タイムマシンへ
「――今や彼女は貴様の所有物ではない!」
後藤の胸に剣を突き立てた諜報長官。
通常の人間の刺突感ではない感触が手の内に広がるが、諜報長官はさらに力をこめていく。
「おそらく機械化人間化手術を受けて強大な生命力を得た上で、致死攻撃を耐えたのだろうが……今度はそうはいかんぞ」
機械化人間は人体を部分的、全体的に機械化された人間であり、とある世界の技術である。
真広やクリスティアーネ、さらにはアルフレッドの親衛隊隊長であるヴェローナ伊吹がその例である。
「諜報長官自らここに来るのか……そこまでして私の足を引っ張りたいと?」
「もうよせ、最高評議会は絶対に貴様の願い成就を許さない」
貴様の願いは断固阻止させてもらう――そう言いたげな諜報長官は、突き立てた剣を左右にねじり始める。
いくら体が改造されていようが、後藤は決して不死身ではない。
当然痛覚も正常に働くため、殺意のこもった刺突は後藤に地獄のような苦しみを与え続ける。
それでも、後藤は冷静を気取って言葉を続ける。
「貴様は……いやファルネスホルンは無知蒙昧の極みのようだ。大天使を活かして新たな世界を創ってどうなる? そんなもの――」
「――そんなもの? 貴様の掲げる目標と一緒にするな」
――所詮貴様の目標など、達成への道筋さえ見えない理想論に過ぎないだろう。
諜報長官は後藤の全てを否定するように、彼の想いを唾棄した。
「貴様は大天使を殺害すれば、その莫大な生命エネルギーを獲得することができるという仮説を立てた」
諜報長官は、麗が後藤に幽閉されて以降調査を開始していた。
情報収集に秀でた諜報課を使い、後藤の計画をあぶり出したのだ。
「だが吉野蒼汰君が死亡するあらゆる平行世界において、大天使の死亡が一切確認できなかった」
ファルネスホルンが平行世界理論にたどり着いたことにより、諜報課の調査は一気に進展した。
平行世界理論を前提とすることで、後藤のあらゆる詳細不明の行動に合理性を見出すことに成功したのだ。
後藤がなぜタイムマシンに乗って何度も過去へ行こうとしたのか、そして大天使の生命エネルギーを目的としていることも芋づる式に判明した。
「故に過去へ、貴様は吉野蒼汰君に大天使が宿るよりも前、大天使が本当の意味でその存在が現れた過去、そしてその世界に行こうとした」
大天使は誕生と共に蒼汰に宿ったわけではない。
とある因果で存在としてこの世に降臨し、運命が蒼汰の元へと導いたのである。
「だがその世界を管理していた女神が死亡しており、行くべき世界がなければ、向かうべき過去にさえたどり着くことさえ不可能だった」
世界を管理する女神が死亡すれば、世界は崩壊の道を辿る。
世界の崩壊は、その世界の全ての平行世界をも破壊する。
運よく崩壊を免れた平行世界が存在する、そんなことはあり得ないのである。
だが反体制派の平行世界に関する知識、そして正確に分岐世界へ辿り着く技術力、どれもファルネスホルンを凌駕するものである。
あり得ないことを完全にあり得ないものだと断言するだけの技術も知識も、ファルネスホルンにはない。
「大天使を殺害し、生命エネルギーを手に入れること、もしくは大天使の誕生を阻止し、大天使を形成する時点の生命エネルギーを手に入れることができれば……」
ファルネスホルンは大天使出現を観測していた。
加えて、当時体制派、反体制派の前身組織であった主戦論派の一部も、大天使出現を観測している。
あらゆる魔力観測機が、常識の範囲外の数値を叩き出したあの時。
神が数人束になろうとも、超えられないほどの莫大なエネルギーを使って生み出された大天使を見れば、誰もがこう思ってしまうだろう。
――あんな化け物、世界構築だろうと意図も容易くやってしまうだろう。
「だが、吉野君たちが藤ノ宮を取り戻しに来たことによって計画は一旦中止。目の前に立ちはだかる吉野蒼汰サイドを排除しようとした」
蒼汰たちがやって来ることは予想していた。
故に戦力を増強するために、アルフレッドからの兵器貸与を受けた。
たった1つの世界線の蒼汰を殺害することになるだけだが、ここで邪魔をされるよりはいい。
精査した情報を頼りにたたみかける、諜報長官の言葉。
血と共に絶え絶えの息を吐き出す後藤に対し、さらに言葉を紡いだ。
