幸子の事情
「幸子さん……何だってこんなところに……」
こんな場所で再会するなど、誰が想像できようか。
『システムヴァリアラスタン』の領域内で起こった、前代未聞のサイコハザード。
それに巻き込まれ、その安否など掴みようもなかった女性だ。
「蒼汰君こそ、どうしてここに?」
両者が互いにこの場に足を踏み入れている理由を問うている。
蒼汰も幸子も、どうして相手がここにいるのかを理解しかねているのだ。
「――私はこの施設に保護されてるの、あの日から……」
先に理由を明かしたのは幸子だった。
「……保護ですか?」
難を逃れた最もな理由。
だがあの場にいた蒼汰にとって、その最もな理由というものは納得のできるものではなかった。
(あの状況で保護なんて現実性が低いと思うけど……)
あの夜、渋谷全域に渡るサイコハザードは人間性というものを根本から破壊したものだった。
行政も完全に麻痺し、暴動を制する手立ても様子も全くなかったはずだ。
それ以上に――
(どうして幸子さんが研究所に保護されるんだ?)
繰り返しになるが、あの災害の中で一般市民の救出が可能であった幸運な組織など例外を除き存在しなかった。
それができる余裕を持っていたのは、あの場で暗躍していた体制派か、その他のファルネスホルン及び反体制派だけであろう。
狗神幸子を一個人を助ける理由など存在しない。
「幸子さんは……」
ここまで要素が絡めば疑惑浮上は明快である。
「どうして保護してもらうことができたんですか?」
言葉を濁さず、語尾を強めて究明に取り掛かる。
これは自分の勘違いであるという考えも否定できない。
何らかの因果で保護されただけで、彼女が蒼汰を取り巻く状況に触れる人間ではない可能性も十分にありえる。
そう思いたかった。
自信をもって幸子の潔白を信じたかった。
信じ、期待し、打ち砕かれる。
「私がもえかを……預けたから……」
幸子の口から語れらた答え。
蒼汰の信心をストレートに握り潰した斜め上の回答。
「娘の提供の見返りとして、私は生活を保障されてる。多分身の安全もそのうちの1つ……」
もえかの提供。
結びつき合ってはいけない2つの単語が脳内で反芻する中、蒼汰は驚愕を口にする。
「提供って……だって幸子さんは、もえかと離れ離れになった時のこと覚えてないって――」
「――嘘ついてたの……もえかと離れ離れになっちゃった理由」
落涙と共に打ち明ける。
「私が自らもえかを手放したの……それがあの娘のためになるって信じてたから……」
幸子の罪の意識が蘇り、刻々とその濃度が上昇する。
両手で顔を覆い、指の間から嗚咽が漏れる。
蒼汰は腹の内から止まることない感情が湧き上がるのを感じた。
幸子の話と自分の予想を連結させ、昇華。
娘のもえかを3組織のいずれかに受け渡すことにより、母親の幸子は衣食住安全の恩恵を受けた。
「幸子さんは、そんなことして――」
張りそうになった声を全力で抑える。
幸子を責め立てたところで、現実が変わるわけではない。
感情を剥き出しにしたところで意味はない。
「……」
落ち着け。
今は追及などしている余裕はない。
「……とりあえず安全な場所に退避しましょう。他にも銃を持った人がいるかもしれませんし……」
その場から動く素振りを見せない幸子のか細い腕を掴む。
幸子は抵抗する様子もなく、ただ蒼汰に成されるがままにヘスティアの前まで連れて行かれる。
「ヘスティアさん、幸子さんを安全な場所に連れて行ってあげてください」
蒼汰の要望を耳にしたヘスティアは、瞳を大きくさせる。
「そ……それじゃあ蒼汰君は……」
「僕1人であの扉をくぐってみますよ」
