再起動
こめかみを穿たれ、脳への震動が視界をブレさせる。
不意打ちによって打ち倒された蒼汰が、地面に顔を擦り付けながらも宿敵を睨みつける。
「――ここまで準備し、それでも君たちを止めきれなかったのは私の計算不足だった」
服に飛んだ蒼汰の血を拭い、後藤は蒼汰に語りかける。
「この世界の崩壊は目前、もはや過去や未来へ飛んで逃げることも叶わなくなった今、何としてでも君たちを排除しておきたかったのだが……」
後藤の手の内の拳銃から、ミシリと鈍い音が発せられる。
全身を僅かに震わせ、後藤は怒りから来る破壊衝動を吐き出すかのように、靴底で蒼汰の腹を踏みつける。
「――蒼汰君!」
ヘスティアは我慢の限界を迎え、力を振り絞ってランスを召喚する。
ユキナもヘスティアに見習い、魔法のステッキを取り出して後藤に戦意を叩きつける。
彼女たちの身体はズタボロである。
大丈夫、まだ戦える――彼女たちは確かにそう言ったが、とても戦闘に耐えうる状態とは思えない。
それでも目の前の中年男性の1人であれば、十分に対抗できる。
そう考え、ヘスティアとユキナは1歩踏み込むのであった。
武器を持った魔法少女2人が、自分に向かって来る様子を眺める後藤。
拳銃を構えることもなく、蒼汰を踏みつける足を退けることもない。
じんわりと口角を歪ませ、その時が来るのを今か今かと待ち続ける。
ヘスティアがランスを、ユキナが魔法のステッキを振り被った時、それは起こった。
ランスの刃先が、魔法のステッキの先端が、後藤の身体を突くことなく流される。
後藤を倒そうと戦意の込められた武器はその役目を果たすことなく、力尽きて地面に向かって吸い込まれていく。
武器を落としたヘスティアとユキナの表情は驚愕に染まり、そして自らも地面に倒れこんでった。
甲高い金属音を立ててコンクリートに叩きつけられるランスと魔法のステッキ。
それらに遅れて鈍い音と共に全身を打ちつけられるヘスティアとユキナ。
彼女たちは身に起きたことを理解できず、全身を震わせて地に伏せるばかりである。
「――劣化魔導粒子、効果が効いてくるのに時間がかかったな」
満足そうに魔法少女を見下ろしながら呟く後藤。
「――離して、離せ……」
足元の蒼汰が何かを呟いているが、それを制するように踏みつける足に力を入れる。
蒼汰のヘスティアとユキナの元へ駆け寄りたい気持ちを強引に抑えつけ、後藤は勝ち誇ったような表情で蒼汰に語りかける。
「心配せずとも、彼女たちは体の自由が奪われたまでだ」
「体の自由……?」
「ファルネスホルンの諜報長官の支援があったとはいえ、レールガンの直撃に耐えうるとは恐れ入ったな」
――まあ、直撃に耐えたところで、別の脅威が襲いかかるだけだがな。
「もしかして、地表に砲弾が着弾した時に……」
「ああそうだ。レールガンの砲弾に劣化魔導粒子が内蔵されていた、それが着弾と同時に周囲へ拡散」
周到な砲弾加工。
後藤は蒼汰たちを過大評価しているからこそ、一切の手を緩めることなくできる限りの戦略を打ち立てていた。
「あれは魔法使いの体内に侵入し、魔力の正常な活動を一定時間阻害する効果のある代物だよ」
――魔力は魔導粒子の集合体であり、特に悪性反応を持つ魔導粒子が劣化魔導粒子だ。
「副作用として全身の筋肉が硬直状態に陥るのが特徴、そういったものだ」
一通り蒼汰の疑問に答えを述べた後藤は、拳銃をいじり始める。
「これでしばらくは、彼女たちは私の邪魔をすることはできない」
残弾をチェックし、3人の人間を撃ち殺せるだけの銃弾が装填されていることを確認した後藤。
ヘスティアとユキナは魔法の使用どころか、自分で体を動かすことさえできない状態。
蒼汰は後藤の体重と脚力に抑え込まれ、立ち上がることもできなかった。
後藤はヘスティア、ユキナに視線を流し、そして視線移動は蒼汰に交わった時にピタリと止まる。
「……今の私には何もできない。だがここで君を撃ち殺すことならできる」
発射準備の整った拳銃が蒼汰に向けられ、引き金に指がかかる。
「別の平行世界の君が奮闘できるよう、祈り給え」
後藤の引き金にかかる指に力が入る。
拳銃の引き金が落ちるよりも早く、蒼汰はぎゅっと握りこめた右手を大きく振るった。
