魔法少女到着
「大天使……これ……」
開いた口が閉じられない。
蒼汰は非現実的な光景を前に、状況理解の助力を大天使に求める。
『――ワルプルギス文書は神書です。魔導書には到達できるはずもない領域に位置する神器なのですよ』
なぎ倒されたビル群は原形を留めないほどに破壊され、暴動によって引き起こされた火災と一緒となって粉塵を昇らせている。
「ここまでできるの……?」
『――『ミツミネ』とは世界に暗雲をもたらす賊を徹底的に撃滅するための防衛プログラムです。さすれば、これしきの活動はまだまだで設定範囲内だと存じます』
蒼汰の眼下に彼はいた。
倒壊したビルの瓦礫の山に倒れる一人の青年。
体のところどころから出血とオイル漏れを起こし、機械部品を周囲にまき散らして沈黙するロングコートの男。
『――あなたが彼女たちを止めてなければ、ヴェローナ伊吹は組織レベルで引き裂かれていたかもしれませんね?』
蒼汰は恐る恐る後ろを振り向く。
理路整然と横隊する黒のシスター集団。
今か今かと命令を仰ぐように蒼汰を見つめる淑女らである。
『――初期ロットで算出されたデータを解析し、アップロードを施すことで完成形となった『ミツミネ』は徹底された積極的自衛行動を主とする守護神にまで成り上がりました』
少なくともこれで、あなたに降り注ぐ災厄は回避できました。街の損壊については致し方のないことです――
大天使は蒼汰を励まそうとしているのか、それとも普段通り事務的な報告を行っているのか。
だが確かに『ミツミネ』の防衛行動によって難を逃れたのは事実である。
『――蒼汰様、魔法少女たちが参りました』
大天使の声を聞き、蒼汰は空の彼方を仰ぐ。
夜の街光と炎に照らされた夜空の中、まっすぐとこちらに向かってくる飛翔体が1つ。
ほうきにまたがった少女が、全身に風を受けながら急速接近する。
「いた――吉野君!!」
蒼汰の名前を呼ぶ少女。
ミラクル☆ユキナに変身した胡桃沢幸奈が、藤ノ宮麗とともにビルに降り立つ。
「怪我してるよ!!」
ビルに接地後、麗を下ろしたユキナがほうきを放り投げて蒼汰に駆け寄った。
あたふたとしながら蒼汰の怪我を舐め回すように観察しているユキナを尻目に、風で乱れた髪を整えながら麗も近づく。
「ごめんなさい吉野君、1人で危険な目に遭わせてしまって……」
貫通した二の腕を確認した麗。
すぐに手のひらを患部へと押し当てる。
「……この傷はもう治りかけだよ?」
「それでもよ。大天使の自動治癒があっても少し痛むでしょう?」
麗は静かに目を閉じ、蒼汰の傷跡に集中する。
OS変更により『救急』の魔法が使用可能になった麗は演算を開始。
全回復間近の刺し傷から痛みを取り除いていく。
「ところで吉野君、アレとそれはどうしたの?」
麗が視線で訴えかける対象。
破損したビルに寝ころぶヴェローナの姿。
そして麗が眼下より移した視線の先――
一切の挙動を示さず、停止した機械のように佇む修道服の存在。
「あそこで倒れているのはヴェローナ伊吹。よくわからないけど、体制派なんだと思う。親衛隊隊長って言ってたよ」
「親衛隊……」
蒼汰の説明に何か引っかかったのか、その単語に着目して思案を始める。
「それでこっちは『ゼネラルメビウス』の防御装置だよ」
蒼汰の簡易的な紹介に耳を傾けながら、麗は懐疑的な視線をシスターに送る。
「そうなの? 私は聞いたことがないわね」
麗はその存在を知らなかった。
「……でもあの人たちのおかげであなたはその怪我だけで済んだのね? よかったわ」
「これでも重症だったんだけどね」
「私はあのシスターがどのように戦ってくれたのか見ていないのだけれど、少なくともあそこの異世界転移者を圧倒できるだけの性能はあるようね」
麗が再びヴェローナに視線を落とす。
「あの男は親衛隊隊長だと名乗ったのでしょう? だとしたら他の親衛隊員が投入されているはずね」
