。
「ええ。人工魔法少女関連の計画も満足できるレベル、そして第4計画もほぼ完了済みよ」
「はい。特に人工魔法少女関連の疑似大天使の洗脳装置の量産化に当たって、明らかになったこともありますね」
「そうね。黒い翼の量産ができても、そこに洗脳能力を付与することは不可能だと結論付けることができたわ」
もえかの背中から生える黒い翼――疑似大天使の洗脳を実現させるためのものである。
人工魔導発生ナノマシンを応用的に使用し、大天使の奇跡を再現させる。
「そのことですが、黒い翼の量産実験の被検体の1人――ヘスティア・シュタルホックスが奪われた自我を取り戻すきっかけとは何だったのでしょうか?」
もえか以外の黒い翼を授けられた被験者は、総じて自我を失い、戦闘狂のように堕ちていった。
当初ヘスティアもそうだったが、徐々に自己をコントロールし始めたのだ。
今回の実験では完全に自己意識を確立させ、本来の彼女としてもえかと戦った。
「おそらく意志の強さが作用したのではないかしら? 世の中の法則として、『意志』というものは非常に強力な効力を持っているの――」
――ヘスティア・シュタルホックスや狗神もえかが『BWP』の自我支配に対抗できたのもそれが所以よ。
「ただ、狗神もえかの黒い翼に共鳴して、強制的に引きずり出されてしまうのはどうしようもないみたいだけど」
量産された黒い翼は、もえかの黒い翼の出現に共鳴し、所有者の承認を聞かずに強制展開される。
「渋谷サイコハザード――ファルネスホルン呼称『赤く滴る夜事件』においても同様でしたね」
「そうね、でもラスコー洞窟のブルギニオンとの戦闘時は自発的に出していたわ」
あの時、敵を殺そうとした『意志』が悪魔を降臨させるきっかけとなった。
そして麗の呼びかけを聞き、本来の自分を取り戻そうとしたヘスティアの『意志』が働いて、本来の彼女を表出させたのだ。
「やっぱり人工魔導発生ナノマシンが定着しても、その性能を全て引き出すことができる人材は――」
「――狗神もえか、彼女だけになりますね」
その事実がある以上、彼女のクローン化企画は重要な意味を持っている。
まだ先行量産型を作ったに過ぎない。
徹底攻勢に備えて、早急な準備が必要であろう。
すぐに戻って仕事に取り掛かりたいものだ。
アルフレッドは吉野蒼汰殺害の吉報を待ち、静かに監視カメラ映像へと視線を転じた。