密かに握りしめていたアスファルトの破片が投擲され、それが拳銃を握る後藤の手に直撃した。
思わぬ抵抗に照準が反れ、そっぽを向いた銃口から無造作に銃火が放たれる。
「――貴様!」
再び蒼汰の頭蓋を破壊するために、すぐさま拳銃を構え直す後藤。
だが蒼汰はそれよりも早い動作で片足を持ち上げ、後藤の腹に靴底を叩き込む。
体をくの字に折り曲げた後藤に追撃を仕掛けるべく、蒼汰は全力で上体を起こし、立ち上がる。
用意周到な戦略を打ち立てながらも、こうして油断した後藤に手をかけられるチャンス――
蒼汰はこの機を逃すまいと、姿勢を正しつつある後藤に向かって体当たりを仕掛ける。
「――無駄な抵抗だな」
後藤は拳銃を握ったまま飛び掛かる蒼汰の手首と襟を鷲掴む。
そして背負い投げで、再び蒼汰に地の味を舐めさせる。
「魔法少女がいない限り、君は兵士1人分の戦闘力さえ有しない――」
「……魔法少女がいなくとも……今回に限っては心強い味方がいる……あなたもご存じありますよね……?」
正常に機能しない肺を酷使しながら、蒼汰は後藤に噛みついてみせた。
劣化魔導粒子の影響も受けず、たった1人で迎撃部隊を壊滅せしめた青年がいる。
そんな彼が1振りのサーベルを手に握り、アジトエントランスへと降り立った。
背後から放たれる存在感に気が付き、後藤は後ろを振り返る。
「……前の時間軸で、ほぼ同時に2体の《Mmw》を葬ったファルネスホルンの遊撃部隊員がいたな」
後藤は真広の鋭い眼光を受けながらも、感情の入らない抑揚のない言葉で語りかける。
――『Mmw』……魔導兵器のことか。
後藤の言葉とあの鉄の塊を照合させ、真広はあの魔導兵器の名称が『Mmw』であると理解する。
「探したぞ後藤とやら。ファルネスホルンが大変な時に、余計な仕事を増やしてくれたものだ」
後藤が蜂起していなければ、今頃真広は、完全武装の上待機を命じられていたはずだった。
真広は散発的なファルネスホルン下の世界への攻撃が激化している中、自分の持ち場を離れることに些か苛立ちを覚えていた。
「ここで全てを終わる、そうして俺は帰らせてもらう」
この時、真広は後藤を見ているようで見てはいなかった。
正確には後藤の背後、この場にいるはずのない人影に注視し、その時を待っていた。
「私が朽ちることを前提にして、全てが終わると言っているのか。レジスタンスが壊滅状態だと思っている時点で、君は何も気が付いていない」
「――そうだな、お前は気が付いていないんだ」
真広のオウム返しに眉をひそめる後藤。
背後に迫る銀色の凶器に気が付かず、後藤は身構えることなく背中にそれを受け入れた。
突如雷撃が走ったような激痛。
背中が熱く痺れ、体内に侵入した異物はやがて胸元を突き破って姿を見せる。
血の塗られた鋭利な刃先が後藤の視界に入り、そして同時に後方より漂う甘美な香りが嗅覚を刺激する。
「――お喋りに夢中で、私の存在に気が付かなかったのかしら?」
後藤の胸を貫通した刃から血が滴る。
彼の背後に現れた可憐な声音の少女は、雪髪を赤く染め上げながらも表情を一切に崩さない。
血を被るという日常的なイベント故、彼女は何事もなかったように言葉を繋げる。
「――麗を連れ去ったあなたに生きる価値はない。崩壊する世界と共に、あなたも闇に葬られるのよ」
そのセリフと共に、後藤の背中から胸を刺したナイフが引き抜かれる。
足から腰へ、そして上半身に至る筋力が失われ、後藤はその場で崩れ落ちた。
唖然と彼女を見上げる蒼汰。
見ても分からないほどに小さな微笑みを浮かべる真広。
2人の視線を受けながら、彼女は蒼汰に声をかける。
「ええと、あなたが吉野蒼汰君ね? 初めまして長らくMIA扱いだったクリスティアーネ・シュヴァインシュタイガーよ、ファルネスホルンの女よ」
背が低く、幼げな表情で敬礼をしてみせる少女。
ファルネスホルンを名乗る以上味方であることは分かるのだが、蒼汰はポカンと開けた口を閉じられないでいた。
クリスティアーネは蒼汰から視線を外し、少し離れた位置にいる真広に焦点を合わせる。
「お久しぶりです、フリードリヒ・ヴァルトハイム中佐。あ、今は奥村真広さんの方がよろしかったですか?」
フリードリヒ・ヴァルトハイム。
