彼女との時間
「もう一度5周年記念式典を仕切り直す?」
午後の授業が終わり学級副委員長である蒼汰は放課後、もえかの唐突な提案に素っ頓狂な声を上げる。
現在文化祭の準備期間であり、文化祭実行委員を中心に各クラス学級委員が手伝いをしている。
ホームページへの文化祭情報をアップロードしていた蒼汰。
一旦パソコン操作を中断、隣のもえかの真意を聞き出す。
「でも、5年後の10週年記念をやるんじゃ……」
「それもやるけど……それでも私は中止になってがっかりさせた来場者のみんなにもう一度楽しんでもらいたいから」
ひしひしと伝わる彼女の決意。
その強さに影響され、蒼汰は自然に微笑みを浮かべてこう言う。
「そっか、それもいいかもしれないね。何か困ったことがあったりしたらいつでも相談して」
最初はでまかせかと思った。
あれだけの事件があったんだ。普通はトラウマであの会場に立ちたくないと思うだろう。
それでも彼女は決断した。それも他人からの要請ではなく自分自身の意思で。
人のため、誰かのためにという考え方は必ずしも理想の思想ではない。
(だけど……)
狗神もえか。
彼女にかかればどんなことでも素晴らしいものにできるという気がしてならない。
意思の強さが運命を変える、そう思った。
「それでね、まずはマネージャーと事務所に電話をする必要があるの。だから作業が終わってから――」
「――今電話してきなよ」
彼女が持ち上げた書類の束を蒼汰が奪い取る。
「決断したことは手が離せない状況以外であればすぐにやるべきだよ」
蒼汰の提案はもえかに届く。
彼の態度に微笑みでお返しをしたもえか。
「それじゃあお願いします」
ウキウキとした様子でもえかは教室を出る。
今日返答は来ることはないだろう、蒼汰もいい返事を期待して作業を再開する。
もえかから受け取った書類、それは各担当の提出した書類であり、そこの不備をチェックし、訂正箇所がなければ実行委員長に提出、という流れである。
この学校の文化祭ではあらゆる準備を前倒しにしてやる。作業の遅れを嫌い、運営計画よりも余裕をもって作業を終わらせ、本番に備えるのがモットーである。
スローガン決めは一番最後だ。スローガンはまじめに考えても時間を食ってしまう、よって各クラスが持ち寄った案を議論し、最終的に決定するという方針である。
一通り不備がないことを確認し、自分の作業に戻る。
(見出しはこんなものか、データを送信)
実行員長のパソコンに作成データを送信。あとは彼らの判断で編集が加えられる。
本日の蒼汰の作業は終了。
定時よりも早く仕事の終わった蒼汰は羽を伸ばす。
「吉野君!」
ガラッと開けられた扉。
そこには息切れ気味のもえかの姿があった。
早走りで自分の席へと移動し、腰を下ろす。
「吉野君、マネージャーと事務所がもう一回開催できるかどうかかけあってくれるみたい……」
「そ、そうか」
正直マネージャーや事務所の段階でノーが出ると思っていた。
「それでも警備人数を増やして、入場制限をかけることになるかもしれないけど……」
「その分テレビ中継はされるだろうから、お茶の間でもまたみんなに楽しんでもらえるんじゃない?」
「うん!」
とびっきりのもえかの笑顔。
こんな表情の彼女を見るのは久しぶりだった。
まだ心の傷が払拭されたわけではないだろう。
それでもこの一件が実行に移され、見事成功を飾ることを祈るばかりである。
「みんなー今日の作業はここまでです。お疲れ様でしたー」
実行委員長の終了宣言で椅子を引く音が連鎖する。
各々が鞄を持って退出し、居残りで作業をしている生徒もちらほらといるようだ。
