ラスコー洞窟
「……ラスコー洞窟はパリから離れた位置にある。間に合うのかな?」
ようやく本来の目的地に行くことなった。
だがあと数時間すれば日が落ちる。
今から行動を始めるには遅すぎる時間帯である。
そんな蒼汰の懸念を振り払うように、エーデルワイスは返答する。
「大丈夫だよ蒼汰様。私はスタンダートスペックの魔法使いとは違うから」
高らかな自己過大評価。
彼女はその自信を現実にするために、詠唱してみせる。
「ゲート展開」
一言。
彼女がその一言を言い放った。
そして訪れる沈黙。
カフェ内で巻き起こる会話だけが、時間の経過を物語っていた。
「……?」
きょとんとした表情を浮かべる幸奈。
「エーデルワイスさん……何も変わらないようだけど……」
蒼汰も状況の変化を呑み込めず、ただエーデルワイスの自信に満ちた表情を眺めることしかできない。
「今ので門は開いたの。さあ行きましょう」
スカートを翻して出口に向かエ―デルワイス。
蒼汰たちは何も分からずに彼女について行く。
外の様子が見えるガラス張りの扉。
取っ手を掴んだエーデルワイスが扉を開け放つ。
異界。
蒼汰たちの視界に広がる扉の向こう。
それは異界だった。
「外が……」
ガラスの扉を通して見たはずのストリート。
だが扉を開けた瞬間、そのストリートは消え、新たに表れる自然の風景。
「驚いた? 物理的な扉をくぐると、空間を飛ばしてワープすることのできる空間転移系術式だよ」
エーデルワイスは異地へと続く扉をくぐる。
彼女について行くように、蒼汰たちもその門をくぐっていく。
視界に開ける木々の林立。
そよ風が枝を揺らし、その身につける葉を落とす。
「――そしてあれが、ラスコー洞窟だよ」
エーデルワイスが指さす先。
自然の中にできた道の向こう、コケが生え、所々が崩れ落ちた古びた神殿がそびえ立っていた。
「数十年前に洞窟の入り口を覆い隠すために建てられた神殿。あの中に洞窟へ入り込むための道があるの」
その神殿は当時の政府によって建造され、何かを隠すようにラスコー洞窟を保護した。
「現在まで侵入は禁止され、ジャーナリストも政府関係者でさえ立ち入ることのできない空間」
それが現在のラスコー洞窟。
「普通の人間にレッドクォーツは管理できない――だから人の手の届かない洞窟に封印した」
歌うように経緯を説明するエーデルワイス。
「この先にレッドクォーツがあるんですね、エーデルワイスさん」
蒼汰の最終確認。
エーデルワイス首を縦に振って肯定する。
「何としてでも私たちが先にレッドクォーツを回収してパリへの大規模攻撃術式の発動を阻止する――それが私たちの最大の仕事]
エーデルワイスは蒼汰たちへ視線を向けることはない。
ただ神殿の先、その奥底にあるであろうレッドクォーツへと意識を集中させていた。
「――随分時間が経っちゃったわ。早く宮殿に戻ってここに来ましょう」
左手首に巻く腕時計を確認するエーデルワイス。
そして再び神殿方向に視線を移し、詠唱する。
相変わらず変わったことはない。
だが今の詠唱で空間を飛ばす転移魔法が発動したのだ。
マルセイユ宮殿への道は開けた、だが麗ただ一人が一歩も動かない。
「――どうしたの藤ノ宮麗さん。来ないの?」
一人立ち尽くす麗を促すように声をかけるエーデルワイス。
「……何でもないわ」
麗はそう言い、ポニーテールをなびかせて足早に前進する。
そんな彼女を心配そうに見つめる蒼汰。
自分を捉える視線に気が付いたのか、麗は蒼汰に近づき耳打ちする。
「――なんでもないわ吉野君。心配しないで」
優しく語りかける麗。
だがそれとは裏腹に、彼女の表情には緊迫が溢れかえっていた。
神殿の入り口にゲートを張り、マルセイユ宮殿にとんぼ返りした一行。
手早く軽い食事を済ませ、全員がロビーに集合した。
「お嬢様、蒼汰様たちもお気をつけて」
エーデルワイスがラスコー洞窟に向かうため、宮殿の留守番はブルギニオンが務める。
「ブルギニオン。私たちはいつ戻るのかは分からないの、だからお願いね?」
「Yes,my lord.お嬢様方の無事を祈っています」
姿勢よく頭を下げるブルギニオンを背に、エーデルワイスはマルセイユ宮殿の入り口を、神殿近くの小屋の扉へとゲートで繋ぐ。
ゲート開放。
一握りの希望を胸に、エーデルワイスはその門をくぐる。
ゲートをくぐった先は、ラスコー洞窟から約400メートル離れた古びた小屋の前。
小屋の入り口扉から外に出るエーデルワイス一行。
緑の香りを鼻に纏わせ、彼女は一度深呼吸する。
そして彼女は背後に立つ蒼汰に振り向く。
「――ラスコー洞窟の入り口に張られたドライツェフ。万が一それが突破された場合に備え、洞窟内にも多数の仕掛けが施されている可能性があるの」
それは蒼汰にも予想のできることだった。
「だから気が抜けないんだよ。戦闘はなくとも私たちの身に何が起きるのかは分からない」
エーデルワイスは目を伏せる。
彼女が何を考えているのかは容易に理解できる。
パリを護るためとはいえ、本来部外者の蒼汰たちに命をかけさせて本当によいのか。
「――そんなの今更だよ」
だがそれは、蒼汰が日本へ引き返すための理由にはなりえない。
「早く行こうエーデルワイスさん。ドイツの魔法使いが動く前に」
彼は緊張するそぶりも見せず、淡々と言葉を並べる。
そんな蒼汰の余裕に頼もしさを覚え、エーデルワイスは微かに笑みをこぼす。
「そうだね。帰ったらまた別の観光場所も案内してあげるね蒼汰様」
幸奈と麗を差し置き、エーデルワイスは蒼汰とのデートの約束を取り付ける。
楽し気な表情のエーデルワイスは歩を進める。
彼女に追従する蒼汰たち。
曲がりくねった道を歩き、舗装されない土を踏みしめる。
彼らは戦いに行くのではない。
だが闘争前の沈黙した緊張状態が各々を包み込む。
ただ一人、エーデルワイスだけは何事もないように鼻歌を響かせる。
しばらく歩き、ほんの数時間前に視界に捉えたばかりの神殿が見えてくる。
「さて皆さま。準備のほどはよろしいですかな?」
ここぞとばかりに気合の込めた声音を上げるエーデルワイス。
気を張った蒼汰たちの方へと振り向き、さらに言葉を繋げる。
「神殿の入り口をくぐれば、すぐ目の前にラスコー洞窟の入り口がある。そこから先は未知の領域――魔術を使用してでさえ観測できなかった魔の空間が広がっている」
エーデルワイスの言葉は重いものだった。
だが――
「とりあえず一番の目的は誰一人として死なずに還ってくること。それが私からのお願い」
エーデルワイスはレッドクォーツよりも蒼汰たちの命を優先した。
ここまで心を遣わせておきながら、怖気づいて引き返すことなどできはしない。
「――僕たちが死なずに還ってくるのは当たり前だよ。やるべきことをやって還るだけだ」