「――反体制派の『タイムパラドックス計画』は、まさに貴様の計画を体現したものだ。巨大なパトロンに支えられ、大天使の生命エネルギーの一部を提供されるのなら、協力すべきと踏んだのだろう?」
「……確実に殺しもせず、随分と余裕のある態度だ……」
胸を貫かれ、いくつかの内臓を破壊されようとも、後藤の声帯は震えている。
未だ自身の敗北を認めず、後藤は自らの胸に突き刺さった剣を鷲掴む。
「ここまでやっておきながら、これ以上の邪魔をさせるものか――藤ノ宮」
まだ生存していられるとはいっても、今の後藤の戦闘力はゼロに等しい。
諜報長官に拘束され、周囲を敵に囲まれている状況。
少なくとも麗が相手であれば、周囲の者は躊躇せざるを得ないだろう。
刻一刻と迫る後藤のプレッシャー。
麗にだけ効果を発する洗脳じみた彼の声音は、確実に彼女の耳に入り、脳内に影響を及ぼしているはずだ。
だが麗は動かなかった。
「――何をしている藤ノ宮麗! 私の言葉が聞こえないのか!?」
後藤の怒声が響く。
そしてこの場の視線の多くが麗に向けられる。
真広とクリスティアーネも麗を見守り、密かに武器へと手をかける。
万が一麗が後藤の命令に従った場合、すぐにでも麗に斬りこむつもりだった。
「今すぐ吉野蒼汰を射殺しろ! 貴様ならできるだろう!? もう一度価値を証明してみせろ!! 多くの人間を撃ち殺した頃のように――」
その直後、麗が構えた拳銃が乾いた発砲音が鳴り響かせた。
それとほぼ同時に、流血を伴って後藤の手から拳銃が滑り落ちる。
「――藤ノ宮、貴様……」
後藤は驚いたような、怒ったような瞳で彼女を――自分の手を撃った麗を射抜く。
「……後藤支部長」
麗が再び彼の名前を呼ぶ。
力のある声で、緊張も迷いも感じさせない声音で、麗はこう続けた。
「私はもう……あなたの操り人形を卒業しました」
今の彼女の反抗は、麗奈を撃ち殺すことを拒絶していた時とは比べ物にならないほどに落ち着いていた。
泣きじゃくりながら、必死に引き金を引くことを拒否していたあの頃とは違う。
涙を流さず、先ほどまでの動揺も沈め、強い心で明確な意思表示をしたのだ。
「あなたはここで……ここで死ぬべき人です!」
決意の言葉を皮切りに、麗の握る拳銃の照準が上を向く。
先ほど撃ち抜いた手から上へ、後藤の頭を狙えるように――
「藤ノ宮……貴様は……」
ここにきて、ようやく後藤の顔から余裕が消え失せた。
どれほど不利な立場に置かれようが、有能な道具である麗という少女が残されていたはずだった。
だが彼女はすでに、後藤の手中から抜け出していた。
形勢は完全に逆転。
胸を貫かれ、流血と共に拳銃を失った後藤に勝機はない。
蒼汰も後藤の拘束から逃れ、今ではヘスティアと幸奈に保護されている。
麗は真っすぐに後藤の瞳を見つめ、突きつける拳銃を――撃たなかった。
撃つはずの弾丸の代わりに、言葉が麗の口から発せられたのだった。
「……後藤支部長、私は知っています」
引き金を触る指に力を入れるだけで、自分を狂わせた男を射殺できる。
だが麗は発砲ではなく、ここで対話を選択したのだ。
「……知っているだと?」
予想だにしない麗の言葉に、後藤が眉をひそめる。
そして後藤は、麗の表情を見てさらに眉をひそめる。
麗は憎しみと覚悟のこもった表情を浮かべているが、その中に僅かな同情の色を浮かべていた。
その表情の真意を言葉にすべく、麗は話を続ける。
「あなたの妻が出産直後に、そして息子が病気で逝去してしまったことは、私も先輩から聞きました」
それはレジスタンスに参加した時、麗が先輩の魔法使いから聞いた話だった。
「おそらくその運命を変えるために、タイムマシンで何度も過去へ行ったのでしょう――
――でも、何度も繰り返しても大切な人を助けられなかった。そして繰り返す分だけ、同じ数の平行世界が生まれ、その数と同じ妻子の死体を積み上げてしまった。
後藤は何度も繰り返した。
それでも過去に戻れようが、自分の望む結果を得ることができなかった。
試みは結果を出さず、妻子が死ぬ平行世界を無数に出現させただけだったのだ。
「先ほど諜報長官がおっしゃっていた、吉野君もとい大天使を殺害しようとする理由は分かりました。莫大な生命エネルギーを得て、それから――」
――この世界を再構築し、妻と息子が病気で苦しまぬよう、悲しみを覚えさせないよう、存在そのもの消し去ってしまおうと考えたのではないですか?
