再会後の放課後
9月29日 放課後
吉野蒼汰は狗神もえかと再会した。
もえかは外部との関わりを避け、自分の殻にこもっていた蒼汰を無理やり連れ出した。
その少女を隣に連れ、蒼汰は学校の校門を抜けた。
「……」
「……」
2人の間に会話はない。
お互いが声を挙げようとしている様子だが、舌の上にまで来た言葉を吐き出せずにいる。
蒼汰は隣の少女に拭い切れない明らかな違和感を抱いていた。
彼は赤く滴る夜事件の際、確かに狗神もえかと出会っている。
だが当の本人は当日、『ヴァリアラスタン』のある人工島にいたというのだ。
同時に2か所で存在した少女。
蒼汰は尻目でもえかの姿を捉える。
もえかはせわしなく視線を動かし、どうも落ち着きようがない。
「――はぁ」
蒼汰はため息をつく。
吐いた息の欠片と共に、微かだが緊張が四散していく感覚だった。
(考えるよりも、彼女が無事であったことを優先すべきかな……)
もえかが何を考え、どうして嘘をつく結論に至ったのかは謎だ。
だがそれよりも彼女の安否の方が重要である。
(何か話題でも振らないと……)
英断を下した蒼汰は話題探しに没頭する。
下唇を軽く噛みながら思考をフル回転させる。
できれば彼女の気持ちが明るくなれる話題がいい。
――宇宙エレベーター関連でまたイベントとかってあるの?
――いや、この話題は避けた方がいいだろうか?
――5周年記念式典のやり直しとき、アルベルトの事件で中止になっちゃったし。
――あれほどもえかが楽しみにしていた式典の再開催のときのことを蒸し返さない方がいいかな?
「……」
頭の中がまとまらない。
――『ヴァリアラスタン』以外で、最近のいい出来事……。
その思考が頭をよぎったとき、真なる話題が花開く。
「――そういえば、お母さん――狗神幸子さんに出会ったよ」
そうだ、渋谷災害が起きる直前――
もえかの母親である狗神幸子と出会ったのだ。
理由も思い出せずに娘と離れ離れになった幸子。
実の娘を大切に想い、共に過ごせなかった心の溝を埋めるように酔いを求めていた。
「もえかのことを想っていた様子だったよ……」
「……」
母親の話を切り出してから、もえかの表情は変化していった。
軽くした唇を噛み、目を伏せる。
「そ……か――そっか」
舌が回らず、途切れ途切れの応答を絞り出すもえか。
「お母さんに逢ったんだね……」
それ以上の言葉は出ない。
「……元気そうだった?」
「元気そうだった……」
蒼汰の返答を聞いたもえか。
「それなら……安心した……」
彼女は取り繕うように安堵を口に出した。
だがそれでも、顔色は伺えない。
「――これから打ち合わせがあるから、もう行くね?」
そう言い残し、もえかは顔を上げずに蒼汰に背を向けた。
「……うん、それじゃあまた……」
彼女の背中に手を振り、蒼汰は彼女が見えなくなるまで手のひらを見せ続けた。
蒼汰以外誰もいなくなった通学路。
そっとスマホを取り出し、蒼汰はプラウザを開く。
(もえかが『ヴァリアラスタン』関連の用事で人工島にいたとしたら……)
蒼汰がフリック入力で文字を打ち込んでいく。
必要事項をネットで検索し、調べ上げた数字を画面上に入力する。
数回のコールを経て、スマホのスピーカーから女性の声が飛び出す。
『――こちら『ドロシー・ワンダーランド』事務室、佐藤と申します』
「――こんにちわ、狗神もえかの所属する事務所で間違いないでしょうか?」
『ドロシー・ワンダーランド』。
狗神もえかの所属する芸能事務所である。
『――はい、狗神もえかはこちらに所属しておりますが、どういったご用件でしょうか?』
「――申し遅れました。私、吉野蒼汰と申しますが、皇芳香マネージャーにお電話を繋いでいただけないでしょうか?」
蒼汰は事務所のサイトにて電話番号の他、もえかのマネージャーの名前を割り出していた。
マネージャーは私の名前を聞けばわかるはずです――蒼汰が付け加える。
『――かしこまりました。少々お待ちください』
一旦通話が途切れる。
もえかの芸能マネージャーである皇芳香。
彼女であれば、『赤く滴る夜事件』の時のもえかのスケジュールを知っているはずだ。
もえか以外の第3者の言質が取れれば真相に近づくことができる。
期待を胸に秘め、芳香マネージャーを待った。
『――お電話代わりました。君のフィアンセのマネージャーをしている芳香お姉さんです』
「お久しぶりです――狗神さんのクラスメイトの吉野蒼汰です」
フィアンセという言葉を無視して話を進める蒼汰。
「お聞きしたいことがあるのですが、9月24日、狗神さんはどこにいたのでしょうか?」
『――24日? うーん、私たちは人工島で打ち合わせとかしてたよ。狗神さんも一日中バタバタしていたし、それで帰るのが遅くなっちゃったわ……』
一日中バタバタとしていた――
だとしたらやはり学校には来ていないようだ。
それ故高校のある渋谷区に足を踏み入れる必要などない。
(……あの時間、渋谷で僕がもえかと出会うなんてできそうにない……)
事情を聞いて安心どころか重圧がのしかかる。
『――何だか深刻な悩みでも抱えていそうだね?』
蒼汰はスマホ越しに心中を言い当てられ、若干の動揺を見せる。
「――そう思いますか?」
『――そうだね。何だか狗神さんが24日にどこで何をしていたのか、詳しく知りたいような感じがする』
「……」
『――まあ、君が何を思っているのか分からないし、詮索もしないよ。ただ協力はさせてもらうからね』
――これから用事があるから、もう切るね。
最後にそう言い残し、芳香マネージャーは通話を切った。
「そうか……そうなのか……」
言質は取った。
「もえかは……人工島にいた……」
背筋を冷たい何かが舐める感覚。
蒼汰はあの日渋谷でもえかと出会っている。
同じ人物が同時に2か所で存在しているという事実。
「……」
ここ最近のもえかは様子がおかしかった。
「もしも――」
嫌な仮説が頭をよぎる。
もえかの様子の変化がこの不可解な事実に起因しているとしたら?
「もえかは……何か隠しているんじゃないか?」
蒼汰はその日、大事な存在である幼馴染の女の子を疑った。
混迷のるつぼの中で、蒼汰はその少女の顔を思い描き続けた。
彼の心の中の少女は笑顔を咲かせることもなく、悲し気な表情で俯いていた。