都会の天災
日本標準時2019年9月24日 18:59 日本A-MI東京都市 渋谷
狗神もえかの母親――狗神幸子と別れた吉野蒼汰は帰路に就いてた。
ほぼ日は落ちたとはいえ、ここは大都会だ。
立ち並ぶビルの光で夜の暗さが緩和され、さらに止むことを知らない音楽が垂れ流される。
せわしなく耳に入る人々の会話、視界の中で絶えず動き回る人の姿。
その中で、蒼汰は自身の思考に没頭していた。
(幼稚園の頃に離れ離れ……それ以来逢っていないの……?)
蒼汰は先ほどの女性、そしてもえかを気にかけていた。
どうして実の娘と離れることになってしまったのかは記憶にないそうだ。
だが離れてしまったという事実は確かにある。
だとすれば、一体誰がもえかの世話をしていたというのだろうか?
彼女は今は高校生だ。
一人暮らしができない年齢ではないと思うが、そこから遡って中学生、小学生の頃は?
フランスから帰ってからのもえかとの関わり。
それ以来、蒼汰はすっかり思索にふけるという行いが日常化してしまった。
それほどまでに、蒼汰の周囲を取り巻く環境は変化しつつあるのだ。
そのように脳をうねらせながら歩いているとき――
蒼汰の目の前を歩いていた男性のポケットから何かが落ちる。
何かが地面に叩きつけられる音を聞いた。
だが地面に落ちたそれを、蒼汰は踏みとどまれずに踏みつけてしまう。
何かを踏んだ蒼汰が足元を見る。
そこにあったのは一台のスマートフォン。
蒼汰はすぐにそれを拾い上げ、前を見る。
自分のスマホを落としたことに気が付いたのであれば、すぐにでも捜索を開始するはずだ。
だが目の前の男性は何事もなかったように歩いて行ってしまう。
「あの――スマホ落としましたよ」
声をかける
だが返事はない。
蒼汰の声など届くことなく、男性は前へ前へと歩いていく。
「――すいません、これ落としましたよ!」
蒼汰は肩をタップして自身の存在を伝える。
先ほどよりも声を張り、これで気が付かない人間はいないだろう――
――という期待は裏切られ、蒼汰はまるでいない者のように無視されるだけであった。
(どうして……)
男性の肩から蒼汰の手のひらが離れる。
蒼汰は起こった事態の不可解さゆえ、もう一度男性に声をかける気をなくしてしまった。
どうしようか、交番に届けるか――
もう日が落ちている。
母親には帰りが遅くなると伝えたが、予定よりも遅れそうだ。
蒼汰は時刻を確認するために腕時計を見やる。
19時00分と5秒。
すでに19時を回っている。
急いで交番に行くか――
蒼汰が方針を決定したそのとき、彼の周囲を取り巻く人混みが一斉に荷物を落とす。
手に持ったバッグが、スマホが地面に落とされ、その持ち主までもが頭を地面につける。
アスファルトの道路に倒れこむ群衆。
「な――!?」
目の前を埋め尽くす意識を失った人々。
何の予兆もなく起こった事態に、蒼汰が言葉を失う。
あたりを見渡しても景色は変わらない。
ただ大勢の市民が地に伏す光景が広がるだけだ。
(これ、魔導攻撃か!?)
だとしたら魔法使いが潜伏している可能性がある。
蒼汰を敵視する側の人間かどうかの区別がつかない以上、人目に付く大通りにいることは忍びない。
蒼汰は人の体を踏みつけないよう注意を払い、脇道へ入る。
(これは直接僕を狙ったものじゃない、この一帯に効果を発揮させる大規模術式か……)
体制派の仕業か、反体制派の企てか――
蒼汰は停止し、脇道の陰から反対通りに顔を出す。
(――!?)