蒼汰は自分ともえかの作業を終わらせたため、二人とも居残る必要はない。
机の脇に掛けたバッグを肩にかける。
それを見たもえかはすぐにファイルや筆記用具を自分のバッグに放り込み始める。
そして何事もなかったかのように華麗にふるまうもえか。
そのまま蒼汰の横を通り過ぎる。
そして反回転、僅かに持ち上がったスカートの裾がはらりと舞う。
「一緒に帰ろ?」
誇らしげに微笑むもえか。
その姿にアイドル性を見出した蒼汰が一言。
「狗神なら、本当に大物になれるかもな」
その言葉はもえかの耳にしかと届く。
二人の男女は一定の距離で語り合い、そして退室する。
階段を下りて一階へ。
昇降口で下履きに履き替えた二人は外に出る。
蒼汰のスニーカーの足音に合わせるように、もえかの革靴のステッキのような音がデュエットを奏でる。
「――それでね、まずはトークショーの続きから始めたいなって思ってるの」
現実まであと数歩にまで近づく夢物語。
楽しそうに語るもえかの口は止まらない。
「今度は有識者の方々は来れないだろうから、静止軌道ステーションか、高軌道ステーションにいるお父さんが来てくれたらなぁ」
もえかの足取りがスキップに近いものに変わる。
「マーチングバンドに出店、夜は打ち上げ花火にイルミネーション。そしてもともと予定されてなかったけど、歌手の人が歌を歌いに来てくれたら嬉しいな」
「世界一の観光地を作り上げた開発主任の娘さんであり、イメージヒロインである狗神のお願いだったら叶うと思うんだけどな。権力強そうだし」
「……その権力の下りは全然嬉しくないよ……」
僅かにしょぼくれたもえか。
蒼汰はの様子に思わず噴き出した。
「もう笑うなんてひどいよ……」
口では不満を言っているが表情は正反対。
蒼汰の様子に釣られてもえかにも不意に笑みが零れる。
「――それじゃあ私はここで。また明日ね吉野君」
手を振ったもえかが駅前の交差点を渡る。
彼女の後姿に手を振る蒼汰。
彼女を見送った蒼汰は駅へ向かう。
駅の階段を踏みしめた瞬間、複数人の男が蒼汰の目の前に現れる。
真っ黒なマントフードを被り、表情の見えない集団が一歩一歩階段を下っていく。
蒼汰は思わず後ずさりをするが、それでも距離を狭めていく。
「大天使……」
黒集団の一人が声を発する。
「一般人の蔓延る場所だとしても、こちらは手を緩めない」
攻撃宣言の直後、黒マントフードの集団が一挙に抜剣する。
その様子を見ていた周囲の人間たちは逃げるそぶりを見せない。無視して通り過ぎる者、スマホ片手に動画を撮影する者。
(――日本人は本当に危機意識が足りないんじゃないのか!?)
白銀に光るショートソードを披露した男たちが一斉に翔ける。
目の前の男にバッグを投げつけ、蒼汰は走った。
戦う手段のない蒼汰は駅前の歩道を駆け抜け、できるだけ人のいない場所へ――
必死に走る中、後ろを振り向く余裕などない。それでも足音は確かに聞こえる。
「ここで……死ねない……」
大天使がらみで蒼汰を追う男たち。
運動の得意ではない蒼汰は徐々に距離を詰められ、制服の背中を掴まれる――
その瞬間体が宙を浮く。
制服から手が離れ、蒼汰は空へと舞い上がる。
視線の先にはアスファルトの道路。
それがどんどんと小さくなって駅の真上を通過する。
この時蒼汰は気が付いた。
細く白い二の腕と前腕の感触が制服越しにお腹に伝わる。
さらに背中は柔らかな心地、うなじに熱い吐息がかかる。
「ギリギリセーフだったね」
彼女の息の切れた声が伝わる。
「――初めまして、君のことは麗ちゃんから聞いてるよ。私は胡桃沢幸奈、もといミラクル☆ユキナ――異世界から来た魔法少女だよ」