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想いの深淵

 A-MI東京都市 


 太陽の沈む時間が早まり、赤色の夕暮れが好天の空を染め上げる。

 

 そんな秋空の下、とある私立高校の渡り廊下で、彼は重い荷物で体を軋ませていた。


「――あと、何周すれば終わるんだ……」


 吉野蒼汰。

 先のフランスでのエーデルワイス蜂起において、魔法少女たちとともに首謀者エーデルワイスを退けた少年である。


 影の英雄として、決して表舞台で称賛されることのない彼は、疲労と腰の痛みに苛まれていた。


 蒼汰は大天使所有者という身分以前に、私立高校に通う高校生なのである。


 学生の本分である勉強を放棄し、連日学校を休み続けていた。

 あまつさえ、彼はこの時期文化祭実行委員の手伝いとして派遣される学級委員でもある。

 にもかかわらず、文化祭準備はおろか文化祭当日にまで顔を出さない始末。


 彼が教師にお灸をすえられるのは当然であった。


 その罰がこれである。


「文化祭の内装の片づけ、報告書……処理しきれなかった仕事が丸々僕に課されるなんて……」


 サボタージュの罰則が加えられるのは理解できる。

 だがここまでの過重労働など誰が予想しようか?


「……フランスから帰った後、すぐに学校に行くはずだったのに……」


 大天使の影響で、蒼汰は大けがを負っても常人よりも早く傷の回復ができる。

 だが幸奈と麗の意向で、日本に帰ってから2週間自宅謹慎を言い渡された。


(胡桃沢の料理……おいしくなかったな……)


 蒼汰の自宅療養中、幸奈と麗は足繁く蒼汰の家に通った。

 母親が出勤した後に家に来て、蒼汰の身の回りの世話をしてくれたのだ。


 幸奈と麗はキッチンに立ち、包丁を振るった。

 麗の料理は食べることができるほどであったが、幸奈の料理はおいしくなかった。


 そして親が家に帰ってくる前に自分たちの住む住宅にまで帰っていくという2週間。


 それは今までの出来事とはまったく性質の違う平和な日常。

 蒼汰にも久しぶりに平和な世界というものを体験できる、幸せな時間だった。


(でも、フランスから帰ってきてからも胸のつかえは取れそうにないな……)


 ヘスティア・シュタルホックス。

 大天使の洗脳を受けず、死地から蘇った異世界の姫君。

 原因不明の事態で意識を失い、眠ったままの状態が2週間続いている。


 考えても答えなど見つからない。

 そしていつしか蒼汰は考えるのをやめた。

 決してヘスティアを見捨てたり、関心がなくなったわけではない。

 いつか目を覚ます、助けが必要になるときはきっと覚醒する。

 

 根拠があるわけではないが、その直感が蒼汰の行動を決定していた。


 不要になった装飾品をまとめてゴミ出し、もしくは来年度も使えそうなものは貯蔵庫へ。


 何度目かの階段の登り、蒼汰は自分の席に着くと引き出しからノートパソコンを取り出す。

 

 電源を入れ、学校側から受け取ったUSBを挿し入れる。

 そして開いたファイルは『学園祭報告書』


 文化祭実行委員が途中まで作成した報告書を、文化祭にすら出ていない蒼汰に完成させようというハラスメントである。

 

 適度なストレスは健康にいいと聞くが、それは『適度』という枕詞がついた場合である。

 過剰なストレスが蒼汰に降り注ぎ、職務放棄という選択が頭をよぎったとき――


 教室の扉が開いた。

 誰かが入ってきたようだが、蒼汰は気にする余裕もなく画面に注視し続ける。


 そしてその誰かの熱を帯びた視線が蒼汰に向けられ、吸い寄せられるように蒼汰も()()に視線を向ける。





「見つけた、蒼汰君」




 彼女が艶のある声を漏らした。


「……もえか」


 教室の窓から差し込む夕日が狗神もえかの表情を照らし出す。

 にこやかな表情で、胸に持つノートパソコンをぎゅっと抱きしめる。


「聞いたよ蒼汰君。文化祭の準備をさぼって、当日もさぼって、通常授業もさぼっちゃってパワハラされてるって」


「……まあ、欠席連絡も何もしてなかったからね」


「じゃあ私が先生に報告しとくね――フランスで女を作って遊んでたって」


 あのことをまだ気にしているのか。


「別に女を作ったわけじゃないよ、あの人は現地協力者……のはずだった」


 最後だけ小声になる。

 思わずもえかから目を反らす。

 だがその行動は、もえかに後ろめたいことの存在を暗示させてしまう。


「ふーん」


 疑い深い息。

 蒼汰は彼女の視線に胃を痛めながら、この時間が過ぎることを祈る。


「――そうだね、蒼汰君は嘘つかないもんね?」


 もえかの微笑みが緊張を洗い流す。


 そして流れるような動作で蒼汰の隣の席に腰を下ろすもえか。

 持っていたノートパソコンを下ろし、視線で蒼汰に訴えかける。


「……手伝ってくれるの?」


 屈託のないもえかの笑顔。

 思わず見とれてしまうその魅力に逆らえない。

 一旦引き抜いたUSBを彼女に渡す。


 手渡されたUSBからデータを抽出し、もえかは淡々と事務作業に移る。

 

