ヴィクトーリア資金
「――第二次世界大戦勃発前にぃ、アメリカからドイツへ送られた秘密資金900億ドル!!」
夜風がなびくフランスの土地。
美麗な花畑を焼き焦がそうとする高温の魔力が上空より撃ち出される。
神の力を得たと自称するエーデルワイス。
そんな彼女が外壁のロッテに対して確固とした殺意をこめた魔力攻撃を開始した。
「言っただろうエーデルワイス……」
迫りくる魔導攻撃の前で、ロッテは霊装に語り掛ける。
「ヴィクトーリア資金は渡さんとな! 霊装使用!!」
ロッテは自身の目の前にゲートを出現させる。
そこへエーデルワイスの魔導砲撃が吸い込まれていく。
「そもそもこの世界においては完全に影の人間である貴様が、どうやって単独で資金を手に入れるのだ? エーデルワイス」
含みのある質問。
一瞬眉をひそめるエーデルワイス。
「私は一応名のある女の一人だ、当時アメリカがドイツと友好関係にあったときからな」
「どういうこと?」
「申請一つでヴィクトーリア資金の使用が許可される。私は現在資金の管理者だ」
「何が言いたいわけぇ?」
「貴様が非合法に資金を手に入れようとすれば、この世界のあらゆる者を敵に回すことになる――この地球にはファルネスホルンの支部が点在しているのだからな」
世の理に反する者を神は許さない。
――まあ、先陣切って理を無視する神も同罪だがな。
ふっとロッテの口元が裂ける。
その瞬間、エーデルワイスの背後の空気が燃焼される。
「――後ろから!?」
身の危険を察したエーデルワイスが超反応で体をそらす。
その刹那、彼女の視線の先を魔力砲撃が通過する。
それは先ほどエーデルワイス自身が放ったもの。
意図的なタイムラグで出現したゲートの出口から魔力砲撃が飛び出したのだ。
「……ずいぶんと器用なことをするのねぇ」
「冷や汗かいて、何を余裕顔でいるんですか!!」
地面に叩きつけられた体に鞭うち、ヘスティアが地面を蹴って跳び上がる。
「――あらぁ、やっぱりあなたはロッテとは違うわねぇ」
上体を起こし、接近するランスの刃先を凝視するエーデルワイス。
「特別な考えもなく突進する――優雅とは程遠いまるで猪」
エーデルワイスはディスターソードを振り払い、ヘスティアの進路上にオルレアンの花を咲かせる。
花と茎の螺旋がランスに絡みつき、魔の手がヘスティア自身にも手を伸ばす。
四肢を拘束され、身動きの取れないヘスティアが苦しそうに息を吐く。
「素晴らしい格好ねぇお姫様?」
うっとりとその光景に酔いしれるエーデルワイス。
「フランスの美術館に飾るのもいいかもしれないわ」
サイコパス的なジョイがヘスティアに不快の念を植え付ける。
それでも臆することなく、ヘスティアは強気で言葉を放つ。
「――あなたの狂った美的感覚など興味はありませんよ。それと、あなたは一人を相手にする際もう一人の存在に対しては盲目的になる兆しがありますね」
このときヘスティアはエーデルワイスを見ていない。
見ているのは彼女の周囲――エーデルワイスの視界外を埋め尽くすゲートの渋滞。
「神の力を授かった? いや――ただ神の力を借りただけであろう?」
すべてを察したエーデルワイスが宙を滑走。
そんな彼女を追うようにゲートから魔導砲撃が突出する。
体をひねり、砲撃の網を掻い潜るエーデルワイス。
「ダンスの心得でもあるのか? 華麗なステップじゃないかエーデルワイス」
宙をジグザクに駆けるエーデルワイスの真上からロッテの声が降り注ぐ。
「1対2という戦況で、神になりきれない貴様に勝利の旗が挙がるとでも?」
エーデルワイスの頭上に出現した切れ目からロッテが飛び降りる。
「神の力を使いこなせないまま死んでゆけ!!」
頭上から振り下ろされる斬撃。
エーデルワイスの肩から股関節にまで到達する剣の刃が、赤黒い血をまき散らす。
「一太刀だけでは済ましませんよエーデルワイス」
茎に拘束されながらも、ヘスティアはエーデルワイスの目の前に混合術式を展開する。
魔力を小型の球状に形成し、それを『爆破術式』で前方へと撃ち出す。
エーデルワイス方向へ、収束した爆破によって球状の魔力弾子が撃ち出される。
彼女は上半身を大きく反らし、フリルの吹き飛んだ白いドレスに焼き模様が浮かび上がる。
その光景を眺める白い髪と肌に赤化粧を施したロッテ。
目の前で力を抜き、重力に引っ張られるエーデルワイスを冷めた瞳で見下ろす。
地面に落下し、ボロボロの花畑の上で手足を投げ出すエーデルワイス。
「大天使ならこの世の不条理を是正できると私は考えている。貴様にもそれをわかって欲しかったんだがな」
ロッテは血を払った剣を鞘に納める。
「――ロッテ」
オルレアンの花から解放されたヘスティアがふわりと地表に着地する。
「これでエーデルワイスは――」
「死亡確認はこれからだ。生死の如何で奴が神に汚染されているかどうかが理解できる」
「――」
「――何か聞きたげだなヘスティア」
ヘスティアの表情に何かを察したロッテ。
ヘスティアの意を汲んで話を切り出す。
「エーデルワイスがベルリンを砲撃しようとした理由、それはベルリンの敵対勢力の掃討だけでなく――」
「ああ、ヴィクトーリア資金の獲得が付録だ」
ヴィクトーリア資金とは何ですか?
