M&Eジャマ―・フィールド
彼女の背後で閉まった自動扉はもう開かない。
蒼汰たちは締め出され、麗は一人だった。
チャームポイントであるポニーテールを成すためのリボン。
紫色のそれを右手首に結び付け、彼女は確固たる決意で走る。
まだ魔力の生成は不十分。
体の熱が下がり、何とか正気は保っていられるほどにまで回復している。
勇気をもらった、自分を後押ししてくれる力を受けた。
だから希望はある――
彼女から見て一番手前。
円筒状の脱出船に乗り込む。
時間はない、すぐさま計器をチェックしてエンジンを始動する。
機体に火が灯る。
脱出船は、万が一このエレベーターを放棄して宇宙空間に脱出する場合に備え、日ごろから整備や食料の備蓄がなされている。
無論燃料は充填済み。
麗は脱出船からの遠隔操作で脱出口のハッチを開放する。
「――まったく。宇宙船なんて運転するのは初めてよ……」
徐々に開かれていく扉。
扉の向こうに広がるのは、無数の星々の煌めきの映える宇宙空間。
宇宙というキャンパスに七色の星々が点在し、地上からの星空とはまた違った趣を感じさせる。
船底が床から離れ、浮遊力を得た船が脱出口めがけて上昇する。
脱出船の各部ハッチが密閉されていることを再度確認。
再度の計器の点検を済ませ、彼女は宇宙へと邁進する。
重力発生装置のあるエレベーターから無重力空間に投げ出される。
オートパイロットで姿勢を制御。
船体の揺れが収まり、麗は操作ハンドルを握る。
オートパイロットを解除して手動操縦へ移行。
フットペダルを踏み込んで加速する。
操縦席のディスプレイ上に表示されるデジタル時計。
午後5時32分、残り7分。
さらにフットペダルペダルを踏み込み、燃料消費量を増大させる。
加速によって発生するGが麗をシートに押し付ける。
麗の体重は約53キロ。
今発生しているGは7。
彼女は前からくる約371キロの力で押し潰されていた。
吐き気を催し骨が痛む。
それでもこの後の魔法消費を考え、今は魔法で体を保護することができない。
あまりの重圧に操作レバーを手放しそうになる。
だが堪え、彼女はさらにスピードを上げる。
そして宇宙の背景に同化していた障害物が徐々にその姿を現す。
スペースデブリ。
衛星やロケットのパーツなどが散乱し、宇宙空間を漂うゴミ。
それが視界を埋め尽くし、徐々にそのデブリ帯に突っ込んでいく。
麗は操縦レバーを操作、反転することはない。
このスピードで突入すれば、万が一衝突した場合無事で済む可能性などない。
だが麗は逃げない。
ただ真っすぐ、『ヤマタノオロチ』への最短ルートを突き進む。
高Gの中、麗は額に汗を滲ませながらも微笑んでいた。
その瞳はあまりにも強く、あまりにも美しいものだった。
「こんなドキドキ――癖になってしまうわ!!」
頭上を巨大なデブリが通り過ぎる。
視界を埋め尽くすほどのゴミの空間。
デブリとデブリの僅かな合間を縫って前進する。
操作レバーを左へ。
左旋回で目の前のデブリを躱す。
麗の卓越した空間認識能力が、数多の回避ルートを算出する。
頻繁に踏んでは離すを繰り返すフットペダル。
僅かな破片は気にしない。
衝突すれば命を落とすと直感するものだけ避ければいい!!
(――このままじゃ間に合わない。だから埋めるのよ、速度でカバーできない要素を操縦で!!)
