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研究機関へ

 小さな蛍光灯も備えられていない、真っ暗な空間。

 数えることさえ億劫になる段数の梯子に、がっちりと掴まって下階を目指す。


 ローファーとヒールが金属製の梯子を踏みつける音が轟き、幾重にも反響するそれはやがて消えゆく。


 火力発電所倉庫内に偽造された、地下研究所へと空気を送るためのプロペラ整備構内。

 いくつか存在する複数のプロペラへとアクセスできる、横穴の存在する区画を通り過ぎた。

 麗とユキナは、地下300メートルまで続く梯子を一歩一歩踏みしめながら下っていた。





「――演技って……演技?」


 ユキナの支離滅裂なセリフ。


 数分前。

 体制派(システマイザー)に大々的な資金援助を行う、ファルネスホルン聖域最大の財閥である『アルフレッド財団』のトップ――アルフレッドと遭遇した。


 今回の麗とユキナを触媒とした、連中と体制派(システマイザー)の計画の最終トライアルを見物するために、この発電所にまで足を運んだようだ。


「――アルフレッドを信用させるためにも、ああするしかなかったわ――本当にごめんね」


 クリスティアーネはぺこりと頭を下げる。

 再三にわたる謝罪の言葉。

 別に彼女に悪気があったわけではないので、真実が明るみに出た以上、ユキナにとって先ほどの戦闘は、もう気にすべきことではない。


「クリス、それ以上の謝罪は不要よ。それにもう行かなきゃでしょう?」


 派手にやらかした戦闘後である。

 万が一発電所従業員が異変に気が付いていたとしたら、この場に確認しに来る可能性が高い。


「アルフレッドを守るために実際に私たちと戦って演技したのだから、あの女の信用を裏切ることはないと思うわ」


 アルフレッド財団への潜入任務を負うクリスティアーネにとって、その正体の露見は避けなくてはならない。

 これから先もアルフレッドの信頼を維持し続けるためには、たとえ仲間であっても武器を向けなければならない状況はある。

 それ故、事情を知っている麗も彼女に合わせるように、命懸けの演技の手伝いをしたということだ。


「……そうね、ありがとう2人とも――さっきの戦闘に関しては、上手く言いくるめておくから」


 もう時間だ。

 クリスティアーネも麗やユキナも、すぐに各々の職務に復帰しなくてはならない。

 クリスティアーネは2人に手を振り、踵を返す。


 クリスティアーネは背を向けた後、倉庫を出ていくのではなく、ピタっとその場で足を止める。


「――麗、胡桃沢幸奈」


 背中を見せたまま、クリスティアーネは2人の名前を呼んだ。


「私は今回あなたたちに協力はできない。でもね、いつしか助けがあれば駆け付ける。お互い頑張りましょう」


 クリスティアーネは、それだけ言って隠し倉庫内から姿を消した。





 梯子を下り始めてすでに数分。

 上から見た時は、底の見えないことに恐怖を覚えたものだった。

 だが、ようやく地に足をつけたことによって、やっと安心感というものを実感できた。


 ユキナも梯子を降り切り、2人は地底の世界――『ミコト研究機関』に到達した。

 

 周囲は相も変わらず闇空間。

 光りを灯すものは、『EXIT』の文字が浮かぶパネルだけである。


「……目標は……さらに地下ね……」


 麗が小さく口ずさむ。

 今回はこの研究所における、重要な招待客として招かれた麗とユキナ。

 ここからさらに下へと潜り込んだところに存在する客間――


 得も言われぬ異常な魔力周波。

 麗とユキナは降下中からその存在に感づいていた。

 意識すればするほど気分が悪くなりそうな、2人が感じたことのない奇怪な反応が押し寄せてくる。


「……やっぱりあれが、ファイルに書かれてた実験個体……」


「……ええ」


 ユキナの独り言に対し、麗が空返事で反応した。

 そして、その可能性を強めるための根拠が1つ――


 反応波が皆無であること。

 