もう話してもよいだろう。
ロッテはヨーロッパの事情を語る。
「あれは当時のアメリカ政府が機密書類を経て、米企業のドイツへの援助資金に紛れ込ませたものだ」
終戦後に予想される対ソビエトに向けた戦略資金。
「ドイツへの軍事資金援助でソビエトの戦力をすり減らし、弱ったソ連を一網打尽にしようというのがアメリカの計画だ」
ヘスティアの頭の上にはてなが浮かぶ。
彼女はこの世界とはまったく違う歴史をたどるファンタジー世界である。
二次元を生きるヘスティアに、こっちの世界の裏の歴史は理解しきれないのかもしれない。
「しかし南無三。ドイツに潜入していたソ連のスパイが資金の存在に気が付き、当時のソビエト書記長は大層ご立腹だったと聞いている」
アメリカは同盟国としてのメンツを守るべく一時的に資金を凍結。ドイツ人関係者にベルリン地下への機密輸送を命じた。
そしてアメリカは大戦が終結するまではソ連の機嫌を取るため、とりあえずはドイツ占領地への侵攻を開始した。
「結局ドイツは占領され、せっかく用意した資金も使われずに戦争は終わった」
そこから先は正史の通り。
「今は私が資金を管理している。ファルネスホルンの積極的な後押しもあってな」
「……あなたはどの組織にも干渉しない中立の立場なのでは? そもそもなぜあなたがこの世界で重役を担っているのです? それにエーデルワイスも何百年も前からここにいるって……」
「この世界で大天使の実験を行うことは数世紀前から決まっており、昔から異世界転移は始まっている――私もエーデルワイスも歳をとらずに何百年も美貌だ」
神は時を超えて世界に干渉できる。
大天使の発現は一年前である。
故に実験準備のため、この世界で時を遡って数世紀前から着々と準備を始めた。
「まあ、転移させられてから争いをしない穏健派でいたが、今はファルネスホルンの保護下に置かれている」
この大天使騒動に極力介入しないという約束で、異世界転移者でもあるロッテをひいきしてくれている。
だがロッテの神への反感が露見した以上、ファルネスホルンからも追放されてしまうのかもしれない。
「それに私はエーデルワイス絡みでこのいざこざに関わってしまった。もう中立だなんて言っても聞き入れてもらえないだろうがな」
「……何だかよくわかりません」
「神々の対立から始まり、大天使を中心にあらゆる組織のあらゆる思惑が絡み合ってこの現状に至っている――抽象的に言えばそうなる」
別にわからなくても困ることはない。
綿密に研究をするのは歴史家のすることだ。
「――さてヘスティア、ピクリとも動かない死体らしきものが転がっている。あれを利用したマルセイユ宮殿復興計画を立案したいのだが?」
「あなた、趣味が悪いって誰かに言われませんか? それと――」
気を抜いたロッテとは正反対に警戒心を切らすことのないヘスティア。
「あなた、たまに勘が悪いと誰かに言われませんか?」
その問いかけの直後、不気味な感覚がロッテの頬をなぞる。
「文明的な力の差異ある神と人間――前者の能力を振りかざす私が、劣った後者2人組に手も足も出ないと思ってぇ?」
ロッテの視界に転がる死体らしきものが起き上がる。
絢爛な光を刀身に宿したディスターソード。
ゆらゆらと立ち昇る魔力周波。
「気が付きましたか? エーデルワイスから放たれる反応波」
人間である魔法使いとはかけ離れた異常な反応。
異質な魔力周波と反応波を垂れ流し、傷の塞がったエーデルワイスがハイヒールで地面を鳴らす。




