フランス渡航
「アルベルト・シュタルホックス、出頭いたしました」
天井全体を飾るステンドグラスから差し込む日の光を頭から受けたアルベルト。
普段の彼の様子からは考えられないほどの態度と姿勢で膝をつく。
「――悪かったわねぇ日本からわざわざ呼びつけて。素敵な観光はできたのかしらぁ?」
くすくすと嗤う女の声。
赤いカーペットが敷き詰められた大広間の中、最奥に位置する数段の階段を上がった間。女はそこで豪華絢爛な椅子に腰かけ、片膝をつくアルベルトを楽しそうに眺めていた。
「大天使の排除に関し、私の不備がありまして未だ任務を達成できてはいません」
「それで? その失態を払拭できるだけの策があなたにはあるの?」
「はっ。吉野蒼汰が大天使の力を発揮するより先に心臓を破壊し、復活不能な状況に陥れます」
「具体策は?」
「護衛のいないときです。刺殺でも撲殺でも何なりと」
礼儀を正しながらものらりくらりと答えるアルベルト。
そんな彼の様子に女も口角を吊り上げる。
「ふふ――具体案を即答できる人は素敵よ。安心して仕事を任せられるわぁ」
「ありがたきお言葉」
あくまでマニュアル通り。アルベルトは無難に彼女と接する。
「――それでぇ? 仕事のできるアルベルト君は忙しくも兼業をしてるのよねぇ? 体制派の飼い犬ごっこは楽しかった? スパイくぅん」
その場の空気が一瞬にして凍てつく。
それまで背景に同化していた執事服の男が壁に飾られたハルバートを手に持つ。
「仕事熱心なのは体制派としてのアルベルト君だったのねぇ。じゃあ反体制派としてのアルベルト君は職務怠慢、即刻血祭ってことは理解してるかしらぁ?」
「年代物のワインを期待していたのですが、流血の報酬では心躍ることはないでしょう」
折った膝を伸ばして立ち上がるアルベルト。
「あら、完全服従姿勢をやめていいなんて一言も言ってないわよぉ?」
「今日限りであなたの犬を辞退しますよ、レディ」
片手でハルバートを携えた執事がアルベルトの前に立つ。
「まったくアルベルトったら。反体制派にいる限りはいい思いをさせてあげようと思ってたのに……」
「そんなクソッタレな考えの持ち主どもと酒杯など交わせるものか――ラグナロクで負けて、さらに最終兵器の大天使を殺そうとする連中に友情など湧くはずがないでしょう」
数多の神々が己の世界の覇権を巡って引き起こした大戦争――ラグナロク。
幾多も存在する世界にはそれぞれ管理する神の存在がある。
その世界が止めどなく創生され続け、この世の容量を超えるほど生まれ続けた。
結果この世のバランスは崩れ、神のいる聖域の崩壊までも危ぶまれたとき神の最高評議会は決断を迫られた。
戦争で管理者である神を殺し、世界の数を減少させようとする主戦論。
闘争を避け、解決策を練る非戦論。
英断より先、主戦論を掲げる勢力が宣戦布告なしに非戦論を攻撃、自然に戦争状態に陥って始まったのがラグナロク。
「いいですかレディ? その戦争で敗戦した神々の同盟が残党勢力となってさらに分裂、思いがけない不可思議で吉野蒼汰に宿った大天使を研究開発し、戦勝同盟の神に復讐戦争を仕掛けるのが本来の残党の体制的な思想です。ですが――」
「危険分子の可能性のある大天使を吉野蒼汰ごと抹殺しようとする反体制派は、常軌を逸したキチガイだとでも言いたいのかしらぁ?」
吊り上がったアルベルトの口元。
彼女の質問を侮蔑たっぷりに肯定したアルベルトが自慢の盾を出現させる。
「申し訳ありませんレディ。あなたを殺しても十字架を立てる気はありません――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宇宙エレベーターの見える羽田空港から飛行機に乗り、フランス首都パリへ降り立った三人、吉野蒼汰、胡桃沢幸奈、藤ノ宮麗。