「妻が存在しなければ、妻が苦しむことも悲しむこともありません。もちろん息子が苦しむことも、悲しむことも、母の死を嘆くこともありません」
麗の話を黙って聞き続ける後藤。
真意を知られ、否定もせずただ黙り続けていた。
「……あなたの大切な人のために手段を選ばない考え方は、とても素敵で利己的で救いようのないものです」
一度口を閉じ、麗は再び声を発した。
それは後藤の行動に一定の評価を与えるものだった。
「私にも、麗奈のためならそうしたいと思ってしまう気持ちが少なからずあるんだと思います」
麗にとって、後藤のバカげた行動にはどこか共感できるものがあった。
もしも麗が後藤の立場なら、きっと同じようなことを思い浮かべてしまうだろう。
麗は会話にのめり込み、無意識に首を下げていた銃口を再び持ち上げる。
気持ちを入れ替え、再度照準を後藤に向ける。
「――あなたのことを忘れません。私を拾ってくれたことも、私に麗奈を殺させたことも」
これが最後。
別れを暗示させるような口切をした麗が、後藤へのトラウマも全て跳ね返すだけの心意気で唄った。
「私に戦う技術を、霊装を、吉野蒼汰を守るための術を与えていただいて、本当にありがとうございました――」
忌むべき相手へのお礼。
それは麗なりの後藤への決別の言葉であった。
そして手に握った拳銃の引き金に力がこもる――
1発、2発、3発。
拳銃が空になるまで撃ち放たれた銃弾は、吸い込まれるように後藤の頭部に命中した。
頭部への衝撃を受けた後藤の首は大きく反った。
脳をズタズタに破壊され、常人であれば生存を望める状況ではない。
そんな状態の中、後藤の口角が不気味に釣り上げられる。
諜報長官は後藤の生命の糸が未だ繋がっていることを瞬時に理解する。
だがそれだけであれば問題はない。
いくら並外れた生命力を持っていようとも、確実に死ぬまで剣を振ればいいだけである。
しかし、それだけでは済まない状況がもう1つ。
上空より飛来するエンジン音を聞き、諜報長官は嫌な汗を流しながら全員に指示を出す。
「――全員今すぐ撤収しろ!!」
切羽詰まった諜報長官の絶叫。
その直後、強烈な地響きが大地を揺らした。
数十棟の廃墟ビルをなぎ倒しながら着地したそれは、鈍重な駆動音を上げて態勢を整える。
そして続けて周囲の至る所10か所から、誰もが嫌というほど聞き飽きた巨大砲身の旋回音が鳴り響く。
「……これ以上の……邪魔はさせん」
破損した顔を上げる後藤。
機械化人間へと昇華し、強靭な物理攻撃への耐性を保有するに至った男には、まだ諦めるという境地には至らなかった。
「――アジトの正面にタイムマシンを停めている! 早急にタイムマシンに搭乗しろ!!」
諜報長官の焦った声音が轟く。
間髪入れない即座の行動が求められる状況の中、真広とクリスティアーネが諜報長官と後藤の隣を抜けてアジトへと駆ける。
ヘスティアと幸奈も脱出するため、蒼汰と麗の腕を掴む。
蒼汰はヘスティアに促されるままに手を引かれるが、幸奈に手を引かれた麗がその場を動こうとしなかった。
「麗ちゃん!? 麗ちゃん!!」
幸奈の必死の叫びも聞こえない麗。
彼女の意識は幸奈には向いておらず、この場に残ろうとする諜報長官へと一心に注がれていた。
「長官! 一緒に行けないのですか!?」
行けるわけがない。
そんなことは麗にも分かり切ったことである。
