突破法
「う……」
暗転していた思考に光が差し、蒼汰の呻き声が僅かに漏れる。
「……何が……起こったんだろう……」
明瞭さを取り戻す思考が言葉を取り戻した。
薄っすらと持ち上げた瞼の向こうに光が広がり、蒼汰は状況把握のために必死に視界を解放する。
そこに広がっていたのは白色と灰色の世界だった。
白色の砂塵が漂い、灰色の瓦礫がそこら中に積み重なっている。
「……こんなことしていられない」
蒼汰は覚醒間もなく、上半身に力を入れる。
重力によってアスファルトへ吸い込まれていた体を起こす。
全身を貫く痛み。
感覚が彼の身に戻り、容赦のない痛みがじわじわと全身を包み込んでいった。
「……エーデルワイスさん……」
痛みが脳の活動に刺激を与え、先ほどまで通話をしていた相手の名前を思い出す。
蒼汰は運よく握られたままのスマートフォンに目を転ずる。
再び彼女に電話をかけるが、一向に繋がる気配はない。
「……」
エーデルワイスとの再通話を諦め、蒼汰は瓦礫に手を付いて立ち上がる。
「……それにしても、さっきのは」
先ほど自分たちを襲った衝撃がフラッシュバックした。
それによって蒼汰は空飛ぶほうきから投げ出され、気を失っていた。
(2人は……)
ヘスティアとユキナがいない。
何らかの爆発に巻き込まれたとはいえ、彼女たちは蒼汰と共にいた。
近くにいるはずだ。
蒼汰は必死に目を細め、砂塵に覆われた瓦礫の中を見渡した。
その視界の中で、何か茶色のものを発見した。
さらに目を細め、それが何かを認識する。
うっすらとした視界に浮かぶ茶色のツインテール。
紺色のセーラー服に赤色のリボンを合わせた少女が、そこに横たわっていた。
「……胡桃沢」
すぐに駆け寄り、彼女の首筋に指を当てる。
重症ではあるものの、確かに指の腹に脈拍が伝わってきた。
その時、ふわりとした感触が蒼汰の肩に触れる。
反射的に振り返った先、赤色の錦糸が蒼汰の目の前にあった。
「蒼汰君……大丈夫ですか……?」
絶え絶えの息を吐き、顔に血糊を塗った少女が蒼汰の手を握る。
「ヘスティアさん……」
蒼汰以上に全身を傷つけ、薄汚れさせたヘスティアがそこにいた。
足取りはおぼつかないものの、蒼汰が大きな怪我もせずに済んでいることを確認したヘスティア。
「――よかったです」
ヘスティアは安心したように微笑むと、それまで体重を支えていた両足から力が抜けた。
蒼汰は咄嗟にふわりと赤髪が舞わせて崩れ落ちる彼女を支えた。
蒼汰の腕の中に落ちたヘスティアは、ぐったりと体重を蒼汰に預けた。
蒼汰も全身に怪我を負ったが、目の前のヘスティアほどではない。
(きっと僕をかばってくれたんだ……)
しばらく休ませないと、彼女たちは傷は深すぎる。
どこか別の場所へ、建物の中にでも連れて行ってやりたい。
だが先ほどの謎の攻撃の脅威もある中、下手に動くこともできなかった。
やり場のない焦りに翻弄される中、持ったままのスマートフォンが鳴った。
すぐに画面をタッチし、耳元に持っていく。
『――大丈夫か?』
剣呑な声音が蒼汰の耳に入る。
相手は諜報長官である。
「僕は大丈夫です、ですがヘスティアと胡桃沢が……」
『――さすがにあの砲撃を防ぎ切ることはできなかったか、自分の力不足を悔いる限りだ』
蒼汰の眉が上がる。
もしかして――
「――諜報長官が守ってくださったんですか?」
突如引き起こされた謎の大爆発。
一瞬にして周囲の建物を数棟崩壊させてしまう攻撃を受けながら、自分の体は原形を保っている。
『――君たちの周りに防御術式を張ったんだ、最終的には突破されたが』
諜報長官による、遠距離からの防御術式によるバリアー展開。
それ故蒼汰たちは直撃と大半の衝撃波を避け、生き延びることができたというわけだ。
「でも、僕たちの正確な位置がよく分かりましたね」
『――タイムマシン備え付けの観測用ドローンで君たちを見守っている。支援に際して、君たちの姿が見えないとなると不便だからな』
――生命の無事が確認できて幸いだ。では実務の話をしたい。
「ま、待ってください」
蒼汰はヘスティアとユキナへ視線を向ける。
ヘスティアもユキナも蒼汰をかばい、彼岸花を見るような虚ろな瞳を湛えている状態である。
実務に耐えうる状態ではないことが明白だった。
「だい……じょうぶです……蒼汰君」
絞り出した弱々しい言葉。
ヘスティアは蒼汰の頭に手を置き、優しく撫で始める。
「ですから、心配しないでください」
傷だらけになりながらも、ヘスティアは蒼汰を気遣っていた。
「私もまだ、戦える……」
その言葉を発したのはユキナだった。
いつの間にか目を覚ましたユキナは上半身を起こし、真剣な瞳を蒼汰に向ける。
ここまで気を強く持とうとしているヘスティアとユキナ。
彼女たちを前に、蒼汰だけ弱っているわけにもいかなかった。
「……ありがとう、2人とも」
蒼汰は2人の想いに折れ、感謝の言葉を述べた。
ありがとうを聞いたヘスティアとユキナに微笑みが浮かんだ。
そんなやり取りを通話越しに聞いていた諜報長官。
蒼汰たちには見えない微笑を一瞬浮かべ、すぐに体裁を取り戻して話し始める。