蒼汰の視線が『第1実験場』に向けられる。
ヘスティアも蒼汰の視線に追従し、蒼汰の意思を再認識した。
「……大丈夫なんですか?」
「僕だって自分の命は大切にしますよ。でも幸子さんの命だって大切なんです」
幸子に対して怒りが収まったわけではない。
だが怒りが沸いたからといって、この場に放置していくような残酷なことはしない。
幸子は銃を持った男たちに危害を加えられることは決してない。
だがそれを知らない蒼汰は、一般人である幸子の身の安全に重点を置いていた。
「幸子さんを連れて行った後、すぐに戻って来てくださればいいんです」
「……そうですね。蒼汰君なら大丈夫ですね」
ヘスティアの躊躇いが変容した。
「私もすぐに追いつきます」
魔法少女たちに比べ、戦いの経験の浅い蒼汰であるが、彼の中には確かな強みがある。
実際に蒼汰と戦ったヘスティアはそう思うのだ。
それに彼は大々的に大役履行を宣言した。
ここまで格好をつけたのだ。
ヘスティアは蒼汰の見栄を否定するような腹積もりはない。
「――では行って参ります」
ヘスティアは幸子の腕を掴み、魔導源に火を入れる。
退場する幸子を見送るため、蒼汰は握りっぱなしだった彼女の腕を離す。
ヘスティアと幸子の体が宙に浮く。
徐々に徐々に速度が加速し、吹き抜けのメインシャフトを一筋の光となって上昇していく。
発射時の暴風を全身に受けながら、蒼汰は踵を返した。
麗と幸奈が通ったであろう道筋を蒼汰が1人で進んでいく。
重たい空気の漂う通路の先に待つ『第1実験場』。
蒼汰は何かを封じ込めるような重圧な扉の前まで到達し、開閉ハンドルに手をかけた。
全力を振り絞らなければ開くこともできない扉が開いた。
扉の隙間から実験場内の照明の光が漏れ出した。
目を細めながら入室した先は、まさに異空間だった。
そこは1つの街だ。
どこもかしこも建造物が立ち並び、木々が林立し、小さな川さえ流れていた。
「実験場……」
背後で扉が閉まる。
いくつかの照明が破壊された場内は、通路ほどではないが、暗がりである。
一歩一歩歩みを進めるごとに、足裏で砂利が転がる感覚を味わう。
舗装されたアスファルトは砕け散り、周囲に瓦礫が散乱したストリート。
五体満足でそびえ立っている建物が多いが、中には完全に倒壊し、ところどころ道を塞いでいるのが見える。
燃え盛る炎が建物を焼き、溶断された電柱が地面に倒れこんでいる。
これらは戦闘の痕である。
「……」
今のところ人影は見えない。
蒼汰は麗と幸奈の姿を求め、街並みの中へと入りこんでいく。
実験場の奥へ進めば進むほど火の気が増え、気温が上がる。
魔法少女たちだけでなく、敵の姿も確認できない。
不意の遭遇に備え、十分に周囲を警戒しながら建物の間をすり抜けていく。
木々を抜け、川を渡り、そして道路を横断した。
(ここまで広い場所なんて、歩き回って探すのは無理があるかな……)
蒼汰は一度立ち止まり、近くに建っていたビルの中に入り込む。
ビルの中は暗闇だった。
窓から差し込む光以外に館内を照らす明かりは存在せず、自分のシルエットさえもはっきりと視認することはできない。
蒼汰は高い位置から実験場を見渡すべく、上階へ上がる。
階段を上がり、6階の踊り場を抜けて最上階へ。
「ここなら……」
最上階の部屋の景観は簡素なものだった。
割れたガラスの散乱した床とポツンと配置されたデスクだけが目についた。
それ以外の調度品の類は見受けられない。
蒼汰はデスクとは反対側の窓際に近づき、頭を出し過ぎないようにして下界の様子を伺う。
街の様子はどこもかしこも似たようなもの。