大きなキャリーバックを受け取った三人は空港からタクシーを乗り継ぎ、予約なしで泊まれるホテルで腰を下ろしていた。
ホテルの一室、吉野蒼汰は窓から見えるパリの街並みを俯瞰していた。
アルベルト・シュタルホックスの足取りは謎のままだ。ならば――
「フランスにいる異世界転移者に協力を煽る……か」
蒼汰はフランス語は話せない。だが英語であれば発音は悪いが外国人との会話はできる、多分。
彼は英語には自信がある、あくまで勉強としての英語に限定されるが。
(偏差値65をたたき出しても、実際に役に立つかは別だよな……)
不意に訪れるノック音。
重い腰を上げてドアの方へ。覗き穴から見えるのは麗、そして離れた位置にいる幸奈。
「入っていいよ、二人とも」
「邪魔するわね」
「……お邪魔します」
シャンプーの香りを漂わせる二人が彼の隣を通り過ぎ、麗はベッドの上、幸奈は涼しい気温の中、ベランダの扉を開けて外の椅子に腰かける。
二人の様子にため息をつきながら、蒼汰は机の椅子に座る。
「――これから街に出て他の異世界転移者と接触する。それと胡桃沢、その前に話しておきたいことがあるんだけど」
蒼汰の一言で幸奈は真剣な表情を見せる。
蒼汰は心の中に喋りかける――世界を見せろと。
『――主任官要望を確認。吉野蒼汰、転移同意項目を転送します。読了後、同意の有無を確認します。同行者の名前、身元を確認後、異世界転移に移行します――』
頭の中で再生される同意項目を全て確認し、直接思考で『同意』を選択。
『――同行者、藤ノ宮麗、胡桃沢幸奈、共に異世界転移魔法少女……確認。これより転移します―』
七色の光が三人を包み込む。
急なことで幸奈がパニックになる中、蒼汰と麗が戸惑う幸奈を支える。
「え? ちょ――どわぁぁぁぁぁ!!」
女の子とは思えない叫びで幸奈の視界が暗転。
同様に蒼汰と麗も暗闇に包まれる――そして開けるは新天地。
ふわっと浮いた足が接地する。
地面の感触を足裏で感じた幸奈が目を開ける。
「――え?」
パリとは違う気候。ベランダのチェアで感じていたそよ風とは匂いも肌触りも違う。
目の前に存在する別世界。
「あれ? 吉野君……これ……」
不安に駆られた幸奈が辺りを見渡す。
パリの整然とした街並みなどとうに消え、目に映るものは錆びれた廃墟街。
まるで空襲に遭った街のように建物はボロボロに崩れ落ちていて、幾千年もの間放置されてきたような遺跡状態。
『――詳細――現在ワルプルギス文書断片の回収率、18パーセント。世界構成システムは正常に機能。82パーセントの欠損パーツが世界に荒廃をもたらしています。問題解決のため、順次ワルプルギス文書の回収を進めてください――』
(これじゃあまるで終戦後の復興みたいだよ……)
『――総人口、109479人。創造世界『ゼネラルメビウス』安全に機能しています。暗号化、セキュリティレベル≪強≫。スキャン開始……問題は見つかりませんでした――』
頭の中を流れる女の声は消失。
目をぱちくりさせる幸奈を置いて、麗は蒼汰の脇をつつく。
「吉野君、どうやらピースを集めない限りこの世界の復興は加速しないみたいよ」
「……せめて人が住めるようになるまで転移を遅らせないのか?」
「その辺のことは分からないけど、おそらくそうなんじゃないかしら。今だって世界の崩壊は進んでいるのだし、すぐにこの世界に転移させないと……」
「しばらくは移民者の地道な努力に頼るしかないか……」
初めて来た異世界。
ここは自分の働きで創り出された新世界であり、数多の人間が集まる最終地点。
蒼汰も現実味が薄いとはいえ、薄々この世界の重要性は理解しているつもりだ。
あらゆる勢力の思惑に翻弄され、利用されている蒼汰。異世界創造たる『暁の水平線計画』、そして崩壊する異世界から生命を転移させる移民計画『インフィニット・ピースメーカー』。
それを阻止しようとする大勢力が2つ、息を潜めて時を待つ――




