漏洩の事由
「――ねえ麗ちゃん、吉野君を連れて来なくてもよかったの?」
冷たい空気が肌を焼く。
幸奈と麗は上空を飛行していた。
「ええ、今のところワルプルギス文書の反応は確認できていないの。であれば彼の存在は必要というわけではないのよ」
麗はユキナのうなじに吐息のかかるほどの距離で言葉を交わしていた。
魔法のほうきにまたがる少女2人。
「それに……今回は彼を連れて行くわけにはいかないのよ……」
前に座るユキナの体に腕を回す麗は、ぎゅっと背中を抱く力を強める。
「吉野君が資料を事細かく拝見しなかったことが唯一の救いね」
蒼汰の気持ちを考えれば、これが一番いい選択なのであろう。
「それに、今回はちょっと特殊なのよ」
嘆息気味に呟く麗。
「――『クルス研究機関』を特定できる状況にセッティングし、その中に重要機密書類を置いてきてしまうなんてトラブル……意図されたものに違いないわ」
「私たちはおびき出されたってことだよね?」
麗の小さな応答がユキナの背中を撫でる。
「その目的が、研究機関で製造された個体の実戦データを得るものだということも機密書類から判明している。茨の道だけど、私たちにも大きなメリットはあるわ」
こうして麗とユキナで敵陣に乗り込むことを決めた理由――
「その製造個体とやらの情報を掴めれば上々。これから先ファルネスホルンの脅威になりえるのなら猶更ね」
これはそのための潜入捜査である。
目標は『クルス研究機関』の姉妹機関である『ミコト研究機関』。
前者機関の開発計画をそのまま引き継ぎ、『アルフレッド財団』からの莫大な融資を元金に人体兵器開発を押し進めている。
「――そろそろ着くわ」
麗とユキナが見つめる先――
広く広く横たわる青海原の隣に位置する広大な土地。
数本の煙突から煙を上げ、今まさに生活の支えを生み出すエネルギー生産所。
「――ここ、すごい広い火力発電所だね」
ガスの燃えた臭気が鼻腔を刺激する。
天然ガスを燃焼させて出た煙を避けるように周回しつつ、ユキナは着陸地点の精査にかかる。
「――発電所は敵勢力に発見されないようにするためのカモフラージュか、もしくは……」
生産された電力の流用を目的としているのか。
無尽蔵とは言えないものの、この場所で生産された電気はそのまま研究機関に送り込むこともできる。
(ではその電気が流用されているとされる研究所の正確な位置は……)
大天使を取り巻く戦争状態の中で、特に異世界転移者だけが常時放出する存在感の象徴――
それを探ることができるのは戦争関係者の特権である。
先ほどからピリピリと感じていた隠れ潜む反応波の位置補足。
「……発電所は上から覆い被さるように横たわっているということね」
麗が感じ取った反応波は複数。
それは地表から約300メートル地下を広い範囲に散在しているものだった。
(入口までは分からない……空から特定できるほど簡単な場所にあるとは思えないけど……)
ユキナが興味深そうに眼下を見渡す中、彼女の背中を抱く麗の胸元が光り始める。
霊装で黒色の双眼鏡を生成した麗。
レンズを通して眼を再び発電所に落とす。
「従業員が多く散在していて、警備の方は手薄……か……」
この場所に誘い出された2人の反応波はすでに感知されていることが予想される。
だが余計な面倒を増やさないためにも、火力発電所の人間には存在を悟られたくはない。
それに大天使を巡る争いとは関係のない人間を極力巻き込んではならない。
麗自身もこの世界の一般市民に危害を加えることは、極力禁止されている。
しばらく空から様子を眺めていたが、麗は双眼鏡を目から離す。
空からの偵察だけでは『ミコト研究機関』への出入り口を特定できない。
「――やっぱり自分の足で探す方が賢明みたい。ユキナ、降りてもらえる?」