麗の悲痛の表情を見て、諜報長官の表情が一瞬崩れた。
だがすぐに顔を引き締め、駄々をこねる麗を諭すように口を開く。
「分かっているだろう、この世界の崩壊はすぐそこまで来ている。私の命もここまでだ……」
麗との最後の時間だというのに、十分な会話もできない。
悔しさで胸が締め付けられるが、それを受け入れ、諜報長官は麗に語りかける。
「藤ノ宮……いや、麗。君の父親代わりとして最後にしてやれるのは、私の乗ってきたタイムマシンを譲り、君たちを元の世界に送り返すことだけだ」
麗は黙って話を聞いている。
「……麗、君を拾ってからの私の人生は、とても楽しいものだったさ」
麗との思い出に想いを馳せる。
出会ってからほんの僅かの時間しか経っていないとはいえ、2人の物語は簡単に語りつくせるほど単純で、短いものではない。
「それまで人間に厚い情を持つことはなかった。人間とはあくまで創造物の一部、この世界に幾億の人間が存在していようが、人間はただの単位でしかなかった」
――それでも、有能な創造物である君を拾い、駒として見ていたが、君の時折見せる表情や仕草、感情に尊さを感じるようになった――人間も神と同じなのだと感じるようになった。
「そしてそれをきっかけに、人間を単位ではなく存在として認識し始める自分がいたんだ――」
その言葉の直後、再び地面が大きく揺れた。
『Mmw』の踏み込みとは違った地震は、いくつかの廃墟を崩壊させるだけの衝撃であった。
それは世界崩壊に伴う巨大な地揺れであった。
元々進行していた世界崩壊が一定値を超え、明らかに知覚できるほどの影響が露出したのだ。
本当にもう猶予はない。
諜報長官は焦りの表情を浮かべ、捲し立てるように言葉を繋げる。
「――私の世界から『ゼネラルメビウス』に転移されたのはごく僅かだ。だから君には、数少ない私の子供として、幸せな人生を歩んでほしい」
それ以上の言葉はない。
麗にかけるべき言葉の多くを捨て去り、選び取った僅かな言葉を出し切った。
諜報長官の気持ちを聞き、麗は僅かに開いた唇を結んだ。
この人はどこまでも自分のことを想ってくれる。
その気持ちに応えたいと思ったのだ。
諜報長官からの言葉が途切れ、再度幸奈は麗の腕を引く。
遅れてヘスティアも麗の腕を掴み、強引に引っ張る形で麗を連れ出そうとした。
蒼汰は諜報長官に一礼をし、麗の背中を押す。
足元がもたつきながらも、3人の後押しで麗は走り始める。
だがその後、麗は自分の力で足に力をこめ、仲間たちと共にタイムマシンへ行こうとする意志を持ち始めていた。
ポニーテールを振るように背後を振り返り、諜報長官の最後の姿を瞳に焼き付ける。
だが彼女は決して、縋るような目つきをしていなかった。
諜報長官とお別れすることを忌避し、駄々を続けようとする様子もない。
諜報長官は麗が生きて、幸せになることを望んでいると言った。
その言葉は、内心幸せを感じたいと願っていた秘めたる想いに気が付かせてくれた。
そして麗は、人間の原初的な感情に行きついた。
――もっと蒼汰と共にいたい。
諜報長官との今生の別れを悲しまないわけではない。
だが彼の言葉が、別れの悲しみに打ちひしがれないだけの情動を引き起こした。
数多の感謝を胸に秘め、死にゆく諜報長官へ最後の言葉を送った。
「……さようなら、もう1人のお父さん」