彼女の目覚め
「蒼汰くん、もえかね、蒼汰くんのこと大好きだよ!」
黄昏の公園で、少女は少年にキスをした。
彼女の唇が離れ、蒼汰は照れながらも答えを返す。
「僕も……もえかちゃんのこと大好き!」
それは子供の愛の告白。
高校生になって思い返してみれば、ただの幼き日の思い出話だ。
それが未来の自分たちの関係へと繋がる、そう思う人間はいないだろう。
かつての蒼汰も例外ではなかったのかもしれない。
当時はもえかのことを誰よりも好いており、その想いを永遠に持ち続けると思っていたのだろう。
それはもえかも同じだ。
あの頃のもえかは、心の底から吉野蒼汰に恋を抱いていた。
この気持ちを未来永劫持ち続ける、他の男の子には目移りしない。
自分の恋心を信じ、愛し、大切にしていた。
そして高校2年生に至る今まで、その気持ちはずっと続いている。
彼女は一途だ。
夕暮れの公園。
お互いの気持ちを伝えあい、誰かを愛し、支え合うには小さすぎる手が重なり合う。
指を絡ませて手を握る二人はベンチに腰を下ろす。
「――ねえ、蒼汰君」
首をかしげるようにして蒼汰の顔を覗き込む。
そのとき、彼女の首元のブレスレットがきらりと光る。
「神様のお話――してあげる」
何を思ったのか、彼女は唐突に話を切り出した。
「神様はね――時空を超えて色々な世界を飛び回ることができるの」
空を見上げ、もえかはその光景に酔いしれながら語る。
「例えば、100年前の世界から、もえかたちの住む時代にやってくることもできる。それに100年後の世界から今の時代に来ることもできる」
きょとんとした表情でもえかを見る蒼汰。
彼女の話について行けず、困った顔色で耳を傾ける。
「だからね、もしかしたら神様に会ったことがある人がいるかもしれない――そういう話」
にこやかな笑顔を浮かべるもえか。
彼女の明るい笑顔に惹かれ、蒼汰も自然に微笑みを浮かべる。
その時、2人の時間を終わらせる呼び声が轟く。
「蒼汰ー、そろそろ帰るよ」
公園の外から彼を呼ぶ女の子。
「今行くよー、お姉ちゃん」
蒼汰の3つ上のお姉さんだった。
彼が高校1年生の時に失踪した、蒼汰の実の姉である。
「――ごめんねもえかちゃん。僕もう帰らないと」
残念そうに蒼汰は立ち上がる。
そんな彼の袖をもえかが引く。
「そ……蒼汰君」
陽光のせいか、羞恥なのか。
顔を赤くしたもえかが上目遣いで蒼汰にお願いをする。
「バイバイのチュー……しよ?」
そのお願いに蒼汰は口頭での返答はしなかった。
代わりに蒼汰の方から口づけをし、彼女の要望に応える。
「――それじゃあ、バイバイ」
手を振りながら姉と公園から離れる蒼汰を見送る。
彼女は一人になった。
蒼汰といるときは本当に幸せな時間である。
でも、それ以外の時間は――
もえかが気を落としている時、公園前に一台の車が止まる。
その中から出てくる数人の男たち。
白衣で身を固めた初老の男たちがベンチに座るもえかの前で立ち止まる。
「今日はリフレッシュできたか?」
「…………」
「まあいい、もうそろそろ帰るぞ」
もえかは男たちの乗る車に乗せられ、公園を去った。
彼女は家族のいる家には帰れなかった。
大人たちの有象無象の野望を叶えるために、彼女は家には帰れない。
今彼女が住んでいる施設、それは地下研究所だった。
車の中で、自分の不幸を嘆き、自殺してしまいたいと思うほどの負の感情が爆発しそうになる。
でも、彼女には吉野蒼汰がいる。
お互いがお互いを好きであり、彼女の心の支えである幼馴染。
彼のために死ぬわけにはいかなかった。
だから耐えよう。
耐えられないときは眠ってしまうのが一番だ。
だから車に揺られながらも目を閉じる。
夢の中で蒼汰に会おう。
淡い眠りに入り、彼女は蒼汰との時間を楽しむ。
そして、現実の世界へ帰る時間が来た――
「……そうた……くん……」
眠りながら涙を流し、彼女の寝言が宙に消える。
覚醒し出した意識が瞼を動かす。
ベッドの上で横向きで眠っていたもえか。
少し肌寒く感じる温度の中、彼女は目をこする。
昔の夢を見ていた。
知っている壁、知っている調度品。
ここは宇宙エレベーターの楽屋の中だ。
もう『ヴィーナスタウン』に到着したのだろうか?