蒼汰たちがこの事態を止めるべく活動を開始するのなら、ヴェローナと同じく親衛隊が立ちはだかる可能性は否めない。
「――じっとなんてしていられないわ。吉野君、ユキナ、さっそく行動を開始しましょう」
「うん。でもでも麗ちゃん、一体どうすればいいの?」
「この騒動は誰であろうといさかいなく街の人間に感染しているの。こんなマネができるのは生物災害か魔術の類だけよ」
蒼汰から手を離した麗が再び魔力に集中する。
OSを『救急』から『探知』へ。
そして麗は足元に大きな魔法陣を創り出す。
「警察も暴徒化している以上、治安維持活動は望めないわ。だから事態を収束させるには事件の根源を叩き潰さなければならないのよ」
探知術式展開。
リアルタイムで発生する魔術反応の探知を開始。
「……渋谷を中心として何らかの術式が発動しているわね」
麗は探知を進める。
麗が術式に集中している中、ユキナが蒼汰の隣に立つ。
「――ねえ吉野君」
何か言いたげに蒼汰に話しかけるユキナ。
せわしなく視線を蒼汰と眼下へと交互に送り、こう語りかけた。
「あれ――あそこにいるのってもしかして……」
ユキナの視線を追って蒼汰が地上へと目を向ける。
変わらず、終わりの見えない暴徒化した都市。
何百人もの人々が入り乱れる光景の中、蒼汰は一人の少女に視線を釘づけにされた。
背中に垂らした黒髪を爆風でなびかせ、蒼汰と同じブレザーを羽織る少女が一人。
慕情に似た感情を思い起こさせる彼女の姿が、蒼汰の心を射止める。
蒼汰が思わず硬直する。
そのとき、蒼汰が気がつかない現実をユキナは直視していた。
見間違いかと思い、ユキナは力強く目をつむってから再び開く。
「……今の……何?」
目にした物の正体に脳の処理が追いつかないユキナ。
(黒い……)
そんなユキナの隣で、硬直を薙ぎ払った蒼汰がぽつりとつぶやいた。
「……『ミツミネ』……頼みがある」
沈黙を破り去った蒼汰の言葉。
彼の指示に仰がれた数人のシスターが蒼汰の背後にピタリと張り付く。
「ここから下ろして――今すぐ!」
蒼汰の命令の直後、シスターたちが蒼汰の体を支えてビルから飛び出した。
「吉野君!!」
背後から聞こえるユキナの叫び。
それに反応した麗が声を上げる。
「どこに行くの!?」
2人の声は蒼汰には届かない。
蒼汰が着地する直前、彼を支えてたシスターの浮遊力で落下速度が緩和される。
何の負担もなく地に足をつけた蒼汰が、シスターを振り払って走り出す。
彼女のもとへとたどり着き、蒼汰はその少女に手を伸ばす。
ぎゅっと握られた少女の手。
触れた瞬間ピクリと体を震わせた少女は、すぐに蒼汰の方へと顔を向ける。
振り返った瞬間に鼻腔をくすぐる彼女の香気が、まさしく本物の彼女だという実感を与えた。
「何やってるの――もえか!」
突然の幼馴染の登場に、もえかは意表を突かれたといった表情を浮かべる。
「よし……蒼汰君……」
怯えたように弱い声で鳴くもえか。
「服も汚れてるし……血が……」
「――あ、うん、これは私のじゃないの。偶然近くにいた人が……」
悲しそうに、辛そうに目を伏せるもえか。
「とりあえず離れよう、こっち!!」
蒼汰はもえかの手を強く握り駆け出す。
絶対にもえかを離さない――そう心に誓い、暴徒が近づいてこない安全地帯を目指す。
もえかの手を引きながら、蒼汰はいつもと変わらぬもえかに安堵していた。
服が汚れ、恐怖と不安に染まった表情をしているものの、そこにいるのは紛れもない狗神もえかだった。
これだけの数の市民を巻き込んだ大災害の中、もえかは運よく無事でいられた。
今この瞬間だけは、神様に感謝してもいいのかもしれない。
だが神様に感謝などできない事態が水面下で進行していようとも、それは今の蒼汰にはかかわりのないことだった。
かかわりがないからこそ、蒼汰には知る由もないことだが――