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少女の秘め事

「もうちょっとでお夕飯ができるからね」


 ブレザーを脱ぎ、ワイシャツの上からエプロンを羽織ったもえかがキッチンから顔を出す。


 蒼汰は軽く返事を返し、腹を空かしながら彼女の手料理を待つ。


 数時間ほど遡った、学校の昇降口前。


 そこで蒼汰はもえかを抱擁した。

 彼女は人知れぬ呪縛と戦ってきた。

 まだ詳しいことは聞いていない、だがあの時の彼女の泣き顔と叫び。

 あれは尋常ではない厄災を経験した犠牲者の姿である。


(もえか……何も言ってくれなかったな……)


 蒼汰は幼稚園の頃からもえかと知り合いであった。

 家は近いわけではないが、それでもよく公園に集まって夕暮れまで一緒にいたものだ。


 小学校、中学校、そして高校。

 もえかと一緒の空間にいることは多々あった。

 クラスが離れても毎日のように会話をし、一緒に笑い合った仲だ。


(でも……僕はもえかの真意に気が付いてあげられなかったな……)

 

 いつだって蒼汰の目には、狗神もえかは輝いた少女に見えた。

 なんの心配事もなく、学校に通い、勉強をし、友達と遊び、未成年の人生を謳歌する普通の女子。

 彼女に憑依する悪夢など、微塵も想像しなかった。


「もえか……」


 下を向いて彼女の名前を呼ぶ。

 唐突な出来事に頭がパンクしそうだ。

 親しさの募った女の子の隠しごとに、世界を創る大役を任された少年の背中は、ひどく小さく見えた。


「蒼汰君、晩御飯できたよ」


 白い湯気を上げる大皿を手にしたもえか。 

 ハンバーグが盛られた皿をテーブルに置き、テキパキとその他の皿も運び出す。


 蒼汰も腰を上げ、キッチンから料理の運び出しの手伝いに入る。

 ライスやサラダ、ドリンクからデザートまでついた豪華なディナーがテーブルを占拠した。

 

 最後の料理を運び終えた後、もえかはエプロンを脱いで蒼汰の向かいに座る。


「ごめんね蒼汰君、ごはん遅くなっちゃった」


 時刻はすでに21時を回っている。


「ううん、大丈夫」

 

 笑顔を見せた蒼汰はナイフとフォークを手に取る。


「……それじゃあ、頂きます」


「はい、召し上がれ」


 蒼汰がナイフを入れたハンバーグを口に運ぶ光景を見つめるもえか。

 呑み込んだ後の蒼汰の感想を期待して、彼の咀嚼を眺める。


「……おいしいな」


「ありがとう……蒼汰君」


 蒼汰の感想に満足したもえか。

 彼女もようやく自分の食事に手を付け始める。


 特に会話もなく、食器の高い音が響き渡る。

 それはこの部屋の閑静さをより一層強調させるものだった。


 お互いがお互いを意識する男女。

 言葉を交わすことなく料理を口に運ぶ2人は、相手に対してどこか遠慮し、どこか憂慮するように気を張っていた。


 何か話したい――

 言葉が出かかるが、それも舌の上で転がした後に呑み込んでしまう。


 蒼汰がハンバーグやライス、サラダを平らげデザートに手を伸ばしたとき。


「あ――あのね! 蒼汰君!」


 静寂を打破するもえかの声。

 唐突もない声掛けに、蒼汰は肩をびくつかせる。


「その……蒼汰君はお客さんだし、よかったら先にお風呂に入って」


「いや、僕は――」


 家に帰る――

 その言葉を口には出さなかった。


 今のもえかを一人にできない。

 彼女はマンションのこの一室に暮らしているのである。


 理由があって親元を離れているようだが、蒼汰はその理由も知らなかった。


「わかった、それじゃあ先にお風呂使わせてもらうね」


 もえかの心遣いに感謝し、最後の皿に手を伸ばす。

 デザートのチョコレートムースを口に運ぶ蒼汰。

 

 その後も会話のない時間は続き、無言のコミュニケーションに包まれた食事が終わりを告げた。


 もえかが食器を洗っている間、蒼汰は宣告通り先に風呂場に向かった。


 蒼汰が出た後、入れ違いでもえかが入浴する。


 その後、2人は隣り合って白色のベッドに腰かけていた。

 