麗はとある建物の裏側に指を指す。
ユキナは指し示す方へほうきの舵を切る。
従業員の視線の方向を気にしながら煙に紛れて降下。
空飛ぶほうきが建物の物陰にホバリングし、ユキナと麗が地に足をつける。
麗はすぐに建物の外壁にへばりつき、そっと顔を覗かせる。
あたりには従業員がせわしなく歩き回っており、人足が絶える様子はない。
「……とりあえずこの建物の中に入りましょう」
麗はブレザーの内ポケットに手を入れ、手鏡を取り出す。
それをゆっくりと窓の縁へと伸ばしていき、反射した建物内部の光景を目に焼き付ける。
「……早速入りましょう」
室内の無人を確認した麗は即座に霊装を使用。
サバイバルナイフを召喚した麗は、それを握る手に魔力を寄せ集める。
そしてそれをナイフのブレードに注ぎ込む。
「うっ……麗ちゃん……」
すでに麗の行動の意図を察知した様子のユキナ。
ハラハラと心躍る少女を背後に、麗の魔力によって高熱を宿したナイフが窓に突き立てられる。
高温の金属が窓ガラスを融解し、人の握りこぶしが通過できるだけの大きさの円を描くように筆を走らせる。
円状にガラスを焼き切り、融けただれた穴から窓の鍵へと手を差し込む麗。
鍵を解除された窓を開け、麗はスカートを気にせずに窓枠へ足をかける。
彼女に続いて建物内へ侵入したユキナ。
死角の多い建物内へ入り込んだのはいいが、まだまだ問題は山積みである。
この火力発電所の地下に『ミコト研究機関』があるということはわかった。
だがそこへ繋がる通路が発見できない以上、一歩も前には進めない。
(研究機関の実験が、ファルネスホルンや反体制派の機嫌を損ねるだけの懸念要因である以上、絶対にその存在は秘匿しなければならない……)
機密保持のため、敵対勢力の侵入を跳ねる緻密で厳格なセキュリティが働いているはずである。
それ故に、この場所は日本のエネルギーを支える拠点としてだけの仮面を被り続けることができた。
(だけど連中は、研究所の存在を私たちに知らしめる采配をした……)
疑問の理由は3つ。
先の渋谷事件においてサイコハザードの遠隔操作地点として姉妹機関の『クルス研究機関』を選択したこと。
及び遠隔操作地点の特定に対処するための探知術式対策に乗り出していた形跡もなかったこと。
さらに極秘計画の概要、『ミコト研究機関』の存在が記されたファイルの不始末のこと。
これらが普通ではないことは明らかだ。
(誘い出すためにその存在を露見させた……それってもしかして……)
もう隠し通す必要はないということなのか?
極秘研究を開示するタイミングを迎えたからのだろうか?
(秘密の計画を発表するタイミング……それは計画完遂時――)
体制派による大天使発現計画『ロンギヌス1』。
最終フェイズの大天使進化を促す『ロンギヌス2』。
ファルネスホルンの計画する『ゼネラルメビウス』創造計画である『暁の水平線計画』。
そして第2段階の人類移民計画『インフィニット・ピースメーカー』。
それらは極秘計画ではあるが、敵対勢力の諜報員によって明るみに出されてしまったものだ。
だが今回は違う、体制派は自ら情報が洩れる段取りをしたのだ。
(計画が完成している――いや、違う)
麗は頭の中で計画ファイルに記された文言を必死に追う。
確か計画は数段階の実地試験を完了していて、残された最終試験は近日中に執り行う予定だと。
(……その最終試験のための触媒が私とユキナ……)
そのために秘密を晒し、麗たちをこの場所にまで呼び込んだ。
「……まったく」
それまで口を開かずにいた麗から出る一言。
麗の雰囲気を察して口を閉じていたユキナが視線を向ける。
「特別手当だけじゃ足りないわ、待遇向上の願書を提出させていただきますね――諜報長官」




