少女は呪う
ずっと夢見てた。
様々な世界から来た異世界転移者たちが、いくつかの神の勢力に所属し戦っている今日。
彼女だけは、こんな狂った争いとは遠く離れた存在でいて欲しかった。
制服に袖を通して校門をくぐり、そしてステージの上でマイクを握る。
拳打も返り血も似合わない彼女こそが、蒼汰にとっての彼女であったのだ。
いつまでも続くと思っていた幻想。
唐突に突きつけられる現実。
長く幸せな夢から覚めた蒼汰は、加虐な赤色でメイクした狗神もえかを見つめていた。
「蒼汰君……」
恐怖に染まった瞳で蒼汰を見つめるもえか。
ガクガクと全身を震わせ、自らの体を抱くように腕を回す。
「い、いや……見ないで……見ないでぇ!!」
室内全体に轟く絶叫。
体を背け、その場に膝から崩れ落ちる。
両腕で体を隠そうと必死になった。
それでも、血跡や垂れ下がったコードを隠し切れない虚しさが残った。
「私……私は……」
貯蔵の限界値を超え、規定量を超えた悲しみが涙となって流れ落ちる。
「もえか……」
泣き崩れた幼馴染の少女への気がかりが、蒼汰を無意識的に駆り立てる。
「――行っちゃだめ! 吉野君!!」
もえかに近づこうとする蒼汰を必死に抑えつけるユキナ。
まともに力の入らない全身に力を込め、必死に蒼汰を拘束する。
「あの娘は普通じゃないの……危ないから行っちゃだめ!!」
――普通じゃない。
「そんなことわかってるよ!」
わかっている。
わかっていても、それでも――
「もえか……」
それでも、もえかの傍へ行きたかった。
蒼汰の我儘を必死に否定するユキナは、さらに抱く力を強めた。
「お願いだから、吉野君。あの娘が私を……私たちを……」
ユキナは抵抗を続ける蒼汰を諭し続ける。
彼女はもえかと面識がある。
宇宙エレベーターでの一件で、蒼汰がもえかに対して普通以上の感情を持っていることに気が付いていた。
蒼汰にとって大事な幼馴染であり、大切な女の子である。
『クルス研究機関』から持ち帰ったファイルを見て、狗神もえかが『人工魔法少女計画』の被検体であることを知っていた。
蒼汰にはそのことを隠しておきたい、そう思って麗と幸奈の2人だけでこの場所に潜入したのだ。
「吉野君にとって大事な人なのは知ってる、あの娘が吉野君を大切にしてるのも知ってる――でも、それでもだめなの!!」
――狗神もえかは危険すぎる。
大天使利用派である体制派である故、蒼汰を殺すことはしないだろう。
だが、彼らの主敵はファルネスホルンと反体制派である。
事実上ファルネスホルン側に属している蒼汰たちにとって、あの存在とは敵意を交わす関係であることに変わらない。
「もえかさんは敵なの! それを理解して!!」
蒼汰は突きつけられた現実に、無駄な足掻きたる断固抗議を表明した。
「危険のなのも、敵側であることもわかってる。けど、あの娘は――」
――もえかなんだぞ!?
恋焦がれる狗神もえかと敵である狗神もえかの2人が蒼汰を苦悩させる。
宇宙エレベーターからフランス、そして渋谷にかけて本物の闘いに身を投じてきた。
自らに突きつけられた役割と責任を負うことを決意し、彼は成長したはずだった。
伸ばした蒼汰の手のひらは、彼女の頬に届くことはなかった。
「こっち見ちゃだめ……見ちゃだめなの……」
知られたくない裏の顔――それを蒼汰に見られ、もえかは絶望に染まった声音で鳴いた。
「蒼汰君に……蒼汰君に知られちゃったら私……」
上擦った言葉は宙に消えた。
ぺたりと座り込んだもえかの膝元に次々と流れ落ちる涙。
狂乱寸前にまで追い込まれた彼女は、乱れ切った心の遣りどころを求めて声を張る。
「蒼汰君が……私のこと嫌いになっちゃうよぉっ!!」
自暴自棄に肌に爪を立て、整えられた指先に赤が塗られる。
「やだぁ……やだやだやだやだぁっ!!!」
柔肌だけでは物足りず、もえかの10爪は頭にまで牙を剥き始める。
「もういやぁぁぁぁ! 殺してぇ!! 私を殺してよぉ!!!」
心の重圧の攻撃性が頭を攻め、数本の髪の毛をむしった少女の慟哭は、それまで沈黙を守っていた傍観者の平静を打ち破る。
『――ナンバー00、目標2健在、まだ実験を完遂できていません。直ちに目標2を殺害してください』
実験場全域に轟く男の声。
どこからかスピーカーを通じて飛ぶ指示が、もえかの肩を大きく震わせる。
『――繰り返します、胡桃沢幸奈を殺害してください。でなければ正確なデータをとることができない』
この場を覗き見する者からの命令。
男の声にビクつきながら、泣きじゃくった彼女は掠れそうな音量で呟いた。
「……私には……できません……」
応答は否定だった。
蒼汰に忌々しい今の姿を見られ、今日まで演じてきた綺麗な狗神もえかは死に絶えた。
舌を噛み締め、口の端から鮮血が溢れようがお構いなしに、もえかは自らの運命を呪う。
『――狗神もえか!!』
もえかの言葉を制する怒号。
『――君は大天使と同じく体制派にとっての資産だ。我儘を言える立場ではありません』
闇の中の少女を、さらに深遠な闇へと誘う言葉。
それでも、これ以上墜とされることを嫌い、これ以上蒼汰に闇を見せることを厭う。
「もう嫌だ……もうやめて……」
幼少の頃からの地獄の日々。
神や大人たちの夢に付き合わされる日々だった。
完全体として完成したって嬉しことなんて何もない。
ただ耐えがたい恐怖と不安が重くのしかかるだけだ。
「嫌だ……嫌だ……」
もえかの拒絶は終わらない。
それまで一方的に命令を下していた男の言葉が不意に止まる。
煩わしさを感じさせる嘆息を吐き捨て、再びマイクに注がれる。
『――了解した』
たった一言。
それまで一方的な言葉を発していた男はもう一息つき、最終勧告なしに強硬案を提示する。
『――これより『BWP』を投与する』
――『BWP』。
蒼汰も聞き覚えがあるアルファベットの羅列。
シンデレラポール女王になるはずだった少女を呑み込み、望まない蒼汰との戦いを強制した薬品。
『BWP』と聞き、もえかの表情が一層絶望に染まる。
「や……めて……それだけは……」
もえかは焦った様子で首に巻かれたチョーカーに触れる。
自身を縛るその首輪を鷲掴み、強引に引き千切ろうと力を入れる。
もえかが指に力を込めた時、チョーカー内側の注射器が肌を突いた。
少量の液体が注ぎ込まれ、それが血の流れに乗って脳へと到達する。
『――投薬成功。ナンバー00、再覚醒』
湧き上がる殺意と戦意。
泣き腫らした表情はみるみるうちに変貌していき、その顔は感情のない人形へと成り果てる。
右目を赤色に染め上げ、ゆらりと緩慢に立ち上がる。
もえかの一変を目の当たりにし、蒼汰はすでにユキナの拘束に抵抗するだけの力を抜け切らせていた。
ユキナは魔法のステッキを握りしめ、お腹を押さえながら立ち上がる。
僅かに生きた照明の光の前に立ち、腹を押さえる手を血で汚しながらも、目の前の未知の魔法少女に再び立ち向かう決心をつけたのである。




