発射準備
「狗神……もえか」
それは蒼汰のよく知る人物の名前であった。
鈍器で殴られたような感覚。
「そうよ。彼女に何らかの術式が埋め込まれてることは事実」
思わず下を向く。
一般人であるもえかがこの一件に巻き込まれた。
イメージヒロインを志し、ようやく願いを叶えこの舞台を再び盛り上げようとした少女。
蒼汰は歯を食いしばり、あらゆる感情が綯い交ぜとなる。
その様子を脇で見ていた幸奈。
彼を案じ、どうにか解決策を探る。
「麗ちゃん、術式を解除するためにできることはないの!?」
「――狗神もえかが宇宙に出発してから時間が経っているわ。だから追いかけるにはロケットを使わないと……」
顎を触りながら思案にふける麗。
もえかはこうしているうちにぐんぐんと上昇してしまっている。
ここで時間を潰す余裕はない。
「で……でもロケットなんて。そんなもの……」
「いや、ある」
幸奈のセリフを遮って蒼汰が会話に入る。
「宇宙エレベーターを建造するとき、建設用宇宙船を組み上げるための資材を運ぶロケットがあったんだ。完成記念としてそれと同型のロケットが展示されてる」
蒼汰の視線の向こう、羽田空港から突き出る洋上埋め立て地。
そこに建設されたロケット発射台。
そしてそこにそびえ立つ資材運搬用ロケット『御華江瑠零号』
ここからでも確認できる記念ロケットは『ヴァリアラスタン』と同様、観光産業の重要な担い手として日々業者による整備やクリーニングが行われている。
「確かに、吉野君の言うあれは記念に建造されたとはいえ本物のロケットよ。燃料は空港から盗めば飛ばすこともできるでしょうね」
「ま――待ってください麗。それはつまり油を盗むということですか?」
麗の犯罪予告に慌てふためくヘスティア。
そんな彼女の心中を察しながらも、麗は冷徹に頷いてみせる。
「――ヘスティア。先日あなたが破壊した宇宙エレベーターの外壁、ロビー、さらに特設野外会場など。被害総額はいくらになっているのでしょうね?」
麗の鋭い指摘。
ヘスティアは過去の記憶を参照し、思い当たるふしだらけで顔面蒼白になる。
「――あ、あれはあの白髪男との戦いで壊れてしまったんです。それに私は途中から記憶が――」
「それでも壊したことは事実でしょう?」
すかさず麗の突っ込みが入る。
何も言えなくなったヘスティアは黙り込み、アスファルトをブーツのつま先でガリガリとなぞる。
「今更やっちゃいけないことを躊躇っても遅いわ。今はやるべきことをやるべきよ――もちろん犯罪を肯定する気はないけど」
犯罪を肯定する気はないと言いながら犯罪に手を染めようとする麗。
本当ならばここで通報をするべきだ、だが今の蒼汰はそこまで常識的ではない。
「――僕も行くよ藤ノ宮、胡桃沢とヘスティアさんも早く!」
「――わ、分かったよ」
「――気安く名前を呼ばないでください――行くのなら急ぎましょう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『――藤ノ宮、燃料ポンプの接続ができた。そっちの端末で注入を開始して!』
スピーカーに設定したスマホを台の上に置き、麗は操作端末を駆使してロケットへ燃料投入を始める。
麗はロケットを一瞥――外では重い給油ノズルをロケットの給油口に差し込んだ蒼汰とヘスティア。
「満タンになるまでもう少し時間がかかりそうね」
計器を確認。
充足率29パーセント。
あまり時間をかけるわけにはいかない。それはもえかに埋め込まれた術式のことだけではない。
麗の操作する給油車の背後、数キロ先。
そこには全館停電を起こした羽田空港がある。