蒼汰の視線の先。
そこも同じく道端に倒れこむ人々。
だが違ったところといえば、意識を失った幾数の人々の一部が活動を再開していた。
よろよろと足腰に力を入れて立ち上がる不特定多数。
意識を取り戻したのか――
その後も数えきれないほどの人間たちが意識を取り戻す。
蒼汰の視界に開けるのはいつもの光景、いつもの街並み。
都会特有の大勢の人々が集う夜のストリートである。
(何だこれ……)
だがまだ安心はできない。
蒼汰はその場を動かず、人々の動きに注視する。
立ち上がったのはいいものの、身動き一つしない歩行者たち。
通路には似つかわしくない無動の群衆。
そのとき人形のような人間たちの奥、蒼汰からは見えない位置から轟く異音。
この静寂に包まれたの渋谷の空気を打破する多数のエンジン音。
それが地響きとなって足元を伝い、接近する何かの存在を蒼汰に知らしめる。
「これ……やばくないか……」
蒼汰は思わず後ずさりする。
今の一瞬で頭の中に思い描いた悲劇。
その数秒後、最悪のストーリーが実演される。
数台の暴走車が歩道に突進した。
蒼汰は思わず目をつむる。
目の前の光景を見ていられない。
だが聴覚からは逃げられない。
その後もいくつもの車が建物や電柱に激突する音が耳に入る。
そして突然の熱風が蒼汰の前髪を揺らす。
そのことに違和感を覚えた蒼汰が恐る恐る目を開ける。
視界に光が差し込まれ、蒼汰の視線上に炎上した車の姿が現れる。
さらに、車の突撃を皮切りにして市民たちがお互いを攻撃し合う光景が広がった。
人が人を殴り、蹴り、張り倒す。
車が人や建物を襲い、次々とガソリンから火柱が昇る。
「……こんなの暴動みたいだよ」
今の東京ではあり得ない事態。
「絶対に何かおかしい、『システムヴァリアラスタン』の影響下にある東京で……こんな……」
人間が人間を襲うという事実。
それならば、蒼汰も見つかってしまったらこの天災に巻き込まれる。
「でも……」
逃げていいのか?
蒼汰のするべきことは『ゼネラルメビウス』を完成させ、そこに崩壊しつつある世界の住民を送り込むこと。
目の前の人々も、将来的に蒼汰が預かる大切な命である。
蒼汰自身が守るべき人命。
それを放棄することは正しいことなのか?
「どうすれば……」
助けを呼ぶか?
ヘスティアに幸奈、そして麗が来てくれたとしてもこの現場を収束させることはできるのか?
これだけの事態だ、警察が認知していないはずがない。
それならば市民の暴動は警察に任せ、蒼汰は事態の原因を探る方が優先なのではないか?
あらゆる思考が交差し、蒼汰は背後からの接近に気が付けなかった。
「お前――大天使持ちか?」
誰かの問いかけ。
蒼汰はその声を聞いて初めて、後ろの存在を感知する。
蒼汰が振り向いた先――
「まあ、今回お前は関係ねぇからな。とりあえず暴動に巻き込まれねぇようにとっとと家に帰るんだな、ハイスクールボーイ」
銀色のサーベルを腰に差し、青色の髪をした長身の男が立っていた。
「――ああ、そうか。この騒ぎじゃ帰るだけでも命懸けだな。魔法少女のいねぇときに一人で帰宅っつーのも酷な話か」
秋の季節に不向きな厚手のロングコートを着飾り、その男は頭をポリポリと搔く。
「……あなたはどちら側の異世界転移者ですか?」
喉の奥から絞り出した問いかけ。
明らかにこの世界の人間には見えない二次元の格好をした男は答えてみせる。
「俺はヴェローナ親衛隊隊長、ヴェローナ伊吹だぜ!!」
名乗った?
聞いてもいないのにもかかわらず、いきなり名乗り出るとは。
何を考えている?
「何なら、俺の部下をボディガードに貸してやってもいいぜ?」
歯を出して笑うヴェローナ。
戦意の見えないヴェローナの態度だが、それでも蒼汰は警戒を緩めない。
蒼汰の身を案じている様子のヴェローナ伊吹。
殺意の矛先が蒼汰に向けられない点から、ヴェローナは体制派のようだが……。
「あなたはどうやら体制派のようですが、一体この街で何をしでかしてくれたんですか?」
ヴェローナは何か知っている。
だからこそ、奴を問い詰めて原因を探りたい。
「どうして渋谷の人々に暴動なんて起こさせるんです? ここには市民が大勢いる場所じゃないですか!?」
「それは俺には関係ない。俺はただの戦闘員で、実験の円滑化に寄与するために投入されただけだ」
「関係ないって……」
ヴェローナは蒼汰から視線を外し、あからさまに嘆息する。
「――なあ蒼汰よぉ」
もう一度蒼汰に目を合わせ、目元を鋭く釣り上げる。
「別にこの街の人間が死のうと大したものじゃなねぇだろ? 神の戦争が長引き、世界の崩壊で死ぬ人間の数に比べたらなっ――」
そこでヴェローナのセリフがかき消される。
それまで流暢に言葉を紡いでいた、ヴェローナの口から垂れる血筋。
「お、おい蒼汰テメェ……」
蒼汰の正拳が右頬に突き刺さり、ヴェローナは思わず後退する。
「誰かに無用な危害を加える側であるなら、僕にとっては体制派も反体制派も同類なんですよ……」
怒気を孕めた声音と表情。
蒼汰は本来非戦闘員である。
それでも目の前の男の発言に業を煮やし、拳という抵抗をやってのけた。
「僕はこの事態を止めに行きます。障壁となるようなら、あなたにも牙を剥くことになるでしょう」