 画面の世界の没頭し、ひたすらキーボードを叩くもえか。

 そんな彼女に視線が吸い込まれ、無意識に手が止まる。


 しっとりとした黒髪を片手で持ち上げる仕草に美麗さ見出したとき――視線が合う。


「……どうしたの?」


 もえかは驚くこともなく、気味悪がることもなく蒼汰の真意を尋ねる。


「いや、何でもないよ」


 苦しい否定。

 顔が熱くなるのを感じる。

 何とか蒼汰は作業に戻り、男女の息遣いとタイピング音だけが放課後の教室に響き渡る。


 先生に仕事を課され、嫌というほど感じていたストレス。

 それが嘘のように消え去っていた。

 今はこの作業、この時間が恋しいほどに感じられる。


 狗神もえかという存在が、蒼汰の心をどこまでも満たしていた。


 それからはしばらくの沈黙が続いた。

 日も完全に落ち切った頃、キーボードを触れる手を止めて、もえかが声を発する。


「もう遅いから、残りは明日にしよ?」


「そうだね、もう7時だ」


 左手の腕時計を確認し、蒼汰はテキパキと片づけを始める。


「――ねえ蒼汰君」


 通学カバンに手をかける蒼汰の腕をつかむ。


「今日、これから時間あるかな?」


「時間は……とれる……よ」


 すらすらと言葉が出てこなかった。

 もえかの仕草――頬に色を塗ってうつむき気味に問いかけた。

 彼女が何を訴えようとしているのかが手に取るようにわかる。


 内心ドキドキしながら、蒼汰は次の言葉を待った。


「……私のマンションに来てほしいの……」


 もえかのマンションへのお招き。

 予想していたこととはいえ、面と向かって言われてしまっては恥ずかしさを隠しきれない。


「いいよ……」


 蒼汰の承諾を受け、もえかの顔に花が咲く。


「うん、それじゃあ帰ろっか?」


 パソコン類をバッグの中に詰め込み、蒼汰の手を引くもえか。

 そんな彼女に先導され、蒼汰は教室を後にする。


 他愛のない会話をしながら、廊下を歩き、下駄箱で靴を履き替えて昇降口を出る。


「真っ暗だね」


 空を見上げるもえか。

 蒼汰も夜空を見上げ、軽く返事を返した。

 彼の横顔に視線を移したもえか。

 疑問と()()がないまぜになった表情で問いかける。


「――蒼汰君は、何だか大変なことに巻き込まれてるんでしょ?」


 急な問いかけに焦りを見せる蒼汰。

 もえかはある程度の確信を持って質問している。

 否定したところで彼女は食い下がらないだろう。


「……」


 沈黙で答える。

 蒼汰は彼女の顔を見れなかった。

 もえかの顔を見てしまえば、彼女まで戦いのるつぼに巻き込んでしまいそうに感じたからだ。


「私は……蒼汰君の味方だよ?」


 柔らかな感触。

 甘い香りが鼻腔を抜ける。


「もえか……」


 もえかは蒼汰の体に腕を巻き、自身の肢体を擦り付ける。


 蒼汰君の味方――

 それは蒼汰の精神的、肉体的な支えの意味を持ち、そしてもう一つの()()()()を含む言葉だった。


 だが後者の意味、それは彼女が望まぬものだ。

 強制された運命、彼女を束縛するそれが蒼汰との距離を離れさせる。


「言ったでしょ? 私は蒼汰君が大好きだって……」

 

 彼女の運命が彼を離すのなら、もえかは自分の意志で蒼汰を繋ぎ止める。


「蒼汰君は私にとっての特別な存在……だから……だから……」


 不意に変わるもえかの様子。

 今のもえかは想い人を支える可憐な乙女だったはずだ――


 ならどうして肩を震わせる?

 なぜ涙を流す?


「……もえか」


 これはただ事ではない。

 蒼汰は彼女の背中をさすり、耳元にささやきかける。


「もえか――もえか、どうしたの?」


 必死に呼びかける小さな声。

 耳元で蒼汰の声を聞いたもえかが口を開く。


「お願い……お願いがあるの」


 蒼汰に頼られたい、支えてあげたい――

 その気持ちは強い。

 だがそれを凌駕するほど大きな願いを心に秘めていた。


 嗚咽が漏れ出し、今まで押し殺していた想いの深淵を告白する。


「お願い……私を助けて……」


 心からのSOS。

 肩を震わせ、涙で蒼汰のブレザーを湿らせる。


 蒼汰は思い出した。


 脳の奥底に潜む既知感。

 それは、もえかが宇宙エレベーター(ヴァリアラスタン)の第5回完成記念式典のやり直しのため、宇宙へ上がる前――


 ――私に何かあれば、その時は私を救ってね――


 蒼汰を抱く力を強くし、涙を流し始めるもえか。

 今の彼女は、あの言葉を心が痛むほどに体現していた。

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