洗脳とは愚行、愚行とは洗脳
「あなたが自分を見失い、どこかに行ってしまうのなら、僕は何度だってあなたを見つけてあげますよ……」
ヘスティアの後ろにもう退路はない。
左か右へ動けば蒼汰との距離を離すことができる。
だが彼女の責務は大天使の能力を観測し、さらに強化させること。
(だから逃げられない……もし逃げたら……)
自分が殺されるかもしれない。
何としてでもこの場で良質なデータを観測しなくては……
「……見つけてあげるなんて……勝手な都合を押し付けないでください!!」
すでにヘスティアは『BWP』による洗脳状態。いくら大天使の洗脳能力を駆使しようと、ヘスティアの呪いが覆されることはない。
そのようなシミュレーション結果が出されている。
「――神の技術を踏襲したとされる演算機に狂いはないはずです!!」
ランスははるか遠くに吹き飛ばされた。
それでも――
「――統一王国シンデレラポールの姫として、あなたを一人前に教育して差し上げます!!」
背後の柱を蹴って突進。
限界にまで握りしめた鉄拳を引く。
体は銃、拳は弾丸。
火薬の爆発で加速した銃弾のように、拳を撃ち出す!
『――日本の皆さん、こんにちわ』
館内、そして地上の日本中に送られるメッセージが放送された。
撃ち出した拳が蒼汰の目の前で停止する。
『――私は『ヴァリアラスタン』イメージヒロイン、狗神もえかです』
もえかのイベントが開始された瞬間――
蒼汰は謎の微笑みを浮かべていた。
その理由はヘスティアには分からない。
「何なのですか……」
思わず止めてしまった拳を引き戻す。
そして再びスピーカーを通してもえかの声が響き渡る。
『――前回はエレベーターの事故がきっかけで急遽イベントが中止になってしまいました』
一瞬放送に気を取られていたヘスティアが我に返る。
態勢を立て直すために疾走して蒼汰から距離をとる。
(――次は魔導砲撃であなたの性能テストをして差し上げます!!)
右手のひらを大きく開き、その中央へ魔力を増幅。
手のひらの前に球体上の凝縮魔力が生成される。
『――なので今からそのやり直しをしたいと思います。私のわがままをとことん聞いてくれた関係者の方々にはお礼のしようもありません』
「――全てはアルベルト様のため! 体制派のため!! 連中を復讐の業火で焼き払うための計画のため!!!」
射出される魔導砲撃。
魔力が通過した空間の温度が一気に上昇。
数万℃の魔導砲撃が吉野蒼汰めがけて軌跡を成す。
生身の人間がくらえばひとたまりもない。
たとえ戦車であろうと一撃で撃破できるほどの威力。
それでも蒼汰は避けることはない。
大天使という最悪最強の呪縛女を宿す蒼汰は避ける必要はない。
そして、あれはもう実証済みだ――
「屈折!!!」
蒼汰の目の前で魔導砲撃の機動が強制変更される。
くの字に折れ曲がった魔力がバーカウンターを融解させる。
これで二度目。
ヘスティアは二度観測したことにより、今の現象の特性を察知する。
(魔法少女の攻撃を言葉一つで跳ね返す――)
それは今まで観測できていなかった新情報。
ヘスティアは僅かに口角を上げる。
あとは、彼の力を最大限強化させる――
そのための実戦実験。
そのための異世界転移。
異世界転移者たちは強化大天使を組み上げる『Project of Angel Wing』、通称『PAW』のための実験材料であり、実験カリキュラムである。
『――この幸運を大切に使いたいと思います。なので、この場を借りてみなさんにお伝えしたいことがあるのです』
――『BWP』占領率90パーセント以上。精神汚染濃レベルMAX――
「――うっ!?」
突如ヘスティアがその場に崩れ落ちる。
急激な発汗が彼女を濡らし、がくがくと痙攣を見せる。
瞳孔が開き、口に当てた手から止めどなく吐瀉物が放出される。
「シュタルホックスさん!!」
彼女の異変に蒼汰は駆け付ける。
『――現在のA-MI東京都市は誰もが平和に暮らせる幸せな街です、ここには人間同士の対立もありません。ですが――』
