不穏
今日の平凡はどこへ行った?
世界初の宇宙エレベーター『ヴァリアラスタン』の第五周年を飾る完成式典を襲った爆発事故。
蒼汰のクラスメートでもあり、『ヴァリアラスタン』イメージヒロインでもある狗神もえかのトークショーが強制的に中止にされ、赤城ともはぐれた。さらに――
(いってぇ、あの騎士服のコスプレ女……)
突如飛来した赤髪の美女。なぜか蒼汰に敵意むき出しで凶器をつきつけ、乱暴にあの場から退避させた。
辺りを見渡す。
資材置き場や詰め所として使われているのだろう、ステージ上へと上るエレベーターに加え、封の開いた段ボールが山積みにされている。
上体を起こし、蹴られたお腹を露出する。赤黒く内出血を起こし、骨が何本か砕けている。
「ちくしょう……」
常人を超えた力で蹴り飛ばされ、大けがを負った蒼汰。常軌を逸した冷静さで砕けた骨をさする。
痛いけど……大丈夫。
「――蒼汰く……吉野君!!」
誰かが蒼汰に駆け寄る。
「狗神……」
そこには埃まみれになった擬人化衣装を着飾る狗神もえかがいた。
「どうしてここに……避難できなかったの?」
今まで見たことのない慌てっぷりで蒼汰に詰め寄る。
「とりあえずこっちに来て? 何だか外の方ですごい音がしてるから……」
とてつもない爆発音が彼女の言葉通り響き渡る。
パラパラと天井から砂塵が降り注ぎ、崩壊の雰囲気を漂わせる。
「と――とにかくこっちに来て、それと赤骨君は一緒じゃないの?」
「赤城とははぐれちゃったんだよ。無事ならいいけど……」
あのパニックの状態で、来場者全員をまとめ上げられるほど警察が優秀とは思えない。避難経路は本土へ続く橋と車両専用海底トンネル、それとモノレールの三つに限定されるため、今なお混雑に見舞われている可能性が高い。
「吉野君、今から『ヴァリアラスタン』の地下商業区にまで行くよ。一部の来場者もそこに避難してる、食料や飲料水は充実してるから、こもることになっても持つと思う」
この宇宙エレベーターの昇降機は一基だけ。残りの施設は主に観光用の商業区などで占められている。今や世界一の観光施設であるこの島は一つの町である。飲食店や土産物店、コンビニなどに貯蔵される物資により、飲み食いに困ることはない。
もえかに連れられて倉庫を抜け、宇宙エレベーター地下に到達する。
「もう大丈夫だよ吉野君。ここにいれば安全だから」
彼女の微笑みを受けた蒼汰の眉が動く。訝しげに彼女の顔を覗き込み一言。
「……狗神は大丈夫じゃなさそうだけど?」
核心を突く蒼汰の言葉。無意識に涙を流しているもえかの呼吸が一瞬詰まる。
「……わたし……だいじょうぶ……」
「大丈夫だったらそんな顔しないよ……」
取り出したハンカチでもえかの涙を吸い取る。しゃくりあげる彼女の背中を撫でてやる。
「今日……特別な日なのに、こんなことになっちゃって。いっぱい練習して、楽しみにしてたのに……それに私が、トークショーの仕事引き受けてなかったら……」
「自分のせいだって言いたいの? 狗神を責める人なんていないよ。そうやって自分の責任にすることなんてない、自信を失くして下を向くのはアイドルの仕事じゃない」
小さく背中を丸めるクラメートを連れ、蒼汰は人がいるであろう商業区へと足を進める。
彼の後ろからは未だに地響きとゲームのような効果音が飛び交っている。
(あの人の光……)
間昼間の陽日の下で、あそこまではっきりと見える発光現象。
直感的にも常識的なものではないことが分かる。
ちらっと横を歩く少女を覗く。
泣き腫らした顔を隠すように蒼汰の視線を避ける。彼の忠告を聞いて顔を上げているが、それでも視線は下を向いている。
(無理もないか……)
関係者だけが通り過ぎることができる扉、ノブを回すが鍵がかかっている。
「誰か開けてください」
扉を強くたたく、こうでもしないと聞こえないかもしれない。
内側から鍵が回る音、ゆっくりと開けられた扉の向こうから覗く顔。
「――ま……マネージャー」
もえかのつぶやきの直後、勢いよく扉が開けられ女性が飛び出す。