空港内部に潜入した幸奈が災害用の隔壁扉を全て下ろし、非常口も含める全ての出入り口を魔術で封鎖。
監獄と化した空港に人々を監禁した。
そして管制塔で幸奈がロケットを発射させ、ほうきに乗って飛び立つロケットに合流するという算段だ。
(空港の職員はまだ私たちの存在に気が付いていないはず……)
空港警備隊やら警察官の出動が危ぶまれる中、汗まみれになりながらも麗は操作を続行する。
『――藤ノ宮、こっちのやることは全部終わったよ!』
「あなたはヘスティアと一緒に内部に入り込みなさい。私は幸奈と一緒に行くから」
スマホの通話が終了。
再び操作盤に視線を移す。
(残りあと40パーセント)
燃料が満タンになるまで麗にやるべきことはない。
未だに空港から戻らない幸奈を心配し、彼女の様子を見に操作盤を離れる。
空港方面へと振り向いた瞬間――
彼女の左足、太腿に衝撃。
スカ―トごと太腿に穴を空け、激痛でその場に崩れ落ちる。
傷口からは血が流れ、筋肉に力が入らない。
「……狙撃!?」
銃弾が飛んできた方向を見る。
ここからでは視認はできない。
銃声は聞こえない。
音が聞こえないほど遠い距離か、それとも消音器を装着しているのか。
動けないことはない、すぐに遮蔽物に身を隠さなければ。
麗は足を引きずり、車両の陰に隠れて射線上から退避する。
(空港警備隊……)
もうすでに蒼汰とヘスティアはロケットの中。
幸奈もまだ空港の中だ。
この場にいるのは麗ただ一人。
「幸奈……お願い。早く来て……」
誰かに助けを求めなければどうしようもなかった。
ライフル弾で撃たれた足がひどく痛む。何とかロケットにたどり着かなければ、だが先ほどよりも体が動かない。
かといってここで待機していたら、すぐにでも警備隊を乗せた輸送車が向かってくる。
彼女に任せるしかない。
「幸奈……」
彼女の名前を呼ぶ。
その時不意に麗の肩が叩かれる。
全身の毛が立つほどの衝撃。
体が大きくビクつき、恐る恐る振り返る。
「――藤ノ宮、大丈夫?」
自分を見下ろす吉野蒼汰。
麗の太腿の銃創を見た蒼汰の目が見開かれ、咄嗟に制服のベルトを外す。
「これじゃあ歩くのは辛いだろ。僕がロケットまで運ぶよ」
蒼汰は麗のスカートの裾をたくし上げ、傷口より上をベルトで縛り上げる。
麗が痛みで蒼汰の袖をぎゅっと掴む。
「ごめんな。ちょっとだけ我慢して」
ベルトを固定し、関節圧迫法で止血する。
そして蒼汰を見上げる麗の肩と膝裏に手を回して持ち上げる。
「……迷惑をかけてしまったわね」
お姫様抱っこされる麗。
「迷惑だなんて思ってないよ。それにここで藤ノ宮が倒れるのを黙ってみてるわけにもいかないからね」
「会ったばかりの異世界転移者にそこまでするのね? 何か見返りを期待しての勇気ある行動かしら?」
小悪魔的に蒼汰に質問をする。
当の蒼汰は表情を崩さないが、彼女から視線を反らしてこう言い返す。
「見返りとかは考えてないよ。ただ藤ノ宮に色々聞く前にお別れなんてごめんだからね」
その言葉で蒼汰の心中を察する。
彼は麗から今回の異世界転移から始まる一件の詳細を聞き出したい、そう思っているのだ。
「あなたは私が他の異世界転移者とは違うと思っているのでしょ?」
「初めから大天使だとかワルプルギス文書だとか、誰もが知らないことを知っていた。そして君が僕にワルプルギス文書収拾、異世界形成を補佐官権限で許可した」
「私が何らかの思惑で動いている、もしくはその思惑を主導的に動かす立場の人間――だと思っているのでしょう?」
蒼汰は小さく頷く。
そんな彼の様子を見て麗はクスリと笑う。
「今は教えてあげないわ。女の子の秘密はそうそう口にできないものよ」