「大丈夫ですか!?」
明らかに様子がおかしい。
焦点が定まらない瞳が右往左往。
何か危険な物質でも摂取したのではないかといえるほどの拒否反応。
(まさか……)
思い当たるふしはある。
ヘスティアの胸を撃った銃弾。
弾頭内部に仕込まれていた洗脳薬物。
『――その平和は、一体何をもってしての幸せなのか。そしてそれはどのような方法で現出する平和なのか』
彼女の全身の筋肉が硬直している。
――占有率98パーセント。そして始まるのは自我の完全崩壊。
『――それは私たち東京市民には明かされない最重要機密。正体不明の『システム・ヴァリアラスタン』が私たちに平和をもたらしてくれる』
蒼汰は願った。
何度も何度も願う。
だが彼の洗脳は届かない。
大天使の呪いが目の前の少女には届かない。
『――でもそれなら、どうして私を救ってくれなかったのでしょう』
――占有率100パーセント。ヘスティア・シュタルホックスの自我は完全に崩壊した。今の彼女を統べるのは洗脳の力
『――平和を標榜するのなら、どうして私は不幸な目に遭ったのでしょう。洗脳されたように平和を享受する東京市民の中で、どうして私は蚊帳の外なのでしょか』
その時蒼汰の視界がシャットアウトされる。
最後に見たのはヘスティアが自分の胸元に拳を突き立てる光景だった。
血を吐き、再び吹き飛ばされる蒼汰の体。
床を転げまわった。
根性だけで足を踏ん張って停止する。
左目が開かない。
右目だけで捉えたヘスティアの姿――
『――まさしく最悪の洗脳とでも言うのが正しいのかもしれません。私はジャーナリストでもなければ専門家でもない。でも――』
私、狗神もえかは思うのです。
『システム・ヴァリアラスタン』は誰もが望む形で平和を実現しているのか。
それとも強制的な形で平和を実現しているのか。
『――前者は理想、後者は現実――なのかもしれません』
現実とは愚行の積み重ね。
人間同士の間で絶対平和などというものは、未来永劫実現されることはないでしょう。
『――だからこそ技術を応用し、力づくで平和を実現する』
そんなもの、本当に平和と言えるのでしょうか?
私は敢えてこの平和を洗脳という言葉で表現しました。
洗脳は人間が生み出した最低な行為。
他者を隷属させ、好き勝手に思想や価値観を強制して何かを強制する。
私たちがやってはいけないことです。
それならば――
『――システムにやらせるのは一向に構わない……と?』
ヘスティアの体の痙攣は収まっている。
ゆっくりとした動きで立ち上がる。
瞳の色は変わらない。
人形のようで、操り人形のようで片目は自分の青色、もう一方は強制された赤色の瞳をしている。
「ヘスティアさん……何度も言わせないでくださいよ……」
同じく蒼汰も立ち上がる。
痛みを思わせない滑らかな動作で地に足を付ける。
「言ったじゃないですか……何度でもあなたを見つけるって……」
『――それは私の妄言、でまかせなのかもしれません。でも私はその妄想を信じています』
ヘスティアを取り巻く魔力周波。
彼女のものではない真っ黒なオーラが立ち昇る。
それに呼応するように蒼汰は大天使のオーラを込み上げる。
真白く魔白い魔力周波。
『――だからこそ私は願うのです。もっと自然な形で創る平和を。疑いなき本当の意味でのユートピアを』
――吉野蒼汰。あなたはヘスティア・シュタルホックスを救わなくてはいけません――
――『ゼネラルメビウス』構成のためには、吉野蒼汰の言いなり彼女であるヘスティア・シュタルホックスの存在が必須です――
(言いなり彼女とか言わないでくれ、縁起が悪い)
――フフ。申し訳ございません――
(あんたもそうやって笑うんだな――まあいい、僕の運命役目は決まっている)
ヘスティアを取り戻す、それから――
「『――人間が本当の意味で平和に暮らせる世界を創る。それが僕(私)たちの使命だ(です)!!!』」
それは蒼汰ともえかの言葉が一致した瞬間だった。