それなら早くステージ衣装に着替えなければならない。
マネージャーと最後の打ち合わせをし、本番に備える。
とりあえずもえかは身を起こす。
早く準備しなきゃ。
もえかは掛け布団をどかす。
……。
…………。
え?
もえかは自分の身に起きている状況を理解できなかった。
彼女は下着姿でベッドにいた。
そして床には意味ありげに上着とスカートが脱ぎ捨てられている。
記憶の奥底から答えを導き出す。
確か気失う前、蒼汰がこの楽屋に来た。
慌てた様子で詰め寄り言い放った――
その服の下を見せてくれ、と。
それはつまり、服を身に着けないもえかの体を見せろという宣言に他ならない。
それはもえかの顔を羞恥で赤く染め上げるには十分すぎる現実である。
思わず身を抱く。
「そ……うたくん……」
もえかは彼の前で服を脱いだあとに気を失った。
だからその後の蒼汰が、自分に一体何をしたのかを知らない。
彼女は恐る恐る自分の秘部に手を伸ばす。
……。
だい……じょうぶ。多分なにもされてない……。
ただ下着姿が見たかっただけなのか?
考えても考えても答えは出ない。
とりあえず着替えよう。
ベッドから降りてハンガーへ。
衣装を選んでスタンドミラーの前に立つ。
想い人に見られてしまった体を布が隠していく。
アニメコスプレのような衣装に身を包み、リボンで装飾されるカチューシャを被る。
縞々の二―ハイソックスに足を通し、ヒールスニーカーを履いて準備完了。
とりあえずマネージャーの楽屋に行くため、もえかは部屋を出る。
今気が付いたが、宇宙エレベーターは停止している。
すでに『ヴィーナスタウン』に到着したのだろうか。
そうだとしたら、マネージャーはもう『ヴィーナスタウン』のステージ会場にいるかもしれない。
静止軌道ステーションの入り口は、宇宙エレベーターの5階と連結される。
だからまず5階へ上り、繋がった空中回廊から『ヴィーナスタウン』へと入ろう。
近くのエレベーターまで来たもえか。
ボタンを押そうと手を伸ばしたところで彼女は停止する。
エレベーターが下りてきている。
ここは2階。
4階、3階通りてきたエレベーターが2階で停車。
扉が開く。
「――あれ?」
エレベーターの中にいた少年。
吉野蒼汰と目が合うもえか。
「――狗神……」
彼は驚いている。
もえかも同様に驚いている。
「吉野君さぁ……」
急にしかめっ面になったもえか。
彼女が蒼汰の背中に背負われる少女を指さす。
「後ろの子、随分と弱ってるけど。何かしたの?」
疑っている。
完全に疑っている。
蒼汰は息が荒く、紅潮した顔の胡桃沢幸奈をおんぶしている。
実際に蒼汰の猥褻行為を受けたもえかにとって、彼が背後の女の子にいけないことをした、という考えに行き着くのは頷ける。
「――別に何もしちゃいないよ!! それよりも狗神、僕についてきて!!」
必死の形相で蒼汰は叫ぶ。
「え? ど、どこに?」
彼の不審な態度に疑念を覚えずにはいられない。
蒼汰は戸惑うもえかの手を引いてむりやりエレベーターに乗せる。
「行くんだよ――『ヴィーナスタウン』に!!」