すでに最高速度に達している麗は道幅の狭いコーナーを速度を落とさず、無駄な動きなしで曲がり切る。
小型、中型――
いくつもの隕石が脱出船の船体に直撃する。
片手でディスプレイを操作。
損害率28パーセントの警告。
まだやれる――
損害を気にせずへし折らんばかりに操縦レバーを引く。
回避パターン算出――
0.5秒後に旋回――
呼吸困難なスピードと機動でシートベルトが千切れそうになる。
ジェットコースターの倍以上に体が振られ、黒髪が四方八方になびき渡る。
右手首に巻いたパープルのリボン。
それが曲線を描きながら、船体の動きに遅れて振り回される。
マップに視線を――
あと少しでデブリ帯を抜ける。
これが最後の踏ん張りどころである。
無茶な動きで船体にダメージが蓄積。
これ以上の航行が困難になりながらも麗は操作を続行。
視界が開け、人工衛星を視認――
最後の迂回――
どっちが上なのかも分からない回転を加えた飛行。
そして視界からデブリが消失――
「――抜けた!!」
爆発音。
あまりの衝撃で船が揺れ、作動したエアバッグに顔面を打ち付ける。
発射まで10秒前――
オーバーロードでエンジンが炎上。
魔法のOS変更――
『保護』に設定。
宇宙空間に適応する術式を全身に張る。
発射まで4秒――
そして彼女の右首に巻かれたリボン。
それが淡い魔力閃光を帯びる――
それは――霊装の光。
「――私がただの魔法少女だと思わないことね……」
宣言。
それは彼女の高らかな勝利宣言である。
「第2の霊装使用――はるか離れた絆を結ぶ天のつり橋、それを断絶せんが断首の剣――M&Eジャマァァァァ!!!」
一瞬にして麗を取り巻く半透明の光り。
それが光の速度でドーム状に広がっていく。
霊装によって形成されたフィールドが、すっぽりと8基の人工衛星を包み込む。
地球を丸ごと1個囲い込むほどの大きさのフィールドは、『ヴァリアラスタン』の静止軌道ステーションだけでなく、蒼汰たちのいるエレベーターまでも包み込む。
操縦不能になった脱出船。
炎と煙の尾を引きながら、それはただ真っすぐに突き進んでいく。
激突――
手前の『ヤマタノオロチ』の腹に衝突する脱出船。
船体が大きく潰れ、ひび割れた燃料タンクからオイルが流れ出す。
そしてエンジンを燃やす炎が引火――
あらゆるものを焼き尽くす火の手が流れ出した燃料を――
タンクに残る多量のオイルに着火される。
人工衛星をレールガンごと吹き飛ばす大爆発。
オレンジ色の大きな花が宇宙空間を照らす。
発射予定時刻から約3秒後――
全レールガンは緊急停止。
3分間の沈黙時間の針が進む。
霊装によって作りだされた『M&Eジャマ―・フィールド』
その空間の中では3分間、全ての遠隔魔法と通信機械が使用不能となる。
遠隔操作で動かす人工衛星は、電波の断絶で強制停止。それが遠隔術式による操縦である場合も同様である。
そして狗神もえかを苦しめる呪い、遠隔術式。
彼女の体には術式はない。
よって遠方の術式が、魔力波として彼女の体に害を与えているのだ。
ならば、その魔力波の進路を妨害してしまえばいい。
遠隔魔法潰し――
それこそがこのフィールドの最大効果である。
もえかを苦しめる遠隔術式の魔力波は、もうもえかには届かない。
遠隔術式の性質上、一度目標を見失った場合、もう一度ロックオンをする必要がある。
だがそのロックオンを行うのは術者本人。
その術者がもえかに接触、または視界にとらえない限り再ロックオンは不可能。
これにより第1目標クリア。
そして――
ここまでの芸をやってのけた1人の魔法少女。
彼女は冷静で、何事も合理的かつ知的に解決する少女。
光沢のある長い黒髪を垂らし、普段はポニーテールに結ぶ可憐な少女。
清楚な女子高生で、誰もが振り返る美貌の少女。
魔法少女として、そして使徒として吉野蒼汰の目の前に現れた少女。
その少女が威風堂々たる物腰で君臨する――
「――魔力は心配だけど――」
破壊された人工衛星の向こう。
2個目の人工衛星の上に立つ少女。
ゆらゆらと彼女の全身を青色の魔力周波が包み込んでいる。
宇宙空間に存在するワイシャツ、セーター姿の女子高生。
「残りのおもちゃを破壊することくらい――造作もないわ」
魔法少女の域を超えた正体不明の魔法少女、藤ノ宮麗が立っていた――