 深く沈み込むベッドの上では、普段の2人とは似つかない閉口の世界が構築されている。


 だが――


「……もえか、ちょっといい?」


 最初に切り出したのは蒼汰だ。

 そんな彼を尻目に、もえかは何かに怯えるようにワナワナと全身を震わす。

 

 もえかの様子は隣の蒼汰にも伝わっている。

 ちらっと視線をもえかに向けたとき、蒼汰は言葉にし難い少女の姿を見た。


 荒い息遣いで拳を握りしめるもえか。

 普段より目が見開かれ、顔を流れる汗の量もだんだんと増加する。


 彼女は蒼汰が望む会話の内容を拒絶していた。

 自分の中に入られまいと、自分の隠しごとを知られまいと。

 

「……わかった。もうわかったよ……もえか」


 蒼汰は始めようとした会話を中断する。

 幼馴染の異変を敏感に受け取った彼は上半身だけを横に向ける。


「もう僕は何も聞かないし、何も知らない」


 そうして横から彼女の頭を引き寄せた。


「でもこれだけは言わせて」


 蒼汰が自分の額をもえかの額にくっつける。


「闇の中から伸ばしたもえかの手を、つかんでくれる人がきっといる……」


 それが自分でありたいと、蒼汰は思った。


 蒼汰の鼻の先で、もえかの強張った表情が和らいでいく。

 次第に体の震えが鳴りを潜め、崩れた息遣いが正常に戻る。


「……ありがとう……蒼汰君」

 

 蒼汰の口元を撫でる声。

 

「も……もう落ち着いたから……」

  

 そう言葉を聞き、蒼汰はもえかの拘束を解いた。

 解放された彼女はそっぽを向き、わざとらしく蒼汰の視線から逃げる。


 もえかは羞恥が塗りたくられた顔を両手のひらで覆いつくす。

 心のわだかまりが完全に消え去ったわけではない。

 だが蒼汰の優しさが、少女の心を闇色から白色に染め上げていく。


「も……もう私寝るね!」


もえかはそのまま蒼汰から視線を離したまま、急に立ち上がる。


蒼汰はその挙動に思わず腰を上げてしまう。


もえかは掛け布団をひっぺがし、そのままベッドの中に入ってしまう。


「――明日も学校だよ。蒼汰君もベッドに入って寝ちゃいなさい!!」


 頭まで布団の中に潜り込んだもえかが声を張る。


 促されるように蒼汰もベッドの中に入り込む。


 2人分の体重でベッドが深く沈み込む。

 もえかに背を向けるように横になった蒼汰は体の力を抜き、おぼろげな睡魔に身を任せる。


 今日はもう遅い、色々なことが多すぎた。

 蒼汰は心のしこりを解消するため、是が非でも深い眠りを願った。


 だが彼の祈りを阻害するように頭の中で、とある疑念が錯綜していた。


(僕は……もえかのことについて何か知っているんじゃないのか?)


 過去の記憶、幼い頃からのもえかとの思い出を遡る。


 幼稚園の頃から知り合いになり、公園で走り回ったりしたものだ。


 暗くなれば、付き添いの母親や姉と共に家に帰る。


 小学校に上がった後も変わったことはなかった。

 彼女はどこまでも普通の女の子だったのだ。


(……やっぱり引っかかるところが見当たらない。それならもっと近い存在――家族ならどうだろう?)


 もう一度思考を回転させる。

 考え、考えて、考え抜く。

 

 正直、家族であっても子供の変化に気が付けるわけではない。

 友達が気が付く変化を、親が必ず気が付けるという保証はない。

 だが逆に、両親だから気が付けることもあるかもしれない。


 もえかの両親に会うことができれば、何かを掴めるかもしれない。


 そう思った蒼汰は、その直後に再考する。


(もえかの……お父さんとお母さん……)


 記憶の海から手探りで探す。

 もえかの父親は『ヴァリアラスタン』の開発最高責任者の狗神正親。

 

 彼の一人娘であり、アイドルに匹敵する美少女であったもえか。

 それゆえ彼女はイメージヒロインに抜擢された。


(じゃあ……母親は?)


 公園で遊んでいた頃、蒼汰には付き添いとして母親か姉が目の届くところにいたのである。


 だがもえかには――

 父親は役職ゆえ昼間は娘と接する時間はないだろう。

 それならば、母親が彼女の傍についているはずなのだが。


 その後、蒼汰は朝まで思考に囚われることとなった。

 この時、踏み込んでは行けない領域に踏み込んでしまったのなら、もう後戻りはできないという常識を、蒼汰は知覚していなかった。

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