『――さあ、君たちのいる場所からアジトまで、およそ20メートルだ』
ここから容易に視認できる距離である。
『――だが瓦礫のオアシスを抜けてしまえば、空の下へ全身を晒すことになる。そうすれば衛星のカメラがすぐにでも君たちを補足する』
「衛星ってことは、さっきのは……」
『――ああ、あれは『ヤマタノオロチ』だ。君も知っているだろう?」
覚えはあった。
もえかの胸元に描かれた魔法陣をスイッチとするレールガンが、東京に向けて発射されそうになったこと。
そして麗がその兵器を衛星ごと破壊したこと。
『――それが今、地上に向けて砲口を向けているという状態だ』
「状況は分かりました。これからアジトに向かいます」
『――どうやって20メートルを突破するつもりだ?』
瓦礫の天井を抜ければ、衛星に捕捉される。
だが空の目をごまかすことができれば、無事にアジトまでたどり着ける可能性がある。
「――『ミツミネ』の群衆で、僕たちの姿を隠します」
彼の言葉を受け、周囲に展開していた『ミツミネ』が一斉に蒼汰へ視線を向ける。
「先ほどの砲撃で、何体かの『ミツミネ』は巻き込まれて消失しましたが、砲撃は明らかに僕たちを狙って撃ち込まれました」
――彼女たちは僕たちが射線上に出る前から、射線上を飛行していました。ですが『ヤマタノオロチ』は、彼女たちが射線上に出たタイミングで砲撃を行っていません。
『――つまり君の姿を補足して初めて砲撃が行われたということか』
――確かに、衛星が反応を示さない『ミツミネ』で君たちを隠してしまえば可能かもしれない。
諜報長官がそう付け加え、蒼汰がそれに肯定の意を表する。
「それに、こうしている今、僕たちは砲撃を受けていません」
蒼汰たちは周囲、頭上を瓦礫に覆われ、洞窟の中に隠れているようなものだ。
現状、蒼汰の姿を捉えることのできない衛星は、あれ以来レールガンを停止している。
「電力の供給中なのか、もしくは冷却中という線もありますが、どちらにせよ実行は早い方がいいでしょう」
蒼汰の考えを聞き、通話越しに諜報長官が喉を鳴らした。
『――どのみち、他の方法を模索する時間はないな』
そのセリフを聞き、蒼汰の頬が僅かに緩む。
『――了解した。こちらからできる支援は今後も全力で行わせてもらう、十分に気を付けろ』
諜報長官からの激励を受けた後、通話が途切れる。
スマートフォンをポケットにしまおうとした時、不意に着信音が鳴り響く。
相手は真広。
蒼汰はすぐに電話をとる。
『――奥村だ。武装した非戦闘員の掃討まで目前だ』
「迎撃部隊はどうです?」
『――迎撃部隊は全滅、今は内部に侵入して徹底的に敵を叩いている最中だ』
とてつもない速度の制圧スピード。
抑揚の変わらない声音でとんでもないことを言った真広に驚きつつも、蒼汰は重要事項に切り込む。
「藤ノ宮は見かけましたか?」
『――いや、見ていないが、おそらく地上階にはいないだろうな。俺がまだ見ていないのは地下だ』
「分かりました、奥村さんは館内の敵をお願いします。僕が藤ノ宮と後藤を見つけ出します』
『――気を付けろ、もしかしたら後藤が藤ノ宮麗の傍にいるかもしれないからな』
「はい」
一切淀みのない真っすぐな返事。
誰かを救おうと奮闘する蒼汰の応答を聞き、真広がこんなことを口にした。
『――君は本当に、彼女に似ているな』
「え?」
『――何でもない、気にするな』
意味深なセリフを残し、真広は通話を切った。
しばし切れたスマートフォンの画面を見つめる蒼汰。
ヘスティアに肩を叩かれ、我に返った蒼汰が大天使に語り掛ける。
「大天使、今いる『ミツミネ』の数で僕を隠せる?」
『――それはもう十分なほどに』
蒼汰が郊外に出るまでの護衛役を務めていた修道女たちも集結。
蒼汰の指示を受け、彼女たちは魚の大群のように上空へと渦を巻きながら密集していく。
瓦礫の天井から差し込む太陽の光が徐々に細くなり、やがて全ての光が遮断される。
蒼汰はヘスティアとユキナを連れ、瓦礫の合間を飛び出してアジトへ向かう。
瓦礫の天井を抜け、1歩、2歩、3歩と進んでいく。
空から降り注ぐ雷撃はピタリと止まり、蒼汰は無事に20メートルを渡り切った。
魔法使いの死体を超え、蒼汰は警戒しながらアジト入り口を通り抜ける。
人気のないロビー。
真広に蹂躙され尽くしたそこは、至る所に戦闘の痕を残して沈黙を保っている。
もはやアジトは機能不全。
魔導兵器も『ヤマタノオロチ』も、蒼汰のいるアジトに向けて砲撃はできない。
現在稼働している後藤の手駒は、ほんの僅か。
完全に後藤を追い詰めた。
相手もそれを理解し、すでに脱出の準備を進めて、いや完了させていることも考えられる。
早急に後藤と麗を見つけ出し、この世界から――
そしてロビーを駆け出した時、蒼汰の側頭部に鈍い衝撃が襲い掛かる。
脳が揺らされながら、蒼汰の体が床に向かって叩きつけられた。
側頭部から滲み出た血の暖かさを感じつつ、うっすらと開いた瞼の向こうに、彼はいた。
「――随分と暴れてくれたものだ」
蒼汰を拳銃で殴り倒した後藤。
顔を引きつらせながら、静かな怒りのこもった表情で蒼汰を見下ろしていた。