 火力発電所上空を飛行中、この研究機関からは複数の反応波を感知できた。

 反応波とは異世界転移者が発する、不可視の波状のマーカーのようなものだ。

 だが少女2人が注目する魔力周波の源には、反応波は全く感じられない。


(――『人工魔法少女』は異世界転移者ではないから、反応波も放出しないんでしょうね……)


 麗は小さく息を吐く。

 前へ進むことさえ気乗りしないほどの不快感。

 ピリピリと感じる重圧的な魔力周波を前に、2人は躊躇いがちに一歩踏み出す。

 

 目的地は研究機関最下層。

 目的は体制派(システマイザー)の機密製造個体との戦闘、及び情報収集。

 相手方の目的は実戦テスト。

 要するに、麗とユキナは戦闘演習の仮想敵役である。

 運が悪ければ、なぶり殺しにされるという大役を負ったわけだ。

 

 麗とユキナの接近を感知し、『EXIT』ランプの下に佇む自動ドアが開閉される。


「……何か……嫌な感じ……」


 扉の向こうの光景を見て、言葉にし難い異様な雰囲気を感じ取るユキナ。


 整備口のある部屋から出た先は、光の少ない薄暗い通路だった。

 『クルス研究機関』と違い、どこもかしこも清掃の行き届いた清潔な空間。

 全体的に白色に配色された床や壁、天井がどこまでも続いていた。

 

 この部屋から出たくないという気持ちを押しのけ、通路の床を踏んだ――




『――ようこそ『ミコト研究機関』へ。こちらは第1フロアです、第2フロア以降へのアクセスには、中央エレベーターをお使い下さい』




 2人の入館に応対する機械音声が鳴り響いた。

 急なアナウンスで心臓を跳ね上げるユキナ。

 麗は物怖じすることなく、通路の壁に貼り付けられたタッチスクリーンに注目する。


 真っ暗な画面の前に顔を持っていき、指先でスクリーンに触れる。

 麗のタッチに反応した画面に光が灯り、『ミコト研究機関案内表示』の文字と共に、大きくフロアガイドが表示される。

 

 現在位置を確認し、麗は視線を滑らせる。


「――ここね、中央エレベーター」


 六角形に形どられたフロアマップの中央に、広大な面積を占める中央エレベーターを発見した。

 

 麗は画面タップでページを切り替え、別フロアのマップへと更新する。

 連続タップで画面を操作していた麗。

 すると、ピタリと指先の運動を停止した。


「……最新層は地下19階……マップデータなし……」


 第1フロアから第18フロアにかけて、研究機関の区画は詳細に記されていた。

 だがその先――『第19フロア』と簡素な文字が綴られた最終ページには、それ以上の情報は確認できなかった。

 

(……機密フロア……ということね……)


 麗は気が済んだようにスクリーンの前から立ち去る。

 今回の実験場である第19フロアへのアクセス方法も判明した。

 

 麗はふと、左手の腕時計に視線を落とす。

 針は17時5分を指していた。


(徹夜にならないように、最大限の努力をして帰りましょう……それが私の役目だから……)


 麗は決して死ぬつもりはない。

 それはユキナも同様である。

 何としてでも相対する敵秘密兵器の情報を掴み、ファルネスホルンにとっての益にするためにここまで来たのだ。

 

 麗とユキナは同時に中央エレベーターへと足を向ける。

 2人の魔法少女は、戦場の茨へと果敢に突き進む玄人のようにも見えた。


 ユキナはこれからの出来事に対する恐れの心があるが、比較的安定していた。

 冷静で、頼りになる存在が隣にいるからだ。

 協力者であり、そして友達でもある少女――藤ノ宮麗。

 

 ユキナの信頼を得て、彼女にとって大きな存在である麗。

 だがユキナの期待とは裏腹に、麗の背中は、重荷が乗っけられたように少し小さく見えた。

 麗は真っ暗闇の孤独の中、ただ1人、光の世界へ手を伸ばし続けていた。

 彼女は、救いを求めている。

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