克己
「――藤ノ宮!」
鉄格子を掴み、必死になって囚われの少女へ声を投げる。
蒼汰の言葉によって負の記憶の渦から導かれた麗。
彼女の瞳が、蒼汰の瞳と交錯する。
彼は麗から目を離さなかった。
そして麗も決して蒼汰から目を離そうとしない。
「藤ノ宮、僕の話を聞いて!」
彼女の葛藤は、1つ前の世界の麗から知ることができた。
感情的であれ、論理的であれ、ただ単に麗を重圧から解き放つだけでは解決しない。
彼女は共感を求めている。
麗の心に寄り添い、彼女の重しを共に背負う。
(大丈夫、藤ノ宮は『ミコト研究機関』で気づくことができたんだ……)
彼女は蒼汰と出会う前、後藤によって蝕まれた。
だが蒼汰と出会い、蒼汰の言葉や行動に影響を受け、自らどうすればよいのかを理解した。
そこまでの辿り着くことができたんだ。
少なくとも、麗はその時点で縛るものを振り払うための準備はできていた。
だが、再び後藤が現れたことによってそれが崩された。
(それでも……)
一度麗は辿り着くことができたんだ。
だからきっと、彼女は再び殻を破ることができる。
そのためにも蒼汰は、ここでお膳立てをしてやるんだ。
「――僕は藤ノ宮を迎えに来た」
誰かの悪意で縛り付けられ、心を壊して、その果てに大切な人に手をかけた。
その記憶の牢獄に再び放り込まれ、あの時と同じ苦しみに囚われている。
過去の事実を忘れることができないのは悪くはない。
悪意によって、麗がその過去の事実に再び縛り付けられてしまうことが忌むべきことなのである。
「僕はやっぱり、藤ノ宮がいなくちゃいけないみたいだ」
だから彼女を後藤の手元から救い出す。
ヘスティアや幸奈のいてくれる暖かな世界に戻って、彼女の背負うものを共に背負っていくのだ。
「また一緒に頑張っていきたいって思ってる――だけどそれは任務でも何でもない」
麗は蒼汰の補佐監査官。
共に『ゼネラルメビウス』完成を目指すために派遣された。
今まではあくまで任務だった。
「でも聞いたよ、藤ノ宮は任務なんかじゃなくて、自らの意志で世界を創るために役立ちたいんだって」
彼女は悲願していた。
自分がひどい想いをしたからこそ、誰かが幸せになれる世界を創ってあげたいと。
諜報長官から『暁の水平線計画』における吉野蒼汰の補佐を任された時、彼女は表面には出さないが、それでも心の底から沸き立っていたと聞かされた。
蒼汰の虚をつく言葉に、麗の口が一文字に結ばれる。
実際に効果があったかどうかは分からない。
だが彼女の心の内を追求したことで、少なからず麗の心に影響を与えたのは間違いない。
「今から、自由にしてあげるから――『ミツミネ』!!」
蒼汰の呼び声と共に、収容所入り口から1人のシスターが姿を現す。
右手に携えたハンマーを振りかぶり、突進で勢いづかせたハンマーを鉄格子の扉に叩きつける。
豪快な音を上げてひしゃげた扉。
麗の元へ辿り着く上での障害を跳ね除け、彼女のいる空間を隔てる障害は消え去った。
「今度はあの手錠を外してあげて」
『ミツミネ』は蒼汰の追加命令に首を縦に振る。
ハンマーを落とし、魔の前に展開した魔法陣より短剣を抜き放つ。
そして麗の両手首を拘束する手錠に狙いを定め、華麗な動作で短剣を投擲。
回転しながら打ち出された短剣の刃が、手錠の鎖と同時に天井から手錠をぶら下げる鎖をも切断する。
天井から釣り上げられていた鎖が断ち切られ、麗はその場にぺたりと座り込んだ。
「吉野君……」
久しぶりに聞く、蒼汰のよく知る麗の声音。
彼が視線の向こうにいる、自分を救いに来てくれたことに多様な感情を抱き、麗は目頭が熱くなる感覚に陥った。
「藤ノ宮……」
でもここからだ。
まだ彼女の心を完全に開かせるには、これからである。
「……藤ノ宮」
もう一度彼女の名前を呼ぶ。
「もう、止めにしない?」
突然、彼の会話に雰囲気の変化が訪れる。
「藤ノ宮は本心では後藤の言うことを聞きたくないと思っているけど、義務を果たさなきゃいけないっていう強迫観念に縛られてる」
――相反する2つの想いがぶつかり合って、どうすればいいのか分からない、動けないんでしょう?
彼女が後藤と出会った当初と比べ、確実に後藤が与えた影響は小さくなっている。
その決定的要因が、藤ノ宮麗奈に関することであろう。
「色々大変な思いをして、それがぐるぐる頭の中を巡って……」
蒼汰は麗が麗奈を射殺したことを知らない。
だが知らなくとも、分かっていることはある。
「本当に藤ノ宮は頑張った……いや、頑張っているかな」
彼女の想いを完了形で終わらせない。
こうしている今だって戦い続けている。
「麗の過去を全部知っているわけじゃない。ただ、知らなくても分かっているよ」
彼女のことを分かってあげるのに、彼女の全てを知る必要はないのだと蒼汰は思っている。
「藤ノ宮は溜め込んじゃうタイプだから、心細い思いをしていたんだよね」
知っていなくとも、彼女の心に察して寄り添っていてあげればいい。
「今までは誰にも相談できなかったかもしれないけど、今は違うでしょう?」
麗のことを想い、ここまでやって来た仲間たち。
これまでは麗に頼ってばかりだった彼女たちは、麗に頼りにされたいと思っている。
「藤ノ宮の力になることはできるよ、だから吐き出したいことがあったら、また何でも言ってみて」
傷だらけの顔に笑顔を浮かべる蒼汰。
そんな彼の表情を見て、麗は掻き立てられたように立ち上がった。
「私は……」
感極まったように喉を震わせる麗。
言葉はたどたどしく、今にも壊れてしまいそうな印象を張り付けている。
そして彼女は、ここから出たいという本能に従い、ゆっくりとだが確実に、蒼汰のいる入り口まで歩いて行った。
蒼汰の目の前で立ちどまる麗。
そこで何かに引っ張られるような感覚に陥り、蒼汰はそっと自分の手元を見下ろした。
制服の袖を摘まむ彼女の指。
蒼汰の袖を引き、これ以上1人になりたくないと言わんばかりにきゅっと袖を掴む指に力をこめる。
「その……私は……」
麗は自分の表情を見られまいと、顔を俯かせて弱々しく小声でさえずる。
だが蒼汰の袖を離さないと言わんばかりに、もう片方の手も使って強く袖を握った。
「……吐き出したいことを吐き出しちゃってもいいのかしら?」
蒼汰が言い放った言葉を再確認する麗。
彼女が果たして、もう一度過去を乗り越えることができたのか。
麗はいつものように明言で答えを聞かせてくれはしなかった。
「……後で付き合ってもらうわ」
それでも、こうして麗は己の意志で檻の入り口を抜けた。
答えを言葉にしなくとも、それだけで十分蒼汰には伝わっていた。
もう一度過去を乗り越える決意を固めた彼女の瞳は強く、そして輝きに満ちた光が宿っていた