「探してたんですよ狗神さん!!」
感極まってもえかに抱きつく専属マネージャー。涙で眼鏡を曇らせ、もえかの無事を心から喜んでいる。
「――本当によかったぁ。それと、狗神さんを連れてきてくれてありがとう吉野君」
初対面のマネージャーが蒼汰の名前を言い当てた。無論蒼汰には面識がない。
「あの……どこかでお会いしましたか?」
「ううん、そうじゃないの。よく狗神さんが吉野君の話をするの。それで――」
「その話は知りません、マネージャーの妄想です!! いいから入るよ、吉野君!!」
あらあら、私に話を持ちかけてくるとき、彼のことを下の名前で読んでたのに――と、マネージャーの独り言を無視してもえかはつかつかと商業区へ足を踏み入れる。
近くの長椅子に腰かける。ようやく休憩することができるみたいだ。
「――とにかく二人ともお疲れ様、飲食店からもらってきたよ、サイダー」
サイダーのコップを蒼汰ともえかに手渡すマネージャー。
いつまでここにいることになるか分からない、水分は摂っておくべきだ。
地上の戦闘音は徐々に小さくなる。終息に向かっているのか、さきほどに比べ地響きも激減している。
――情報更新――断片座標『ヴィーナスタウン』、脅威を退け、ワルプルギス文書断片の確保を実行してください――
またこの声――
『ワルプルギス文書』って、あの都市伝説、人類の未来の姿を書き記し、それを実現できるアイテムだっけ。
なんでこれが頭の中に響くんだ、確保を実行しろって言われても、ここから出られるわけが……
蒼汰はあの赤髪の騎士を思い出す。
あの人はどうなったのだろう、自分に敵意を向けてきたがどうしてだろう、あの不思議な力は何なのだろう。
あらゆる疑問が好奇心となって蒼汰の原動力に変換される。
こんなことは変だ、おかしい。今回の騒動に関わってはいけない。頭でそれを理解しようにも、未知の力で引き寄せられる感覚に襲われる。
「……吉野君?」
何をしているの? そう言いたげなもえか。この時蒼汰は鍵を開け、自分が歩いてきた特設ステージの下へと続く扉に手をかけていた。
「ごめん狗神。僕、行くよ」
扉を開け、勢いよく走り出す。
背後で彼を呼び止めるもえかの声。それは蒼汰に届いている、だが彼を止めるほどの力には届いていない。
来た道をひたすら引き返す。
折れたはずの骨はとうに完治し、軽い足取りで蒼汰はステージの穴を目指す。
「着いた!」
ステージ上に直結するエレベーターを操作、上昇。
(あの人は大丈夫なのかな)
天井がスライドし陽光が差し込む。
視界に開けるものは、しばらくぶりの外の世界。
地上の光景は悲惨なものだった。
至る所が破壊され、火で木々が燃えている。
夜にステージを照らすスポットライトが割られ、トークショーでもえかの声を届けていたスピーカーは原型を留めていない。
それにしても――
「何だ……この匂い」
鉄のような生臭い匂い、とでも言うのが正しいのだろうか。長時間嗅いでいられない不快な匂いが鼻につく。
ステージを降り、地面に足を付ける。
数歩歩いたところで、蒼汰は何かを蹴った。
(何か落ちてる……)
蒼汰の足が当たったことでそれは微かに揺れる。
持ち主を失ったランスが地面に突き刺さっている。
白と赤を基調とした騎士服が血にまみれている。
だらしなく投げ出された手足はピクリとも動くことがない。
赤い髪をさらに赤くし、乾ききらない塗料が髪同士をくっつけ合う。
開き切った眼が蒼汰を見つめる。
助けて、とでも言いそうな表情の遺体が転がっている。
先ほど蒼汰を蹴飛ばした少女が命を失い、その亡骸を残している。
「おい小僧」
死刑宣告ともとれる冷たい声音。
恐る恐る振り向く――目の前にいない。
足元に水滴が落ち、足を伝って液体が流れ落ちる。
蒼汰の首を貫く手刀が躊躇いなく抜かれる。
蒼汰はその場に倒れ込んだ。
息もせず、心臓も次第に弱くなる。
俗にいうこれは、死亡である。
吉野蒼汰はこの日、その17年の生涯に幕を閉じる。
殺害――と言う形で人生を終わらせた少年が、力なくその場に崩れ落ちる。