以前の渋谷と同じ光景である。
相違点といえば、人の姿が全く目に入らないことであろう。
「どこだ……藤ノ宮、胡桃沢……」
高い位置からの捜索により、大方の居場所を絞り込もうと考えた蒼汰だが、そのアテは見事に外れていた。
戦闘の音がしない以上、生きていればどこかに息を潜めている可能性が高い。
それならば、いくら高い場所からの捜索も意味がない。
この時、蒼汰は気が付いていなかった。
アテが外れようとも、血眼になって街並みを細部まで睨みつける。
そして気が付いていなかった。
蒼汰は最上階にたどり着いた後、真っ先にこの窓にまでやって来た。
反対側にあるデスクは絶好の隠れ場所であり、そして人が身を潜めるのに十分な大きさだということを知覚していなかった。
さらに気が付いていなかった。
そのデスクからズルズルと体を引きずって忍び寄る存在に。
床を這いずる擦過音を認識できない蒼汰の肩を、その手が掴む。
「――っ!!?」
蒼汰は足元のガラスを盛大に踏み割りながら、反射的に背後を振り向いた。
「……吉野君……」
胡桃沢幸奈。
霊装による変身で衣服をチェンジし、爆発的に戦闘能力を底上げできる魔法少女。
「胡桃沢……胡桃沢!!」
隠密を忘れて大きく声を張った。
「胡桃沢……やっと見つけた」
蒼汰は歓喜のあまりユキナの両肩を掴んだ。
「はは……来ちゃったんだね……吉野君」
はにかみを浮かべて蒼汰の胸に吸い込まれるユキナ。
脱力し切った彼女の体重を支えながら、蒼汰は問いかける。
「藤ノ宮は一緒じゃないの?」
姿を見せたのはユキナだけである。
「麗ちゃんは……どこなのかわかんない……」
絶えそうな息で返答するユキナ。
戦闘後の疲労であるのか、ダメージなのか。
暗がりである故に、目に見える異常個所は発見できないが……。
「……僕が藤ノ宮を見つけてみせるよ。胡桃沢はここで休んでいて」
そう呟き、彼女の密着を解こうと思った時、急にユキナが全身を硬くした。
強張った肢体が震え出し、じんわりと染み出した汗が蒼汰に触れる。
「胡桃沢……?」
暗い室内で、胸に顔をうずめる少女の顔は見えない。
ユキナは蒼汰の制服を両手できゅっと握る。
「……吉野君」
掠れた声音でユキナが名を呼ぶ。
「どうしたの?」
「……来た」
――来た。
彼女の言葉の意味を理解し、蒼汰は期待と不安が混じった視線を入口へ向ける。
そこにいたのが麗であればどれだけよかったことか。
探し求めた少女2人と合流できれば、すぐにでもこんな場所から逃げ出せた。
ユキナをここまで浪費させた奴であればよかった。
自分が、誰かが死ぬかもしれない戦闘は怖い。
でもそれはいつも通りの非日常。
ヘスティア、麗、ユキナ――
彼女たちが傷ついてしまえば、蒼汰だって胸が苦しくなる。
しかし、蒼汰は魔法少女たちと戦うことを決意し、彼女たちもそれを誓った。
負傷や戦死だって覚悟の上である。
その覚悟が保険となって、蒼汰の心を何とか踏み留まらせていた。
「――どうして」
だが、そんな蒼汰であっても1人の人間である。
大切な誰かが血に汚れた戦いに関わっていたとしたら、踏み留まっていた足元が崩れ落ちる錯覚に陥ってしまうかもしれない。
「蒼汰君……」
その少女は蒼汰の名前を呟いた。
その声、その呼び方。
蒼汰は彼女の姿と声を認識し、頭の中で記憶と結びつけた。
そして今、その正体が確定する。
「……もえか」
狗神もえか。
蒼汰の馴染みであり、慕情を寄せる少女。
ところどころコードを垂らす機器を装着し、全身をススと血液で彩った狗神もえかが、蒼汰と同じ驚愕の表情で立ち尽くしていた。