蒼汰が知らない名前で呼ばれた真広が、息をつきながらこう返す。
「……お前もファルネスホルンに拾われた身か? クリスティアーネ・シュヴァインシュタイガー元少佐」
「そうですね。あの戦闘の後、気が付いたらファルネスホルンの施設に収容されていました」
蒼汰の理解の及ばない身の上話を展開しながら、クリスティアーネは後藤から解放された蒼汰に手を差し出す。
「立てる? 吉野君」
「はい、大丈夫です。それよりも――」
差し出されたクリスティアーネの手を取り、蒼汰は痛みを感じながらも立ち上がる。
「――ヘスティアさんと胡桃沢が……」
今も体を動かすことのできないヘスティアと幸奈。
「――そうね、あの2人を看病しなくちゃいけないわね」
クリスティアーネは蒼汰から手を離すと、2人の傍に寄り腰を落とす。
「……私にはよく分からないけど、2人とも何らかの術式か何かを受けているの?」
クリスティアーネはビクビクと体を振りわせるヘスティアと幸奈の手を握る。
「だい……じょうぶです……一時的に体の自由が失われただけ……ですから……」
「声帯もまともに動かせないのに、大丈夫なわけがないでしょう――奥村さん来てください、力持ちでしょう?」
クリスティアーネに呼びつけられた奥村。
「お前も相当なものだったと記憶しているがな」
クリスティアーネは幸奈を、真広はヘスティアを支えて立ち上がらせる。
一時的な体の麻痺がどれほど続くか分からない。
まだどこかに敵が隠れている可能性がある以上、真広とクリスティアーネはヘスティアたちから離れるわけにもいかない。
「――吉野君、俺たちは彼女たちの護衛に就く必要がある。だから君が藤ノ宮麗のところまで行ってくれないか?」
「わ、分かりました。彼女を連れてすぐに戻ってきます!」
真広の要請を受け、蒼汰はすぐさま踵を返す。
ブツ――。
突然鳴り響いたノイズが、蒼汰の足にストップをかける。
それは紛れもなく天井に設置されたスピーカーに火が入る音であった。
『――こちら司令部のエーデルワイスよぉ、吉野蒼汰、聞こえているかしらぁ?』
ノイズが混じったエーデルワイスの声が、スピーカーから降り注ぐ。
『――緊急事態なのだけどぉ、現在活動を停止している魔導兵器が、あと少しで一斉に活動を再開させるみたいなのぉ!』
エーデルワイスによる緊急事態宣言。
何の因果か、それまでダンマリを決め込んでいた『Mmw』が行動を起こす。
『Mmw』起動を一報を受け、真広とクリスティアーネは、意味ありげに床に倒れる後藤の遺体に視線を送った。
『――よく分からないんだけどぉ、アジト自体も攻撃対象に入っているみたいなのぉ』
「――な!?」
アジトごと蒼汰を消すための、行動方針の転換。
あらゆるものを犠牲にしてでも蒼汰を殺すという決死の手段である。
『――だから、アジトを木っ端微塵にさせるだけの全力の飽和攻撃が降り注いじゃうのよぉ』
「――シュヴァインシュタイガー」
真広の呼びかけに、クリスティアーネがその意図を瞬時に理解する。
スーツの下から携行ミサイルを握ったアームが2本伸びる。
「はい、彼女たちをできる限り安全な場所へ運び、それから迎撃に移行します」
できる限り安全な場所――その言葉の通り、絶対的な安全が保障される場所はない。
このアジトも、アジト以外も全てが攻撃範囲。
対処する方法として、『Mmw』が飽和攻撃を開始するよりも前に全機撃破。
もしくは攻撃開始よりも前に麗を確保し、全員でこの世界を脱出かの2択である。
『――私は『ヤマタノオロチ』の操作権を奪取して、衛星軌道上からの魔導兵器の排除を試みるわぁ、でもまだ時間がかかりそうなのぉ」
現実的には全機撃破することが望ましいだろう。
幸い前回の時間軸で、真広がたった1人『Mmw』を撃破できることが判明している。
『――だから手の空いている人は魔導兵器の対処に回ってちょうだいなぁ』
真広はクリスティアーネと共に2人の魔法少女を隠せる場所を探す。
蒼汰は再び地下へ向かって歩みを早める。
「――麗ちゃんを……助けに行ってあげて!」
背後でクリスティアーネに肩を預ける幸奈が叫んだ。
麻痺した声帯を酷使し、幸奈が精一杯の声を張り上げて蒼汰に激励を送る。
彼女の言葉が彼の背中を押し、蒼汰は麗を求めて走り出した。